閑話:ユストゥス
アシャヴォルペ公爵、マイル・ユストゥス・デ・アシャヴォルペ。
彼を見た者は影で口を揃えてこう呼ぶ。
狂想公爵と。
彼は幼くして父を亡くし、アシャヴォルペ領を継いだ。
幼くして聡明だと呼ばれていた彼は、支持者たちの力を借りてアシャヴォルペ領を狙っていた親族たちの命をあっさりと奪い、その権力を確立していった。
しかし、ほどなくして支持者たちも気付く。
彼が聡明などではなく、傍若無人な横暴者であるということに。
彼は自分の物を奪われることに我慢がならない。
自分が欲しいものを手に入れられないことに我慢がならない。
亡くなった父に危険視されていたことに気付いた彼は、その狂気をできる限り内に仕舞い込んで耐えた。
だが、その安全装置であった父はもういない。
アシャヴォルペ領のすべてを差配できる立場になった彼を止める者はいなかった。
逆らった者は殺す。気に食わない者は殺す。邪魔をする者は殺す。
彼は狡猾で自分の手では殺したりはしないし、もっぱら事故死や毒殺による病死を装ってきたため、表向き彼はひとりも殺していない。
そして、ユストゥスは自分に逆らわず、支持する者に褒美を出すことを厭わない。
彼にとって金など自領からいくらでも手に入る。執着するようなものでもないからだ。
こうして、アシャヴォルペとその周辺の貴族たちの歪んだ関係ができあがった。
狂気を孕みながらも、彼はその狂気をどこまで相手に押し通せるかということも理解している。
気に食わないからと王を殺せばどうなるかなどわかっているし、他の四大公爵を相手にしては共倒れになることも。
狂気の内にある冷徹な判断力。それが彼がここまで生き長らえさせた力であった。
しかし、それを見誤った。
王室会議で反論してきた会議の邪魔をする平民の子供を排除しようと、魔法を放ったところ実は貴族でしたと判明し、邪魔者排除の行動が一転、貴族に手を出した犯罪者として軟禁されている。
本来であれば地下の牢屋に入れられて沙汰を待つものだが、そこは四大公爵。貴族であったことを知らなかったという弁解や彼の支持者による擁護が通り、地下牢は避けられた。
しかし、王宮の一室に軟禁されているとはいえ、彼にとって不便極まりないことこの上なかった。
普段とは違い従者もおらず部屋も質素だ。
「父上」
そこに彼の息子であるケヴィンが扉を開けて部屋の中へと入ってくる。
捕まった親の様子を見に来たのだろう。
ユストゥスからすればようやく来たか、という心情だ。
「ケヴィン、あれからどうなった」
「エルフはリナルド王子の管轄ということになりました」
「ギッ!! 貴様、みすみすエルフの権利を手放したのか! 馬鹿が!! まったく……出たらすぐに抗議するぞ!! 必ず権利を奪うのだ!! それで! あの平民のガキどもはどうなった!!」
「おふたりはスパーダルドの養子として、王にも正式に認められています」
「ヴォルフのタヌキめがぁ……! 我を貶める機会を探っておったか!!」
「そして、モニカさんの方は勇者として叙勲が決まりました」
「ギィッ!?」
ユースティティアの鏡が光を示し、モニカは勇者として認識された。
スパーダルドからその報がもたらされ、王都はすでに湧いている。
王もその存在を認め、叙勲という流れになったのだ。
「何がどうなっておる! 勇者こそ我の手元にいるべき存在ではないか!! 世界はいったい何をしておる!」
ユストゥスが手元にあったものに当たり散らす。
しかし、その程度で怒りは収まらない。
「こうしてはおれん。ケヴィン、我を出す算段はもう定まったか」
「……いえ、まだ」
「ギィッ! 貴様、何をやっておるか!! いくら出しても構わん! さっさとこの豚小屋にも劣る部屋から出さんか!」
ケヴィンは目を瞑り、叱責を耐えている。
常に叱り続け、研鑽を積めと言い続けてきた。
ユストゥスの後継者として、相応しい振る舞いをしろと。
しかし、今の彼はどこか様子が違う。
「はい。ですので急ぎ領に戻り、使用可能な資金を調べてきたのですが……」
「ですが、なんだ」
「………」
「早く言わんか!!」
「……その時に我が領の資金の流れをすべて拝見しました。その中に使途不明金がありまして……」
ユストゥスはなおもケヴィンの言いたいことがわからない。
使途不明金など当たり前に存在する。
それを言い咎められたところで、ユストゥスからすれば自分の部屋に置いてある物を別の場所に動かした程度の認識でしかない。
「調べた結果、アルコバレーノ王国の第九特務魔法機関への出資が判明しています」
「ギッギッギッ!! だからどうしたというのだ! 確かに出資しておるわ!! 我らの魔法をファタリタで先んじさせるためにだ! 他国に金を流すなとでもいうのか?」
「軍経協商相手のアルコバレーノ王国相手ですから、そこは問題ではありません。問題は彼らの主な研究内容です。秘匿されていましたが……とある方から聞かせていただきました。彼らの研究内容は魂の交換と……」
「ギッ……!!」
栄華を極めた者が行き着く先のひとつ――不老不死。
その方策として、自身の魂と相手の魂を交換し、不死と成す伝説上の魔法。
荒唐無稽な研究だったが、ユストゥスにとって不老不死は喉から手が出るほどほしい。栄華を極めたなど言えない。もっともっと、欲望は果てしないのだ。
だからこそ、藁にも縋る気持ちで出資した。
「そして、魂を交換するには『現時点において血の繋がった者』が望ましいと」
「だからなんだというのだ……!」
「父上が……継承者として疎んじ、私を遠ざけ、後継者として育てないのは……つまり、そういうわけだったのですね。必要だったのは私の力ではなく、私の身体……」
そう。ユストゥスはケヴィンを自身の後継者と決めているが、アシャヴォルペの後継者とは考えていない。
ゆえに、彼はケヴィンの身体が傷付くことを嫌った。
閉じ込めてしまおうかとも考えたこともあったが、それでは肉体が衰えてしまうばかりで健常者からはかけ離れてしまう。
だから、ユストゥスはケヴィンを外に出しつつ、危険からは遠ざけるよう差配した。
傍にいれば聡いケヴィンが疎ましかったというのもある。
「だからどうした! 貴様は我の息子だ! 息子は親に尽くす義務がある!! 貴様は我の元で人形となっていれば良かったものを、余計な知恵までつけおって!!」
ユストゥスに息子を想う気持ちなど欠片もない。
すべては自分のためであり、血縁者であろうと誰であろうと他人は道具でしかないのだ。
それを聞いたケヴィンは拳を握り閉め、ギュッと耐えるように口を引き結んだ。
「残念です、父上……」
「何が残念だというのだ! 貴様の頭のことか!?」
「アシャヴォルペ領は私が継承し、父上を絶縁いたします」
「……な。何を言ってるのだ貴様アアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
ユストゥスの絶叫が響き渡る。
だが、ケヴィンはすでに決心したような目付きで父親に向き直った。
「父上が拘留され全権を失っている今だからできることです。今の貴方には何の権利も権限もありません」
「ギィィィィィィィィィッ!! ゆ、許さんぞ! 父を、我を裏切るのか! ケヴィン!!」
「父上は表舞台に出てきてはならない人間です。あまりにもおぞましい。魂の話を聞いたときは冗談としか思っていなかった。しかし、あなたの口から是と聞くことになるとは……」
「貴様が継承したところで他の者は認めんぞ!! 我々は運命共同体なのだ!! 内戦が起きる!! 考え直せ!! 考え直さんか!!」
「もう決めました。すでに王にもその許可をもらっています。周囲の貴族たちも、すぐには認められないでしょうが、少しずつ信用を得ていきます」
「ギィィィィィッッッッ! 許されるか、そんなこと! 我は、我はマイル・ユストゥス・デ・アシャヴォルペぞ!! 我の望みはすべてに優先するのだ!!」
填められた手枷が、バチバチと帯電する。
無理矢理魔法を使おうとして、手枷の方が反発を起こしたのだ。
「ぐっ……!」
「さようなら、父上。もう二度と会うこともないでしょう」
そして、ケヴィンは部屋から出て行く。
父親を一瞥することもせずに、後ろ手に扉を閉めた。
「おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれ!! 許さん! 絶対に絶対に絶対に絶対に許さんぞ!! させぬ! そんなことさせぬ!!」
