閑話:アキッレ

「クソッ! 何だアレは!? 会議の主導権をすべて持って行かれたぞ!」


 自室に戻ってきたファタリタ王国第二王子、アキッレは傍に置いてあった鑑賞用の陶器を掴み、壁に向かって投げつける。

 陶器は壁に当たり、無惨にバラバラとなった。

 しかし、アキッレの怒りは収まらない。

 帯同させていた侍従や側近たちもめいめいに落ち着くよう言い聞かせるが、アキッレの態度は変わらない。


「あの者、何と言ったか!?」

「ろ、ロモロでございます。レジェド・ロモロ・デ・スパーダルド……」

「何者だ」

「最近になってスパーダルドの養子に入り、リナルド王子の側近を務めているようです。姉は勇者として勲章を授与されたとか……」


 そもそもこの程度の話はモニカが勇者勲章を授与された時点で誰もが知っているし、その授与式にアキッレ自身も参加していた。

 しかし、彼は何も覚えていない。

 興味のないことや都合の悪いことは、彼の記憶に残らないのだ。


 勇者などという民草の慰み物でしかない吟遊詩人の詩。それが現実に現れたこと。

 そして、代理に連れて来いと命令にしたにもかかわらず、そちらが来いと言い渡されたこと。

 それは四大公爵ヴォルフが言ったことだったが、アキッレはそれを聞いて歯軋りしながら、さらに不機嫌を極まらせた。

 しかし、どうにもならないからこそ、そのようなことはさっさと忘れたのだが……。


 なぜ自分が人の下に立たねばならないのか。

 ――王族だというのに……。

 しかも、王族としては第一王子の方が先を行っている。領地運営でも功績でも。

 それでも王はまだ後継者を決めていない。ならば付け入る隙はある。


「母上は言ったのだ。俺はファタリタとアルコバレーノの王になれると……!」


 勇者がなんだ。

 王子がなんだ。

 俺はファタリタとアルコバレーノを統合した偉大な皇帝になるべき男なのだ。

 すべては俺に傅くべきなのだ。


「他には?」

「無詠唱の魔法を使い、また例の王族暗殺未遂事件の首謀者を捕えたとも」

「チッ……。あの場で父上も含めて死ねばよかったものを……」

「ふ、不敬ですぞ……。そのような言葉は絶対に外では言わないように――」

「わかっている!!」


 実際、もしあの場で王が死ねば敵は第一王子だけだった。

 そう悔しがるアキッレだったが、彼は大事なことを忘れている。

 首謀者であるビアージョは元アキッレの側近だ。ビアージョが申し出たことでリナルドの側近になることを許している。

 そのせいでアキッレは疑われていたのだ。裏で糸を引いていたのではないかと。

 もっとも彼らの側近がそのような意見を必死に封殺しているため、アキッレはそんな疑惑にすら気付いていないが。


「エルフの魔法を使いこなし、中止にはなりましたが、王武祭でヘルを倒したとも……」

「そう言えばヘルはまだこっちには戻らんのか?」

「ゼークト――親である公爵に謹慎を命じられているようで……」

「クソッ、忌々しい四大公爵どもめ。こっちの手駒だというのに」


 ――実際のところ。

 アキッレは知らなかった。アルコバレーノ王国の禁忌、キャナビスの存在を。

 そして、そのキャナビスでヘルの正気を失わせていたことも。

 ただただ、キャナビスによって心を壊されたヘルを忠実になった家臣だと思っていた。


「忌々しいやつだ……。やつを殺せ。なんとしてもだ」


 アキッレは静かに言い放つ。

 そこに、側近のひとりが進み出た。


「そのようなことをしてバレたら破滅ですぞ」

「ジェラール。貴様、母から気に入られていると言って、俺に意見するか?」

「いえ。天秤が合っておりませんゆえ……」

「難しいことを言うな。やつを殺せば、俺の溜飲が下がる」


 するとジェラールはニヤリと笑う。


「むしろ、やつを味方に引き込む方が早いでしょう」

「やつを味方に、だと? ふざけるなよ」

「ふざけてなどおりません。ロモロを味方に引き込めれば、リナルド王子は両腕をもがれたも同然です。リナルド王子も激しく哀しむことでしょう」

「ふん。それは見物だが……それでも味方に引き込むなど……」

「味方に引き入れた上で折を見て、事故を装って殺せばいいのです。今のような状況下でやつを暗殺すれば、貴方様にも疑いが向きかねないゆえ……」


 それを聞いたアキッレはようやく理解した。

 楽しいことだと言わんばかりに暗い笑みを浮かべる。


「殺す前に拷問にかけても平気か?」

「もちろんでございます。地下でたっぷりと嬲ってやるといいでしょう」


 そうと決まればアキッレは速かった。


「よし。やつを呼び出せ。名目は何でもいい。ジェラールに任せる」

「はっ。お任せを……」



 それからしばらくして、ロモロはのこのことアキッレの私室にやってきた。

 従者であるニコーラを連れてきたことに、ジェラールは苦い顔をする。

