第一章 魔術学院
第5話 英雄となる道
異様な空気の立ち込める屋敷。アンゲルスの拠点であるそこの一室、円卓の間に俺とティアはいた。基本的に仕事を任せられる時以外にこの部屋に来ることはない。つまり今日は任務がある。
「任務だ」
低く威圧感のある声が俺にそう言った。
声の主は部屋の最奥に座る目の鋭い初老の男。アンゲルスのリーダーであり、超越者の一人でもあるミハイルだ。いつも王様みたいな感じで偉そうに椅子に座っている。実際偉い。
「どこ行けばいい?」
「島だ」
「島?」
「魔術学院ナルダッド。知っているだろう?」
「うん」
もちろん知ってる。ナルダッド魔術学院は世界各地に点在する魔術学校の中で最も有名な名門だ。なんでそんな場所に行かされるのかはわからないけど、それより先に確認しておきたい疑問がある。
「行っていいの? あそこ聖教国の土地じゃないでしょ」
世界で最も大きな国土を誇る聖教国。俺たち執行者が仕事をしているのはその中だけ。ナルダッドがあるのは聖教国から、さらには聖教国のあるこの大陸からも離れた離島だ。そんな場所に聖教国の組織に所属している俺が行っていいのだろうか。
「どこの国にも属してないから問題ない。どこの組織にも属していない者であればな」
「属してるんだけど」
「ああ。だから潜入しろ。調査だ。あそこの深部から歪な魔力を僅かに感知したとの報告があった」
「? それだけでナルダッドまで行くの?」
第二次天魔大戦が終わって以降、表向きはどの国もこれからはみんなで手を取り合って仲良くやっていこうって感じではあるみたいだけど、実際のところ聖教国は自国以外はどうでもいいと軽視してる節がある。執行者の仕事のほとんどが聖教国の中だけなのがその証拠。自国の領土じゃないのに、そんな変な魔力を少し感知したぐらいで聖教国がアンゲルスを動かすのは奇妙だ。わざわざナルダッドまで行かせる証拠としては弱い気がする。
「ああ。ナルダッドでなければ放置していた。が、今回はそうもいかない。あそこには『叡智の超越』がいるからな。もしあれが異端をなんらかに利用しているとなると場合によっては世界が終わる」
叡智の超越。最強の魔術師にして、最後の魔法使いとも呼ばれる超越者の一人。ナルダッドを設立したのはその叡智の超越だ。今はナルダッドで校長をしているとノレアから聞いたことがある。
「そういうことする人なの?」
「いいや、しない。魔術師とは言わば人の理から外れようとする探求者。それ故に深みを求め闇へと飲み込まれる者もいたが、あの女の場合はただ魔術という概念に対しての理解が天才的だっただけだ。探究心など大してない。我々超越者の中で最も正常だと言ってもいい。だがウォレスが…………いや、なんでもない。我の知らぬことだ。お前も気にせず任務に行け。何もなければそれでいい。何かあるのならばそれを終わらせろ」
「わかった」
気にするなと言うのなら気にしない。知っていなくとも死にはしないんだ。
「島にはどうやって?」
「船で正面から普通に入れ。そろそろ年に一度の入学試験がある」
「生徒として潜入しろってこと?」
「そうだ。昨今は魔術師の需要が高まっているため入学希望者は多いだろうが、お前たちであれば問題ないだろう。面倒な手続きはこちらで行う。あとの詳しい話は後でアハトに聞け」
「うん」
いつも通りの流れ。ミハイルの秘書のような存在であるアハトに聞けという言葉がでたら話は大体終わりだ。
「何か聞いておきたいことはあるか?」
「俺はない。ティアは?」
「一つだけ」
「なんだ?」
「場合によっては叡智の超越を殺すんですよね? 魔術師相手なら確かにこいつと相性はいいですけど殺すまでできます?」
当然の疑問。超越者というのは文字通り生物を超越したが故にそう呼ばれているのであり、尋常ではない。魔術師に対して俺は対抗策を持っているので有利ではあるけれど限度はある。
「奴を殺さざるを得なくなった場合は……我が殺しに行く」
「了解です」
話は終わり。俺たちは円卓の間を後にした。
******
「お前、よくあの人とタメ口で話せるな」
「どうして?」
「怖いだろ。目も合わせられないわ、あんなの」
「確かに顔は怖いけど、ミハイルは優しいよ」
「優しい、ねぇ……」
アハトから詳しい任務の内容を聞いた後、俺たちは七幹部の1人である男性、『ドクター』の部屋へ向かっていた。ドクターは無口で無表情、常に死人のような顔でなんかしてる。だからただでさえ明かりがほとんどなくえ暗い屋敷の中でも、ドクターの部屋は最も陰鬱な雰囲気が立ち込めてる場所だ……と、執行者たちの間では話されているけど実際のところ意外とそうでもない。ドクターの部屋は居心地が結構いい。
「わー! シンちゃん、ティアちゃんいらっしゃーい!」
扉を開けた瞬間、明るい女性の声が俺たちの名前を呼んだ。声の主はドクターが唯一そばに置いている部下ドライ。彼女は顔の半分を埋める火傷のあとなんて気にさせないほど明るい笑顔で俺たちを出迎えてくれた。
「飴ちゃんあげちゃうよー! ほら、いい子だねー! よしよーし!」
飴を渡されて2人とも撫でられた。
ここに来るたびにこんな感じだ。ティアはすごい嫌そうな顔をしてる。俺は異形に殺されたお姉ちゃんを思い出すのでそんな悪い気はしない。
「いやぁ、ほんと君たちが来るとお姉さんは心が和らぐなー! 他に来てくれる子供ってフュンフちゃんぐらいしかいないからさ〜」
「──用件は?」
部屋の角。俺たちを視認することなく何かしらの資料であろう紙を眺めている男が、空気を断ち切るように短く言葉を発した。ドクターだ。