激昂するユストゥスだったが、周囲にはすでに誰の気配もいない。
その言葉を聞いている者は――ただ、ひとりのみ。
「ギッ…………………………………………………………………………………!!」
突然、ユストゥスが黙り込む。
そして、彼はすぐに異変に気付いた。
喋れない。声が出せない。嘔吐くことすら……。
首に小さな傷がついていることなど、彼は気付きもしない。
だが、その目は前の空間が揺らぐのを捉えた。
歪みが閉じると同時に、黒い装束に身を包んだ細身の人間が立つ。
まるで暗殺者の出で立ち。目線だけは見えるが、ユストゥスの知らない者だ。
「…………………………………………………………………」
「声は出せないわよ。そういう場所に針を打ち付けたからね。そのうち戻るわ」
「……! …………! ……………………!」
「誰の差し金かって? 誰でもいいじゃないの。強いて言えばとあるお人好しの坊ちゃん、ってところかしらね」
「……………………! ……! …………! …………!」
「思ったよりも早く転職することになってさ。こっちの事情なんてお構いなしよ。元の雇い主も出世払いを回収してきてくれなんて言ってくるし。ま、こんなことどうでもいいわね」
「………………! ………! ………! ………………!」
「こっちはこれから勇者勲章の授与式やるから、あんたが邪魔を企んでないか様子を見て来てくれって言われただけでね。まったく甘い甘い。砂糖菓子みたいに甘いわ。ま、そんなやり方でどこまで行けるのか見てみたかったのはあたしだけど」
そう言いながら、彼女は黒い短刀を手にする。
黒光りするそれは、彼女が本業――暗殺者だった時代に使っていた代物だ。
それを見て、ユストゥスは冷や汗を掻く。
短刀が自分の目に近づき、自分の顔が薄らと映るだけで首を切り取られた感覚に陥った。
「でもねぇ……。アンタの評判やさっきの会話を見てても、おぞましいったらありゃしないわ。セッテントリオナーレにはあんたみたいのがごろごろいたけど。やっぱり死んだ方がいい人間はいるのよね。更生不可能な、人に絶望しか振り撒かない悪夢って」
「!!」
「あたしは別に人を殺すことが趣味なわけではないけど、少し考えるのよね。人を殺すことで人の世の安寧は保たれることもあるんだろうって」
「…………!!」
「で、あんたはその死んだ方がいいリストに入っているわけ」
ユストゥスは逃げることもできない。
すでに声どころか身体を動かすことすらできなかった。
死の気配が、自分を纏っていると実感してしまう。
ただただ、目から涙が零れる感覚がわかるだけだ。
そして――。
「じゃあね」
短剣が一閃。
黒い光が微かに煌めく。
ユストゥスの首に一本の赤い線が浮かび上がった。
「……昔ならそのまま首が飛んで血飛沫を上げて、あんたはただの肉塊になってたわ。でも、この程度にしておいてあげる。坊ちゃんに殺しはするなと厳命されてるからね」
「………………………」
「でも、もうあなたが表舞台に上がることは決してない。もし出てきてみなさい。貴方にとっておきの惨たらしい苦痛を与えてあげる。暗殺者は人がどこをどうしたら死ぬかを知っている。逆に言えば死なずに苦痛だけを与える方法も知っているの」
そして、ユストゥスの眼前の空間が歪み、彼女はすうっと気配ごと消えていく。
「貴方の影に私は常にいる。貴方の生殺与奪は私が握っていることを、一生涯忘れないことね」
すべてが元通りの部屋になって、静寂な気配が戻った。
まだ喋ることはできない。しかし、身体は動く。
すぐに部屋の隅に置いてあった鏡で自分の身を確かめると、その首には一本の赤い筋ができていた。幻などではない。
ユストゥスは聞いたことがあった。
セッテントリオナーレの死神。千年以上も昔から名前が様々な歴史書に記されている伝説の暗殺者。
狙われた者は、まず生存不可能とされる恐怖の象徴。
この日以降、彼はこれまで狂想公爵と呼ばれていたことが嘘だったかのように大人しくなり……地下牢への収監を自ら申し出た。
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