モンスター

 もう晩課の鐘が鳴り響いて、結構経った。

 僕はマティアスさん、ヴェネランダさんと一緒に南の街道にいる。例の兵士たちを苛立たせていたトラブルを抱えているエリアだ。

 その目の前でモンスターとマティアスさんが戦っていた。

 僕の目ではモンスターが素早すぎるせいでまったく追えない。だが、マティアスさんはお父さんから受け取った剣を適切に動かし、攻撃を防いでいた。


「なんで僕がモンスターの近くにいるんですか! なんでモンスターと戦闘してるんですか! 話をするんじゃなかったんですか!」

「戦いとは対話だ」

「屁理屈だぁ! 第一、僕と話し合ってない!」

「ロモロとの話し合いとは言わなかった」

「詭弁過ぎる!」


 絶え間ない攻撃の応酬に、鉄と鉄の甲高い音が響く。

 いつ、こっちに攻撃が来るか、気が気じゃない。


「この程度のモンスターに遅れは取らん。お前には傷ひとつつけない」

「ま、我慢してちょーだいな。安全は私たちが保証してるし、私も魔法で対応するし」

「僕を連れてくる必要性、ありませんでしたよね!?」


 しかし、マティアスさんは戦いながら器用に首を振っていた。戦闘の最中に視線を揺らすとか、本当に余裕だな!


「お前をここに連れてきた理由は三つある」

「三つも!? 嘘だ!」

「まずは囮としての役割。このケルドフアールは狡猾でな。刃のある武器を持つ人間が三人以上いると襲ってこない。強者の気配を感じ取り、強い者を襲ったりもしない。もっとも襲ったら覚悟を決めたように目的を果たすまで決して逃げないがな」

「マティアスさん強者でしょう! 気配出しまくりでしょう!」

「お前以外の気配は、ヴェネランダに魔法で消してもらっている」


 完全にエサ扱いだ。食われたら化けて出てやる。

 マティアスさんはこの街に来た段階で、モンスターがいたことをわかっていたらしい。その上、モンスターの強さも。

 元モンスターハンターとしての嗅覚というが、やはり銀級以上のハンターは人間離れしている。

 ただ、マティアスさんの説明は、僕を連れてくる理由にはなっていない。


「それだったら僕じゃなくてもいいでしょう!」

「理由その二。お前は今後、後ろで指揮する立場になるだろう。だが、実戦を経験しておくことは百の見聞きに勝る。知っていると知っていないとでは、出せる指示も変わってくる」

「実戦経験を積ませるなら、お姉ちゃんでもトーニオでもいいでしょう!? あっちなら踊りながら大喜びしますよ!」

「あいつらは遅かれ早かれ自然と実戦経験を積んでいく。プラスとしては見返りが少なすぎる。戦うなら別だが、まだ早すぎる」


 それでこんな戦闘を真っ只中で見させられるとか、拷問もいいところだ!

 鉄と鉄のぶつかり合いで、火花が散っている。ケルドフアールの爪は鉄相当に硬いらしい。音以外にも焦げ臭い匂いが漂ってきていた。


「じゃあ、三つ目は何ですか!」

「これは俺の都合じゃなく、ヴェネランダの方だ」

「そーゆーこと。こういう命の危機を感じてる時こそ、マナを身体に通しておけば、どんな時でも魔法が放てるようになるんだよ。君の心がまったく揺るがないほど強靱なら、今すぐやめるけど」

