ジラッファンナの老翁
お父さんとお母さんが王都まで来るのはまだ時間がかかる。
王室会議の方も一旦休止となり、僕らは少し暇ができてしまった。
とはいえ、今のうちにできることはしておきたい。
「ロモロ。お主が貴族だったとはな。驚きだった」
「いえ、リナルド様。この件に関してはまた色々とあるので……。ある程度、決まり次第、話します」
勇者だなんだ、その話もしなきゃいけないだろうしね。
未来云々に関してはお姉ちゃんと相談して決めよう。
どっちにしろ、僕とカストの計画のためには、話す必要は出てくるんだけど。
「どちらでも構わないさ。私としてはロモロが貴族である方が煩わしくなくて済む」
「何かあったんですか?」
「王宮に戻ったらエルフの件で甘い汁を吸おうとよからぬ連中が集ってきてな。相談役を平民の子供であるロモロの代わりに、うちの子供をと来た。それがロモロがスパーダルド家の養子とわかるやいなや、何も言わなくなってきたからな」
そんなことがあったのか。
とはいえ、僕が平民であることはリナルド様の隙ではあったからね。
解消されたならよかったことではある。
「それはご迷惑をおかけしました」
「迷惑などではない。むしろ、溜飲が下がったからな。今まで無視してきた貴族たちをあしらうのは存外気分がよかった。これもすべてロモロのおかげだ」
「いえ、リナルド様がこれまで耐えてきたからですよ」
「謙遜しないでもいい。何かしてほしいことを言ってくれれば、こっちとしても報いることができて肩の荷が下りるんだがな」
「いえ、今回はこうしてお願いを聞いてもらっていますから」
「これは私にとってはどうってこともない。こうしてロモロに頼られる方が嬉しいよ」
「さすがに僕ひとりだと断られる可能性もあったので」
「それにしてもジラッファンナ公爵に会いに行きたいとは……物好きだな」
今僕らが馬車で向かっているのは、王都に構えられたジラッファンナの邸宅だ。
正直、前時間軸においてジラッファンナとお姉ちゃんの関わりはファム様以外薄い。ファム様とも敵対していたわけでそもそも薄いのだけど……。
だから、これが必要なことかはわからなかった。
でも、恩を売っておいて悪いことはないだろう。
「エルフについての協議や根回しをしに行くわけではないのだろう?」
「すいません。それとは別件です。リナルド様の部下としては、そうする方が正しいんでしょうけど……」
「いいさ。すべて任せる。そういえばロモロはジラッファンナに奴隷として売られそうになったらしいな。その文句でも言いに行くのか?」
「いや、さすがにそれは……もう終わったことですし、あれは別にジラッファンナが悪いわけでもないですし」
「だが、ジラッファンナの奴隷制が遠因ではある。思うところはあるのではないか?」
「奴隷について今は触れませんよ」
奴隷制というのを止めるのは難しい。
奴隷制がある中で奴隷は財産であり、既得権益だ。
力を持つ者が財産を諦めるには、それ相応の理由が必要になる。
「リナルド様は奴隷制に反対ですか?」
「ロモロは違うのか? 確かにアレハ教の聖書では特に禁止している記述はないが……」
「反対ですよ。倫理的な面ももちろんありますが、奴隷制は付け入られる隙になります」
「というと?」
「人として普通に生きるという意識が高まれば奴隷たちは今の状況に疑問を抱きます。そんな奴隷たちが苦しむ地域に行って、奴隷はすべて解放するから味方になれと言ったらどうです? 奴隷たちは喜んで力になってくれますよ。味方になってくれなくても動揺は広がるでしょう」
「……城攻めの時には効果絶大かもしれないな」
「中から門を開けるだけで城攻めは容易になりますからね」
とはいえ、そんな上手くいくとも限らないし、そもそも中から城門を開けるのだって奴隷に限らない。買収した敵兵に開けさせるという方法だってあるわけだしね。
奴隷制の本質は搾取と人権抑圧だ。ただ、奴隷だって多種多様な者がいる。
売られて理不尽に奴隷を強いられている者もいれば、犯罪者として奴隷に従事している者もいる。
それに奴隷制をなくしたところで、自立意識が低ければ解放しても意味はない。
むしろ、主人が優しい場合は奴隷に恨まれることだってある。解放は庇護者を失ったという意識になってしまうのだ。
仮に解放が上手くいったとしても差別の温床になる。解放された奴隷たちに十全のサポートができる環境が整わないうちに、軽々しく触れるものではない。
