第四章 昨日の敵が

その日は、またあめがふった。ちょっと雨が降ると大被害になってしまうご時世であるが、今回はそんなに大したどしゃぶりではなく、静かに雨が降っているという感じであった。それだけでも何かほっとするという感じがする日である。

杉ちゃんと、植松聡美さんは、またネバーランドへの訪問にいった。いつもと変わらず、武井くんが二人がやってくると嬉しそうに飛びついてきた。

「杉ちゃんこんにちは。今日針箱を持ってきたよ。」

武井くんは、真新しい針箱を差し出した。多分きっと、お母さんにねだって買ってもらったのだろう。そうなると武井くんは、たとえ発達障害のようなものがあったとしても、愛されている子供だということはわかる。

「そうか。よし、じゃあ和裁をおしえてあげるから、今日は簡単な巾着を縫ってみような。まず、針の扱い方から始めよう。」

杉ちゃんは、武井くんを、テーブルに座らせた。そして、まずはじめに針に糸を通すことから、教え始めた。武井くんの顔は真剣そのものだ。杉ちゃんのマネをして、針に糸を通すことを覚えた。そして、杉ちゃんに言われる通り、指を動かして、一生懸命縫い目を作っている。

「ほう、上手じゃないか。よく出来てるよ。お前さんは、針の動かし方が上手だねえ。はあ、一発で縫えるなんて、ほんとに大したもんだ。」

「本当?嬉しい!」

杉ちゃんに褒められて、武井くんはとてもうれしそうな顔をした。

「ほらほら、武井くん、調子に乗りすぎて指をけがしないように。」

フックが心配そうに見ているが、武井くんは、そんな事、平気な顔で指を動かしているのであった。

「大丈夫だよ。指に針が刺さった程度で何も無いから。それより、こんな上手に縫っちまうとはな。なんか、初めて武井くんが真剣にやってるのを見たよ。」

杉ちゃんがカラカラと笑った。

「いや、真似しているだけだよ。僕は真似することだけは得意で。なんでもそうやって覚えてきたから。」

武井くんは、にこやかに笑った。

「そうなのか。マネをするのが、得意なんだね。」

杉ちゃんがそう言うと、

「でも、みんな変なところを真似するのは辞めなさいって叱るんだ。僕は、面白いからマネをしているだけなのに。」

と、武井くんは言った。

「マネをしているって、何を真似してるの?」

杉ちゃんが聞いた。

「いや、先生が、黒板に描いている仕草とか、そういうことを真似してるんだ。だって、みんなと違う動きをしているのは、先生だけでしょ。だから、それを利用して、覚えるんだ。」

「なるほど。それで、お前さんは、そういう先生の仕草が面白くて、マネをするんだね。だけど、先生は、人の動作を真似するなとか言って叱るんでしょう?」

杉ちゃんがまた聞くと武井くんは、そうだよといった。

「そんな事言って、武井くんを傷つけないでください。そうやって、先生に叱られることで随分傷ついているんですから。」

「まあ、待て待て。」

そういったフックに杉ちゃんが言った。

「だけど、本人がそうやってるんだったら、というか、それ以外に学習方法が無いと言ったらどうだ?それにさ、マネをすることって、モノマネ芸人であれば、誰でもマネをするよ。」

「そうですが、学校の先生にマネをするなと叱られて。」

「まあ、そうだけどね。あの真剣さを見ろよ。それを見てさ、お前さんはそれをもぎ取ろうと言うわけ?一生懸命マネをしている。もしかしたら、この真剣にマネをするのが、モノマネ芸人になれるかもしれないよ。傷ついたとか、叱られたとか、それが何だって言うんだよ。それよりも、武井くんが、真剣にマネをしているというところを、なにかに生かしてあげられないものかな?お前さんはそれより、勉強をしたほうがいいというのかな?」

杉ちゃんは、武井くんを顎で示した。本当に誰かが簡単に声をかけられないように見えるほど、武井くんは大変一生懸命針を動かしていた。

「あんなふうに真剣にやってるのを見ると、それを取っ払って、勉強が一番だと持っていくほうが可哀想だと思うけどね。例えば、頭は馬鹿だけど、ピアノは天才的にうまかったというやつも知っている。馬鹿と天才は、紙一重だという言葉もある。それをお前さんが、持っていってしまうのは、どうかと思うぞ。」

「しかし、」

「しかしなんて言わなくていい。お前さんは、教育という名目で、武井くんの足を引っ張ってる。正しく、ヴィランズのやりそうなことだ。最も、お前さんが、武井くんを教育していると勘違いしているのが、困ったところだけどな。」

