断片集 6


05


今、何時だろう? 少なくとも、まだそれほど遅くは無くて、窓からは海が見えている。

誰も居ない部屋に入り、なんとなく、四角い箱みたいなものが描かれたカーテンを束ね直す。今、たぶんおやつの時間くらいじゃないかな。

「暇だ」

「暇だねー」

ぼくとユキは時間を持て余した。

なんというのだろう。

特にすることが無い。

近所の運動公園に出かけたほうがまだやることがあるって感じ。

あっちにも船がある。動かないけど。

誰でも船長になれるし、飽きたら海に下りて、海が地面に早変わりで安全だ。

まぁどこにもいけないのだが。


廊下を歩いてくるところだったナツを呼び止める。

「おはよ」

「さっき会っただろ」

「そうだった」

そういえばさっきも似たような会話をしていた気がするな。

退屈だからなのか。誰もが、これといった話をしない。

「そういえば」

ので。先ほどの話をする。

ユキは、それは怪しいと言いながら、少し何かを考えるようにした。ぼくはその間に隣の客室を訪ねる。誰も居ない。基本、この辺の客室は、本日自由に使っていいのかもしれない。でも、みんなの目当てはアイドルなわけなので、誰もほとんど居ない。

隣の部屋のカーテンは、ハートを持った天使の刺繍がところどころに入っている。

誰のセンスなのだろう。

更に隣の部屋に行くと、バラの花の描かれた絵画が飾ってあって、また更に隣を訪ねると、カメラやあらゆる機材がぎっしり置いてあった。

その隣は、鍵がかかっている。

控え室とかにしているのかも。

「やっと見つけた」

しばらく部屋を回っていると、追いついたらしいユキが、ぼくの服の裾を掴んできた。

「ああ。何」

ぼくが聞くと、ユキはぜえはあと息を乱しながら微笑む。

「せっかく、今日のために集まったのじゃから……」

そう言って、こちらに腕を伸ばして。

「うん?」

「はい、ちーずささみ」

「ちーずささみ」

デジタルカメラを向けられて、写真撮影をした。

「フラッシュ、目が痛い……」

「ああ。悪い」

「いいけど……」


ちなみに後で、ささみチーズの方が良かったよねと言い合った。








06

しばらく探検していたら、2階にテレビが点いている部屋を発見して、ぼくらはそこに

入った。いろいろ番組があったけど、どれも途中からって感じでつまらない。

ナツとユキが何か番組を見て盛り上がりだしていた。

ぼくはぼんやりと、昔のことを思い出す。


「普通にしてよね!」

そう言って、クマは怒っていた。

「前から言いたかったけどさぁ。そもそも私たちは珍しがられるのが大嫌いなんだね。気を遣われると、ああそれほどに異常なんだなって、ずきずきして、うわあああってなるのです。だんだん、もやっていららるのですね! 今も結構怒ってるよ!!! いっそのことうるさあああいってなってきそうだよー」

××ちゃんは、戸惑ったようにこちらを見て、そして、ぼくを見た。

ぼくも頷く。

「そうだよー。ぼくたちは、普通に、普通のように、存在したいんだよ。それをさ、あまりそういう風に接せられたら、まるで価値観を、自分の全てを、そういう風に阻害されているように感じてしまうんだ。自分のおかしさを、自覚してしまう。わがままで、ごめんなさい。でも、なんだか、辛いんだよ。怖いんだ」