 ニコーラが王国内でも有数の実力者なことは広く知れ渡っていた。老いてもそれは変わらない。爵位こそ子爵だが、彼には相応の功績を積み上げた過去がある。

 もっともその功績を吹き飛ばすほどの罪過もあるのだが。功罪相償うを地で行く者だ。


 アキッレもジェラールも知らなかったことがある。

 ニコーラがロモロの従者についたという話を聞いたときは、珍しいこともあったものだと思ったし、ニコーラが忠誠を誓うとも思っていなかった。

 だから、こんな場に帯同してくるとは思っていなかったのだ。


 しかし、理由はわからなくても、ニコーラがついているというのならば、ロモロが功績も積み上げてきたことも頷ける。

 実はすべてニコーラの手柄なのだすれば納得できるからだ。

 アキッレたちを黙らせたあの弁舌も、元々ニコーラに教えてもらっていたのだとすれば、すべてに筋が通る。


 それは大いなる勘違いだったが、ロモロが八歳の子供という事実で、彼らは完全にロモロを見誤っていた。


「よく来た。ロモロ」

「お招きに預かり光栄です。話をしたい、とのことでしたが?」

「うむ。早速本題に入ろう」

「ちなみに、私はリナルド様から離れるつもりはありません」

「ぐ……」


 アキッレとしては、まさか断られるとは思っていなかった。

 そもそも、アキッレの臣下になれると思っているなど不敬ではないか。


「抑えてください。アキッレ様……」

「わ、わかっている……」


 早くも額に血管を浮き上がらせてキレそうになるアキッレをジェラールは小声で宥める。


「なぜだ。金ならいくら出してもいい」

「僕はリナルド様と約束した身です。いくら積まれても気は変わりません」

「……逆に興味が湧いた。何をすれば俺に仕えてくれる?」


 ロモロが少しだけ返答に詰まる。

 アキッレたちにその気があろうとなかろうと、王族がここまで誘っているものを即座に切り捨てれば不敬にあたると思わせられる。

 無理筋なやり方ではあるが、相手が真面目ならば世間体を気にして引っかかるものだ。


「この大陸で戦争を一切起こさせない。戦争で誰ひとり決して殺させない。これができる、あるいはできそうならば、考慮いたします」


 少し考えたのち、彼は何の恥じらいもなく、そんな理想論を口にした。

 馬鹿げた民草の考えだ。

 元々、平民暮らしが長かったのだろう。そんなことを真面目にできると思ってしまうぐらいに。

 だが、アキッレとしてはどんな願いであっても構わない。

 彼をここで説得し、捕えるのが目的なのだから。


「わかった。いいだろう。功績を詰めぬのは癪だが、お主の願いを聞き届けてやる。だから、俺に力を貸せ」

「……では、どうやってそれを行うのです?」

「え?」

「やると言ってくれたからには、そのための方法があるのでしょう? まさか、ここで配下にしたいだけで、適当なことを言ってませんか?」

「い、いや、違うぞ……。俺は……」


 ロモロの鋭い目付きが、アキッレを貫く。

 八歳の子供とは思えないほどの迫力だった。

 そして、その後ろにいるニコーラの圧力もまた凄まじい。

 アキッレは少しずつ、自分がとんでもないやつを相手にしているのではないかと思い始めていた。


「す、すまなかった……。いや、話は終わりだ。帰っていい」


 気圧されたようにアキッレは絶え絶えな声でどうにか伝える。

 傍にいたジェラールはその言動に驚いた。

 ここまで人に謝るなどしてこなかった彼が、非を認めて謝ったことに。


「……そうですか。では失礼致します」

「うむ……」

「ああ。それと」


 ロモロが部屋を出る前に立ち止まり、アキッレたちに向かって振り返る。


「薬草をこれ以上、国内に流通させるようなら考えがありますので」


 今度はジェラールが心胆を寒からしめる番だった。

 アキッレは何を言っているのだという顔をしているが、ジェラールにとっては致命傷となる急所だ。

 自然と冷や汗が浮かんでくる。

 ジェラールもまた、気づかないうちに虎の尾を踏んでしまったのかもしれないと、心に怖れを抱き始めた。


「………」

「………」


 捕える隙など一分もない。

 もし、全員で飛びかかっても勝てなかったという予感が勝った。

 だから、アキッレもジェラールを咎めない。


「私たちにあれを御するのは不可能でしょう」

「そう、だな……」

「しかし……それでもあれは人であります。無敵ではございますまい」

「何をする気だ、ジェラール」

「私は信心深い方ではありませんが……神に仇なす者を駆除するなら、専門家に頼めばいいのです。無詠唱魔法を使うのは、まさに神を軽んじている証拠」

「まさか……」


 その先をアキッレは言えなかった。

 ただただジェラールの焦点を失った仄暗い瞳を見るのみだった。

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