第16話 雨の日の誕生日
「おい」
「え、あ、はい……って、副寮長さん?!」
もうすぐ講義が始まる。というのに一個上の学年である副寮長、エイデン先輩が教室にずかずかと遠慮なく入ってきた。怖いということで有名な副寮長がなんの用事があってこの教室に来たのか注目が集まる中、彼が話しかけたのはなんと驚くべきことに私だった。
「お前がクソ寮長の妹か」
「えっと……モルティスのことでしたら、私の兄ですけど……何か?」
ただでさえ私に話しかけてきたのが意味不明なのに、さらに兄の話まで出されてもうよくわからない。というかこの話ってシンさんにしかしてないはずだけど……あ、でも副寮長ぐらいなら寮生の情報って持ってるのかな。
「エルドフォールから何も聞いてないか?」
「シンさんですか? これから兄に会いに行くって話は聞きましたけど……」
「そういう立ち位置か。にしても気が利かないな、あいつ」
少しの間、何かを思案するような表情を浮かべるとエイデンさんは私の目を見た。
「お前、何のためにこの学院に来たんだ?」
「え? 学校なんだからやっぱり魔術を学ぶためじゃ……?」
「質問が悪いか。飾らなくていい。お前は兄がいるからここに来たのか? それともなんとなくここを選んだのか?」
「……兄がいるから、です」
兄を連れ戻すためにここに来た。別に隠すようなことじゃないけど、質問の意図がわからない。何を確認しようとしているんだろう。
「大切か?」
「大切です」
この世に残った唯一の家族だ。大切じゃないわけがない。
「なら早くエルドフォールを追え。場合によっては最悪お前の兄が死ぬ」
「え?!」
勢いよく立ち上がった。当然だ。そんな話を聞いて驚かないわけがない。
「どういうことですか!?」
「外で話すぞ」
言われるがまま廊下に出る。教室の視線を一身に浴びていただろうけど、そんなことどうでもいい。それよりも兄について聞きたい。
「お前の兄が悪魔と契約してるかもしれない」
「悪魔って……あの悪魔ですか?」
「その悪魔だろうな」
「魔大陸に封印されてもういないんじゃ?」
「そこは俺も知らねぇよ。関わりたくないから聞いてない。んなことよりお前が理解しておくべきなのは、兄が殺される可能性があるってことだ」
「シンさんたちに、ですか? なんで?」
「……あいつらは異端って呼ばれる存在を殺すのが役目なんだよ。だから異端である悪魔と契約していた場合、お前の兄が殺される可能性がある。まあ実際のところ契約者まで殺すかどうかはよくわからねぇけど、十分ありえる話だ」
正直なところ副寮長の言う話を完全に消化できていない。けど嘘を言っているようにも見えない。というかわざわざ私なんかに嘘をつく必要がない。
「何故兄は悪魔と契約を……」
「知るかよ。ただ悪魔と契約する理由なんか力が欲しいか知識が欲しいかだろ」
知識……そうか、知識か。あり得る。可能性は十分にある。
「理解したならさっさと行け。命はなくなったらそこで終わりだ」
「ありがとうございます。行ってきます!」
急いで研究室があるという地下に向かうことした。適当になってしまったから副寮長には後でちゃんとお礼を言おう。
******
私の家に父親はいなかった。いや、もちろん私が産まれてる以上はいたんだろうけど、少なくとも私は見たことがなかった。そして今後見ることもないんだろうとなんとなく察していた。
まあそれはあまり私自身が気にしていないことなのでおいておくとして、父がいないため子育てをするのは母親1人だった。家族以外に協力をすればよかったのではと成長してから考えたりしたことがあるが、住んでいた場所が人の寄り付かない森の中であり、『守り人』という特殊な立場であったため、多分誰も頼ることができなかったんだと思う。
きっとお母さんは辛かったはずだ。たった一人で兄さんと私を育てたのだから。でも弱音を聞いたことは一回もなかった。あの人はいつも笑顔だった。
──そう、あの時も同じだ。母は笑顔だった。
これは、過去の話。もう、終わった話。
その日は私が10歳となる誕生日だった。
ようやく私も緑神様の森を守護する守り人としての仕事を任されるようになる。2個上の兄さんはそうでもないようだったけれど、私はお母さんと同じ仕事ができるようになるのが嬉しかった。私はお母さんが大好きで、お母さんは私の憧れだったから。
「雨かぁ。ルイはいい子でいるはずなのになぁ」
「私はお祝いしてくれるだけで嬉しいよ?」
