第13話 授業中にて②

 ジェットコースターで下降するときのような、臓器がふわっと浮かび上がる感覚。


 血の気が引いて、全身からじんわりと汗が込み上げてくる。

 チラホラと俺に集まる視線。普段、俺は特別目立つような生徒ではないからな。


 俺の下の名前を知っている人間自体、多くはないだろう。


 だからこそ、篠宮先生が俺のことを下の名前で呼ぶ行為は中々にインパクトのでかいものだった。

 それこそ、最初こそ篠宮先生が「タクマくん」と呼んだときは一体誰のことを指しているんだと、疑問符が至る所で浮かんでいた。


 そして、タクマくん=俺ということが判明し、奇異の視線が俺に集まる形になっていた。


 例えばこれがもし、クラス内でヒエラルキーが高く、頻繁に下の名前で呼ばれている生徒ならば「間違えちゃったっ」で済ませることも出来たかもしれない。


 しかし俺の場合は別だ。

 この学校内では俺のことを下の名前で呼んでくるやつはいない。


 にも関わらず、篠宮先生が俺のことを下の名前で呼んできた。


 これは言い逃れできる案件じゃないぞ……。


「え、えっと……」


 篠宮先生は表情を固くしながら、身体をわずかに小刻みに揺らす。


 どうする? 

 助けようにも、方法が思いついかない……。


「あ、えっとね、そう。私の弟がね、タクマって名前なのっ!」

「……は、はい?」


 いきなり何言ってんだという空気が、教室内を満たしていく。


 俺を含め、この場にいる全員の頭上に疑問符が浮かんでいた。


「もうしばらく会ってなくてね、それでなんか無性に呼びたくなった……的な?」


 メチャクチャな言い訳だった。


 これはもはや言い訳と呼べるのだろうか。


 クラスメイトが総じてぽかんと口を開ける中、間をつなぐように篠宮先生は続ける。


「とにかくそういうことだから、特別何かあるとかじゃないからね。今のは聞かなかったことに……ね?」


 いや、なんでこのタイミングで俺のことを見るんですかね……。余計に怪しまれるでしょ……。


 ……ともあれ、少しだけ光が見えてきたな。


 俺はすっくと席を立ち上がると、首筋のあたりをポリポリと掻きながら。


「一応補足すると、この前、篠宮先生と少し話すタイミングがあって、そこで家族の話になったんだ。そのとき、弟さんのことを聞いて俺と同じ名前ってことが判明してさ、先生が冗談半分に俺のことを名前で呼ぶみたいなことがあったんだよ。だから今のはただの言い間違いだ。ザワザワするようなことじゃない」


 咄嗟の言い訳にしてはぼちぼち、まとめた方だろうか。


 苦しさはあるが、俺と篠宮先生の関係を妙に疑ってきたりはしないだろう。多分。


「なるほどなー。授業の腰おってすみません。授業続けてくださーい」


 人気者の男子が快活にそう言って、授業が再開する。


 篠宮先生は恍惚と俺を見ると、「ありがと」と口パクでお礼を伝えてきた。


 俺はその口パクを見なかったことにしつつ、ノートに視線を落とす。

 一部からは「綾辻くんって喋るんだっ」と盛り上がっていた。いや喋るだろ。……まぁ、友達相手以外には業務連絡以外でロクに話さないけどさ。


 教室内における自分のヒエラルキーの低さに辟易しつつ、この窮地をどうにか乗り越えられたことにホッとする俺だった。

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