清姫

 ──学校近くのアパートが、火事で燃え落ちたらしい。


 おまけにそれが放火だったというからセンセーショナルだった。学校中で噂が流れ、犯人は高校生だったとか、金持ちのボンボンが貧乏人の家を焼いたのだとか、実は当事者の家ではなくて友人宅が焼けたのだとか、色んな噂が乱れ飛んだ。


 私達のオトシゴロは、そういうセンセーショナルな話題に飢えている。無関心ではいられない。


「おぉー! 現場ってここかぁー!」

「ほんっと、見事に焼け落ちたもんだねぇ」


 というわけで、私は興味津々で現場に野次馬に出かけた友人二人に巻き込まれて、興味もない火事跡見物に繰り出していた。


 現場は思っていた以上に学校に近くて、思っていた以上に小さかった。こんな狭いスペースに本当にアパートが建っていたのかと、思わずネット記事で場所を再確認してしまったくらいの敷地面積だ。よく周囲に延焼せずにここだけで納まったなと感心せずにはいられなかった。


「犯人も一緒に焼け死んだんですってね」

「犯人ってどっちよ?」

「そりゃ火をつけた方でしょ」

「ここに逃げ込んだっていう男、いたるところでたぶらかしてたって話じゃないか。それを考えれば、逃げ込んだ男も火をつけたヤツも『犯人』でしょ」


 不意に、ひそめられた、だけどどこか姦しい声が聞こえてきた。


 周囲に視線を向けてみると、少し離れた所で井戸端会議をしている女性グループがあった。ご近所の主婦の皆さん、といった感じだ。さすがに警察が現場検証をしている間は見物をはばかっていたけれど、警察が姿を消したから興味津々でやって来た、といった感じだろうか。友人達もそんな感じだったから、何となくそのノリは分かる。


 まだ友人達が何も残っていない焼け跡を熱心に眺め続けているのを確かめた私は、そっと井戸端会議との距離を詰めて耳を澄ました。きっと、ただ焼け跡を眺めるよりもこっちの方が実りのある情報を得られる。そう考えた私は、興味がないフリをしていただけで、案外友人達と同じくらいには野次馬根性があったのかもしれない。


「誑かしたって……。じゃあ、放火の理由は痴情のもつれだったのかしら?」

「男ごと、他のアパートの住人も巻き込んで焼き払うなんて……。女がやるには随分怖いねぇ」

「あら? 犯人はまだ高校生の男の子だったって話じゃなかった?」

「えぇ!? それ、本当かいっ!?」

「ええ……。火が出る直前に、若い男の尋常じゃない叫び声が聞こえたとか、高校の制服を着た男の姿を見たとかって」

「誑かしてたっていう男の方なんじゃないの?」

「男は友人を頼って部屋の中に閉じこもってたんだろう? だったら外に声は聞こえてこないんじゃないのかい? そもそも火をつけられた側は社会人だったって話だよ」


『ならば痴情の縺れという理由の方が違うんじゃないか』とか『匿ってやってただけなのに巻き込まれた友人が可哀想だ』とか、『そもそもそんなろくでもない友人を匿っていたのだから同罪だろう』とか『タラシって話だったけど、火をつけられた側の男はそんなにイケメンだったのか』とか、ポンポンと話は飛んで終わる気配は微塵も見えない。だけど意外なことに、学校で流れている噂は割と真実を言い当てていたのだということが分かった。ご近所の主婦さん方と学校のみんなが、同じくらい話を盛っているわけでなければ、ということだけども。


「そういえば、何かあったよねー。昔話みたいなやつでさぁ、ほら、歌舞伎だったか能だったかにもなった有名な話」


 ふと、友人達の話している声が聞こえてきて、私の意識は井戸端会議から引き離された。


 友人達を見遣れば、友人達は特に被写体にもならなさそうな焼け跡をスマホで撮影しているようだった。私からしてみたら心霊写真が撮れそうな気がしてならないのだが、友人達は実に楽しそうに『映える』アングルを探っている。


「タラシなお坊さんに恋しちゃった女の子が、そのお坊さんを焼き殺しちゃう話」

「えー? あったような、なかったような……」

「もしかして、『安珍清姫あんちんきよひめ伝説』?」


 私は友人達に歩み寄りながら口を開いた。私が一人離れて別行動をしていても特に気にしない友人達は『アンチンキヨヒメデンセツ?』と首を傾げながらもスマホは傾かせない器用さで現場写真を撮り続けている。


「イケメンで若いお坊さんが、どっかにお参りに行く旅の途中で一夜の宿を借りるんだけど、そこの娘さんに熱烈に惚れられちゃうの。で、困ったお坊さんは『帰りに寄るからその時に』って言い逃れをして逃げちゃうわけ。それに気付いた娘さんがお坊さんを追っかけていくうちに、激しい怒りから大蛇に化けちゃって……」

「え、最後どうなんの?」

「お坊さんはお寺に逃げ込んで、降ろしてもらった鐘の中に隠れるんだけど、娘さんはその鐘ごとお坊さんを焼き払う」

「うげっ!!」

「最近、古典の柘植つげちゃんが何かの話のついでに授業で喋ってたんじゃなったかな?」


 友人二人の隣に並んで焼け跡をもう一度眺める。


 お坊さんを『誑かしのイケメン』、娘さんを『犯人』、鐘を『アパート』に置き換えれば、確かに安珍清姫伝説に似ていなくもない。奇しくも被害者は助けを求めて友人宅であったアパートを訪れていたという話だし、そこも助けを求めて寺に駆け込んだお坊さんと似ている。


 だけど。


「残念なことに、安珍清姫ではないみたいよ? 放火犯も、逃げ込んでた側も、どっちも男だったってさ」


 同性ならば痴情の縺れの線は低そうだし、激情に駆られた側も男ならば蛇に化けるようなことはないだろう。激情から蛇に化けるのは、いつだって女だと言われているのだから。


 そう思って言葉をこぼすと、友人がチッチッチッと舌で音を立てながら立てた人差し指を振った。それでも構えたスマホを下ろそうとしないのだからすごい。むしろそこまでして何をそんなに撮っているんだと訊きたい。


「ももっち、それは偏見ってやつだよ」

「偏見?」

「今時、愛の形に『同性』なんてケチをつけんのはナンセンスさ」


 私はその言葉に思わず目をしばたたかせた。スマホの画面の向こう側に見入っている友人達は、そんな私には気付いていない。


「同性だって、好きになっちゃう時は好きになっちゃうもんだし、それが自分の『普通』だっていう人だっているわけだしぃ? 同性だからこそ執着は深くて、縺れたり、誑かされたってなった時の根は、異性恋愛の時より深くなるんじゃね?」

「女の方が根深いなんて、それこそ差別だよ。セーサベツ」

「そーそー。今時は恋愛もグローバルにならなきゃね」

「グローバルは意味ちがくない?」

「『視野を広く取る』って意味では一緒でしょ?」

「ま。そうなのかもぉー?」


 友人達の間で飛び交う言葉にもう一度目を瞬かせてから、私は改めてまじまじと焼け跡を見つめ直した。


 建物一棟を、まったく関係ない住人達の命もお構いなしに、己の命ごと燃やし尽くす激情。それを抱くのが女とは限らず、向ける先が異性とも限らず、誰もが大きな感情を暴走させて炎蛇に化けるのが現代なのだとしたら。


「……確かに、『清姫』が男でも、今なら成立するのかもしれないね」


 そんな激情が己の中にあるのかもしれないことに思い至り、私は思わず首をすくめる。


 その拍子に足元に落ちた視線の先では、どこから迷い込んだのか二匹の蛇が縺れ合っていた。

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