「もっと命の危険がない方法を選択してほしかった!」

「それじゃ、平時にマナを通すのと変わらないし」


 気付かなかったけど、先ほどからマナが身体を通っていた。

 恐怖心で支配された心を好むマナが、全身を舐め尽くすように通っていく。

 すると、ふぅとマティアスさんは溜息を吐いた。


「だから言っているだろう。お前には傷ひとつつけないと。なんなら、擦り傷がひとつつくたびに、お前の言うことを何でも聞いてやろう」

「腹がバッサリ切り裂かれて、これは擦り傷ひとつ分だ……とか絶対に許しませんからね!」

「しつこい。遅れは取らん。元銀級を舐めるな」

「じゃ、なんで護身用って僕にダガーを持たせてるんですか!」

「戦場では子供だろうと誰だろうと武器を持つ。戦士の嗜みだ」

「無茶苦茶な道理すぎる!」


 だが、心の中を恐怖で支配されつつも、僕はどうにか目の前を注視することができるようになっていた。どうにかこうにか慣れてきたのかもしれない。

 理不尽すぎるとはいえ、こうなった以上、持ち帰るべき知識は持ち帰る。

 もはや意地だ。

 ただ、夜の中、非常に暗い上にモンスターも暗灰色でわかりにくい。まだどういう全身をしているのかすら見ていない。

 時折煌めくマティアスさんの剣しか見えなかった。それも一瞬だ。

 ただ……。


「マティアスさんの剣、さっきから同じところしか行き来してないような……」

「お、よく見てるね。正解だよ。ケルドフアールは狡猾で人の急所を知っている。だけど、そこを狙うために余計なことをしない。つまり一直線で急所、それも一番近い場所を狙ってくる。だから、相手の場所とリーチさえ覚えてしまえば、どうにでもできる」

「防ぐのは防ぐので大変な気がしますけど」

「ま、銅級なら片手でもできることだよ。プラントハンターの私にもできるしね」

「ケルドフアールは襲うまでは狡猾だけど、戦いにおいては速攻を好むってこと……?」

「正解。モンスターってのは初見だと苦労するけど、各々の傾向さえ覚えておけば、しっかりと完封できるってことだね。ケルドフアール自体はそこそこ有名だし」


 防戦一方に見えたマティアスさんが、攻撃と攻撃の隙間を縫うように、刺突。

 訓練中に僕らを何度も何度も怯えさせていたそれは、いとも容易くモンスターを完全に貫いた。

 だが、モンスターもそれで絶命はしない。


「あんな攻撃が、訓練中、僕らを襲ってたのか……」

「ま、絶対に本気で当てたりしなかっただろうけどね。頭に当てたら木刀でも脳漿ぶちまけてただろうし」

「しれっと怖いことを言うのはやめてください」


 しかし、こんな時ではあるけど、根本的な疑問が湧き上がる。


「そもそも、モンスターって何なんですか? 獣とは何が違うんですか?」

「モンスターは死体を残さないってのが大きいね。でも、ロモロくんは知ってるでしょ」

「ええ、まあ。生態系から外れてる、自然発生的な災害に近いものだってぐらいは」

「モンスターが生まれるところを見た人はいないからね。はっきりとはわかっていないのよ。連中の体内にある石が活動のための力を備えているってのがわかってるぐらいだからね。こういう何らかの生物に似たやつもいるし、霊的なモンスターもいるし、植物や昆虫のモンスターもいるけど、すべてが生物の理から外れてる」

「疑問ばっかりの生物ですね」

「そもそも生物かどうかすら怪しいね。捕縛してもしばらくしたら石を残して消えるし。低級のモンスターだとケルドフアールみたいに反射的な行動しかしない」


 生物ですらないかもしれないのか……。

 じゃ、なんで生物の姿をとっているんだろうか。


「モンスター同士で争い合ったりもするし、別種のモンスター同士でも一時的に協力し合ったりする。何らかの意思はあるようなんだけどね」

「魔族も喋りませんし、意思がないって言われてますけど……」

「あー。そういや、魔族の作った生物兵器なんて話もあるね。真偽のほどは怪しい陰謀論に近いもので……っと、そろそろ終わるよ」


 マティアスさんとモンスターの戦いは決しているように見えた。

 ケルドフアールは未だ怪我をものともしないように、絶え間ない攻撃を繰り返しているものの、すでに瀕死で戦いの趨勢は明らかだ。これは完全に消える前に、一瞬だけ燃える蝋燭の火のような――。

 言うだけのことはある。こちらに攻撃が来る気配はまったくなかった。

 こちらを狙っている気配はあったが、すべてマティアスさんの剣によって防がれている。


「ま、楽勝だったね。さすがマティアス。戦いだけなら遅れは取らないよ」


 ……ただ、なぜだろう。まだ嫌な予感が収まらないのは。

 お姉ちゃんの言う、マティアスさんが怪我をするという情報を忘れたわけではない。

 だが、このまま推移すれば怪我などすることはないだろう。

 つまり、ここから怪我をする原因が発生するはずなのだ。今回は前回とは違い、僕という不確定要素がいるから、同じように推移するとも限らないのだけど……。


 重要な情報でもうっかり忘れてしまっているのか、頭の中の警鐘が鳴り止まなかった。


 強さ? 違う。僕はモンスターの強さの情報など聞いていない。

 場所? これも違う。南の街道で出たというのは間違っていないはず。

 色や種類。違う。これも知らない。僕はどんなモンスターかすら知らなかった。


 なんだ? 僕は何を忘れている?