××ちゃんは、普通って言われてもな、と言うから、ぼくたちは、更にむっとした。


新人くらいしか引き受けないくらい、『此処』の担当になるのは難しい。

大体みんな、精神を病んでやめていく。

ぼくらは普通にしてって言ってるだけなのに、誰一人それが出来ないから。

だから自業自得だって思った。

簡単なことだ。

でも誰も出来ない。

だったら、何の価値がある? ぼくらの誰もが思った。


みんなの前で行われる自己紹介は、審査というか、通過儀礼。

ある冬の日。ぼくらはある一室で、××ちゃんの目をじっと見ていた。


無理して関わろう、みたいな顔で、来られても、どちらも傷付くよ。

どうせこいつもそうだろう、と誰もが思った。

弱いものはいらない。早く出て行け。

そんな空気が立ち込めていて、あーあ、つまんねーの、と×××が、早くも呆れている。

お馴染みの光景に飽きて、さっさと出て行く子も出始めたけど、ぼくとあいつは、一緒に、××ちゃんの言葉を待った。

此処に来たときからそう。期待していた。

××ちゃんだけはゴミを見るような、怪物を見るような目を、しなかったんだ。


戸惑った××ちゃんは、しばらく考えて、そして、困った顔で、ぼくらに、問いかけた。


「普通って……俺は、結構、子どもに優しくないし、その、言わなくていいことを言うかもしれない。逆に、気を遣わせるかもしれない」

かなり、戸惑って、かなり考えてくれたのだろう、その言葉は。

ぼくたちには何より、信用に足るものだった。

「それでいいか?」



唯一の合格者。


唯一の、××ちゃん。


[newpage]


「××ちゃん、宿題、教えて」

夏のことだ。

病室の向こうに、一面、向日葵畑が見えていた。

青い空には、大きく、シーツ類がはためいている。

涼やかな風が、あまり開かないようになってる窓から入ってくる。

冷房は、故障中で、みんな、少し暑そう。でも、ぼくらは楽しかった。


一番懐いていた真が、アイスを齧りながら××ちゃんの膝の上に乗ると、彼は穏やかな目をして「おっいいぞー、俺は、小学校までは卒業してるからなァ」と誇らしげに言った。

「義務教育ってのはなァ、親に受けさせる義務があるだけでー俺にゃ義務はねぇ」を口癖にする××ちゃん。少し情けないところも、かなりとぼけてるところも、たまに驚くような知識を披露してくれるところも、みんなから慕われていた。

××ちゃんが「俺って愛されてるなァ」としみじみ言えば、一斉に『シャツがダサい』とか『髭を剃れ』とか、『はぁ?』とかが愛嬌で返ってくる、そういう関係。

単に自給が2000円だから応募した辺りが、××ちゃんの憎めないところだし、もはや誰でもいいやってくらいに誰も来たがらない場所だったから、やっぱり、××ちゃんはすごい。

「××ちゃんって、昔、塩男だったんでしょ?」

「サラリーマン、な? なんかそれだと狼男とかと並びそうで嫌だ」

「えー、何が嫌なの? かっこいいです」

「俺が?」

「まさか」

「まさかってお前」

「なんでやめたの。りすとら?」

かりかり、鉛筆が、紙の上を滑っている。

真の宿題はなんだろうと、ぼくは読みかけていた本を閉じて、少しベッドから降りて覗いてみる。

目の前のテーブルでは、××ちゃんが、真の椅子みたいになってる。

宿題は、国語の読解だった。

月の出ている夜に、こっそりと屋根の上を歩く、子どもたちの話だ。

「そうだなぁ。俺は、粋がってたんだな」

「なにそれ」

「ん? 思春期を卒業できない大人ってやつだよ……」

「ふーん」

「幼少期、とか、小学校とかでなァ。何かあって、通うことをやめたりすると、やっぱり、それは仕方が無いんだけど、周囲との……社会との触れ合いが制限されることがある。知らない人と話さなくなる。まぁ俺はそうだったんだよ」


そういえば聞いたことがあるな。そういうものに合わない人も居るのだとか。

そんなことを思いながら、ぼくは本のページを捲りながら、××ちゃんが買ってきた白い色のアイスを齧る。中のみかんが冷えて程よく、しゃりしゃりしている。

「ひきこもったの?」

真は、ずかずかと切り込んでいた。

××ちゃんは、うるせえよと笑った。

「そうするとだ。普通経験するはずの『挫折』、そして『成長』を、置き去りにしてしまって、乗り越え方も、自信の探し方もわからないままに大人に成り易いわけ」

「ふーん」

「些細なことで傷付くのも、反抗したくなるのも、結果的には、大体、乗り越えていない思春期の症状のようなものであるって、昔なんかで読んだけどさ。だとしたら、人間の成長過程のごく普通の一場面ってだけの話じゃないか?」

