訓練の日々
それからマティアスさんたちが街から出て行く日まで訓練は続いた。
お姉ちゃんやトーニオたちは、そんな地獄の訓練についていき、体力がついているのがはっきりと実感しつつある。
もっとも、余力を残そうと手を抜くと容赦なく刺突が飛んでくるんだけど……。
「ロモロ、お前はハンターには向いてない」
「……別に僕はハンター志望じゃないですし」
長距離走を終えて、街外れの広場でぶっ倒れ、息を整えながらどうにかそう返す。
「それでも体力はあった方がいい。何をするにもな」
「ご忠告ありがとうございます……」
しかし、今日の長距離走は比較的早く終わったな。
いつもは晩課の鐘が鳴るまでなんだけど、今日は夕方で終わっている。冬でもまだまだ日は沈んでいない時間帯だ。
するとマティアスさんが木でできた剣を、トーニオの近くに放り投げる。
「トーニオ。剣を取れ」
「え」
「聞こえなかったか。剣を取れ」
「は、はい……」
トーニオが立ち上がり、言われるがままに地面に落ちた剣を取った。
ここまで訓練と言えば走るだけで、あとは疲れてる状況での観察力を試されるぐらい。
この前、僕がヴェネランダさんに連れて行かれた時も、それに気付いたかどうかを言われたらしい。
疲れすぎて誰も見てなかったんだと思うけど、疲れてても地面だけを見ずに、周囲に視線を配れと口酸っぱく言っていた。モンスターの中には、人間や動物を人知れず連れ去るものもいるというのだ。
そんなことしかしてなかったせいで、突然木剣を投げられて取れと言われたトーニオたちは戸惑っている。今まで枝を握るのすら禁止と言われてたのに。
「最後の日だ。剣の振り方、その基本の基本ぐらいは教えてやる」
「ほ、本当に!?」
「今から俺は本気でお前に剣を打ち込む。当たる直前で止めはするがな。お前はそれを見て真似ろ。俺の一挙手一投足を見逃すな。故に目を瞑るな。それは恐怖心に打ち勝つ訓練でもある」
「よっしゃ!」
そんな意気揚々としたトーニオの表情が一瞬で恐怖に歪んだ。
一瞬で間合いを詰められ、その顔面の間近まで刀身が迫っている。
トーニオは目を開けていたが、そもそも目を瞑る暇があったかどうか……。
膝を折ったり、腰を抜かしたりしなかったのが、せめてもの意地だったのだろう。
マティアスさんが仕切り直すように後ろに下がったのを見て、トーニオは今の動きを曲がりなりにも真似て、マティアスさんに打ち込む。
「違う」
だが、マティアスさんは容赦なくそれを弾き、再びトーニオに剣を打ち込んだ。
トーニオの動きがわかっているかのように、剣をいなす。さすがに惚れ惚れする技術だった。
何度もそれを繰り返していたが、以前と違い、トーニオは一向に息を切らさない。
特訓の成果なのだろうな。
「まだまだ俺の剣筋がわかっていない。一度、遠くから見ていろ。次。フランカ」
「はいっ!」
「トーニオと同じだ。見ろ。目を瞑るな。真似ろ。さっきのトーニオとの相対を見ていれば、少しは感じ取れたものはあるだろう」
そして、そんなことを全員分やっていく。
そんな中で、ただひとり。ジーナだけは与える得物が違っていた。
「お前はダガーの方が合っているだろう。これを使え」
放り投げられた鞘付きのダガーを受け取るジーナ。
受け取った瞬間、ジーナはその重みに訝しむ。
「こ、これ、本物のダガーじゃ」
「お前の腕じゃ当たらん。気にするな」
「ううっ」
「こっちも本物のダガーを使う。傷はつけんが、目を瞑るな」
木刀よりも遥かに恐怖の訓練である。
始まった訓練で、最初は目を瞑っていたジーナだったが、少しずつ目を開けられるようになってくる。気弱な女の子だけど、ことハンターのことになると肝が据わっていた。
「次、モニカ」
「はいっ!」
お姉ちゃんも真摯に向き合い、マティアスさんに打ち込んでいた。
一瞬、マティアスさんの目付きが変わったが、「甘い」と一蹴されていた。
お姉ちゃんが終わって一周すると、またトーニオが指定される。
深い深い息を吐いてお姉ちゃんは僕の傍に寄ってきた。
