勇者の夢:飢餓という経験

 陣地内に死臭が蔓延している。

 兵士たちは誰も立ち上がる元気もなく、見張りすら立っていない。

 陣地としてはすでに用を為していなかった。


 陣地中央の天幕では、怒声が響いていた。

 中にはモニカや壮年の軍団長や軍の幕僚たちがいる。

 彼らも兵士ほどではないが、顔がやつれていた。


「撤退するべきだよ! 食料が届かないのに、ここを維持できるわけがない!」

「しかし、国王の命令は維持、死守です。せっかく作った橋頭堡を捨てるわけにはいかないと」

「そもそも食料を送ってくるはずのスパーダルドは何をしてるんですか? 貴方の家ですよ、勇者様」


 モニカは幕僚たちの言葉に反論できなかった。

 国王による魔族への反撃作戦の布告が発布され、国中から兵士や食料が集められ、王都を進発。

 途中、魔族との戦闘で多大な犠牲もあったが、モニカの魔法で押し返し、その地域から魔族を追い出す。

 それから橋頭保を築くことに成功した。


 しかし、進発以降、届けられるはずだった食料が一向に届かない。

 敵地へ侵攻した時、糧食はその地からの徴発、略奪が主だが、モニカはそれを許さなかった。

 もっとも、それ以前の問題で魔族の侵略した地に食料など残っていないのだが……。


「こんな状態で魔族たちに攻められたらどうしようもないじゃない!」

「それは……貴方の役目です。勇者様」


 モニカや幕僚たちは残り少ない食料の中でも優先して回してもらっている。

 だが、十分ではない。

 軍隊は胃袋で動く等と言われるように、軍の兵士に必要な糧食は平時と比べるとかなり多い。

 しかし、今は配給を切り詰めており、一日に兵士は粗末な一食、幕僚たちはそれなりの一食程度だ。

 モニカとて勇者の力を持つといっても、人体の構造は普通の人間と変わらない。

 生命活動に必要なものを取り入れなければ力を発揮できなかった。


「巡回に出ます!」


 納得できず怒り心頭のままモニカは天幕を出る。

 そこには見慣れた顔――巡回から帰ってきたらしいケヴィンが戻ってきていた。

 本来であれば幕僚のひとりであるケヴィンがやる仕事でもないし、モニカがやるべきことでもない。

 しかし、もはや動くことすら困難になりつつある兵では問題を見逃しかねないため、余裕のある者がこなしていた。


「モニカさん。……やっぱりダメでしたか?」

「話にならない。もう戦えないのに守れだって」

「きっとモニカさんの力を期待してるんですよ。勇者としての力を……」

「そんなのより、今は食料を作り出す力がほしかったな。ケヴィンさん、マナから食料を作り出す魔法とかって知らない?」

「遙か昔はあったという話もありますが、伝説の類ですね。どうすればいいのか見当もつきません」


 モニカは大きく溜め息を吐く。

 周囲を見渡しても、一部の兵士はもう立つことすら難しそうにしていた。

 食料もない。水もない。なぜここに留まっているのかと、訝しむ兵士も多いだろう。


「せめて水源さえ確保できればよかったんですけどね。そうすれば多少はマシだったでしょうが……」

「汚染されてるから仕方ないよ。あの水、飲んだらどうなるかわからないし……。せめて一部隊戻して食料と水を確保させられれば……」

「それで戻したら逃亡されましたから、アルバーニ元帥も慎重になっているんでしょう。真っ当な水はかなり遠くまでいかないとありません」


 スパーダルド北方の鉱脈がランチャレオネの手に渡ってから、山から下りてくる水が赤錆色に染まっていた。

 以来、スパーダルド領を北から南に貫く最も大きな川は生活用水としては使い物になっていない。

 魔族に攻め取られてからしばらく見ていなかったが、赤錆色はさらに濃くなっている。


「ケヴィンさん、ここから巻き返す秘策とかない?」

「残念ながら、もはや手遅れです。もしや魔族はこれを察して攻めて来ないのではと思っています」

「どういうこと?」

「食料が来ないことも、水源から遠くに陣地を張ったことも知っていて、自滅するのを待っていたということです」

「魔族ってそんな知能持ってるのかな」

「……わかりません。わからないことだらけですので」


 ふたりして肩を落とす。

 そこに陣地へと走って近づく者が見えた。

 彼は見張りが動けないのを尻目に陣地の中へ入り、天幕へと向かってくる。

 モニカとケヴィンも何事かと天幕の中へ入った。