「さて、到着したな。では行こうか、ロモロ」
「はい。よろしくお願いします」
そして僕らは馬車から降りて、ジラッファンナ館の門前に立った。
外から見るだけでも豪奢だったジラッファンナ館だが、内部はそれ以上に豪華だった。
壺やら絵画やら剣やら鎧やら僕にはわからない世界だ。
僕らはその中の一室に通され、少し待つとすぐに館の主がやってくる。
「お待たせしましたの。カリラ・ヴァスコ・デ・ジラッファンナ。ただいま、参上いたしました。リナルド様」
「ご足労、痛み入る。ヴァスコ卿」
「来ていただいたのはこちらじゃよ」
「いや。脚が悪いのに無理してもらっているからな」
相変わらずここに来る時は従者に支えられながらだった。
やはり相当、足が悪いようだ。
「それでさっそくですが、エルフの件の根回しですかな? 王室会議の議題を内輪で話すことは不敬だと思いますがね」
「いや、違う。実を言うと私からの用事があるわけではない」
「では、そこの平民……いや、貴族なのだったな。ロモロ、お主の方か」
「はい。私の方に用事があります。お手数ながら、お時間をいただきたく」
「何の用じゃ。お主が昔、攫われたという話は聞き及んでおるが、奴隷制を止めろなどとは言わんよな」
「貴族になったからと言ってヴァスコ様に奴隷制についての是非を問うのは、さすがに無遠慮だと認識しております」
するとヴァスコ様は不敵に笑う。
わかっているではないかというように。
「では何の用じゃ。こちらも暇ではない。早く用件を言うがいい」
「ヴァスコ様の足を治しに来ました」
するとヴァスコ様は訝しげな顔をする。
後ろにいる従者たちも、何を言ってるんだコイツは、という目で見てきた。
隣にいるリナルド様までそんな顔してなくてもいいのに……。
「……小僧、ワシのこの足を治せた医師は誰もおらん。神に縋ってマルイェムの教会から回復魔法の使い手まで呼び寄せたが、それでも痛みを消せたのは魔法をかけた一瞬だけだ。それを年端もいかぬお主が治せるとでも?」
「治せます」
「断言しおったな?」
「ファム様に予めおおよその症状を聞いてました。食欲不振から手足にしびれや麻痺が出るようになったと」
ファム様にヴァスコ様について聞きに言った時に、その話も耳にしたのだ。
傑物であることには間違いなく、ただ最近は手足が動かなくなってきていて、昔ほど精力的ではなくなったというところから流れで。
「ふん。ファムのやつめ。わざわざ身内の恥を晒すことはあるまいに」
「許してあげてください。ファム様はヴァスコ様を礼賛していたその拍子に話してしまっただけなので」
「別に構わんわ。どうせ、この身体のことはすでにほとんどの貴族が知っておるしの。ワシをよく思わん連中はもっと動けなくなって早く死ねとでも思っておるじゃろう。だが、そう簡単にくたばってたまるものかよ」
そして、ヴァスコ様は真剣な表情で僕を見る。
冷徹に、人を見定めるように。
「面白い。では、どう治すというんじゃ?」
「その前に、少し確かめさせてもらえませんか。膝を叩かせてもらいたいんですが」
「何をするのかと思えば……。まあ、いいじゃろう」
「ヴァスコ様!? こ、このような幼子の意見を聞くのですか?」
従者たちが慌てたように止めてかかる。
しかし、ヴァスコ様は首を振った。
「構わん。小僧は治せると断言した。そう言った以上、子供であろうと責任が伴い、失敗すればそれに付け込める。どうせ悪くなる一方じゃ。多少、悪くなるくらいで借りを作れるなら安い」
転んでもただでは起きない。
老獪な人は怖いね。しっかりと治療までの道筋を見せないと。
「一応言っておきますと、自分の思ったとおりだとしてもすぐには治せません。一ヶ月は様子を見てもらえると」
「ふん。もっともらしいことを言いおって。やるならさっさとやれ」
許可を得たので、僕はヴァスコ様の下に行き、その膝をこちらに向けてもらう。
僕はハンマーを取り出した。一度街に帰った時に都合してもらったものだ。
ヴァスコ様の従者がまたも止めにかかったが、すぐにヴァスコ様が制してくれた。
膝下の窪みをハンマーで叩く。
だが、反応しなかった。正常なら自然に足が跳ね上がる反応を見せるはずだ。
「ありがとうございました。検査は以上となります」
「何じゃ今のは……」
「ただの最終確認ですよ。検査でわかりましたが、ヴァスコ様の病気は脚気です」