杉ちゃんとフックはそう言いあっていた。武井くんが、それを聞くこともなく、一生懸命巾着袋を縫っているのが皮肉なことであった。

「あ、いた!」

不意に武井くんはそういったので、ふたりとも彼の方を見た。

「針が刺さったの?」

フックが聞くと、

「ボールが飛んできたの。」

と、武井くんは答えた。

「誰が投げたんだ?ボールが、足があってひとりでに動いてくるわけじゃないよな?」

杉ちゃんがそう言うと、

「加藤誠くんですね。」

フックが言った。彼の言う通り、加藤くんがまた隅っこに立っているのが見える。

「加藤くん、意見があるときは、ちゃんと言葉で言いましょうねって、いいましたよね。それなのに、どうして武井くんにボールを投げたのかな?悪いことは悪いんだから、ちゃんと武井くんに謝ろうね。」

「だから、口で言ってもわかんないし、それなら行動に移すしか無いと思ったんじゃないの?」

と、杉ちゃんが言った。

「しかし、人に対して、ボールを投げるということは注意しないと。」

「だけどねえ、きっと加藤くんは、これまでも散々口で言っていると思うよ。でも、周りの大人が振り向いてくれないから、そうやって態度で示そうっていうんだ。それが、当たり前になっちまうから、ガキ大将みたいなのが出てくるんだ。」

杉ちゃんは、でかい声で言った。

「加藤くん。何なら僕がお前さんがボールを投げた理由を教えてやるか。お前さんは、寂しかったんだろ。お前さんの方を誰も見てくれなくなったから。だったら、こう言えばいいんだ。僕も仲間に入れてって。簡単だよ。実は。」

加藤くんは、杉ちゃんの顔を見た。

「じゃあ加藤くんもやってみる?針箱さえ用意してくれれば、教えられるよ。」

また沈み込んでしまう加藤くんだった。

「お前さんは、針をやりたくないのか?」

小さくなってしまう加藤くん。

「なら、理由を言ってみな。加藤くん、お前さんはどうして針をしたくないの?」

「理由は、ちゃんとあるんです。彼は、発達協調運動障害というのがあって、彼に関しては、お母さんのご意向で、ちゃんと病院で検査をしています。」

杉ちゃんがそういうと、フックがすぐに答えた。

「はあ、そうなんだね。それが何だって言うんだよ。僕は称号とか、病名とかそういうもの言われたってビクビクするような、男じゃないよ。それよりその長ったらしい障害は、どういうものなのか教えてもらいたいね。」

「ええ、何度でも申しますよ。運動が極端に苦手になり、これまでも、縄跳びができない、スキップができない、文字が極端に下手などの症状が確認できてます。それは、彼にもよく言い聞かせて、彼には、自身でできることとできないことを、線引するようにと言ってあります。」

「はあ、馬鹿だねえ。実に馬鹿だねえ。そういうことは、教えたって無駄だって。それよりも、障害があるから線引をしろではなくて、障害にぶちあたったとき、どう工夫をするかを教えるんだ。」

杉ちゃんはまたでかい声で言った。ちょうど聡美さんは、女の子と、楽しそうに遊んでいたのであるが、

「杉ちゃんと富沢さんは、いつでもタイミングが合いませんね。」

と、小さい声で言った。

「そんなことはどうでもいいよ。とにかくな、彼が、生きていくのは特別な世界じゃないんだよ。それより、この世界で、どうやって生きていくかを教えるべきじゃないのかな。例えばさ、僕もよくやるんだけどどうしても、スーパーマーケットに行けば、ビニール袋を取れなくて、困ってしまうことがあるんです。そういうときは、周りのやつに、悪びれることなく頼む。それだって、必要なことだから、やらなくちゃいけないんだ。そういうふうにだな。できないことを、どうやって補うか。そっちのほうが大事なの。学問とか、そういうものよりもな、できない事があるやつは、それをどうやってさらけ出すか、を教えてやらなくちゃだめ。そういうことは、隠してはいかん。だから、武井くんにしろ、加藤くんにしろ、なにか生きるための手段を見つけなければならないんだ。武井くんはもしかしたら和裁がそれになるのかもしれないじゃないか。加藤くんには、まだ、それが見つかっていないだけ。それだけの違い。」

杉ちゃんがそう弁舌をふるっていても、武井くんは、すぐに和裁の世界に戻ってしまった。一生懸命また巾着袋を縫っている。

「ええ、それはわかっています。ですが、加藤くんにしろ、武井くんも同じですが、学校に行ってちゃんと学んで行かないと、生きていけないことはまた事実ですよね。海外と違って、日本では、試験を受けただけで大学に行けるというような制度はありませんからね。」