 その時――背後で小さくかさりと、草の擦れる音が耳に届いた。

 それを皮切りに、欠けていた情報が脳内を一気に駆け巡る。

 商隊の護衛四人がやられた。六人一組で回って成果なし。武器を持つ兵士が三人以上いると襲ってこない。

 ――数が合わない?


「ヴェネランダさ――」


 草陰から飛び出してきた腰ほどまで姿勢を下げたそいつは、真っ先に僕を襲いにきた。

 ――最短で急所を狙ってくる。

 咄嗟に心臓の前にダガーを置いた。

 強烈な衝撃。

 本気で手が折れそうだった。


「堅牢なる砦よッ以下省略ッ!」


 だが、途中ですぐにその圧力が消える。

 ヴェネランダさんの魔法によって、僕の前に薄い膜のような防壁が張られていた。


「貴様ッ!」


 こちらに振り返ったマティアスさんの怒りの眼がケルドフアールを睨む。

 赤い眼を迸らせ、僕の目の前にいたケルドフアールは、それを見て身を竦ませた。

 それが命取り。

 大きく横に薙がれた剣によって、マティアスさんと戦っていたモンスターと僕の前に出てきたモンスターはその身体を真っ二つに切り裂かれる。

 モンスターは二匹とも絶命した。霧のように消え、あとには小さな紫色の透明な石が残される。

 倒れそうになる僕を、マティアスさんが寸前で支えてくれた。


「大丈夫か! ロモロ!」

「ぎ、ギリギリで……」

「咄嗟に防御魔法を張ったけど、間一髪だったねー。ロモロくんの手首が折れちゃうところだった」


 すでに二匹ともこの世界から消えていた。

 最初に相対していた方も紫色の透明な石に変わっている。

 モンスターはこうして絶命すると、冥石と呼ばれるものを残すのだ。先ほども言ったこれが一般の生物との大きな違いと言える。

 この冥石がモンスターを倒した証になったり、何らかの素材として使われたりするという。モンスターの心臓とも言えるもので、ここから力を得て動いているらしい。


「まさか二匹いるとは思わなかった。怪我がなくて何よりだ」

「私も。完全に油断してたわー」

「そう言えば現役時代、おふたりとも注意力が足りなかったって言ってましたね……」


 そのせいで、こんな怖い思いをすることになったわけだけど。


「傷はあるか?」

「ないですけど、服がちょっと。胸の辺りが少し裂かれていますね。お父さんたちには木に引っかけたって誤魔化せますけど……」

「む。擦り傷ではないが、服に傷がついたなら仕方ない。約束だ。何でも命じるがいい」


 腕を組んで少し申し訳なさそうに息を吐く。


「……いいですよ。今後、なんかあったらお願いします」

「いいのか?」

「今、思いつきませんし。それにこっちも無料でお姉ちゃんたちの訓練の依頼を聞いてもらいましたから」

「わかった。思いついたら、いつでも言うといい。それと、これを受け取っておけ」


 ふたつの冥石を渡された。ケルドフアールの冥石だ。

 間近で見ると、半透明な紫色の中で水に油を垂らしたみたいで、何か蠢いているようにも見える。


「いいんですか? 倒したのマティアスさんだし、これ結構お金になるんでしょう? むしろ、モンスターハンターの収入源じゃないんですか?」

「俺には必要ない。もうハンターではないからな。だが、お前なら様々な使い道をいくらでも考えつくだろう」

「ま、持っていて損はないって言ってるのよ。謝罪料として受け取っておいて。私もちょっと反省してるから」

「ちょっとですか」

「そ、ちょっと」


 自然と溜息が出てしまう。変な人たちだ。

 なんにせよ、無事に終わってよかった。マティアスさんも怪我をしていない。

 おそらくはお姉ちゃんの時間軸では、ケルドフアールによる奇襲を受けたのだろう。

 今回は僕がいたから流れが変わったってことかな?

