勇者の苦悩

 まだお姉ちゃんが伏せっていたので、僕は様子見がてら看病している部屋まで案内してもらった。

 ノックをすると、ベルタ様の声が聞こえてくる。

 確認をしてから僕は部屋の中に入った。

 中では大きなベッドの傍らにベルタ様が座っている。お姉ちゃんの汗を拭いたり、看病をしていたようだった。


「お姉ちゃんはどうでしょう……?」

「魔力切れで力を使い果たしただけだと思います。じきに目を覚ますでしょう」

「そうですか。よかった……」


 お姉ちゃんを見ると普通に寝ている。特に外から異常は見られない。

 するとベルタ様は立ち上がり、僕に椅子を勧めてきた。


「どうぞ」

「い、いえ……」

「私は少々、席を外したく。大変申し訳ありませんが、モニカ様を見ていただけますでしょうか?」


 そういうことならと納得しそうになったが、もしかしてこちらの意図を察して気を利かせてくれてるんだろうか。

 僕が聞き返す前に、ベルタ様は「よろしくお願いします」と言ってそそくさと部屋を出て行ってしまった。

 部屋には僕とお姉ちゃんだけが残される。

 さて……。


「……起きてるでしょ、お姉ちゃん」

「なんでわかったの」

「お姉ちゃん、寝相悪いし。ホントに寝てたら身体が変な方向に向いてるはずだし」

「ひどいなぁ……。でも、なんか起きるのが怠いのは事実だよ」

「魔力切れになったなら当然だよ」


 実際、いつものお姉ちゃんと違って本当に元気がない。

 今回のことはかなり堪えているようだ。


「ベルタ様もたぶん気付いてたよ。だから気を遣ってくれたんだと思う」

「そっか……。色んな人に迷惑かけちゃったね」


 溜め息までついている。

 それでも平静には戻っているようだ。

 すると、お姉ちゃんは何か言いたそうにこちらを見てくる。


「怒らないの?」

「何を」

「勝手に激怒して、反撃しようとしたこと」

「そもそも相手の性格を読み切れずに攻撃を誘発しちゃったのは僕だし、ちゃんと僕を守ってくれたじゃん。それに、お姉ちゃんの気持ちは……軽々しく理解できるとは言えないけど、行動に納得はしてるよ」