「やっぱりマティアスさんは強いね。あたしの知ってる片手しか使えなかった時でも強かったけど」
「そりゃあ子供より強いに決まってるでしょ」
「あたしが勇者の時でも剣技じゃ適わないかも。両手だったらどれだけ強く……」
お姉ちゃんがふと言葉を止める。
何かを思い出そうとしている顔だ。
嫌な予感がする。
「あああーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
そして、突然の奇声。
トーニオたちが思わず振り返ったところでマティアスさんの拳が飛んだ。
「戦闘中に余所見をするな! 死ぬぞ!」とトーニオが吹っ飛ぶ。
「は、はい!」とトーニオはすぐに体勢を立て直してマティアスさんに向かった。
他の面々も優先度はマティアスさんを見ることだと悟ったのか、お姉ちゃんから視線を逸らす。
「……どうしたのさ」
「そうだよ! マティアスさん、怪我するの、確かここだよ! 今思い出した!」
「本当に!? 右腕を怪我したって言う?」
「うん。街に来て帰る日になって……右腕を大怪我したからゾーエ婆さんのところで夜通し、治療してたはずだもん!」
「相変わらず突然思い出すのはいいとして。でも、そう言えば、お姉ちゃんはマティアスさんとは未来でも会ってたんだよね?」
「うん。ヴェネランダさんとも会ってたよ。というか、ふたりのいる傭兵団……『双翼』って言うんだけど、あたしは自分の私兵を持てなかったから、戦争ではずっとお世話になってたんだ」
「初耳過ぎる……」
「ただ……魔族との戦争が始まると、マティアスさんは『力不足で役に立てない』って言って身を引いちゃうんだよね。『右腕さえ怪我をしなければ遅れは取らなかったのに……』って悔やんでた」
思った以上に重要な情報だった。
お姉ちゃんが私兵を持っていなかったから傭兵を頼ったのはわかる。
マティアスさんは間違いなく大陸でも最高峰の剣士のはず。お父さんも、ずっと褒めてたし。『マティアスに救われたことは多すぎて全部覚えてない』とか言ってたっけ。
「じゃあ、助けた方がいいってことだよね」
「当然! 仮にそうでなくても、右腕怪我しちゃうなら、その未来を変えなきゃ!」
「それで、怪我はなぜ起こったのかは覚えてるの?」
「………」
そう尋ねるとお姉ちゃんは口を噤んだ。
それから思い出すようにしてぽつぽつと語り出す。
「そんなに覚えてないんだよね……。朝起きたらマティアスさんが怪我をしたって聞いて、それをお父さんが慌てて見に行って……」
さほど役に立つ情報ではないけど……それでも、マティアスさんが怪我をするとしたら、『今』の『この状況』なら原因はひとつしか思い当たらない。
「ひとまず、マティアスさんの動向には注意しておこうか」
これ以上はお姉ちゃんも思い出せないようで、僕は一旦話を打ち切る。
それからマティアスさんの訓練を眺めていると、ヴェネランダさんがニコニコと僕に話しかけてきた。
「ロモロくんも剣の修行したかった?」
「無理ですよ。僕には」
「訓練次第だと思うけどねー」
そもそもハンターになるわけじゃないし。
自分の身ぐらいは自分で守れるようになった方がいいかもしれないけど。
「ま、あいつにしちゃ珍しいけどね。子供の訓練だなんて」
「ここまで熱血だとは思いませんでした」
「なんだかんだ面倒見はいいやつなのよ」
そんな話をして、今日の夕方の鐘が鳴る。
これでマティアスさんの訓練は全行程が終了だ。
「訓練は終了。では、さらばだ」
「ちょっと。もう少し何かないの? ここまでよくついてきたとか」
みんなの代わりにヴェネランダさんが指摘する。
「まだまだ全然何もかもが足りん。全員、俺が教えた訓練を毎日怠るなよ。一日だらけたらハンターになるのが一ヶ月遅れると思え。それさえこなしていれば、お前らならハンターにはなれるだろう」
それでトーニオたちの顔が明るくなる。
「だが、それではハンターになれるだけだ。自身の長所を伸ばし、訓練にも工夫をして、常に上を目指せ。日常生活において常に手を抜くな。日々の積み重ねが、お前たちの命を守る盾となり、強固な壁となる。肝に銘じておけ」
