閑話:ニコーラ ふたりの魔族
ファタリタ側の防衛拠点となる陣地から多くの兵たちが悲鳴をあげて逃げていた。
テソーロの二方面作戦。
山脈貫通を利用して攻め込むランチャレオネ侵攻に呼応して、西側からの侵攻。
ファタリタ側は終始、上手くいっていた。
ロモロの考えていた敵将ふたりの仲違い策。
一方に手紙を送りつけ、あたかも内通させているかのように見せながら、もう一方には陣地内で軽く騒ぎを起こさせてお互いを疑心暗鬼にさせていく古典的な離間策。
ふたりの仲が悪いこともあり、上手くいった。テソーロの軍勢は勝手に自滅してくれている。
だが突然……何の脈絡もなく襲来してきたふたりに、すべてを覆されていた。
少し離れた場所でモニカがそのひとりと、逃げる兵士たちを守りながら大立ち回りをしている。
そして、ニコーラの目の前にもひとり。襲ってきたふたりはフードを深く被り、その顔立ちなどはよう杳として知れないが……。
ニコーラはモニカが呟いた言葉を耳にしていた。
『魔族……!』
と。
事実、フードの下に僅かに覗く肌色などはまさしく人間ではない。
さらにこの者の放つ一撃が人間には不可能なほど重い。
ニコーラが真正面からの剣を受けて、力を逃し損ねたことなど、何十年振りかわからない。
それほど馬鹿げた膂力を持っていた。
「爺さま!! 伏せて!」
背後から聞こえた声に反応し、ニコーラは体勢を低くする。
「虚空の神力、雷撃。神の怒りを司る雷神の槌よ。彼の者をことごとく滅殺せよ。其の力は天界への門を貫く。〈ディオ・トゥオーノ・デル・マルテッロ〉」
雷撃が飛ぶ。《双翼》の傭兵、ヴェネランダの魔法だ。
それはニコーラの頭の上を掠め、魔族へと命中する。
その雷はさらに広範囲に広がり、まるで魔族を絡め取ったようだった。
「斬!!」
そこを背後から別の大男――《双翼》の傭兵、マティアスの大剣が重量で押し潰すように斬りつける。
だが――。
ガキンという鈍い音と共に、剣によって防がれた。
マティアスの力は一目見ただけでわかる。手を抜いたわけでないことも明白だ。
今の一撃はまともなら大岩すら粉砕する膂力の剣。
それを片手で止めるなど、人間業ではない。
「人の最強魔法で傷は負ってないわ、囚われてもくれないわ、ホント最悪ね」
「人知を越えているな。……無事か、爺さん」
「問題なく」
ニコーラ、マティアス、ヴェネランダ。
この三人が揃って、ようやく魔族のひとりを押し止めている。
たまたま共同戦線を張れたからいいが、ニコーラひとりならば間違いなく危険だった。それはマティアスやヴェネランダにも言えるが。
「モニカちゃんがいなかったら、部隊ごと全滅してたわよ」
「何かあるとは思っていたが、あれほど強いとはな……」
しかも、モニカが与している方が明らかに強い。こちらの魔族は身体能力強化一辺倒だが、あちらは様々な魔法を駆使して戦っている上に、その身体能力強化までも同時に使っていた。
そんな魔族を相手に、幼い彼女はひとりで、しかも互角以上に戦っている。苛烈な剣戟の音と炸裂する魔法の爆音が、その凄まじさを物語っていた。
ニコーラとしても口惜しいが、あの戦いに介入できると思えるほど自惚れてはいない。
「魔族相手に人間は何人必要って話だったかしら?」
「五人だ」
「では、三人でどうにかしなければなりませんな」
モニカが幹部クラスと語っていたので、一般兵としての図式が成り立つわけではない。
しかし、まだ年端もいかない幼子ひとりに任せている以上、こちらは三人で抑えなければならない。他に味方はもういないのだ。
「爺さま、まだいける? もうおつらそうだけど?」
ニコーラにとってキツいことには間違いない。
ふたりが極力ニコーラに息をつく時間を作ってくれていることで長持ちはしているが、全力で戦える五分という時間自体はとうに尽きている。
「まだまだ若い人に負けるつもりはありません」
それでも、ここで退くわけにはいかない。
よくよく観察すると、マティアスとヴェネランダは詰めが甘いというか、正面に集中するあまり、脇が甘いのをニコーラは見抜いていた。
それをしっかりと補助しなければ、瞬く間にこのパーティは崩壊する。ギリギリのバランスで成り立っているパーティなのだ。
「俺が暴れよう。ヴェネランダは援護、爺さんは適宜、隙を衝いてくれ」
マティアスが一足飛びに魔族へ向かい、真正面から大剣を持って斬りかかった。
「はああああああああッ!!」
巨大な大剣がまるで細身の剣のように素早く振り回される。
そこらのモンスターならば一撃で両断されるだろうし、人間も盾や鎧ごと切り裂くだろう。
しかし、魔族はそれを事も無げに剣で防いでいた。
剣を止めるのに必要なのは力だけではない。受け止める角度や勢いを殺すことも重要だ。そして、相手の誘導も。
あの魔族は剣術というものを知っている。しかも、かなり高度なものを。
「満ちよ、雷撃。炸裂せよ、大いなる雷の力! 〈トゥオーノ・ピオッジア・ディ・フレッセ〉!」
