蝶の羽ばたき

 この日の夜、妹ネルケの誕生祝いで大騒ぎをした後、気が済んだ面々は解散し、自分の家へと帰っていく。

 家に残るのは、すでに寝ているお母さんとネルケ、そして、お父さんの三人だけだ。

 この土地の風習で、他国生まれのお父さんもお姉ちゃんが産まれた時は驚いたらしい。

 僕とお姉ちゃんはというと、ゾーエお婆さんの家にお世話になっていた。

 もっとも、ゾーエお婆さんはもう寝てるけど。


「お姉ちゃん。どういうことかわかる? 僕はトスカって聞いてたんだけど?」

「あ、あたしにそんなこと言われても……。ほ、本当だよ。前の時は名前がトスカだったんだよ。ネルケって聞いたことないし……」


 あれから、この変わった事態を考えて、僕はひとつの結論を出していた。

 一応、念のためにお姉ちゃんに聞いてみたけど、心当たりはないらしい。


「う、疑ってる? あたしが未来から戻ってきたこと」

「いや、お姉ちゃんがやり直してるってのは、もう疑いようのない事実だと思うよ」


 これまでの事実からして、そこはもう揺るがない。そうでなければ説明できないことの方が多い。


「問題はお姉ちゃんの頭の方」

「え?」

「覚えてる内容が本当のことかどうかが怪しい」

「ひ、ひどーい!」


 僕は慌てて口に指を当てて、うるさいとジェスチャーをする。

 ゾーエお婆さんに聞かれたらことだ。静かにしてほしい。


「いくらひどくても、お姉ちゃんの記憶を疑う必要はあるんだよ」

「い、いくらあたしでも、妹の名前間違えたりしないし……」


 ぶすっとした顔でそう語るお姉ちゃん。

 そこは信じてもいい。

 では、なぜ妹の名前が変わってしまったか。


「僕たちが本来起こることをねじ曲げたから、変わったんだと思うよ」

「ど、どういうこと?」

「すごい極端な話をするけど、例えば二年後に街に入ってくるっていうモンスターを、お姉ちゃんが街に入ってくる前に、誰に見られることもなく倒したとするでしょ?」

「うん」

「そうなると、どうなると思う?」

「……どうなるの?」

「目撃者がいなければ、誰もその話をしないでしょ。お姉ちゃんからその話をして、それが信じられない限り、噂は広がらない。その話が王都まで行かないから、勇者選定も行われない。そうなれば、お姉ちゃんの今までの話は全部なかったことになるんだよね」


 お姉ちゃんがようやくことの大きさに気付いたように目を見開く。


「あたしたちが前と違う行動をしたから、トスカの名前が変わったってこと?」

「そうだね。さっきちょっと聞いてきたけど、トスカってこの国で一番長生きした人の名前で、長生きをしてほしい時に名付けるんだって」


 どういう出産状態だったのかはお姉ちゃんからの伝聞になるけど、妹はかなり厳しい状態で生まれてきて、喋ることもできず、余命も幾ばくかしれない状態だったのだろう。

 せめて、名前だけでもあやかろうとしたというのが僕の予想だ。


「そ、そっかー。ビックリしたー。でもそれなら安心だね」

「今回のことは上手くいったけど、全然安心じゃないよ」

「そ、そうなの?」

「そりゃそうでしょ。僕らの行動次第で、お姉ちゃんの知らないことがどんどん起こるようになるってことなんだよ。本来起こるはずだったことが起こらない。本来起こらないことが起こる。何かしらの因果が巡り巡って、モンスターが来ない可能性だってあるわけだし。極端な話、ネルケが喋れることでこれからの未来が変わるかもしれない」


 以前デメトリアから貸してもらった本に、この事態をピタリ言い表す言葉があった。

 海で蝶の羽ばたきが、大陸で竜巻を引き起こす――エフェットファルファッラ。

 そんなことが現実に起こるかどうかはともかく、ちょっとしたことが未来へ強い影響を与えるというのは、充分考えられることだ。


「ど、ど、ど、どうすればいいの?」

「極力、お姉ちゃんが記憶してる通りに過ごすしかないだろうね。お姉ちゃんがやり直していることによって得ているアドバンテージは、これから起きることを知っていることだよ。でも、この時点で大きく未来を変えてしまったら、予測不可能な事態が起こることになるからね。そうなったら未来を知ってるってアドバンテージが消える」

「そんなこと言われても覚えてないよー。細かいことまで……」

「とにかく、軽はずみなことをしないこと。記憶にないことが起こったり、記憶にあることが起こらなかったりしたら、絶対に報告してね。魔法を見せるなんて以ての外だよ」

「はーい……」


 お姉ちゃんは不満というか、微妙そうな返事だ……。

 そんな感じで話を終え、僕たちも借りたベッドで横になる。


「そう言えば、ロモロ」

「ん?」

「なんでロモロはお昼過ぎに呼ばれるって確信してたの?」


 お母さんの出産についてか。


「簡単だよ。お姉ちゃんがその日の夜にご飯やお酒が集まってたって言ったから」

「んんん?」

「もっと遅い時間から始まると、お祝いは翌日の昼に持ち越しになるでしょ。昼過ぎで、その日のうちにお祝いをされるとしたら、タイミング的にはそこしかないし」

「あ、なるほどねー。うふふ。ロモロはしっかりと参謀として成長してくれそう。頼りにしてるよ?」

「僕を参謀だっていうなら、ちゃんと僕の言うことに従ってくれると嬉しいんだけど」


 そうなってくれるだろうか?

 お姉ちゃんが適当にやらかして、僕がそれを補うという、いつもの構図しか見えない。


 心配と不安が心を占めながら、さすがに眠気も限界に来て、僕はあっという間に眠りに落ちた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 妹ネルケの存在が、勇者モニカの力になっていたのは間違いないだろう。


 妹は前時間軸において、名前が違うし、喋ることも適わなかったという。

 早死し、ほとんど交流を持つことなく、亡くなった。

 その時の勇者モニカの落胆、絶望、怒りは想像に難くない。


 故にひとつの運命を変えたことは、小さな力となったことだろう。

 小さな力と侮る勿れ。

 その積み重ねこそが、前時間軸との変化を生み出すのだ。


 <ヴェルミリオ大陸裏史>  第一部 第一章 二節より抜粋

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