「でもねえ。学校に、全部の生徒が適応するわけじゃない。」

フックの発言に杉ちゃんは言った。

「それに、できの悪い生徒という、レッテルを貼られて、一生その傷を背負って行かなきゃならない。そうなったら、刺青師のお世話にならなければならないこともあるぜ。」

杉ちゃんとフックがそう言い合っていると、小さな男の子の泣き声が聞こえてきた。杉ちゃんが思わずどうしたんだよというと、

「いつも、僕のパパとママがしていることにそっくり。」

と加藤くんは言うのである。

「ほら見ろ。彼は、僕らの汚い気持ちはちゃんと知ってる。」

杉ちゃんは言った。

「僕は、思うんだがな、昔は親がなくても子は育つという言葉もあったよな。今は、そういう言葉はもうなくなっちまったのかな?」

「それはどういうことですか?」

杉ちゃんがそう言うと、フックがすぐに割ってはいった。

「だからあ、こんなつまらないところに閉じ込めて居るだけじゃ、何も意味が無いってこと。それよりも、いろんな人にふれあわせて行くことのほうが大事なんじゃないの?学校が終わって、そしてここに閉じ込められて、そこだけが世界のすべてって言うことは、ないよね。」

「だから何だって言うんです?」

「もう、もったいぶるな。もし、可能であれば、色んな人に触れさせてやってさ、加藤くんの可能性を広げてやるのも大事だと思うよ。こういう子供は、馴染みの平凡なことに満足させるだけじゃだめっていうこともあり得るからな。それを見つけた、武井くんを加藤くんが嫉妬するというのも、まずいよねえ。なあ、この施設から出てみない?もっといろんなところに行ってみない?」

杉ちゃんは明るく言った。杉ちゃんのようにどこまでも明るい人はそうはいないと思った。

「もっとさ、世界にはいろんな仕事があるってことを、子供の頃から体験させてやるべきだと思うんだよね。それは、障害があってもなくても同じだと思うよ。いっそのこと、製鉄所に来てみない?色々苦労している人たちの話も聞けるよ。」

「そうですか。でも、そういうところは、大変な人たちが行くところでもあるのでしょう?」

「いいえ、それは、大丈夫です。製鉄所の利用者さんたちは、みんな優しくていい人ばっかりですよ。それは私が保証する。だから、武井くんも、加藤くんも安心してください。心配は要らないわよ。」

フックがそう言うと、聡美さんが言った。杉ちゃんの言う通り、いろんな交流を持ったほうがいいと聡美さんも思ったのである。それから、心配しているフックをよそに、聡美さんと杉ちゃんの話し合いで、二人の少年が製鉄所を訪れることは決定した。女の子三人は、ネバーランドに残った。

二人は、杉ちゃんと聡美さんに連れられて、製鉄所に行った。武井くんの方はとても楽しそうだったが、加藤くんはちょっと不安そうな様子だ。全員が到着すると、ピアノの音が聞こえてきた。

「はあ、水穂さん、今日は調子がいいんだな。」

杉ちゃんが言ったので、水穂さんがピアノを弾いているのがわかった。聡美さんの案内で、二人は、四畳半に通される。武井くんのほうは、音楽にはあまり興味がなかったらしく、すぐに食堂に行って、縫い物を続けてしまったが、加藤くんのほうが、音楽に興味があるようで、四畳半に行った。

予想した様に、水穂さんがピアノを弾いていた。何を弾いているのかと思ったら、バラキレフのイスラメイだった。もちろん加藤くんがイスラメイという曲を知っているわけではないけれど、その個性的な曲の構成に興味が出たらしい。

水穂さんが弾き終えると、加藤くんは礼儀正しく拍手をした。それに気がついた水穂さんが、

「ああ、どうもありがとうございます。」

と、いうと、

「何という曲なんですか?」

加藤くんがそう聞くので、水穂さんはバラキレフという人が描いた、イスラメイだと答えると、

「すごい、僕もピアノを弾いてみたい。」

と、加藤くんは言った。水穂さんが、いいですよと優しくいって、加藤くんをピアノの前に座らせる。そして、これがドレミなどと音名を教えて、加藤くんに弾いてご覧というと、加藤くんは、ドレミと繰り返すだけでなく、好きなように指を動かし始めた。もちろん、両手で弾くことは、できなかったが、たしかに加藤くんは作曲の才能があるらしい。ドレミを覚えると、すぐにそれを自分なりに、動かして、曲にしてしまう。

