魔法訓練

 ここ数日、寒かった気温が、さらにがくっと一気に下がった。

 外に出ていると凍えそうになる。

 しかし、外の気温などまったく関係のない人がいた。


「マナを通すのはすっごくよくなってきてるから、今日は少しマナに意思を乗せてみようか」

「……お姉ちゃん寒くないの?」


 この季節になったら、少し重ね着をするなどして防寒対策をするのに、お姉ちゃんは相変わらずの服装だ。

 お姉ちゃんは何を言ってるの? と言わんばかりの顔である。やっぱり勇者になる人は、体質からして一般人とは違うのかもしれない。


「こんな寒い日に外に出る必要あった?」

「意思を乗せたら、その時点でマナが光り始めるもの。誰も見てないところでやらなきゃダメだからね」

「お母さんに見られたらまずいもんね……。でも、外でやるには寒すぎるよ。せめて冬が終わってからにしない?」

「なんで?」


 話が通じなかった。僕もお姉ちゃんみたいに寒くならない身体がほしい。


「じゃ、意思の乗せ方を説明するね」

「そもそも意思を乗せるって何なの? そこから説明をお願いしたいんだけど」

「ここも感覚なんだよね」

「……じゃ、前みたいにお姉ちゃんがマナを流し込むようなことをやるわけ?」

「ううん。この段階になると、あたしが直接、力は貸せないんだよ」


 マナの呼びかけはそれでできるようになったけど、今度はそういった補助なしか。

 お姉ちゃんの説明でどこまでできるかなぁ。


「単純に方向性を決める感じ! 魔法を使いたい! から始まって、火の魔法を使おうかなーとか、水の魔法を使おうかなー、とか」

「大雑把すぎる!!」

「でも、そんな感じだし……」


 お姉ちゃんの取り込んだマナが、少しずつ光り、赤く染まっていく。

 それはお姉ちゃんの周囲を一頻り舞った後、消えていった。


「今のは火の魔法を使いたいなーって思ったんだよね。ここから想像をすると、思い描いた火の魔法が使えるの。今はただ熱を扱っただけだけどね」

「そもそも、意思を乗せる時点で想像もしてるんじゃないの?」

「この辺りが難しいところなんだよねぇ。でも、意思と想像は魔法学だと明確に区分けされてるって話なんだよ。バランス感覚も重要だし。意思を乗せてから詠唱もするし」

「なんというか、お姉ちゃんが教わった方法を覚えてないの? マナの呼びかけは独自でも、そこからは誰かしらに教わったんでしょ?」

「それはそうなんだけど……初日で使い方覚えちゃって、どう教わったのかあんまり覚えてないんだよね」

「そんなうろ覚えの教え方で訓練させられてるのか……」

「いいから、とにかくやってみて!」

「やってみても何も、意思の乗せ方は一度も説明されてないんだけど……」

「何度も何度も火の魔法を使いたいって繰り返し考えてれば、そのうちわかるんじゃないかな。マナの呼び掛けからの閃きに近いし。キュピーンッ! って理解できるはず!」


 そんな杜撰な説明を元に、マナに呼び掛け、魔法を使いたい、火の魔法を使いたいと念じていたが、その閃きとやらは一向に来なかった。

 こうも手応えがないと、本当に使えるのか不安以外の何物でもない。


「お姉ちゃんはどのぐらいかかったの?」

「え? すぐ上手くいったけど」


 もしかしたら、魔法においてお姉ちゃんは天才の部類に入るんじゃないだろうか。

 でも、そうだよね。勇者なのだとしたら、そうであってもおかしくない。

 問題は天才の真似をしろと言われても無理だということだ。天才の真似ができたら、世界はもっと違う形に変化してると思う。


「おーい、モニカ。そろそろ時間だよー!」


 フランカがお姉ちゃんを呼びにやってくる。

 今日の訓練の時間らしい。あれから本当にマメになったな。

 トーニオとか毎日のように疲労困憊で帰るみたいだし。見るからに身体つきがよくなってきていた。その分、飯の量が増えたって、おばさんは愚痴をこぼしていたけど。