「大体のことが、そんなもんだよね。異常なんて、成長の一場面のことも多い」

「今、世間で子ども向けを大人が見たりするのを見ると、なんか、みんなどこかしらそうなのかもって、思ったりしたり」

「へぇー。でも、真は、ずーーーっと、成長も挫折も出来ずに止まっているよ?」

「そうだな。お前は、そうだなァ。良いことなのかは。俺は知らんがな」

「じゃあ、大人向け児童書っみたいな、そういう立ち位置の本を出したら、案外わりと共感を得られたりしてー的な」

「あははっ、なんか、牛肉スタミナ弁当と、豚肉ヘルシー弁当を両脇に抱えたみたいな話だな」



懐かしいなあ。

記憶の中では、いつも××ちゃんは笑ってる。

どこか儚げに。どこか、楽しそうに。

なのにどこか、痛みを抱えているみたいに苦しげだ。

子どもの頃に、なぜか、線路の上で電車に追いかけられようとして、通報された××ちゃん。最後に聞いた会話がそれだった。

それで。おっ、俺は旅立ちをだなァ……とか意味不明なことを言って親に叱られたって話していた。

夏が来たら思い出すんだ、って言ってたな。


なんでだろ。

なんで、××ちゃんは。

一人で消えちゃったんだろう?

何も話さなくていい。何も言わない。

きっと言葉だけの、労わりなんて、もう疲れちゃったよね。

だけどね、だけど。



寂しかった。

[newpage][newpage]


◇ ◇


「おはよう」

いつの間にか寝ていたらしい。

この部屋にはソファがあって、そしてテレビ、テーブルにタバコを入れる灰皿があって、足元には、なぜか囲碁盤がある。

「……え、と」

ユキに起こされたらしいが、まだ、夢の中に居るみたいだ、ふわふわしている。

テレビは消されていた。あれからどのくらい経ったのかと思ったが、時計を見る限り、25分程のようである。

ぼくはどちらかというと、他人じゃなく自分の中でのことに置いては、夢と現実が混ざるのはそれほどは好きじゃなかったりする。そういう本や映画は好きだけど……





[newpage]







いつも経験しているからだ。だから恐怖として、自分の中で『こわい話』という立ち位置で存在させることがあっても、それは、こわい話、以上のなにものでもなくて、これもきっと『こわい話』。



ミステリーは、

謎やトリックじゃなくて、世界自身で、ぼくたち自身だ。

未だにそれは、解けそうにない。

証拠はどこにあるかわからないし、証拠なんてないかもしれない。

犯人なんて居ないかもしれないけれどね、ずっと探している。


きっと縞母さんは『面白い』って、言う。

他の誰かも、笑ったりしている。

あの人には悪気なんてないけど、そのたびに少し、ずきっと心が痛んでしまうことに気付いていないだろう。そんなに『面白い』んだな、うけるんだな、って思うと、なんとなく、自分から遠ざけたくなる。