ヴェネランダが手を上に掲げると、上空から雷の矢が降り注ぐ。
逃げ場はない……が、さきほど雷の魔法を防がれたばかりだというのに、それでもヴェネランダは雷に拘った。他人から見れば、それは無策のように思えたかもしれない。
しかし――。
「あんたは、さっきあたしの魔法を耐えたわけじゃなく一瞬の身体硬化魔法で防いでた! マティアスの攻撃を受けながらね! あたしの魔法を防いだセンスは認めるけど、無数の矢ならどうかしら?」
実際、避けることもないだろうと思われた雷の矢を、魔族は嫌うように避けていた。
そこをマティアスの大剣が襲う。防げはしても、勢いは殺せない。
魔族は後方へと吹き飛ばされる。
だが、すぐに体勢を立て直してマティアスへと剣を構えて飛びかかった。
「変わりますぞ!!」
そこをニコーラが立ち塞がり、魔族からの剣を弾く。
重い。だが、それでも自身の経験のすべてを総動員して、角度と力を調整し、剣を逸らした。力加減や向きが少しでも狂えば、間違いなく首と胴が離れ離れになっていただろう。
どうにか一撃目を防いだニコーラだったが、初撃を防いでも魔族の乱舞は止まらない。おぞましい早さで剣戟が繰り出される。
ニコーラはさらに集中し、ひとつひとつ剣を避け、弾き、また避けた。
防御にさえ徹すれば、彼に防げない剣はない。体力が続く限り――。
「モニカ! ニコーラ! 陣内にいる者は全員、下がれ!!」
高所から悪友の声が響き、ニコーラやマティアス、ヴェネランダはすぐに下がった。同じようにモニカも下がる。
いつの間にか、丘側に布陣していたイブレーア元帥の部隊が、一斉に弓を構えていた。
陣内から逃げた兵士をまとめあげて、再編成したのだろう。
「放て!!」
魔族ふたりに大量の矢の雨が降り注ぐ。
魔族たちはそれらを剣で弾き、あるいは魔法で防いだ。
今更矢など通用しない。それはわかっていた。
しかし――。
「私から一瞬でも気を逸らしたのが運の尽きです」
いつの間にか魔族の背後に回っていたニコーラが、魔族の背中に向けて剣を突き刺す。
(刺さりが甘い――しかし!)
ニコーラはそのまま強引に魔法を詠唱。
「炎よ! 〈フィアンマ〉」
その魔法は突き刺さった剣を通じて、魔族の体内へと流れ込む。
魔族もこれにはさすがに痛覚を覚えたのか、苦しむ素振りを見せた。
そして、モニカの方も決着が付いていた。
すでに魔族が膝をつき、モニカの剣が首筋に当てられている。
「終わりよ。――死になさい!!」
幼子とは思えないほど冷たい声。
しかし、モニカにやられていた魔族は咄嗟にフードの中から道具を取り出す。
何か、と思う間もなかった。強烈な光を出したそれは、周囲全員を視界を奪う。
「待ちなさいっ!」
モニカが慌てるがもう遅い。
光を放った方の魔族はもうひとりの魔族を担いで、素早い動きで一目散に逃げていく。
勝ち目がないと悟り、退いていったのだろう。
「く……」
悔しそうに歯噛みするモニカ。
それを見てニコーラは、すぐモニカに駆け寄った。
「お疲れさまでした、モニカ様。陣内の兵士たちは全員無事なようです」
「それなら、よかった」
「モニカ様のおかげですな」
「あたしは……」
モニカは何とも言えない表情をする。
剣を鞘に修めて、虚ろな目で自分の両手を見ていた。
「……弱くなった気がする」
「何が、ですかな」
「あたしが……。あたしは……もっと強かったはずなのに」
その意味をニコーラには理解することはできなかった。
そもそも魔族相手に互角以上に戦えていたのだ。
それが弱くなったなど、冗談にしか聞こえない。だが、こういう時にモニカは冗談をいうようなタイプではないことをニコーラは知っている。
「……でも、こっちに残っててよかった。守れたんだよね」
「確か、理由はモニカ様の嫌な予感でしたかな」
「そうそう。……当たってほしくなんてないけどね」
それからすぐにマティアスとヴェネランダも近づいてくる。
「何にせよ、無傷で敵から防衛できたんだからいいじゃない」
「そうだな。とんでもないことが起こったが、勝利は勝利だ。俺もまだまだだということもわかったしな」
「これでテソーロの兵士たちまで攻めてきてたら、どうにもならなかったわよ」
実際、これはロモロとイブレーアの策のおかげだ。
そして、魔族はモニカと、ニコーラ、マティアス、ヴェネランダのおかげ。
「もっと喜んでもいいと思うけどね?」
そう言ってヴェネランダはウインクをする。
それを見て、モニカは小さく笑った。
「そうだね。ロモロにも、防衛に成功したよって伝えなきゃ」
こうしてテソーロ侵攻は犠牲を出すことなく、終わりを告げた。
宣戦布告なき侵攻に魔族の存在。
様々な疑問を残すことになったが、そんな不安を払拭するかのように、その場にいた兵士たちは大きく沸き立った。
「勇者モニカ万歳」と。
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