 問題も綺麗に解決したことだし、帰ろう――。


「アオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!」


 遠吠えと言うには不釣り合いな、咆哮が夜空に響き渡った。

 大気が震え、大地が振動し、木々が葉擦れで騒ぎ立てる。


「………」

「……マティアス、どういうこと? あんたが鈍くて今の今まで気配を捉えられなかったとか言ったら、とりあえず怒るけど」

「信じられん……。だが、こいつは今、ここに発生した」

「そんなことあり得る? 適当言ってる……わけないわね、あんたが」


 異常事態が起こっているのは僕にもわかる。

 マティアスさんもヴェネランダさんも、今までとは打って変わって表情が真剣そのものだ。額に異常なほどの汗をかいている。

 ケルドフアールに対しては余裕でいたふたりが、本気で命の危機を感じているかのように。


 だが、僕自身も、本能的に身の危険を感じていた。

 あのケルドフアールの餌にされていた時以上に。

 殺意に周囲を囲われているかのようだった。


 そして、その害意はのそりのそり、ゆっくりと森の木々の隙間から少しずつ姿を露わにする。

 その巨体は隠し切れるものではない。

 森の木々と同じ高さの狼が、肉体から黒き霧を立ち上らせながら、目の前に現れた。


 大きな耳は見えるものの、何よりも不気味なのは目らしき器官が見当たらないことだ。

 全身が黒き毛で覆われており、その漆黒は夜の中でもなお暗い。

 巨体もさることながら、明らかに異形の生物だった。


「魔獣、フェンリル……かしらね。目がないみたいだけど……」

「似ているが、違うだろう……。やつがこんな街の傍に出るわけがない。人里離れた山奥や谷の奥底にしか目撃情報はなかった」

「じゃ、白金級が必要そうなアレはなんだって言うのよ」

「……それは」


 もしかして、こいつが……マティアスさんを怪我させた本当の原因か?

 ……いや、違うな。ふたりの断片的な話や態度を見る限り、マティアスさんの右腕ひとつを犠牲にしてどうにかできるような相手じゃない。

 こんなやつが出たら、マティアスさんどころか街すら壊滅するはずだ。

 つまりこれは――お姉ちゃんの時間軸でも発生していない不測の事態!


 マティアスさんとヴェネランダさんが圧力に押されたかのように後ずさった。

 その瞬間――フェンリルと呼ばれていたそのモンスターが、大きく息を吸う。

 ヴェネランダさんはすぐに動いた。


「堅牢なる砦よ! 壁よ! 盾よ! 守れ、領域――〈インビジブルフォルテッツァ〉!」


 フェンリルから吐き出された闇の炎が向かってくる。

 不可視の壁がそれらをいなすように僕らを避けていった。

 僕らには当たらなかったものの、周囲の草は一瞬で灰燼に帰する。

 残った熱が僕らの頬を炙った。凄まじい熱が滞留しているのがわかる。


「ヴェネランダ。ロモロを抱いてこの場から離脱しろ」

「わかった。離脱まで一秒でもいいから時間を稼ぎなさい。命を捨ててでもね」

「当然だ。お前は街まで行ったら、ひたすら避難を呼び掛けろ」


 僕は言葉を吐き出す暇もない。余裕もなかった。

 だが、マティアスさんが命を捨てるつもりだったのはわかる。

 僕を生かすために最善手を打つ――それが即座に理解できてしまった。

 そんなことを理解したくもない――僕には何もできないのだ。


 それでも、何かこの盤面を打開できるものはないか、探る。

 賢者の神子などと呼ばれていて、この程度を解決できなくてどうするのだ、と。

 お姉ちゃんを助けると約束したのだから――死ぬわけにはいかない!