ただ、真っ直ぐ、純粋に、それが『当たり前のこと』だって伝えたかっただけなのに。

自分自身に少し負けてしまいそう。


「そういえば日記、今日の、付けてなかったな……」

笑わなきゃ、って。

今は自分のために、どうにか、なんとか笑ってる。

のに。苦しいな、と、心はどこかで、きりきりと悲鳴をあげているみたいだ。

「まぁ、明日で、いいか」

はじめから、ただ自分の中の世界だけを見てる。

どことも交わらない世界を見てる。

何にも干渉されてない世界を見てる。

何かに影響されたら『じゃあそれでいいじゃん、ぼくがやらなくても』って思って、なにも伝える気を無くしてしまうから、影響されたくないんだ。

好きなものと、影響されるものは違うよね。


ただ、過去になるために、日記をつけていた。書いたら、きっと夢みたいに思えて忘れるから。きっともう、これで居なくなって、こわい夢にならないで済むって。

これで、見たくないものを遠ざけることが出来る、って思う。

「……どうして、そんなに、辛そうなんじゃ?」

終われると、思ってた。勝手に、思ってた。

「え、笑っているんだよ。すごく、笑顔でしょう?」

「そんなに、笑うやつじゃ、無かった」

「そんなことは無いよ」




でもね。

本当だよ。

誰も解かない謎があって。

誰かが苦しんでいて、それは、推理とかトリックなんかじゃなくてね。


日常、だよ。

ひとことひとことが。ひとつひとつの行動が。

全部が、謎だよ。

誰かがいつも苦しんでる。



「ユキ」

「ん?」

ユキは不思議そうに首を傾げてこちらを見てくる。

「ぼくたちは、普通、でしょ?」


不安や、どこか悪意や好奇が周囲を包み込んでいるような漠然とした恐怖に、胸がキリキリと痛むのを押さえて、ぼくは言う。

「なんじゃ、昔のことでも、思い出したのか」

脳裏では、誰かが怒鳴りつける様子が、何度もフラッシュバックしている。

異常者だとか、おかしいとか、何様なのかとか、偉くなったつもりかとか、わざと気を遣いやがってとか、いろいろ言ってるけど、どれも不正解。あまりにも正常なだけだし、何もおかしくないし、偉くなったつもりなのはぼくじゃないし、気を遣っているわけではない。当たり前のことしか言ってない。不自然なんかどこにも無い。なんて言って、また怒鳴りつけられる。やだなぁ。今日はぼくが生贄か。

あの場所じゃ、誰かしら、サンドバッグというか、廊下ですれ違う大人が怒号を撒き散らしてく。目に付いた子どもに向けて、散々に撒き散らして、それで元気に仕事に戻っていく。大人ってどうしてこうもちょっとのことで怒るんだろうねと、ぼくらはその儀式が済むと、話題にした。

誰かが、機嫌の悪いナースさんやら先生のことを調べてきて「どうやら恋人にふられたらしいよ」と言えば、ぼくたちはそれぞれ相談して、励ましの言葉をかけたり、お勧めの著書を差し出したりした。「お腹がすいているみたい」と聞けば、こっそりチョコレートとかお握りとか、今日の病院食のメニューとかを差し出したりした。

そういうのを半分面白がってみんなでやったんだけど、何年か経つと、それに気をよくした人が増えて、当り散らす人が減ってしまって、ぼくたちはまた暇つぶしを探したっけ。

そう、悲しみや苦痛は、落ち込むものじゃなく『ミッション』で、暇つぶしだったのだ。

その『悲しみ』を、みんなで『面白がろう』って、あの頃は試行錯誤した。


そんな回想をしていることを知る由もないユキは、ただ、ぼくの目の前にしゃがんで、そして、きょとんとこちらを見つめた。

綺麗な、黒目。長いまつげ。

「面白くもなんともなくて、ただその辺に、当たり前みたいに居る、そうだよね」

ユキは、少し何かを考えて、けれど、何か察したように、笑っていた。

「ああ。私たちはどこにでも居るんだよ。どこにだって居るけど、みんな怖がって声をあげないだけで、実は人口の半数を占めているはずだ」

「えー、さすがにそこまで行く?」

目の前に、白いハンカチが差し出される。

ぼくは素直にそれで顔を拭いてから、ありがと、と言う。

「××ちゃんも、疲れちゃってたのかな。ぼくたちが『普通にして』って言うと、みんな疲れちゃって、無理をしてしまう。しなくていいのに、させてしまう」

「そうだな。普通、は沢山あるからな」

船が、一瞬、ぐらっと揺れて、ぼくたちは一瞬よろめいた。

「びっくりしたね」

「そうじゃな」

「これからも、耐えられるかな」

「何に」

独り言のはずだったのに、そう急に聞かれて、なんだか、自分でもよくわからなくなる。

「……わかんない。けど」

つらいんだ。

見えない何かが、今も、ぼくを、彼らの価値観で責め続けているみたいだ。

夢の中の彼らは、ぼくの話なんてまるで聞いてくれないで、怒っている。

きっと泣き出したら、また怒られる。こっそり泣いていたら、××に「俺が悪いのか!?」「だったら言えよ!」って、すごく逆切れされて喚かれたことがある。

それが怖くて、堪えてしまう。おかげでぼくは、あまり、周囲に傷付くことを見せることさえできなくなってしまっている。


3階に上ると、そこには母さんと、秋沙さんがいた。

秋沙さんは、母さんの……友人、なのか? 男の人。

よくデートしているから、仲はいいんじゃないかな。

「あ、どうも」

秋沙さんが、ぺこっと頭を下げてくる。

黒髪に、青っぽい目。

そしてところどころ、金髪だけど、染めてはいないらしい。

ごく普通の、どこにでも居そうな顔で、そのあたりはぼくと少し似ている。

「どうも」

「海って、苦手だけど。まぁ、少しずつ克服してきたところだよ」

と、秋沙さんは言う。どうやら昔溺れかけたらしい。

「そうですか。よかった」

つられて会釈すると、母さんはようやくと言った風に、こちらを振り向いた。

「……なんだ。いいところだったのに」

何が?

