第32話 友人は恋のキューピッド?

「綾辻」

「ん?」


 チサキから妙な噂を聞いた翌日。

 朝のHRが始まる前。バッグから筆箱やら必要なものを取り出している時だった。


 俺の数少ない友人の一人である戸坂とさかが声をかけてきた。

 夏休み終盤、水着女子目当てで海に行くことを提案したのが、この戸坂である。


 俺と篠宮先生が付き合うキッカケになった恋のキューピッドと呼んでも差し支えはない。


 戸坂は、俺の机に両手を置き体重を支えながら、顔を近づけてくる。


「なんかお前、最近イケメンになってないか?」

「は、はぁ? ……なんだよ、いきなり」


 ジロジロと俺の顔を見てくる。


 友人とはいえ、男に間近に迫られるのは良い気分はしない。

 俺が仰反るような姿勢をとる中、戸坂は続ける。


「垢抜けたというか、余裕が見える。少し前まで、寝ぐせすらロクに気にしてなかったのに、髪は整えてやがるし」

「な、なにが言いたいんだ?」


 たらりと一雫の汗を流しながら、唾を飲み込む俺。


 戸坂は俺の瞳の奥をジッと覗き込んで。


「まさか、カノジョ出来たんじゃあるまいな?」


 心臓を鷲掴みにされるような感覚が俺を襲う。


 途端、全身の毛穴という毛穴から発汗した。


 篠宮先生と付き合い始めたことで俺に訪れた変化は、友人相手には簡単に見抜けるものだったようだ。


 友達に隠しごとはしたくないけど。


「で、出来るわけないだろ。さすがに彼女できたら、自慢するっての」


 俺は作り笑顔を見せながら、恋人の存在を否定する。


 戸坂はいまだに疑惑の目を俺に向けながら。


「じゃあ、どうしてそんなにイケメン化してんだ?」

「そう言われてもな。特に意識とかしてないし。つか、そんなイケメンなの?」

「あぁ。というか、元から綾辻って素材はいいんだろうな。身だしなみとか気にしてなさすぎて台無しになってたっつーか」

「マジか、それ。なんで早く言ってくんないの?」

「いや、それで綾辻がモテたらムカつくだろ」

「うわぁ」


 冷めた目で戸坂を見る。


「な、なんだよ。つか、なに急に身なりに気をつけ始めたわけ?」

「そ、それはなんつーか……あ、そう。ほら、いい加減カノジョの一人くらいほしいなって。そのためにはまず外見から気にしよう的な」

「ふーん……。陽転ようてんするのか……」

「なんだ、陽転って……」

「文系が理系に転じることを、理転とか言ったりするだろ? それと同じく、陰キャラが陽キャラになろうとしているから、陽転」

「な、なるほど?」


 言っている意味はわかるが、しっくりくる感じではないな。恐らく造語だろう。


 覚える価値はなさそうなので、記憶には残さないでおく。


「なんか話が逸れたが、要するにだな。お前には友人として陰キャに戻ってきてほしいんだ」

「ナチュラルにひどいこと言ってるな……」

「頼む。一人で抜け駆けみたいなことしないでくれ!」


 両手を合わせ懇願する戸坂。


 今のこいつほど情けない人間も、そう見つからないだろう。


「し、しないから安心しろ」

「ホントか? あんがと! じゃ、また後でな」


 戸坂はパアッと目を輝かせると、自分の席へと向かっていった。


 俺は戸坂の後ろ姿を目で追いながら、ふと考える。


 抜け駆け、か。


 今の俺は抜け駆けしていることになるんだろうな。


 篠宮先生との交際をひた隠しにしている現状は、少なからず罪悪感はあるわけで。

 こうして戸坂と話すと、チクリと胸に刺さる痛みがある。


 と、そんなことを考え、少し複雑な表情を浮かべてしまった時だった。


 隣の席から声をかけられる。


「ね、綾辻くん」

「え、あ、はい」


 俺の肩をちょんと人差し指で小突く女子。


 クラスメイトなので面識はあるが、これといった関わりはなかった。


「今の話、ちょっと盗み聞いちゃってたんだけど、彼女ほしいってほんと?」

「まぁ、うん。一応」


 なんでそんなこと聞いてくるんだろう。


 俺が眉根を寄せる中、彼女はふわりと微笑むと。



「そうなんだ。じゃあさ、わたしと付き合ってみる?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る