「あ、アシャヴォルペによって、スパーダルドの南方が制圧され……穀倉地帯を奪ったと……」


 最悪なタイミングで最悪の伝令だ。

 モニカも幕僚たちも何も言えなかった。ケヴィン自身も自分の領地のことだというのに、顔に疑問符を浮かべている。

 国として一丸となって魔族に立ち向かい、さらに敵対してきた大陸中の国に協力を要請している中、なぜファタリタ国内で内輪もめをしているのか。


「なんで!? ヴァルカ兄様は何をしているの!?」

「わ、わかりません、勇者様……。私はただ、事実を伝えなければと……」

「モニカさん。伝令を問い詰めても意味がありません……。私の方でも何があったのか確認をしてみますが……」


 それから矢継ぎ早に伝令がやって来るが、食料は一向にやって来ない。

 そして、その内容も耳を疑うものばかりだ。


「こちらに輸送する予定だった食料をアシャヴォルペが奪ったと……」

「なんでもアシャヴォルペが生産する小麦は、力が湧くようになると……」

「そちらを届ける予定とのことで……」


 こうしている間にも、兵士たちが次々と倒れていく。

 泥水を飲み身体を壊し、木の根を食べて動けなくなり、野草を食べて毒となり、ネズミを食べて血を吐き……。

 すでに軍の体を成していなかった。


 それでも、王命に逆らうことはできないというのが幕僚たちの考えだった。

 ここは魔族を食い止め、反撃をするための人類希望の地なのだと。

 この使命感だけが唯一、幕僚や兵士たちの気力をギリギリで繋ぎ止めている。

 だが――。


「アシャヴォルペの実験により、穀倉地帯が一夜で荒廃化したようです……」


 軍の食料を届けるどころか、今後十数年に亘る人類の食料、その大半が喪失。

 このことでアシャヴォルペ公爵の後継者でもあるケヴィンは、詳細を確かめよという軍の命令を受け、陣地から去ることになる。ただ、これは表向きの話だ。

 ケヴィンに向けられる目は一層厳しくなり、命の危険すらあったため、ケヴィンをこの地から強制的に去らせたのである。


 そして、ケヴィンが去り、時を同じくして――兵同士で殺人未遂が発生した。

 原因は餓死において、最も懸念され、忌避される行為だった。


「こいつは足手纏いだ! 俺たちのためになってもらうしかねぇじゃねぇか!」

「俺たちは水が飲みてぇんだよ! 食べ物が食べたいんだよ!」


 意味するところは最悪の禁忌。

 だというのに、兵士たちは捕まった彼に同情的な視線を向けていた。

 心理的にも限界で、人としての倫理すら失われつつある。


 この事件を機に幕僚たちは、ついに王命に逆らい撤退することを決意。

 撤退は夜間のうちに行われ、動ける者が動けない者を背負い、長い時間歩くこととなる。その間にも何百人もの落伍者が出た。

 怒濤の如く押し寄せてきた魔族を多大な犠牲によって打ち払い、人々に希望を与えた地は虚しく打ち棄てられることとなる。



 王城へ帰還し、モニカたちが報告をしに上がった時、元第二王子、現国王アキッレ・ディ・ファタリタとアシャヴォルペ公爵ユストゥスが待っていた。

 現国王アキッレの腹は王都を進発した時に見た姿よりも、さらに膨れ上がっていた。


「橋頭堡を失ったとは無能どもめ! アンティオコ・アルバーニ。貴様は処刑だ!」

「そんな! 待ってください!」

「発言を認めた覚えはないぞ、勇者。無能がいては軍は立ち行かない。速やかに刑場へ連行し、殺せ。首を刎ねた後は街に晒して、魔族と戦うことなく敗北した人類の戦犯とでも立て看板に書いておけ。住人たちの溜飲も下がることだろう」

「せ、戦犯……?」

「貴様ら軍には国民たちが飢える中、充分な食料を渡してやったはずだ。食えるだけマシだというのに、何が食料が足りないだ。恥を知れ」


 この国王は狂っている。しかし、モニカは何もできない。

 力があるといっても、ここで彼らをどうにかしたところで事態は好転しない。

 国王がおかしくてもなぜか彼を支持している貴族が大半であり、彼を殺せばそのまま報復合戦となり、内戦に突入してしまうのだと常々言われていた。

 さらなる混乱を起こすだけだと。

 自分では、力だけでは、国という巨大な組織は変えられない。どれだけ規格外の魔法でも、この事態を収束できないことにモニカは悔しそうに唇を噛む。


「ギッギッギッギッギッ。それがよろしいかと。食料がない程度で負けるなど、敢闘精神が足りん。軟弱にもほどがある。ケヴィンなどに任せず、面倒くさがらずに我が出張ればよかったわ」