聞かない方がいいだろうと判断してぼくは言う。

「通りかかっただけだから、すぐ出て行きます」

一応、きょろっと見渡しておく。

3階は最上階である。

大きめに窓が開いてて、潮風が顔に当たるし、海が、よく見渡せる。

あまり椅子は無いけど、すこしすわり心地がよさげなクッションの効いた椅子だ。

バスの待合所の豪華版みたいな感じではあるけど、こんな待合所はいやだって感じもしたりする。階段のところは全体的に、緑っぽいタイルが敷かれていて、ところどころ、飾りが欠けている。直さないんだろうか。それともこれから直すのかな。

頭上にテレビが付いていて、波の予想とか流している。

来ていた女子高生6人が、ほとんどの椅子を座りきり、山手線ゲームっぽいけどなんか違うやつをしてる。

「島あるあるー!」

「発売日!」

「3日後!」「遅いと一週間っ!」「お届けはー」「一部地域で除・か・れ・るっ!」

「日本全国」「どこにでも宅配!」「じゃないだろっ!」「カラオケは」「あるけれど」「たまに道で歌うほうが早い」「誰も居ないっ」「冬!」「塩風!」「大体地元映るときは」「サスペンス!」「テレビに映る」「2時間あっても」「紹介中途半端」「県は同じでもそれは総集編だっ!」「これはやべえ一島にかなりまとめてる」「まじダイジェスト!」「絶景を映しに来ると」「なんか大抵曇ってる!」「誰かしら自分探しにやってくるっ」「大自然が自慢です!」「何も無いって言うなぁぁ」「バスが!」「こないっ!」「船が!」「ライフライン!」「日本地図の」「略図で存在消えてる!」「隅っこも映して!」

テンション高いな……

特に何も無さそうなので、下に降りる。

そのとき、女性の方とすれ違った。黒いワイシャツを着ている彼女は、きょろきょろと何かを探している。ショートボブの髪型で、狐みたいな目をしていた。

やがて、ぼんやり海を眺めていた。

そこには、町が見える。もっと手前、頭上の、目立たない隅の方には、奇妙な飾りが結んであった。

旗、だと思う。

ひらひらと揺れている。

万国旗みたいなんだけど、絵柄は天使とかハートとかだ。可愛らしい。

それを、どこか儚げに、目を細めて見上げていた。

「こんにちは」

ぼくが挨拶すると、彼女はじろっとこちらを睨んだ。

「どうかしましたか、さがしものですか」

彼女は「関係ないでしょ」と言って、下に降りていく。ううむ。

そろっと付いて降りて行こうとしたら、ちょうどおどり場のところで、何かメモをしていた。なんだろう、ミステリーショッパーか何かかな?

すぐに、メモを上着のポケットにしまうと、彼女は階段を降りていく。


「ここから、飛んだら」

海を見ながらぼんやりと思う。きっと、醜くなるだろう。

誰かの水死体を見たことがある。思い出したくないような変わり様だった。

後々の噂によれば、それは近所のお肉屋さんの主人で、スーパーにお客を持っていかれてからの、経営不振により自殺だという。そのお店に昔一度だけ行ったことがある。

おじさんは、にこにこ、嬉しそうに「いらっしゃい」と言っていた。

そんなことをまるで感じさせない笑顔で、何を買いにきたんだいと聞いた。

同じ学年の隣のクラスの子のお父さんだった気がする。

隣のクラスの授業が中止になって、お葬式が開かれていた。

どんな気持ちかなんて、わかんないけど。でも、なんとなくわかる。

廊下ですれ違ったその子は、笑ってた。

周りは「不謹慎だ」って、嫌そうにしていたけどぼくにはなんとなく、わかった。

あれはきっと『おねがい。触れないで』って、言っていたんだ。

嬉しそうに楽しそうに振舞わないと、そうしてもらえないって思っているのだ。

それでも誰かが付き纏って真面目に、何か言っている。

「悲しかっただろう」「あの人はいい人だったね」「悲しいのなら泣きなさい」「大丈夫だ、いつか忘れられる」「どうしてそうなってしまったんだろうね」

そんな言葉を浴びせている。

あれは、きっと偽りだよ、もうやめてって、そう言ってるんだよ。

なんで、そっとしておいてあげないの?