「ふふっ。ルイは本当優しいねぇ。だからもう緑神様の力が使えるのかな」
「お母さんはいつ使えるようになったの?」
「確か17とか18だったかなぁ。ルイはすっごい早いよ」
そんなに使い所がないのであまり緑神様の力というのには興味がなかったけど、お母さんが褒めてくれるのは嬉しかった。
「さて、そろそろご飯の準備しようかな」
「手伝うー」
「だーめ。今日はルイの誕生日なんだからドンと座って待ってなさい」
「えー。お母さん一人で大丈夫?」
「大丈夫じゃないかもしれないから代わりにモルティス呼んできて。今日は私とモルティスの2人で料理します。すごいの作るから規定してな」
ということで私は兄さんを呼びに行く。向かったのは兄さんの自室だ。外に出ることがあまり好きではないらしく、大抵はそこか書斎にいる。この日は私の予想が当たって、兄さんは自室で本を読んでいた。最近よく読んでいる本だ。横から見たことはあるけど、難しいことがいっぱい書いてあった。兄さんは頭がいい。2年後、今の兄さんと同じ年齢になってもきっと同じ本を読むことはできない。
「お兄ちゃん。お母さんが呼んでる」
「なんで?」
「料理手伝ってほしいんだって」
「俺に……? あぁ、そういうことか。呼んでくれてありがとう」
いつも料理を手伝っているのは私だ。だから何故自分が手伝いに呼ばれるのか兄さんは一瞬わからなかったようだが、すぐに理解したみたいだった。私の横を通って調理場へと向かって行った。
お母さんの張り切っていた様子から考えて時間は時間はまだかかるはずだ。どうやって時間を潰そうか。晴れていれば外に出てもよかったけど、あいにくの大雨。心配させるわけにはいかないし、家にいるしかない。
「寝てよっか」
兄さんのように本を読むことはないし、家の中で私ができることはほとんどない。となってくるとやることは一つ。ベッドで寝っ転がる。これに限る。何故横になるだけで時間は過ぎていくのか。不思議だ。もし寝てしまっても兄さんが起こしてくれるはず。
私は自分の部屋のベッドで横になった。
気持ちがいい。今日は早く起きたからか、横になってすぐに意識が沈んだ。次に目を覚ましたのは兄さんの呼び声が聞こえたから……ではなく、雷鳴が鼓膜を揺らしたからだった。
「ん……」
どれくらい寝ていたのか。部屋に時計がないためわからない。料理ができたか確認しに行くことにした私は眠い目を擦りながら部屋を出た。雨の勢いが増していることを気にしつつ、廊下を歩く。3人で暮らすには大きすぎる屋敷だ。一階の調理場に行くのにも少し時間がかかる。
「何の音……?」
揺れと大きな音がした。下の階からだ。
何か嫌な予感がしたため、私は急いで階段を下った。すると、
「ル、イ……っ!?」
血を流したお母さんが玄関からすぐの広間にいた。
「お母さん!」
「来ちゃダメ!!」
状況がよくわからないけど冷静でいられるわけがなく、私は急いでお母さんに駆け寄ろうとした。が、滅多に効くことないお母さんの切羽詰まった声によって足が止まる。
「──あら〜。もしかして娘さんです? お子さんもう1人いたんですねぇ」
「だれ……?」
知らない人がいた。修道服のようなものに身を包み、顔を歯車の模様が刻まれた仮面で隠している女性だ。今まで見たことがない。
「ふふふ。ただのシスターですよぉ」
そんなわけがない。幼い私でもわかるぐらい、女性は明らかに異質だった。
「逃げなさい!! ルイ!」
血を吐き出しながらお母さんは叫んだ。でも、私の足は動かない。
恐怖だ。仮面の下から見ているであろう女性の視線が、私が逃亡するということを許していなかった。
「ちょっとぉ、落ち着いてくださいよ。私別に視界に入った人たち全員に暴力振るうわけじゃないですよ? 必要最低限しか力は使いません。かわいそうじゃないですか。あ、それとももしかしてあの子が知ってるんです?」
「違う! あの子は何も知らない!!」
「あはは。すごい必死。あの子をいじめれば教えてくれそうです」
「ひっ」
優しい声音だった。でも怖い。本能的に仮面の女性に対して私は恐怖を抱いている。
「させ、ない……」
「あれ。これはすごい」
床を突き破って木の根のようなものが、女性の体を拘束した。
「うーん。魔力が動いた様子はないですし能力です? 恵まれていますねぇ」
「この森に、『神の核』はない。諦めて……」
