第39話 温度差

「さて、と……綾辻くんはなに選ぶの?」


 三台の自販機が並んだ場所に到着する。


 ズラリと並ぶ飲み物を指先でなぞりながら、加原さんはチラリと視線を寄越してきた。


「あーえっと……」

「どったの?」


 篠宮先生の悲しそうな顔が、俺の脳裏に張り付いている。


 さっき、明らかに誤解を生んでしまった。


 早く誤解を解かなきゃいけないのに……こんなとこで何してんだ俺……。


「やっぱ俺、飲み物いいや」

「え、ちょ、ちょっと綾辻くん?」


 俺は踵を返すと、生徒指導室へと向かった。




 息を切らしながら、階段を登っていく。


 生徒指導室の前に到着するも、篠宮先生の姿は見当たらない。


 ドクドクと、心臓が早鐘を打っている。


 周囲に誰もいないことを確認してから、俺は生徒指導室のドアノブに触れた。


「…………遅かったね」


 篠宮先生は俺と目が合うと、プイッとあさっての方を向いて頬杖をついた。


 待っていてくれたことに一抹の安堵を覚えつつ、俺はそっとドアを閉める。


 篠宮先生の対面に腰を据えた。


「あ、あの、さっきのは……」

「はっきり言えばいいじゃん」


 篠宮先生は下唇をぎゅっと噛み締めて、うっすらと目尻に涙を浮かべる。


「結局、若い子がいいって。私と別れたいってさ」

「……っ。誤解です。俺が好きなのは花澄さんですから」


 真っ直ぐ、篠宮先生の目を見て俺の気持ちを伝える。


 しかし篠宮先生は瞳の中に憂いを宿して。


「じゃあ、なんで私と直接会ってくれないかな?」

「噂が流れてるからです。拍車をかける真似はできません」

「どうして、タクマくんはそんな冷静に考えられるの……?」

「え?」


 篠宮先生は訥々と、今にも消え入りそうな声で。


「そりゃ、正しいのはタクマくんだよ……。私がワガママ言ってるのだってわかってる。この期に及んでもまだ危機感ないのはどうかって思うよ。でも、でもね……いつだってタクマくんは冷静にリスクヘッジしてて、私ばっかりタクマくんと一緒にいたいって、デートしたいって要求してる……。私とタクマくんとの間で、温度差、感じちゃうよ……」


「そんな、つもりじゃ……」


「私ばっかり、好きなの?」


「いや、俺だって……」


 段々と、尻すぼみに声量が落ちていく。


 教師と生徒という間柄である以上、篠宮先生の立場を脅かす結果にならないよう努めてきただけだ。


 だが、篠宮先生が吐露した言葉には重みがあった。


 結局、俺はいつだって彼女のことを、篠宮先生として見ていた。


 心の中では先生呼びをして、自分自身を戒めてきた。


 教師というベールに包まれた彼女しか見ていなくて、念頭にあるのは保守精神。


 俺のことを、一人の男性として見てくれていた彼女と、


 教師というフィルターを通して見ていた俺との間で温度差が生まれていたのは、たしかな事実だった。


「ごめんね……。こんなこと言われても困るよね……」

「や、そんな」

「あ、そういえば私に話があるんだよね?」

「……いえ、やっぱなんでもないです」

「そっか。じゃ、午後もがんばってね。応援してるから」

「……ありがとうございます」


 俺は定型的にお礼を口にする。

 そこから大した会話もなく、午後に備えて解散した。

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