断片集 7


◇◇

「人って、好きになれないと、いけない、ものなんですか。好きじゃないって、いけないことなんですか?」

昔、といっても、保育園の頃だろう。

好きだよと言われて、ぼくも好きだと言ったら、勝手に手を握られて怖くなった覚えがある。友達でしかなかった。

友達のことは、好きだった。

ただそれだけだ。

他の感情がわからない、それだけ。

ぼくと相手の欲しいものは違うんだ。

下手に反応すると痛い目を見るんだな、と。

好きではないと言う、その事実の言葉、単純なそれだけで、あんな目をされるんだなあと思う。理解されずに冷たい、と言われるくらいなら、自分から冷たくなった方がマシなのだ。どうせそれも、また、冷たいと言われるのだろうけれど。

なんか、もういいや、面倒だし。

「好きになることが当然みたいな、そういうのが、苦しい。なんだかんだいって、みんな誰かを好きになれるんですよ、だから、こっちが嫌だって言うと、逆に怒ってしまう。自分のことばかり考えている」

死体でもなんでも、好きになれるだけ、まともだと、そんな気がして。

「そうかな。そうかもね、難しい問題だよね。きみは不器用なのだろう。嫌い、って言えば近づかないでくれるという優しさかもしれない。でも、どうしてそんな極端な言葉を使うのかな」

「……ただ出来ない、それだけのことを、『なんで出来ないんだ』『ふざけるな』って、まるで世界に。そう責められているみたいで。《嫌い》なら、当然みたいに、感情を、理解して、思ってもらえる。好きになることもできる人なんだなって、そう、思ってもらえる」

秋沙は、微笑んで言う。

「懐かしい質問だなぁ。昔、似たようなことで悩んだよ。でも僕の答えはこうだ。いけなくは無いが、そう言っておく方が、利点はあるし、大抵の人間はその方が嬉しいらしい」

「でも、ぼくはその気持ちが無くて」

初対面なのに。

どうしてだろう、知っているような、懐かしい気持ちで、思わず、気まぐれに、ぼくは語った。

「だから、自分が嬉しくないことを、人にしちゃいけないんじゃないかって、優しくしても、迷惑だろうっていうか、そう思って」

ぼくがそう零すと、秋沙は、それは違う、と言う。

力強い声だ。

「いいや。顔色を窺うんだ。自分がもし、それが嬉しくなくっても、自分には嫌なことでもね、それでも、相手はもしかしたら嬉しいかもしれない、そういうことがあるから」

そうだろうか。

でも、確かにそういうときもある。


「それはわからないんだ。だから、顔色を窺うといい。それで、そうして欲しそうかどうか、考えるんだよ」

「無理をしろということですか」

「ああ。無理をしてでも得たいと思うものがあったときは、無理をするのも、大事だぜ」

なんか、変わった人だ。

「母さんのどこがいいんですか」

「かわいいから」

「…………」

アレを可愛いって言うんだ……

「ええと。あの人って、どっかのすごい人っぽいけど、劣等感とか無いんですか」

「無いよ。だって、あの人にあるのはあの人の人生だから。苦労して得た地位だって言うのも知っているし。ぼくにはまだ苦労が足りないのかも」

「なるほど。あの人は助けてくれないんですか?」

「助けてもらおうなんて、全然考えてない」

彼は、きっぱりと言った。

「余計な世話だ。それに縞の時間は縞のもので、僕のために使う必要は無い。そんなことしないで欲しい」

強い、覚悟の言葉だった。それには、同意する。

「つらくないですか」

「んー? 大変だよ。でも、大変なだけだ」

彼は、少し遠い目をした。

確かに、彼は横から風が吹けば飛んでしまいそうな体型だけど。

でも、きっと、そう見えるだけだろう。

人は案外強い。

「なるほど」

「縞だって、僕とは違うことで大変なんだ。だから、僕も頑張るだけ」

なぜ、そんなにわざわざ苦労を抱えたいのだろう。よくわからない。

いや、違う。その発想を捨てることで、生きてるんだ。

きっと、誰かに頼ると、その考えが根底から覆されてしまうんだろう。

事実を認識してしまうから。

「苦労するからって、他人にどうこうされたくは無いだろ? 自分が悲しめば済むことを、他人にまで悲しませたくないな。そんなことをするために、こんな話をしているんじゃ無い。もっと、笑い飛ばす方がマシさ」

「なるほど」

「前に――似たようなことで悩んだって言ったけど、僕は、自分はこうなんだって、もう諦めているよ。そしたら、少し、開き直った。『人』を好きになる必要なんか無いんだ。『言葉』とか『思い出』とか、『笑顔』とか、そういう部分部分を、かき集めるだけでいい。人類と言ってもね、他人は別の生き物だよ。パーツをかき集めて、パッチワークみたいに、一人が出来ている。それだけなんだから、それは当然のことでもある」

「……パーツ、ですか」

「そう。きみは、衝動買いをしないタイプじゃないか?」

「よく考えたら要らないかなって、お店に入ると思うんです。それで帰りたくなる」

「最低限使えればいい、そう思っている?」

「その通りです」

「そうか。きみは、優しいんだね」

「そうですか? 他人に全くの期待を出来ないだけでは」

首を傾げる。彼は、ふふっと笑って、ぼくの頭に手を置いた。

「多くを求めないだろう?」

ぼくはその手をどかしながら言う。

「自分にも、多く求められたくないですからね」

彼は、真面目な顔で、微笑んで、そして言う。

「絵でもいい」

「え?」

なんだろう。

「綺麗な模様だとか、全体の色としては微妙だけど、ここの部分のこの色合いだけは好きだとか、そういうのを、持つだけでいい。全部を見る必要は無い」

「あの人は。少し、硬いというか、一度決めたら変えないみたいなところがありますが。ちょっと、理解できないところが多いと思います、でも。ただ、まっすぐ過ぎると言うか。周りを、あまり見てないっていうだけで、ちゃんと本人の考えがある、と思う、むしろ他人よりも、ただそのことしか考えてないだけ、というか……悪い人じゃ、ないんです」

「そう、そういう事だよ」

秋沙は笑う。

「あの人を――お願いします」

ぼくは言う。

あの人には、こういう人が、必要かもしれない。

「了解」

彼は、おう、と、楽しそうに笑っている。

ぼくは、上手く笑えない。

もうすぐ、なんだか、終わってしまう、そんな気がしたから。



◇◇




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