その光景を、ぼくは、偽善者にもなれないまま、ただぼんやり見ていた気がする。

その子は、怒ったり泣いたりしなかった。

もし、怒ったりしたら、一緒に怒ってあげていただろうか。わからない。

よくある悲劇だ。でも、なかなか目にかからない悲劇だ。



お腹がすいたのでホールに行く。

表からじゃわからなかったけど、裏側から真横を通ったとき、古里さんの歌っていたステージの隅に、スピーカーに隠して小さな四角い欠片が剥がれて置いてあったのが見えた。なんだろう。

硬そうな素材だけど、隅のほうが少し割れていた。

何か絵が描いてありそうだけど、裏返っててわかりにくい。あと、マイクかなにかのコードが観客席には隠れるように絶妙に配置してあった。


彼女は、ステージ上で、なにやら、過去の話をしている。

デビュー当時に太って大変だったとかそういうの。

ぼくは、近くのテーブルから、チキンを持ってきてくわえた。美味しい。

それから、そばにあるポットからお茶を入れて、飲んだ。麦茶だ。


飲んでからは、なんだか疲れたので、近くの客室に行き、勝手に少し眠っていた。

誰も来ないからいいかなーなんて。ゆらゆらと揺れて、溶けていきそうな錯覚にとらわれる。少しして、ポケットの内側から、階段を降りるような音で、目を覚ます。うーん。

「やっぱり、階段の音しか、聞こえないんだよな……」

なんでだろう。

身につけていた鞄の内側が震えたので取り出すと、携帯電話だった。

「もっしー」

ぼくが出ると、通話相手、九ノ津真がもっしーと返した。

「何。どしたの」

「んー、なんだか、どうしてるかなって、思ってね」

「なにそれ、フラグでも立てに来たわけ」

「えへへ。随分と会っていないよね」

「そうだね」

「××ちゃんのお墓参りもしなくちゃだし」

「一緒にチキンも食べなくちゃだし」

「死体探し」

「それはしませんよ」

「今年も、忙しくなるんだろうなぁ」

「そうだね。ここを降りたら、お前に会いに行くよ」

「そういえば、××る×が消えたのも、この時期だったね」

どきん、と心臓が音を立てる。

「あいつにも会いたいな」

「故郷のビールが待ってる」

「未成年だから。故郷のビールとか飲んだこと無いから」

「帰ったら、まず何がしたい?」

「お前と遊びたいよ。お土産に、そうだな、線香花火でも」

「ドイツ製の高級絵の具と、マーメイド紙が欲しい」

「うっわ、値が張る…………マーメイド紙、この辺売ってるか?」

「紙屋さんは、おとなりのおとなりの県です」

「…………」

「あ、買ってきて欲しい本がある」

「何」

「世界の拷問大全!!」

「思ってたけど。お前の趣味、人に言えないのばっかりじゃねえか……」

「楽しいよっ! 人がだんだんと××××な様がありありと!」

と、そいつは、伏字にするしか無さそうな、放送できない話をした。

が、語り手権限でカットだ。

「楽しくありません。ぜんっぜん!!」

ぼくは呆れた。その趣味は人に話すなよ? 

これで、危険人物だと思われたら、どのくらい庇ってやれるかわからない。

「本とかで拷問にリアリティのある描写があるとこの人もそうなのかなって思う!」

「お前なあ……」

きっと、満面の笑みで言っているであろうその言葉に、ぼくは絶句する。

いやいやいや。そういう描写があるだけでしょ。

「帰ったら、遊ぼうね」

「お前、熱でもあるのか」

「え」

そいつの声が、一段と高くなったのを、ぼくは聞き逃さない。

「今日、必ず帰ってくるから、ちゃんと安静にしておくんだぞ?」

「うん。帰ってきてね」


なんだろう、どこか寂しそうな声だ。少し不安になって、何か言おうとした。

けれど、うっかり通話終了ボタンを押してしまっていたので、かけ直すしかなかった。

こんなときに、あいつの具合が良くないなんて……心配だ。

早く、帰りたいな。


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