 ユストゥスは前のお姉ちゃんの時間軸では、絶望を振り撒いた人間だ。

 それも自分以外にまで。

 ファム様やヘルはその被害が自分だけだったからまだ耐えられたのだろう。

 むしろ、お姉ちゃんは自分以外を傷付けられる方が心苦しいはずだ。


「全部問題ないからね。ユストゥスもひとまず捕まってるし」

「でも……」

「それにヴォルフ様も僕らを守ってくれた。あとで説明するけど、これからちょっと色々と前倒しになるよ。お姉ちゃんの望んだ通りの流れになってるけどね」


 だが、お姉ちゃんは話が耳に入っていないようだ。

 それよりも気になることがあるかのように上の空である。


「……いいの?」

「何が」

「あたしは……あんな風に暴れようとして、勇者として相応しくないんじゃないかって」

「まあ、お姉ちゃんに勇者なんて似合わないし。前にも言ったけど」


 軽口のつもりだったのだけど、お姉ちゃんは真面目に取ってしまったのか、憂いを帯びた表情を浮かべる。


「お姉ちゃん。言ってなかったけどさ。僕はお姉ちゃんが見て来たユストゥスの所業の一端をたぶん見てるんだよね」

「どういうこと?」

「餓死寸前になった軍を引き返して、アンティオコ・アルバーニって人が処刑されたことも。それから王城でユストゥスに侮辱されたことも」

「……それ話したことあったっけ」

「夢で見たよ。前にもあったじゃん。黒騎士の時のことを夢で見たって」


 すると、お姉ちゃんは「そういえば……」と気のない返事をした。


「ひっついてると夢を見るのかもしれないね」

「あんまり見ないでほしいな……。正直、ロモロには見せたくないものばっかりだよ。勇者になってからの話は」

「それでも僕は知れてよかったと思ってるよ。そうでなかったら、今回のことでみっともなく混乱してたはずだから」


 そして僕は服の中からワールドルーツを取り出した。

 持ってきておいてよかったよ。


「何それ?」

「ワールドルーツって凄い本だよ。これでだいたいの歴史が僕にはわかってる。お姉ちゃんが過ごしてきた歴史が輪郭だけね」


 ワールドルーツを起動すると、ページが千切れたように舞い、紙が円柱状になっていく。

 見るたびに思うけど演出過多だと思う。歴史書にこんな機能いらないと思うんだよね。


「な、何これ……」

「王学書庫で見つけた神器、かな。所持者の知覚する範囲で歴史を記す本だね」

「こんなものどうやって……」

「まあ、色々とね。話せる時が来たら話すよ」


 そして僕は円柱を回し、お姉ちゃんに目的のページを見せる。

 それは件の敗北からお姉ちゃんの処刑までの過程だ。


「私が覚えていることまんまだ……。この敗北も、この敗北も、これも、これも……」

「僕はこの歴史を感覚でしかわかってなかったけど、お姉ちゃんの夢のおかげで一部は正しく見えてきたんだよ」

「………」

「それで、多少は理解できたつもりなんだ。お姉ちゃんの……絶望を」

「知ってほしくなかったな……」

「巻き込んでおいてそれはないよ。この絶望を知らなかったら、僕はまだ楽観的に考えてたかもしれないからね。実際、ユストゥスの狂気を甘く見ていたし」


 すると、お姉ちゃんはゆっくりと身体を起こした。

 そして、じっと僕の顔を見つめてくる。


「学校に来てからね。ロモロを巻き込んだことを少し後悔してたんだ」

「なんで? 今更?」

「ロモロに絶望を味合わせたくなかったから。もちろん絶望を避けるためにロモロを頼ったけど、もしかしたら何も変わらないんじゃないかって」

「今、結構変わってるのに?」

「大きな力を持ってても、何も変わらなかった。あたしも餓死に見舞われた時の夢を見たけど……あの時ほど後悔したことなかったから。イヴレーア元帥に止められたけど、あの時あいつを斬っておけばって……」


 そんなお姉ちゃんの言葉に、僕は大きく首を振る。


「それは違うよ」

「なんで……」

「僕だってあの場にいれば止めた。さっき魔法を止めた時にも言ったけど、人を殺して解決するのは短絡的だからだよ」


 実際のところ、国という単位で見れば腐敗した者たちを粛清することで、大きく改善されることはある。

 ただし、それは一度切りの禁じ手であって、二回三回と繰り返すのは結局、滅亡を招くことになるからだ。

 それにやらなくて済むなら、その方がいい。


 第一、これは国の話であって個人の話じゃない。

 如何にお姉ちゃんが怒ろうとも、それを刃にして人を襲っても何も解決しないからだ。

 誰もが納得する大義が必要だけど、個人の感情だけでは残念ながらそれがない。


「斬っても何も変わらないよ。お姉ちゃんが捕まって、それから国が混乱するか、ろくでもない後釜が座るかだよ」

「そう、なのかな……」

「イヴレーア元帥って人もだから止めたんだよ。でも、もし、やるのであれば計画的にやるべきだったんじゃないかな。軍部すべてを味方につけてクーデターとかね。どっちにしろ、その後の混乱を避けるためにも根回しは絶対必要だ」

「……考えもしなかったよ」

「得体の知れない大きな力に立ち向かうには、それなりの力が必要だから」


 ワールドルーツを解くと、円柱状だった紙たちは本へと舞い戻っていく。

 そして何の変哲もない本に戻った。


「お姉ちゃんにこの際言っておくけど」

「……何?」

「僕はお姉ちゃんを人間相手に戦わせるつもりはないよ」

「でも、それじゃ戦争が起こったら――」

「僕が戦争を全部止める。もちろん力を示す必要は出てくるけど、その力を害獣やモンスター以外には向けない。平和を保つためには戦争に備えろって言うしね」

「そんなこと、本気で言ってるの……? 戦わずになんて無理だよ……」

「無理じゃない。まだまだ力不足だけど、そのための知識や力は手に入れてきたつもりだし、これからも僕は強くなっていく。僕の理想は、お姉ちゃんを戦わせずに勇者として象徴の存在になってもらうことだから」

「象徴?」

「ここには勇者がいるぞって、そういう抑止力と言ってもいいかな」


 戦争がなぜ起こるのかといえば、逆説的ではあるが、それが自国の平和に繋がると信じているからだ。

 領土、民族、宗教、資源、政治……原因は様々だが、戦争で自国の問題を解決できることはある。そして、問題を解決することで平和にはなるのだ。

 もちろん勝てばの話だし、その過程で犠牲は出てしまう。

 それに負けた側だって恨みを忘れない。新たな戦争の火種にだってなる。

 だから一番いいのは、戦争を起こさないことなのは間違いない。


「どう足掻いても問題解決ができない、もっと状況が悪くなるだけだと最初から相手側全員に思わせておけば戦争は起きない。自棄になっても無理だ、と錯覚させればね」

「あたしは……よくわからないよ。戦争なんてどうして起きるのか。みんな悲しむだけなのに……」

「僕だって全部はわからないよ。今言ったのは理想論でしかない。でも、お姉ちゃんが無理にやりたくないことをやらなくてもいいんだよ。僕にできないことをお姉ちゃんがやってくれるように、お姉ちゃんにできないことは僕がやる」

「ロモロ……」

「無理しないでいいからね。今の世界はお姉ちゃんが歩んできた歴史とはもう違うんだから」


 すると、お姉ちゃんの目からポロポロと涙が零れ落ちてくる。


「もう、いいの?」

「気を張らなくてもいいからね。お姉ちゃんが頑張った分、今回は僕が頑張るよ」

「ロモロぉ!!」


 毛布を撥ね除け、お姉ちゃんが抱き付いてきた。


 そして、お姉ちゃんは堰を切ったようにしばらく泣き続ける。

 これはきっと、前時間軸で切り捨てられてきた感情によって戒められていた涙だ。

 昔の分を、今回くらいは思う存分、流してほしい。

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