「かっけ……じゃと? なんじゃそれは」
「身体に必要な一部栄養が足りていないと食欲不振になり、手足にしびれや麻痺が出ます。最終的には心不全……要するに心臓が役目を果たせなくなります、今のその症状と経過を聞くに脚気のせいです」
異世界の知識からわかったもので、これはビタミンB1不足で発生する代表的な病気。
しかし、この大陸ではまず罹患する者がいない。ビタミンB1は小麦で補えるからだ。
パンを日常的に食べていれば怖れるものではない。長期間の航海でもするなら別だが、ヴァスコ様はそうではないし一般的に貴族がなる病気でもない。
神経障害や筋萎縮性側索硬化症という可能性もあるが、ファム様の話からすれば脚気が妥当だろう。
「ヴァスコ様、もしかしてパンを食べてないんですか? お嫌いですか?」
「なぜ、それを……。パンは固くての。年老いて噛み千切れなくなったわ。それで食べなくなった」
「肉も食べてないんじゃないですか?」
「……当たりじゃ。臭みがキツい。美味くもない」
「野菜もほとんど食べてないのでは。特定の果物ばかり食べてませんか?」
無言だった。
恥じるように目を逸らす。なんだか可愛らしい反応だ。
「ワインばっかり飲んでますか?」
「……なぜわかる」
「脚気はそういう症状だからです。アルコールは必要な栄養素を不足させますので」
僕は立ち上がり、元の席に戻る。
「パン、豚肉、野菜を無理してでも食べてください。野菜はできれば生がいいです。加工しても問題ないですが、あまり水に漬けすぎたりしないようお願いします」
「それで他には?」
「それだけです」
「……は? それだけでいいのか?」
「今言った食材にはその脚気を治すための栄養素が備わっています。しばらくすれば治りますよ。治らなかったら、僕の身柄を好きにしてもらって結構です」
「待て」
ヴァスコ様はこちらを厳しく睨んでくる。
何か気に触ることを言っただろうか。
「お主は確信すらしてるようだが……仮に治るとしよう。しかし、小僧。なぜワシにそれを教える? お主のメリットは何だ? エルフについて配慮しろということか?」
「エルフについてはそうしてもらえるとありがたいですが……でも、仮にエルフについてお願いしても、ヴァスコ様は承知しないでしょう? それに治るまでの時間もかかりすぎて、王室会議での譲歩の交換条件とするには間に合いません」
「では、なぜ?」
「僕はあなたの病気を知っていて、治す術も知っていました。だからです」
「……答えになっておらんようだが?」
「苦しんでいる人を助けられるのに、それを見て見ぬ振りができないだけですよ」
「くっ……カッカッカッカ!! それで見返りを求めんか! 面白い小僧じゃのう!! 気に入った!! 気に入ったぞ!!」
上機嫌に笑うヴァスコ様。
従者の人たちも戸惑っている。
「一ヶ月は言われた通り、様子を見るとしようぞ。話はその後じゃ。王室会議では容赦せんぞ」
こうして突発的なジラッファンナ訪問は終わった。
こういうの、敵に塩を送るって言うんだっけ。
「それにしても、ロモロは医学の心得まであるのか?」
帰りの馬車の中でリナルド様がそんなことを不思議そうに聞いてくる。
「いえ、これは知っていただけで、私自身が学んだ詳細な医学の知識はありません」
「それにしては検査や治し方も心得ていたようだが?」
「……僕の街にはすごく優秀な薬師の人がいましたから」
ゾーエ婆さん、ゴメン。今度、お土産持っていくから、今は言い訳になってほしい。
ヴェネランダさんといい知り合いを言い訳に使うのはよくないことなんだけど……。
「それとリナルド様。すいませんが、王宮に戻ったら作りたいものがあるので、ちょっと付き合ってもらっていいですか?」
「む? 別に構わないが、スパーダルドの方ではダメなのか?」
「エルフの技術に関わる問題なので、できればリナルド様とだけがいいですね」
「いいだろう。それにしても、何を作るつもりなのだ?」
「ヴァルカ様を納得させる一押しのための代物です」
リナルド様が訝しげな顔をする。
エルフの集落に行ったときに教えてもらった魔法、試したくてしかたなかったけど、ようやくできる。
まだほとんど試せてないけど、非常に有用性の高い魔法で僕はワクワクしていた。
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