「ないから諦めて? ふふ、面白いですねぇ。ないかどうかは自分の目で確認します。言葉も、この力も、私を止めるには足りないですよ。あなたからは血の匂いがしない。死を感じられない。だから、足りない」
「っ……!」
「お母さん!!」
何が起こったのか。お母さんの両腕が消えた。
その影響か、木の根が緩み、女性は拘束から抜け出す。
「く、狂ってる……」
「えぇ? 心外です。私をおかしいとお思いです? あははは! 普通ですよ。至って正常で通常で平常です。ほら、そんなことより早く行き方を教えてくれないと後ろのお子さんの四肢も喰い千切りますよ?」
「くっ……」
「どうせ内臓は潰してるし、それだけ出血してたらどれだけ出血を抑えようがあと少しで死ぬんですから教えてください。教えてくださればあなたが死んだ後にお子さんたちには手を出さないことをお約束します」
「……死ね」
背後から静かに迫っていた兄さんが包丁で突き刺す。流石に予想外だったようで、女性は驚いていたようだった。
「あれれ? あは、これは驚いた。意識を取り戻したんですねぇ」
刺されている。血が出ている。だというのに女性はまるで今の自分の状態が他人事であるかのように平然としていた。
「なんで……」
「え? あぁ、痛いですよ。ちゃんと。でも痛いだけですから」
「化け物……」
「親子そろって失礼ですねぇ」
兄さんの頭部を掴むとそのまま石でも軽く投げるように、お母さんの方へと放り投げた。腕がないお母さんはうまく受け止めることができず、その場に一緒に倒れた。
「さて、私結構見せましたよね、優しさ。というより誠意ですか。でもここまで譲歩して何も話してくれないなら、もうちょっと奪わないとダメです?
「何、を」
「うふ、2人いるんだから1人ぐらい減ってもいいですよね。──行使するは影の力」
私も兄さんもお母さんも、魔術に関しては学んでいるため女性が詠唱を始めていることはすぐにわかった。でも即座に動けたのは兄さんだけ。兄さんは最速でできる最良の行動を即座に思考し、お母さんの前に立って庇うように両手を広げた。
「光より生まれし闇を持って、その命を奪い去らん」
お母さんを守るつもりだったんだと思う。けど、お母さんが子どもが犠牲になることを許すはずがなかった。魔術が発動する直前、お母さんは動いた。
「え?」
お母さんはお兄さんを突き飛ばした。結果、女性の発動した魔術によって生み出された黒い槍が母の体を貫く。それを見た瞬間にわかった。もうどう足掻いても助からないと。
「えー。それは困ります。すぐに死んじゃうじゃないですかぁ」
「ここから、消え、ろ……!」
「だ、は……っ?!
再び出現した複数の木の根の鋭い先端が、女性を突き刺す。
「あ、はっ! あはは、はは!!! なん、だぁ! やればできるじゃないですかぁ! なかな、がっ……い、いいですよぉ」
倍返しどころではない。身体中に穴が空いた。女性も明らかに助かるような状態じゃない。なのに楽しそうだった。嬉しそうだった。まるで自分の子供が何か新しいことをできるようになったのを喜ぶような声音だった。明らかに、おかしい。
「あぁ、これは……よくない、ですぅ。ダメ、ですねぇ。せっかくの体がぁ、終わ、る。あはははは、ははは、は、はは、は…………」
女性はそこで事切れた。
「母さん!!」
「……!」
呆然としていた私は兄の声を聞いて足を動かす。
「お母さん!」
全身が血だらけだった。特に肩と腹部からの出血が尋常じゃない。人体の許容範囲を超えている。これはどう考えても無理だ。
「よかった。2人とも、無事だ」
笑った。こんな時も、お母さんが浮かべた表情は笑顔だった。
「でも、お母さんは……ダメ、みたい」
無慈悲に、血が流れ出ていく。
「2人で、仲良く、ね……?」
「待って」
声から覇気が無くなっていく。
「──あぁ、手がないから、触れないや……」
「待って、母さん。行かないで」
「おかあ、さん……」
瞳から、涙がこぼれ落ちた。
「ごめん、ね」
それが最後の言葉。私たちのお母さんは私の誕生日に死んだ。
泣いた。ただひたすら泣いた。泣き終わった頃には、雨が止んでいた。
その日からだ。兄さんはおかしくなった。
以前よりも部屋に篭るようになった。魔術の勉強をしているようだった。なんの魔術かはわかっていた。でも止める気はなかった。それを止めてしまえば兄さんが壊れる気がしたから。それに、きっと私もそれを望んでいたから。