「「「「はいっ! マティアス先生!」」」」
「……先生はむず痒いからやめろ」
「じゃあ、マティアス師匠?」
「それもダメだ」
そんなやり取りがあってから、ようやく解散となった。
しかし、みんなこの短い期間で、顔付きも変わったな。
未来でトーニオたちの生存率が上がれば御の字だろう。
「それにしても、本当に静かに修行してたね。お姉ちゃん」
「……あたし、ハンターになるわけじゃないから、ちょっと心苦しくて」
「………」
「あの頃もハンターになるよう誓ってたけど、あたしだけが抜けちゃったからね」
「ハンターとして、魔族と戦うってのもアリなんじゃない?」
六人でパーティを組んで戦う――っていう方が吟遊詩人の勇者の物語としては合っている。むしろ、貴族になるなんて物語は耳にしたことがない。
そんなことを聞いてみると、お姉ちゃんはふるふると首を振った。
「ううん。ハンターにはできることに限りがあるもの。もちろんハンターにしかできないこともあるけど……魔族と戦うには国の支援がないと無理だから」
「そっか……」
やはり勇者になるという意思は固いらしい。
家に到着すると、お父さんが剣を持って待っていた。
マティアスさんの持っていた剣だ。なんでお父さんが剣を? お父さん、剣は打たないはずじゃ……。
「ほらよ。直しておいた。もうこの剣のことで俺のところに来るんじゃねぇぞ」
「感謝する。だが、この剣を直せるのはお前しかいない」
「だったら、もっと大事に使え。刃毀れが多すぎる。無茶をしてたのが丸分かりだ」
「善処する」
そんなやり取りを終え、僕が家に入ろうとすると、襟首を掴まれた。
あれ?
「アーロン。ロモロを借りるぞ」
「何だ一体。お前ら最近、ロモロに何を吹き込んでやがる」
「少々、話をするだけだ」
「……本当だな?」
僕の意思は無視されてるんですが。
しかし、僕に話というのも珍しい。横にいるヴェネランダさんはニコニコしていて、さっぱり感情が読めない。
そして、お父さんとお姉ちゃんは家の中に入って行ってしまう。
大人ふたりと、僕だけが残された。
「それで、話って何ですか?」
「ここではできない。少し移動するぞ」
マティアスさんに人攫いのように抱き上げられ、そのまま街の外へと強制的に出されることになる。
いや、マティアスさんの怪我の件があるから、どちらにしろ行動を共にしなければならなかったのだけど。
ここ数日は控えめだった嫌な予感が、背筋の方からゾクゾクと強く迫り上がってきた。
◆
マティアスとヴェネランダに連れて行かれるロモロを見ながら、モニカは家に入ろうとして――その足がふと、止まる。
「どうした、モニカ? 早く家に戻るぞ」
――マナがざわついてる……?
本来、魔法師というのはマナを支配するものだ。
マナを使役し、魔力に変換し、魔法を使う。
しかし、勇者であるモニカは違う。
彼女はマナと共存していた。
ヴェネランダと違ってマナそのものが平時でも見えるわけではない。
だが、それでもマナの意思らしきものは伝わってくる。
そのマナが――怯えていた。
――この気配は覚えてる……。
前時間軸において、戦場に身を置いていた時に何度かあった。
放っておいたら危険なモノ。
命を刈り取るモノ。
忘れられるはずもないモノ。
『とにかく、軽はずみなことをしないこと。記憶にないことが起こったり、起こらなかったりしたら、絶対に報告してね。魔法を見せるなんて以ての外だよ』
ロモロの言葉が脳裏を過る。
だけど、これを見過ごすことなどモニカにはできなかった。
何もなければそれでいい。動かない理由にはならない。
「お父さん、ごめん。ちょっと出かけてくる! できる限り、すぐ帰って来るから!」
「えっ? おい!?」
そのままモニカが走り去っていくのを見送るアーロン。
「……この突拍子のなさは誰に似たんだかな」
自分のことを棚に上げてアーロンは小さく溜息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます