ランチャレオネの憂鬱
無事にヘルに勝利して、観客席はざわついていた。
「あの魔法陣は何?」「まさか平民が……」「神器相手に打ち勝つとは……」「ランチャレオネも落ちぶれたものだな」「……未だに信じられないわ」「夢か幻でも見ているの……?」「貴族の血を引いているのか?」「スパーダルドが後見しているだと……」
僕の知り合いたちはそんな驚いてはいない。喜んではいるけど。
ただ、上級生たちやその親御さんたちは信じられないものを見る目になっている。
平民というのは、つまりそういう立場なのだろうな。
「おめでとうロモロ! さすが、あたしを負かしただけのことはある! 自慢の弟だよ!」
観客席に戻り、スパーダルドの人たちがいるエリアに行くと、お姉ちゃんが真っ先に出迎えてくれた。
強く抱きしめて、頭を遠慮なく撫でてくる。髪がぐしゃぐしゃにされた。
「あのね……。お姉ちゃんは不慣れな武器の上に、魔法を使ってなかったじゃん」
「いや、でもやっぱりあの魔法陣はスゴいよ。ちょっと魔法陣のこと、過小評価してたかもね。あたしはできないし、ちょっと羨ましい」
でも、虚空魔法陣は無詠唱じゃないと使えないしなぁ。
詠唱魔法に光で線を引くみたいな魔法はない。
「いやー。さすが俺の息子だ! 強い強い。ヴェネランダよりも強いんじゃないか?」
「ロモロ! 怪我はない? 火傷は? あんな火で炙られて、なんともないの!?」
お父さんとお母さんの声のかけ方は対照的だ。
さすがにヴェネランダさんより強いはないと思う。あの人、底が知れないし。
お母さんは心配しすぎで、それに釣られたようにネルケが不安そうにしている。でも、泣いてない辺り強い子だ。
「神器のことを教えてくれたお父さんのおかげだよ。ありがとう」
「はっはっは。ま、たまには息子の役に立たないとな」
「それで神器のことなんだけど――」
そう口にするとあからさまにお父さんは「忘れてなかったか」と言わんばかりの苦笑いする。
時間もあるし、もう邪魔をするものはない……と思ったのだけど。
「さて。次はあたしの番だね。父さんも母さんもちゃんと見ててよ! ネルケもね!」
「おー。もちろん見てるぞ。なあ、ロモロ?」
話を逸らされた。
まあ、いいか。王武祭はまだまだ続くし。
実際、お姉ちゃんの試合も見ておきたいのも事実だ。
「……やり過ぎないようにね」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
今のお姉ちゃんなら大丈夫か。
ファム様と一緒にいることで、だいたいどのレベルで魔法を使っていいかの目安はわかってきたようだし。
お父さんたちの隣に座って、お姉ちゃんを見守ろうか。試合が始まるまで、もう少し時間があるから、またお父さんに話を聞いても……。
だが、どうしてもお父さんの話は聞けないらしい。ニコーラが近づいてきて、耳打ちしてきた。
「ロモロ様。客人が来たようです」
「僕に客? 誰?」
「……ランチャレオネ家、でございます」
もしかしてヘルとゲルド、ということか?
お礼参りってわけじゃないだろうけど……。
「会いたい、とのことで。断ることもできますが……いかがなさいますか? テアロミーナ様をお呼びして同席してもらっても構いませんが」
「いや、会おう。ゲルドがいるなら大丈夫じゃないかな。万一、拗れたらお願いするよ。喧嘩をするつもりはないけど、僕の言動に危険を感じたらニコーラが止めてほしい」
「承知致しました」
お父さんたちに断ってから、僕はニコーラと一緒に観客席の裏側――円周の通路となっている場所に出る。
そこには先ほど戦ったヘルと、そしてゲルド、そしてもうひとり――背の高い中年の男性が立っていた。
「お、遅いぞ、ロモロ! 我々を待たせるなど!」
ゲルドが少し慌てたように僕らを責める。
急いで来たんだけどな。ただ、彼にもそう言わざるを得ない理由があるのだろう。
ヘルは顔を逸らして、不機嫌そうに口を結んでいる。
「おめぇさんがロモロか。間近で見ると、やっぱりまだガキだな」
「初めまして。平民のロモロです。お目にかかれて光栄です。ランチャレオネ公爵閣下」
「おんや、オレの顔を知ってたのか?」
「いえ。しかし、ゲルドとヘルと一緒にいて、ゲルドたちの態度を見ていれば推察はできます」
ゲルドが謙って、ヘルでも逆らえない相手といったら、もうその上――父親であるランチャレオネ公爵しかいない。
白髪交じりの短髪に、しっかりと蓄えられた髭。
身体はうちのお父さんを一回り大きくしたくらいで、顔立ちからして初老に見えるが、雰囲気と体つきがそうは感じさせない。
眼光鋭く、顔の傷も相俟って、睨まれたらそれだけで金縛りに遭いそうだ。
「なるほどな。スパーダルドが好んでそうなイヤになるほど優秀な人間だ。改めて、ゼークト・スターリ・デ・ランチャレオネだ。よろしく頼む」