「ほう、こいつはすごいな。何なら、五線譜の書き方教えてやれよ。それで、なにか曲を作れるかもしれない。音楽って演奏がうまいことが全てでは無いよね。」

杉ちゃんに言われて、水穂さんは、

「おじさんと一緒に、曲を作って見ようか。」

と、優しく言って、加藤くんの目の前に、五線紙を置いた。先程の音は、楽譜に書くとこう表記すると説明してあげると、加藤くんは、すぐに音符を書き始めた。そのスピードは驚くほど早かった。きっと思いのままに、譜面を作ることができて、嬉しかったのだろう。

「これで、和声感とか、そういう事を教えれば、きっと彼は、すごい曲を作れるようになりますよ。それを、大人がむしり取ってしまわない事が大大事だと思います。」

水穂さんがいうほど、加藤くんはいつまでも五線譜と格闘しているのだった。加藤くんも、武井くんも二人に対して言えることは、普通の子以上にのめり込んでしまうというか、ものすごい集中してしまうということである。二人は、一度作曲したり、縫い物を作ったりし始めると、体を叩くなどしない限り、何も反応もしないで、それに没頭し続けることが出来るのだった。

「できた!」

加藤くんが水穂さんに五線譜を渡した。

「じゃあ、おじさんが弾いてみてもいいかな?」

と、水穂さんが言うと、加藤くんはハイと言った。水穂さんがそれをピアノで演奏をしてみると、先程のイスラメイの旋律が頭に残っていたようで、それに基づいた小さな変奏曲になっていた。ちゃんとリズムも取れているし、和声的に崩れていることもない。どうやら加藤くんは、硬派な作曲家になれそうだった。最近は和声を崩してしまって、無調音楽のようなものを作る作曲家が多いが、加藤くんの作品はちゃんと安定した和声に収まっている。とても小学生が描いた作品とは思えない。

「きれいな作品で弾いていて気持ちがいいよ。水穂さんのよく弾いているゴドフスキーとはまた違うな。」

杉ちゃんがそう褒めたくらいだ。

「お前さんは、何もできないやつじゃない。ちゃんとこうして作曲の才能があるじゃないか。だったら、これからはもっとたくさん曲を作ってよ。」

「ありがとうございます!」

加藤くんは丁寧に頭を下げるのであった。

「じゃあね、加藤くん。この曲がもっと良くなるために、ちょっと修正してもいい?」

水穂さんがそう言うと、加藤くんは、うんといった。水穂さんは、加藤くんの画一的な伴奏をちょっと崩して、伴奏にも味があるようにしてあげた。

「すごい綺麗。」

思わず加藤くんは言った。

「どうすれば、そういうふうにきれいに書けるんですか?」

「それはね、和声法とか、曲の対位法を覚えれば、また代わってくるんだよ。」

水穂さんがそう言うと、加藤くんは、それを聞いて、ぜひやってみたいと言った。

「不思議なものですね、なんで、あれほど人の言うことを聞かなかった加藤くんが、どうして素直に水穂さんの言うとおりに従っているんでしょうか?」

この有様を一部始終眺めていたフックは、思わずそんな言葉を口にしてしまった。

「僕達の前では、人の言うことはまるで聞かないし、勉強をしようと言っても、何もしなかったのに。」

「まあ、それは、学校というところが、前へ倣えしかしないからじゃないの?」

杉ちゃんは直ぐ答えを出した。一方のところ隣の部屋では、聡美さんがずっと見ている前で、武井くんが一生懸命縫い物をしている。なんでも武井くんは、お母さんに巾着を作ってあげるんだと言って、楽しそうに縫っていた。

「だから、前へ倣えでは、何も意味がないってことさ。それくらい、わかってもらわなくちゃな。学校の先生なんて、石頭で、学問教えて、試験でいい点数取れるやつしか見ないから、そういうでこうして傷つくやつも居るんだよ。それは、人によりけりってちっともわかっていない。」

「そうですね。」

フックは、杉ちゃんに初めて同意した。

「本当は、ああいうやつは、何かを見つければ、普通のやつ以上にすごいものが発揮できる人間なんだよ。それを、握りつぶすのが、学校とか、そういう奴らなんじゃないかな。」

水穂さんにコラールの作り方を教わっている、加藤くんは、これまで見せたことのない笑顔をみせていた。とてもかわいらしくて、優しそうな顔だった。

「そうですね。今回は、あなたに負けました。」

「へへん、いつも同じこと言ってるから、勝ち負けも何も無いよ。」

二人は、顔を見合わせて笑った。







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