 あまりの発言に、モニカは愕然とする。

 こいつらは食料がないことを何だと思っているのか。

 そもそも食料が届かなくなった原因を作ったのは誰だ。この男はそれ自体、わかっていない節があった。


「まあ、ケヴィンには我を継ぐという最後の仕事がようやくできたのでな。五体満足で戻ってきてホッとしたわ」


 モニカはすでに戦争で何人もの敵兵を斬り殺してきている。

 殺意があったわけではなかった。立ち塞がる敵を斬ってきただけで、好んで斬ってきたわけではない。できる限り殺さずに振る舞ってきたつもりだ。逃げる敵を追いかけたりもしていない。

 ただ……この時初めて、自分の意思で、殺意をもって、人を斬り殺したいと思った。

 モニカの目からすっと光が消える。


 ――こいつらは人間ですらない――畜生にも劣る虫けらだ――いや、虫けらという表現ですら生温い――ならば斬り殺すのに、何の躊躇いもいらないはず――!


 モニカが剣に手をかけようとする寸前に、隣に立つ老将軍がそっと掴む。


「……抑えよ、モニカ」

「イヴレーア元帥……」

「ここでやつを斬り殺したところでどうにもならん」


 モニカが軍に入ってからの最大の理解者に言われては、モニカも抑えるしかなかった。

 結局、第二元帥アンティオコ・アルバーニは即日処刑され、軍はさらなる人材不足に悩まされることとなる。

 王族とその側近たちの、軍への、そして魔族への無理解はさらに深まっていった。


 ――思えばこの時の敗戦を誰もが甘く見ていた。


 これ以降、人類は魔族に対して守勢に回り続けることとなる。

 すでに人類は滅亡へのカウントダウンを始めていた。


        ◆


「………」


 以前も似たような変な夢を見た。お姉ちゃんの前時間軸の夢。

 横を見ると、またもお姉ちゃんの顔があった。僕の身体とピッタリくっついている。

 でも、こうしていると夢を見るということなのかな……。前回もそうだったし。


「絶対……許さない……」


 だけど、前回と違って今回はまだお姉ちゃんは夢の中で苦しんだままだ。

 僕と同じ夢を見ていたのかどうかは……わからないけど。

 先ほど見た夢は、暇を見ては読んでいたワールドルーツにも書かれていた。

 ただ、ワールドルーツは事実を短く記載しているだけで、そうなった理由や原因などは書いていない。


 ファタリタ王国軍が魔族に打ち勝ち、橋頭保を築く。

 軍内部で殺人未遂が発生し、ファタリタ王国軍が橋頭保から撤退。


 支離滅裂だった歴史の輪郭がはっきりして、逆に寒気がしてくる。

 たった二行で表された歴史は、お姉ちゃんの中で絶望として根付いていた。


「お姉ちゃん、起きて」


 肩を揺らすとすぐに起きてくれたが、悪夢を見ていたからか寝汗が異常だ。

 大丈夫なのかな……。


「大丈夫? お姉ちゃん」

「う、ん……どうしたの、ロモロ……」

「うなされてたから起こしたんだよ。変な夢でも見てたの?」

「……わかんない。なんか見てた気がするけど、忘れちゃった」


 本当に忘れたのか、あるいは誤魔化しているのかはわからない。夢を見てても起きたら直後に忘れるなんてよくあることだしね。

 それにあんまり言いたくない話なのは事実だろう。

 この集落に来た時言っていた『ロモロに話せるような内容じゃない』っていうのは、こういうことなのかもしれない。特に集落で餓死者が出かねなかった辺り、重ねててもおかしくないように思う。


「目が覚めちゃったし、身体動かしに行こうかな。ロモロも来る?」

「いや、今日は遠慮しておくよ」

「ちゃんと身体動かしておかなきゃダメだよ?」

「あとでニコーラと訓練するから……」


 納得したのか、お姉ちゃんは天幕から出ていった。

 改めて気付かされる。

 お姉ちゃんの前時間軸は、強烈な絶望の体験ということに。

 夢の中で見たような、軍隊が餓死寸前になったようなことは氷山の一角な気がする。


 類い希に見る凄惨な経験を経て、お姉ちゃんはこの時代に舞い戻った。

 人間同士の戦闘にだって駆り出されている。そこでお姉ちゃんは間違いなく人を斬ってきたはずだ。

 時折、そういう雰囲気を出してることもあるし、戦争とは人を斬らなきゃ自分がやられる。綺麗事ではないのも理解できた。


 ただ――お姉ちゃんに人殺しなどさせたくはない。

 だからこそ、戦争などという人類史における最悪な発明だろうとなんだろうと、僕はどんな手段を使ってでも、それを回避させなきゃならないのだ。

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