貴族とは思えないほどフランクにそう言って、彼はヘルに呆れた視線を向けた。
「それにしてもまったくよぉ。こっちはいきなり神器を送れとか言われて何かと思えば平民を甚振るためだったとはな。しかも、それで負けてちゃ世話がねぇ」
「ぐっ……」
ヘルの頭をバンバン叩く。
ヘルは何も言えないらしい。
以前のヘルは誰であろうと逆らうような気概を見せてたけど、やっぱり親は違うのか。あるいは多少、薬草による支配が抜けたのか。
「色々と話は聞いたぜ、ヘル。お前、ランチャレオネ家の継承権を賭けてたんだってな」
「なっ……」
「ゲルドを通じて、オノフリオから全部聞いてる。それにお前が怪しげな集会に行ってたこともな。ランチャレオネの次期当主として恥じないような行動を心がけよと口を酸っぱく言ってきたつもりなんだがな。学校に入って自主性を拡大解釈したか?」
「………」
そして、ランチャレオネ公爵は――僕に頭を下げた。
貴族が平民に頭を下げるとは……。
しかも、この人はただの貴族ではない。四大公爵家であるランチャレオネの長であり、貴族の代表とも言える人間だ。
「百パーセントこちらの落ち度だということはわかってる。だが、継承権放棄だけは勘弁しちゃもらえねぇか」
頭を下げられちゃ、もうどうしようもない気がする。
さすがに継承権放棄は無理か。ことはヘルやゲルドだけの問題ではない。彼らに与する関係者たちにとっても問題になるし、権力のバランスも崩れるだろう。
そうなればよくない結果になる可能性だってある。
答えを尋ねるようにニコーラの顔を見ると、小さく頷いた。
「もちろん百パーセントこっちに都合のいい話だということはわかってるんでな。だから時間をくれねぇか? 性根を叩き直して、数年後でもどうしようもねぇクズのままだったら継承権は放棄させる。その場合は地下牢に幽閉ぐらいはしておこう」
「……そういうことでしたら、話はわかりました」
「ありがてぇ! どっちにしろヘルがランチャレオネ公爵を継ぐとしても俺が死んだ後だ。俺はまだ三十年くらいは死ぬつもりもねぇし、隠居もするつもりはねぇからな。ガッハッハッハ!!」
感謝の意を示すように、僕の手を強く握ってきた。貴族とは思えないほど豪快な人である。
とはいえ、こちらとしてもヘルの性根が直ってお姉ちゃんの敵にさえならなければ充分だ。味方になってくれればなおいいけど。
ヘルはランチャレオネ当主――この人の死後、家の実権を握っている。
この人自身が言っているように、あと数年で死ぬようには思えないが……
何にせよ、ヘルが薬草の頸木から解き放たれたのであれば歴史は変わったはずだ。
ありがたいことにランチャレオネ当主の身体にも触れられたので、スターゲイザーで動きも掌握できる。盗み見は申し訳ないけど、いざという時の備えは必要だ。
ただ、継承権放棄を呑むにしても、ひとつだけ要求しなければならないことがあった。
「継承権の放棄に関しては取り下げます。ですが、それでしたら、こちらから要求があります」
「おう、言ってみろ。ただし、神器寄越せってのはナシだぞ」
「僕に槍を使う予定はないので……。僕の要求はただひとつです。いや、ふたつかな?」
「なんだ? やっぱり二本とも寄越せってか?」
「違います……。ヘルにはゲルドに謝ってほしいということと、二度とゲルドに対して暴行をしないと約束することです」
ゲルドが目を瞬かせている。
公爵様も首を傾げて、僕の言葉を理解するために脳内で反芻しているようだった。
「そりゃ、お前さんに何の得もないじゃないか」
「損得の問題じゃありません。ただ、僕は友人が理不尽に傷付くことを良しとしていない。そんな光景を見てると腹立たしくなる。それだけです」
「スパーダルドの後援だってのに、ランチャレオネ家の人間を友人と言うか! ガハハハハハハ!! 面白い! 面白いな!!」
何が面白いのか、僕にはわからないけど。
ニコーラは意味ありげに微笑を浮かべている。ニコーラも貴族だし、理解しているのだろうか。
「よし、いいだろう。ヘル。いいな? ゲルドに今この場で謝れ。そして、二度と暴行をするな。躾と称した軽い折檻も禁止。何かあればまたオノフリオに連絡をさせる。その時は継承権もないものと思え」
「……わかりました。父上」
「あ、兄上?」
「ゲルド、悪かった。さすがに俺がどうかしていた」
ちょっとビックリ。ヘルがここまで素直に謝るとは……。
やっぱり薬草の支配が薄れつつあるのかもしれない。
いや、それ以上に父親の権威が凄いのかもしれないけど。
「言い訳はしない。気に食わなければ俺を刺しても構わん」
「そ、そんなこと……! いたしません! わ、私は兄上についていければ充分です!」
「そう、か」
そして、ヘルは僕に向き直る。