話を少し変える。あの仮面の女性についてだ。女性の死体はいつの間にか消えていた。あの状態からどうやってなくなったのかわからない。血痕すら残っていなかった。まるで元からいなかったんじゃないか、そう思ってしまうほどに何もなかった。
結局何者なのかはわからないまま。兄さんに聞いた話では本当に急に現れたらしい。目的は緑神様のお墓への行き方だったという。ちゃんとした手順を踏んで森を進まないとそこへは辿り着けないようになっているから聞き出したかったんだと思う。でも一度私はお母さんに連れてかれたことがあるが、あそこには小さなお墓があるだけだ。そんな場所にあの女性が行きたがっていた意味がわからなかった。もしかしたら私が知らないだけで、他に何か秘密があるのかもしれないけど、兄さんも把握していないようなのでもう知る術はない。家にある資料を漁っても何も書いていなかった。
お母さんが死んでから5年。守り人としての森の管理は私が行っていた。やることは緑神様のお墓の掃除と、森に異常がないかの確認だけ。あれから仮面の女性のような人は来なかった。平和だ。兄さんは相変わらず部屋にこもって魔術の研究をしていた。食事の時には顔を見せてくれるから生存確認はできている。けど、いつ見ても死人のような顔だ。言葉を交わすことはほとんどない。だが、そんなある日、いつものように黙って夕食を食べていたところで、兄さんが珍しく口を開いた。
「ルイ。話がある」
ただでさえここ数年間自分から口を開くことなんてなかった上に、重々しい雰囲気だったためどんな話なのかと身構えた。
「しばらくこの家を出ようと思う」
「え?」
全く予想していなかった話だった。
「どうして?」
「ナルダッド魔術学院。世界中の魔術の知識が集まった場所で研究をしたい」
「……なんの?」
「…………」
わかっていた。わかっていながら私は聞いた。
兄さんはそれに対して何も答えることなく立ち上がり、「また母さんと暮らそう。3人で、一緒に」と言って部屋から出ていった。
翌日の朝、兄さんは家を出た。
私は1人森に残された。不思議と寂しいと感じることはなかった。でも、心のどこかで引っかかるものがあった。
「ねぇ、いいのかな……。兄さんがしてるのは、ダメなことなんだよね」
家の裏に作ったお母さんのお墓の前で、兄が家を出る時に置いていったのであろう花を眺めながら独りごちた。私は兄さんを止めなかったのだ。それが正しくなかったんじゃないかと思えて仕方なかった。
こんな時、お母さんは何て言うだろう。お母さんならどうするだろう。考えてもわからない。言葉にして尋ねても返ってくる言葉はない。
「会いたいな……」
兄さんが行おうとしているのは死者の蘇生。母から魔術を学んでいる時に教えてもらったことがあるが、その行為は禁忌だという。
そう、いけないことなんだ。そんなのはわかってる。でも兄さんがそれについて研究しているのを知っていても止めなかった。今回も家を出ていくのを止めることはなかった。それはきっと私も望んでいるからだ。私は……いや、私も、兄さんに会いたかった。
「──『失われた命が戻ることは決してない』、か」
兄さんが家を出てから一年近く経ったある日、緑神様についての資料を眺めている時にそんな一文を見つけた。どうやら緑神様の言葉のようだった。神様の言ったことだ。緑神は生命に精通ついてしていたらしいし、きっと真実なんだろう。つまり兄さんがしようとしていることは無駄なんだ。お母さんが蘇ることはない。そんなことは理解していた。理解していながら、兄さんならできるんじゃないか。もしかしたら蘇るんじゃないか。お母さんにまた会えるんじゃないか。そんな希望を持っていた。持ってしまっていた。
けれど、こうして無理だという事実を突きつけられた。目を背けていた事実が私の頭を中を埋め尽くした。
「…………」
資料を元の場所に戻して部屋を出た。昔の光景を追想しながら廊下を歩く。
楽しかった。幸せだった。お母さんがいた時はこんな大きな屋敷でも賑やかだった。どうしてこうなってしまったんだろう。考えてもどうしようもない疑問を反芻していると、いつの間にか目的地であるお母さんの墓の前にいた。
「……お母さん。ごめんない。少し家を出ます。兄さんと一緒に戻ってくるので、待っていてください」
私は兄さんを追うことにした。家に連れ戻すために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます