第41話 好きな人

 借り物競走真っ只中。


 俺は『好きな人』と書かれたお題の紙を片手に、グラウンドのど真ん中にいた。


 同じレースに出走している他四人は、せっせと借り物を探しに行っている。


「おーっと、若干一名、膠着しちゃってますね。どうしたんでしょうか?」


 実況の透き通った声がグラウンドに響き渡る。


 さてと、まずは探すところから始めないとな……。


 少しの間、俺は黙考すると教師席へと向かった。

 しかし、そこに目当ての人物は見つからない。


「綾辻くーん」


 そうこうしていると、明るく俺を呼ぶ声がした。


「加原さん……」


 ぶんぶんと大きく手を振ってくる。


 一瞬、迷いを覚えるも、俺は加原さんの元に向かう。


 頼れる伝手は、かたっぱしから使った方がいい。


「お題なに引いたの? もしかして、好きな人だったり?」

「ああ、うん。そうだよ」


 あえて隠さず、見せつけるように紙を掲げた。


 それを境に、ワッと周囲がざわつく。


 俺に集まる視線が増えているのを、肌で感じる。


「わー、強運だね。綾辻っち」

「誰にするか決まってるの?」

「選ぶ人いないなら、あたしにしとく?」

「ちょ、なに抜け駆けしようとしてんのよ」


 次々に女子が声をかけてくる。


 なんだかモテ期でも来ているみたいだ。


 加原さんは小首を傾げて髪をなびかせると、ふわりと微笑み。


「綾辻くんは、誰を探しているの?」


 そう、問いかけてきた。


 ここで誤魔化すことは容易にできる。

 それこそ、加原さんはこのお題を引いたときに協力してくれると言っていた。


 加原さんと一緒にゴールする選択肢はあるし、他の女子だって協力してくれる可能性はあるだろう。

 少しネタに走って、友達を連れるのもいいかもしれない。好きな人だからって、恋愛に限る必要はないからな。


 このお題を攻略する方法はいくらでもある。


 ただ、俺はわざわざこのお題を手にしたのだ。


 そんな逃げ道を走る気はない。


 だから、俺は臆することなく、加原さんの問いかけにそう──答えた。


「篠宮先生」


 一瞬、静まり返る。


 そりゃそうだ。


 好きな人のお題を持った男が、あろうことか担任の先生を探している。


 この場にいた全員が呆気に取られる中、加原さんだけは動じることなく。


「そっか。……やっぱ、わたしじゃダメか」

「……ごめん」

「ううん。篠宮先生なら実況席の方にいるはずだよ」

「え?」

「探してるんでしょ。ほら、早く行かないと」

「お、おう。ありがと」


 トンと軽く肩を押される。


 ウダウダしている時間はない。


 俺は実況席の方へと駆け出した。


「おっ……たった今、今回のレースに『好きな人』と書かれたお題が入っているとの情報が入ってきました!」


 グラウンドが騒がしい。

 実況が余計なことを話しているからだろう。


 俺に集まる視線の集中砲火。

 すでに、三人がゴールしていて、あと一人もゴールに向かっている。


 どのみち、俺がどう頑張ったところで最下位は確定だ。


 だが、順位なんてどうだっていい。


 実況席の前に到着する。


「え、えっと……どうしました? ま、まさか私に用が……っ」


 実況席に座る女子は、俺と目が合うと表情をこわばらせる。


 なぜだかほんのりと頬を赤らめていた。


 けれど、俺の目的は彼女の後ろに座っている女性だ。


「篠宮先生」

「え、う、うんっ」


 俺が名前を呼ぶと、花澄さんはピクッと肩を上下させた。


 日陰でもよくわかるほど、頬が赤くなっている。


「俺と一緒に来てくれませんか?」

「……ど、どうして?」


 恐る恐る、問いかけてくる。


「俺のお題を達成できるのが、篠宮先生だけなんです」


『好きな人』と書かれた紙を、これ見よがしと見せつける。


 周囲がざわめき、実況席に座る女子に至っては恍惚とした表情をしている。

「教師と生徒……尊い……」とよくわからないことを言って、実況を放棄していた。


「な、なんで……だって、そんなのしたら……」

「仕方ないじゃないですか。そういうお題なんですから」

「……本当に、私でいいの?」

「はい、もちろんです」


 俺の声を実況のマイクが拾っているのだろうか。


 グラウンドがかつてないほど、うるさくなっている。


 俺が手を差し出すと、花澄さんは頬に朱を注いだ。


「絶対、目立つよ。あとで、変な噂流れちゃうかも……。今なら、まだ……」

「らしくないですね。なんですか? 俺には一生ゴールさせたくないですか」

「そういう、わけじゃ……」

「俺が好きなのは貴方だけです。だから、俺と一緒に来てください」


 花澄さんはパッと目を見開くと、茶色がかった瞳を左右に泳がせる。

 もじもじと両手を擦り合わせた。


 今だけはグラウンドの中心はここだった。

 至る所から視線が降り注ぎ、もうどうしようもないくらい注目を集めている。


 収集をつけるのは容易にはいかないだろう。


 後のことを考えると、現実逃避したくなる。


 けど、そうやって言い訳を作るのはもうやめよう。


 今は、今だけは、俺の気持ちを伝えることを優先したい。


 ザワザワと騒がしくなっているものの、なぜだかこの空間だけは静寂に満ちていて、吐息すらよく聞こえてくる。


「で、でも、教師と、生徒……だし」


 この後に及んで、なにを言っているんだこの人は。


 俺は苦く笑いながら。


「借り物競走にあやかって、生徒が先生をナンパしてるんです。そろそろ観念してくれませんか?」


 花澄さんはうっすらと涙を浮かべながら、恐る恐る俺の手を握ってくる。


 その華奢で細い手を、俺は優しく握り返した。


 歩幅を合わせて、ゴールへと走り出す。


「こ、こんなことして、どうなるかわかんないよ……?」

「何かあったときは、俺が責任取ります」


 ハッキリと宣言すると、花澄さんは耳や首まで真っ赤にして俯いた。


 俺は、そんな彼女の耳元に近づく。


 どのみちこの喧騒だ。普通に話しても誰かに聞かれることはないだろう。


 ただそれでも、誰かに盗み聞きされたくないから、俺は花澄さんにだけ聞こえるように。


「全校生徒の前で、俺の好きな人を発表したんです。少しは俺の気持ち、伝わってくれましたか?」


「……うん。物凄く伝わった」


 ぽしょりと蚊の鳴くような声で返事をくれる花澄さん。


 恥ずかしそうに、けれど幸せそうに笑顔を咲かせていた。


 注目を集めるのは苦手だし、リスクのある行動は最小限にしていきたい。


 けれどたまには、保身に回らずに後先考えず行動するのも悪くない。


 と、柄にもなくそう思った。

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