「それじゃ、ロモロ。あたしはみんなと行ってくるね。サボっちゃ駄目だよ」

「サボったかどうかなんてわからないでしょ」

「さて、どうでしょう?」


 うーむ。お姉ちゃんには何か確かめる術でもあるのだろうか。

 あってもおかしくないだけに怖いな。


 それから……一時間ほど頑張っていたが、やっぱり何もわからなかった。


「このまま続けてもできる気がしない……」


 努力自体が嫌いなわけではないけど、方向性の伴わない無為な努力は嫌いだ。

 サボってしまおうかと考えながら、ふと集中するために瞑っていた目を開ける。

 人がいた。

 いつの間に近づいてきたのか、まったくわからない。

 ただ、僕の目の前、木々の間にひとりの女の子が立っていた。僕と歳も身長も変わらないぐらいだ。


 とても白い肌に、地面に触れそうなほど長い銀の髪。そして、金の瞳はまるでこの世界の人ではないと思えてしまうほど綺麗だ。

 整った顔立ちで可愛らしいが、今は不安そうな表情を浮かべている。

 この辺りでは見かけない子だし、見慣れない容姿だった。


「ん?」


 その上、その少女は寒くないのか、腕と足をほぼすべて露出していた。

 服は身体にぴったりとくっついており、体躯のラインを露わにしている。どう見ても街で見るような服ではない。

 まさか貴族や王族か……と一瞬思ったが、どう見てもこの子は違う。

 貴族の服はもっとゴテゴテとしていて、煌びやかだ。


「ロモロ!」


 舌っ足らずな声で呼ばれたと思ったら、僕はさらに面食らうことになる。

 僕に向かって嬉しそうに走ってきたと思ったら、僕の身体に飛び込んできたのだ。

 そのまま抱き付かれ、押し倒される。

 僕と彼女の身体は隙間なく密着した。


「ロモロ、ロモロ、ロモロ! 上手くいったの!? 心配してたんだよ!」


 サッパリ何が何だかわからず、僕は混乱していた。

 どうやら向こうは僕を知っているらしいが、まったく見覚えがない。

 前世の記憶からも何も該当しなかった。


「ちょ、ちょ、ちょ……! 誰!?」

「え――」


 僕が叫ぶように言うと、彼女は何かに気付いたかのように意気消沈し、嬉しそうな表情が掻き消える。

 表情はわかりづらいが、雰囲気で泣きそうな、困ったような、どこかやらかしてしまったような、そんな感情が伝わってきた。


「……ごめん、なさい。まちがい……。ロモロはいない……」


 消え入りそうな小さな声。感情もかなり薄くなっていた。

 なんとなく、こっちが彼女の素ではないかな、と思う。

 どうやらやはり誰かと勘違いしていたようだった。

 ……でも、僕の名前を知ってて、僕に似てたってことだよね。そんなことあり得るのだろうか。

 少なくとも、この街に心当たりはいない。

 そう考えると、この子は街の住人ではないだろう。こんな肌や髪に服など見たことがない。


「………」


 ただ人違いだとわかっても、彼女は僕から離れようとしなかった。

 僕が知らないだけで、ここが彼女のお気に入りの場所なのだろうか?

 場所にこだわっているわけではないので、少し移動をしようと立ち上がると、彼女も一緒に立ち上がり、僕についてきた。

 僕が止まると、彼女も止まる。親についてくる雛鳥か何かかな?


「僕に何か用ですか?」


 座りながら尋ねると、彼女は首を振りながら僕の隣に座り込んだ。

 用事があるわけでも場所にこだわりがあるわけでもなく、単純に僕の側から離れない。

 謎だ。何かあるのかな。

 とはいえ、このままだと魔法の訓練ができない。


「魔法の……練習?」


 悩んでいたところに、ピンポイントな質問が来る。わかるものなのか?

 僕が驚いた顔をしていると、彼女は僕の周囲に視線を巡らせた。


「マナが……そんな感じ」


 マナを感知したということだろうか? ヴェネランダさんと同じ類の人か?