「色々と世話をかけた。……こういう時は感謝するべきなのだろうな」
「いえ……」
「……ただ俺個人はやはりお前のことは好きになれん。次に戦うことがあれば、絶対に負けんからな。首を洗って待っていろ。今回の借りは覚えておくぞ」
そう言い残してヘルは僕らの前から去っていく。
「あ、兄上!? ま、待ってください! ……ロモロ! 俺も別にお前に負けたとは思ってないんだからな! 今回のことは礼を言うが、それとこれとは話が別だ!」
ゲルドもそんな素直じゃないことを言ってヘルについていった。
「まったく。素直じゃないやつらだ。親の顔が見てみてぇな」
あんただ、あんた――と思わず突っ込みそうになってしまった。危ない危ない。
「さて、俺も自分の席に戻るとするかね。その前にロモロ、お前、ランチャレオネ家の養子になるつもりはねーか?」
「えっ!?」
「スパーダルドに置いておくのは勿体ねぇ。うちに来てくれりゃ、優遇するぜ。神器も使い放題だ」
「お戯れを。ランチャレオネ公爵様、スパーダルド公爵様やテアロミーナ様を越えて、そんなことを言うのは問題になりますぞ」
「昔は散々好き勝手に暴れてたくせに堅ーな、ニコーラは。へいへい、わかってるよ。ま、頭の片隅でも考えておいてくれや」
そう言って手をひらひらさせながら、ランチャレオネ公爵も通路の向こう側に消えていく。
「あれは本気でしたな」
「うーん……。ちゃんと断っておくべきだったかな」
「向こうも隙があればという程度でしょう。とはいえ厄介な方に目を付けられたかもしれません」
「やっぱりスゴいの?」
「ランチャレオネ領を束ねられるのはあの方以外、おりますまい。ヘルがあれだけのことをしでかしても問題が表沙汰にならないのは、あの方のカリスマを怖れて、あるいは権威を慮ってのことです。冬季でも育つ野菜の発見や鍛冶への投資など、スパーダルドに追いつけ追い越せとやってきて、周囲の領も含めて発展させてきた方ですからな」
それでランチャレオネはスパーダルドへの当たりが強いのか。
「あの方はああいう性格で、目的を果たすためには手段を選ばないところがあります。スパーダルドの鉱山を狙って侵攻しようとしたことも何度かありましたからな。ヘル様やゲルド様は、父の姿を見てそれが悪い方向に出てしまったのかもしれません」
「スパーダルドの鉱山を?」
「ええ。特にランチャレオネ武具の品質は目覚ましいものがあるようですからな。スパーダルド鉱山の品質のいい鉄をもっと自由に使いたいのでしょう」
お姉ちゃんが言っていたヘルによるスパーダルドの鉱山侵攻はそれを継いだのか。
もしかして、この辺りの解決をした方がいいのかもしれないな。
でもまあ、話を聞いてくれるようになったのなら、どうにでもできるだろう。
「では我々も戻りましょう。そろそろモニカ様の試合が始まります」
「そうだね。……お姉ちゃんが勝ったら僕との試合か」
「私としては楽しみですがね」
気楽に言ってくれるなぁ。
席に戻り、僕は座ってお姉ちゃんが出てくるのを待つ。
「では、第二試合です! 先ほどのロモロと同じく、ファタリタ王立に初めて入った平民、スパーダルドが後援をするモニカです! なお、姉弟だそうです!」
またも周囲がざわめき始める。
入学前に情報は渡してると言っていたのだけど、皆お知らせを聞かないということなのだろうか。
あるいは王武祭に平民が出てくること自体に驚いているのか。
「あ、相手の人、強そうよ? モニカ、大丈夫なのかしら?」
「大丈夫だろ」「大丈夫だよ」
「アーロンならいざ知らずロモロまで……。何を根拠に」
「僕の場合はお姉ちゃんの強さは知ってるし」
「まあ、俺もそれなりに修羅場くぐってるからな。今日、モニカを見た時に、もう俺じゃ勝てねぇなって思ったからよ」
「お父さんはそういうの、わかるもんなの?」
「相手の強さを敏感に肌で感じ取れなきゃ、ハンター稼業は死ぬだけだぜ」
「そんなに強いのかしら……? わたしにはあの子が未だに街のガキ大将的な強さとしか思えないのだけど」
お母さんは心配性だ。
だけど、その杞憂もすぐに吹き飛ぶことになる。
「烈風よ、我に宿れ。〈ブラスカレスターレ〉」
一瞬で相手との距離を詰め、一閃。
攻撃は盾に阻まれたが、勢いは殺せていない。相手は壁際まで吹き飛んだ。
速くも試合は一方的になりそうな様相だった。
しかし――。
「風の刃よ、切り……」
お姉ちゃんが詠唱を止め、動きも即座に止める。
魔法で止められたわけではない。自分で止まった。
『マスター、
ニコーラも警戒するように上を見る。
お父さんもまたお母さんとネルケを抱き寄せて、何かに備えていた。
空が、暗い。
闘技場の上空から、闇の奔流が落ちてくる――。
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