「ヴェネランダさん、音を! できる限り大きく!」


 僕の発した言葉はそれだけだったが、ヴェネランダさんはすぐに察してくれた。


「吼えよ魔獣以下省略ッ!」


 ヴェネランダさんが唱えた瞬間、耳を劈くような音が周囲を迸る。

 魔法による音がフェンリルの耳周辺で鳴り響いたのだ。

 フェンリルは完全にこちらを見失っている。


 目がない以上、僕らの場所を感知するにはそれ以外の感覚に頼るしかない。

 生物の一部が持つ超音波を出力するような器官があれば一巻の終わりだったが、どうやら音――耳だけがこちらの位置を知る術らしい。


「冴えてるね、ロモロくん!」

「たまたまです! マティアスさん、早く逃げて!」


 この隙に離脱を……と言おうとしたが、彼はその場から動いていなかった。


「あいつは時間稼ぎを全うするつもりなのよ」

「そんな!」

「私は君を五体満足でアーロンに返す義務がある。それはあいつも同じ」

「だからって……!」


 フェンリルの感覚を失わせていた音がやむ。

 モンスターの怒りが咆哮と共に、こちらにまで伝わってきていた。

 その怒りが口から闇色のブレスとなって、マティアスさんを覆う――。


「マティアスさん!」


 それは僕の声ではない。


「唸れ強風、響け暴風、紫電より速き風の奉刃!! 〈ボルド・ディ・ブラスカ〉」


 吐き出された黒炎が、横から吹いてきた風に掻き消されていく。

 散った黒炎が煙のように立ち上り、マティアスさんたちを覆った。


「今のは――」


 ヴェネランダさんが何か凄まじいものを見たと言わんばかりに唾を飲み込む。

 だけど、僕にはすぐわかった。

 黒炎が少しずつ晴れていく。

 そこにいたのは――。


「お姉ちゃん!」

「お待たせ、ロモロ!」


 周囲に光を纏ったお姉ちゃんが立っていた。

 お姉ちゃんはこちらに向かって余裕があるかのように手を振る。


「モニカ!? 何やってるんだ、早く逃げ――」


 マティアスさんが慌てて、お姉ちゃんの前に立ち塞がろうとする間もなく――。


「マティアスさん、これ借りるねッ!」


 マティアスさんの腰に下げた方の細い剣を引き抜き、フェンリルに向かって行った。


「あたしの弟に殺意を向けるんじゃないッ!!」


 フェンリルは向かってくるお姉ちゃんを払い除けるように前脚を叩きつける。地面が抉れ、衝撃と共に土が舞った。

 しかし、お姉ちゃんはそれを跳躍して回避。すでにフェンリルの頭よりも上空にいる。


「いっけええええええええええええええええええええええええええ!!」


 そのまま落下の勢いに任せて、剣をフェンリルの頭に突き立てた。


「輝け、光! 我が力、我が紫電! 煌々と響いて、虚空に満つる! 影すら地に溶け、世界よ、真白に染まれ! 〈エネルマギア・ルーチェビアンカ〉!!」


 同時に魔法でも使ったのか、凄まじい光が僕らの視界をすべて白にする。

 剣は勢いのまま貫通し、地面へと突き刺さった。


「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!」


 凄まじい断末魔を上げてフェンリルは絶命し、黒い霧となって消えていく。

 巨大な冥石が地面に落ち、それも割れて灰となったかのように散っていった。


        ◆


 森の影に潜んで、この成り行きを窺っている者たちがいた。


「……維持に問題があると思ってましたが、まさか、ああもあっさり倒されてしまうとは……ね」


 ローブを被った男――彼は仕方がなさそうに小さく息を吐き、頭を掻く。

 その周囲の者たちはビクつきながら、彼の言葉を待ちながら立っていた。

 周囲にいるのも屈強な男たちで、それはパネトーネ一味の者たちだ。

 だが、彼らは普段住人たちに振る舞っているような居丈高な姿ではない。ひどく怯えていた。少しでも誤ったことを言えば、命はないとでもいうように。


「とはいえ、別の収穫もありましたし、実験自体は成功したから最低限よしとしましょうか。万が一があれば、陛下の意に背くことになりますからね」

「そ、それはよかったです……」

「あなたたちも面倒なことに付き合わせてしまいましたね。あなたの主については、陛下にしっかりと報告させていただきましょう」

「あ、ありがたき幸せです……」


 そして、ローブの男は踵を返す。


「か、帰るので? それでしたら見送りを」

「いりません。あなたたちは本来の任務に励みなさい」

「は、ははーっ!」


 彼は一度も振り返ることなく、黒き森の中へと溶けていった。

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