第47話 英雄祭前夜

「一つは音属性の魔法書、もう一つが結界魔法の魔法書か……」


 時間が許されるならどちらも読んでいたけど、あいにく魔法書を読める時間は限られている。


 表紙から見るに音属性の魔法書はかなり禍々しい雰囲気だ。表紙に使われている素材も魔物の皮膚や甲殻を加工したものだろう……割と凝ってるなこれ。


 対する結界魔法の魔法書はかなりシンプルだ。本の厚みはどちらも変わらない。辞書並みの分厚さだ。


 ザイールとの戦いを想定するならどちらを習得すべきか。音属性か、結界魔法か……。


「まあ選ぶとしたらこっちだよね」


 僕はそう口にして、その魔法書へ手を伸ばす。



***



「アルバス様、大丈夫でしょうか……? 無理していないでしょうか? やはり見に行った方が……」


 ルルアリアは落ち着かなさそうに部屋の中を歩き回り、扉に手を伸ばして、彼女はその手を引っ込める。


「やめておきましょう。アルバス様を信じますか」


 ルルアリアはそう口にして、部屋の窓際に近寄り、星あかりを見つめる。


「明日から始まる英雄祭、アルバス様にとっていい思い出になるといいのですが……」


 グレイフィールド領の戦いから、アルバスと共に過ごしてルルアリアは気がついたことがある。


 アルバスは過去の話をあまりしない。基本的に魔法の話か、最近起きた話だけ。誰もが知るような英雄祭にすら殆ど覚えていないという……。


 恐らくアルバスには思い出がない。魔法に没頭していた過去のためか、それとも別の理由があるのか。


 ルルアリアは今回の英雄祭でアルバスに残せるものが一つでもあればいいと思っていた。


「まあ、なんとかなりますよねきっと」


 ルルアリアは星空にこれからの十四日間が、アルバスにとっていい思い出になることを祈るのであった。



***



「えーと、こやつがここで……。決闘祭当日は警備を固くしときたくて……。そうなると外周部の警備が甘くなるから……あー考えることが多くて嫌になるのぅ」


 エレノアは冒険者ギルドの執務室で一人、英雄祭の警備計画を立てていた。


 エレノアが警備計画で頭を悩ませていると、エレノアの前に暖かいコーヒーが置かれる。


「随分と忙しいようだね。ギルドマスター」


「なんじゃ、もう帰ってきておったのか竜騎士」


 いつもの鎧ではなく私服姿のエレインが執務室にいた。彼女はいつの間にか入れていた自分のコーヒーを啜る。


 それを見たエレノアは作業の手を止めて、エレインと同じようにコーヒーを啜り始めた。


「……で、どうじゃった? あやつは」


 コーヒーを啜りながら、エレノアはエレインへそう聞く。


 数秒の沈黙、エレインは記憶をゆっくりと辿りながら穏やかな口調で話し始める。


「私は彼に基礎しか教えていない。魔法と白兵戦の組み合わせ。私が得意とする戦いの方のほんの基礎だ」


 エレインの戦い方は剣による白兵戦を魔法で補助、強化するというものだ。


 この戦い方は魔法使いというよりも、冒険者や騎士の中で好まれる。詠唱によって生まれる隙を白兵戦でカバーすることで、確実に魔法を使うことができるからだ。


「彼の魔法面の才能はほとんど伸ばすことができなかった。だが、私が教えた基礎さえあればあそこで生き残れる可能性は少しでも上がるだろう」


「あそこはある意味では世界一危険じゃが……ある意味では世界一安全な場所じゃ。彼にもまた強くなってもらう必要がある」


「アルバスくんと同じようにか?」


 エレインの言葉に対して、エレノアは数秒黙った後、こう返す。


「アルバス以上にじゃ。現状唯一、トリスメギストスに繋がるであろう男、アイザック・グレイフィールドには」



 それぞれの想いと、それぞれの思惑、それらが複雑に絡み合い、交差する英雄祭。それが始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る