「わからないところ……あるの?」

「えーと……」

「わからないところ……あるよね?」

「まあ……そうですね。意思の乗せ方がわからない、ですかね」


 ぐいぐいと顔を近づけてくる。不思議な圧力に負けてしまった。


「……火を起こすには、木などの可燃物に着火する必要がある」

「うん。それは常識では……?」

「酸素や水素もないと駄目だけど、それは今考えないでいい」

「酸素や水素……」


 ……前世の記憶には存在している知識だ。

 物質を構成する基本要素である原子。

 この世界ではまだ判明していないはずの……単語。


 なぜこの子はそれを知っているのか。僕の前世と何か関係があるのか。

 そんな疑問をひとまず置いて、僕は魔法の説明に耳を傾ける。


「木はマナ。着火という行為が意思を乗せるということ。燃えるのは想像の結果」

「その着火って行為をどうすればいいのかがわからないんだけど」

「雑念を消して、純真に祈り、願うこと。雑念は想像に至る際に邪魔になる。暴発の危険もある。だから、その前に使用禁止にしているはず」


 わかりやすい説明、と言う気がした。したのだけど……。

 最後の言い方が少し引っかかる。

 魔法を使う人というには、何かズレているような。

 でも、言い間違いという可能性もあるし……。僕たちの使う言葉が、他の国では少し違う意味になっているというのは往々にしてあるわけだしね。


「つまり、僕が意思を乗せられないのは、まだ雑念が多いから?」


 こくりと頷く彼女。

 そう言えば、名前を聞いてなかったな。もし、迷子だとしたら兵士の詰め所に連れて行った方がいいかもしれない。


「君、名前は? 僕はロモロ」

「マブルシェール。マブルと呼ばれてる」


 マブルシェールか。聞いたことのない名前だ。ただ、貴族は長い名前になるはず。

 もしかしたら、彼女は貴族ということを隠したいのか?