「あ、今日初めて喋った」
「また?」
「そうそう。昨日と一昨日なんて一言も喋ってないんだよ? 変な人だよねー。まあわかりきってるからそれはいいとして、今日はどしたの? 遊びに来た? それともドクターになにか頼み事ある感じ?」
「どっちも」
「おっけー。なら頼み事の方から済ましちゃおうか」
「うん。ドクターに義手の調整の仕方を教えてほしい」
一年ちょっと前。俺の右腕はなくなった。なのでドクターに特別な木材から作った義手をつけてもらった。定期的にメンテナンスもしてくれている。
「教えてほしいって、どうして?」
「次の任務が長期のだから自分でもできるようになりたい」
「え! しばらく帰ってこれないの?! やだなー! また寂しい時間が増えちゃう。ね、ドクター。2人が来てくれなく──」
「来い」
まるでドライがいないかのように完全に無視をして、ドクターが俺を呼んだ。
「整備って難しい?」
俺の問いに対してドクターは言葉は返さずに一枚の紙だけを渡してきた。書かれているのは義手の図と文字。ざっと見た感じ義手の整備の仕方についての説明だ。
「整備って魔力がちゃんと通ってるか確認するだけでいいんだ」
「そうだね。その木材は摩耗しないし腐敗もしないから楽なんだよ。けどずっと使ってると魔力の回路がずれちゃうことはあるから調整はしないといけない。ドクターのことだしその辺りの説明も……ほら、ここに書いてある」
ドクターから貰った紙を覗き込んできたドライが紙の右下を指差す。そこには口にした通り魔力回路の扱い方が簡潔に書いてあった。
「文字だけでわかる?」
「多分」
「シンくん魔力操作得意だもんね〜」
「うん。でも一応ここでやっておく。ドクター見てて」
部屋の端から椅子を持ってきてドクターのすぐそばに座った。返事はなかったけどできてるかどうかの確認ぐらいはしてくれると思う。
「おー、うまいうまい」
俺の頭に腕を乗っけてドライが調整作業を覗いてきた。意外と邪魔じゃない。ティアはしゃがんで横から眺めている。
「……小指の回路は他より強く引け」
「わかった」
ドクターがくれたアドバイスはそれだけだった。けど特に問題が起こることなく、調整は無事に終わった。俺1人でもメンテナンスは大丈夫そうだ。
「流石だねぇ。あっという間にできちゃった」
「ドクターの教え方がよかった」
「そうかなぁ」
そうだと思う。ドライは納得してないようだったけど。
「あ、そういえば聞いてなかった。長期の任務ってどこ行くの?」
「ナルダッド」
「え? ナルダッドって魔術学院?」
「うん。変な魔力を感知したからそれを調べるために生徒になって潜入するみたい」
「変な魔力かぁ。ドクター何か心当たりあったりします? ナルダッドの生徒だったんですよね、昔」
「そうなんだ。初めて知った」
「ね、私も結構最近聞いて知ったよ。危険……というか倫理的によろしくない実験しかしないから追い出されちゃったみたいだけど」
珍しくドクターの過去を知れた。
自分のことなんて何一つ喋ってくれないのでちょっと嬉しい。なんて少し喜んでいたところで部屋の扉が開いた。来客だ。これもまた珍しい。
「今日は人が多いわね」
来客はノレアだった。
「あれ、ノレア。屋敷にいたの? さっき部屋行った時はいなかったけど」
「今帰ってきたの。後で会いに行こうと思ってたから、あなたもここにいてくれて手間が省けたわ」
俺もノレアに会いたかったから好都合だ。
「ノレア様がここに来たってことはもしかしてもう取引成立したんですか?」
「ええ。いらないでしょうけど一応契約書を渡しておくわね」
「はーい。受け取りまーす……て、少ないですね、魔力石の数。これじゃドクターが欲しがってた数の3分の1ぐらいですよ。ほら、見てください。実験きつくないですか?」
「…………」
「でもそれが限界。世界全体で魔力石の需要が高まってるから我慢してもらうしかないわ。まあ一応3ヶ月ほど待てば要求量の確保はできるけど、どうする?」
魔力石というのは洞窟やら遺跡などで取れる魔力が結晶化したものだ。技術の発展が進み、魔力を様々な燃料として利用するようになった現在、持ち運べる魔力の塊というのはとても需要がある。だからなかなか手に入るものじゃないらしい。
「これでいい」
「そう言うと思った。5日後に運ばせるわ」
ドクターの返答に対してドライはすごく嫌そうな顔をしていた。多分3分の1だけの場合苦労するのがドライなんだと思う。
「ドクターへの用事は終わり?」
「そうね」
「俺への用事はなに?」
「正直用事ってほど言うほどでもないわ。ただシンと会話したかっただけ。強いて言うのなら……一応報告があるわね」
「なに?」
「向こうの大陸で特異点と会ったわ」
「……!」
特異点。ノレアがそう呼ぶ人物は1人しかいない。
レン。一年前に出会った異世界から来た少女。俺はあれ以降一度も彼女と会えていない。黒髪の神器使いがいる。そういう噂は聞いたことがあるだけだ。
「どうしてた?」
「案の定聖騎士になってた。まだ成り立てみたいだったけれど、そのうち最強の聖騎士なんて呼ばれるようになるんじゃないかしら。きっと英雄として名を残すでしょうね」
「…………」
噂は事実だったらしい。
レンは未だに元の世界に帰ることができていない。それどころかこの世界で英雄となる道を進んでいた。
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