 そして、貴族と思われないために、平民の格好をしている。ただし、その平民の服装には勘違いがある……とか。うーん……考えても無駄だな。


「マブルは魔法に詳しいんだね」

「わたしは又聞き。マナを扱ってるのは別。アマルジェルベーラの方」


 ……やっぱりこの国の人じゃないのかな。微妙に言葉がおかしいような。

 僕の戸惑いを続けることなく、マブルは続けた。


「マナは人の想像次第で、様々な現象が起こせるエネルギーとして世界にばらまかれている。その分、人にとっては危険度も高い。だから雑念があると駄目。危険」

「エネルギー……」


 これもまた前世の記憶に存在している単語だ。

 資源、あるいは活動するための力――。正確に言うと、物体が『何か』をすることができる力だ。

 ただ、この世界で聞いたことはない。


「魔法はデュナミス、エネルゲイア、エンテレケイアと発展していく」


 ……単語自体は賢者の知識によって理解できる。

 ただ、ここが魔法にどう関わるのか、イマイチ理解できない。

 そんな顔をしていると、彼女は薄らと不満そうな表情になる。感情は希薄だし、表情もほとんど変化してないけど、それぐらいはわかった。

 そして、マブルは首を傾げながら考え始める。


「マナは現象を発現させるための媒体と覚えておけばいい」

「それならなんとか」

「あなたが言ったこと」


 やっぱり、もしかしたら微妙に話が噛み合ってないのかもしれない。言語が彼女の地域では少し違うのかも。

 僕は聞いたのであって、言ってはいない。

 言語は違うけど、少しの違いだけでどうにか噛み合ってる……のかな。


「意思を乗せれば、魔法を使うまでは近い。さっきは火に喩えたけど、風や水、土も操れる。光や闇も。何でもできる」

「ふーん。でも、そこからは詠唱が必要なんじゃないの?」


 お姉ちゃんも魔法を使う時は詠唱を使う。そういえば、ヴェネランダさんは省略していた気がするけど。

 物語でも魔法を使う時は必ず詠唱を用いていた。


「詠唱はイメージを明確にするために、人が勝手に使い始めたものらしい。詠唱は必須じゃない。むしろ、想像力を阻害するよくないもの」

「えっ。そうなの?」

「定型的な詠唱は安定するけど、自然現象までという限界をもたらす。人の想像力は、遥かに奥深くて幅広い」


 無口かと思いきや、饒舌になってきた。魔法に思うところがあるのかもしれない。

 でも、詠唱が必要ないか。俄には信じ難いけど……。興味深い話ではある。

 魔法が使えるようになったら、試してみる価値はあるな。


「教えてくれてありがとう。マブル」

「………?」


 不思議そうな顔をされた。あれ? 僕なんかおかしなこと言ったかな。

 もう一回、何か別の形で感謝を伝えようとした瞬間――。


 頭の中が、灰色に染まった。


 ほんの一瞬。

 明らかに、自分の意図しない何かが発生した。

 何が起こったのかもわからない。

 魔法的な何か……ではないと思う。


 こちらが混乱していると、隣に座っていたはずの少女は消えていた。


「起きた。行かなきゃ」


 そんな声だけが、風に乗って聞こえてきた気がした。



        ◆


『待たせたな、マブル』


 森の中でひとりの少年が立っていた。

 肌が青みがかかっており、もしそこに住人たちがいれば、一目で「人ではない」と断じるだろう。

 それは明らかに、魔族の特徴だった。

 まだ人らしい形を残してはいるが、魔族としては珍しい方だろう。

 そこに、ロモロと離れたマブルが無防備に近づいていった。


『ん。ロモロと接触した。不可抗力』

『あー、やらかしたか。変なことでも教えたのか?』

『魔法の基礎ぐらい』

『それぐらいならいいだろ、別に。あいつはあいつで使えるようにならなきゃ困るし』


 彼らは口を持っているが、言語を用いて話さない。

 魔法によって、高度な意思疎通を行っている。

 マブルは魔族というわけではないが、この意思疎通を行えた。


『そう言えば、他はどこまで見てきた?』

『少しだけ。勇者は問題なし』

『よし。なら、第一段階は成功ってことだな』


 少年は少しだけ安堵したような表情を見せた。

 だが、続けて気が重たくなったように、肩を落とす。


『二年後、あの勇者の凄まじい威力のアレ、受け止めなきゃいけないんだよなぁ……』

『たぶん、さらに強化される』

『そりゃな。前に思い知ったけど、まさかここまで勇者の素養があるとは思わなかった』

『勇者が強くないと、困るって言ってたのは――』

『あー。オレですよ。そうですよ。でも、バランスを取らなきゃいけないこっちの身にもなってみろってんだ』


 少年が肩を竦めると、マブルは小さく首を傾げた。


『どっちにしろ二年後の人間との戦争で、こっちの壊滅だけは避けないと、色々な前提が崩れちまう』

『でも、魔族たちはあなたがいればどうにかなる。でも、そこからの人間は……』

『こっちでどうにか抑えてもらうしかない。そのために、こういう状況にしたんだからな。それで、勇者以外は?』

『聖者、戦姫は失敗。稼働自体は問題なし』

『そう、か……。萌芽すらなさそうか?』

『わたしにはわからない。ヒストリアへアクセスできればわかるかもしれないけど。……厳しい?』


 魔族の少年は首を振った。


『どうにかするしかねーだろ。一応、全部失敗してもおかしくない前提で計画は立てたんだ。勇者が成功してただけでも僥倖だ。他は?』

『剣英、月弓はまだ起動していない』

『え? おかしくない? あいつら、この時期には……』

『原因は不明。ただ、宿ってはいる。いずれ稼働には至るけど、成功してるかどうかは不明』

『……気になる話だな。じゃ、最後の覇王はどうだ?』

『困ったことに該当者に近づけない』

『お前が近づけないのか?』


 マブルは無感情に頷く。

 魔族の少年はとても信じられないようだった。


『となると……もしかして、成功してるのか? そうじゃなきゃ近づけないことはないはず……』

『その可能性はある。ただ、例の機構自体はわたしよりも上位の神代の制御下にある。こちらの意図しない結果になったとしてもおかしくない』

『そうか。そうだな……』

『報告はこれで終わり』

『わかった。近いうち、順次、確かめに行かなきゃな』

『ん』

『今は魔族側を速やかにどうにかしなきゃならん。こっちはこっちのロモロに任せるさ』


 少年の周囲にマナの光が沸き立った。

 少年は大事そうにマブルを優しく抱き寄せる。


『さ、帰ろうか。マブル』

『ん。寂しかった』


 そのマナの光が消えるとともに、彼らの姿も溶けるように消えていった。

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