母、産気づく

「疲れた……」

「ご苦労さん。おっと。丁度、昼だね」


 昼の鐘が鳴り響くと同時に、どうにか壺をゾーエお婆さんの家まですべて運び終えた。


「助かったよ。これでマーラがいつ産気づいても大丈夫さね」

「これ、お母さんの時に使うの?」

「そりゃそうさ。出産する時の女ってのは無防備でね。普段ならかからないような毒にかかるようになる。それにこのタイミングでの赤ん坊も一番毒に弱い。ちと、ここ数日で予想以上に使い過ぎて、切らしそうだったからね」


 お姉ちゃんが言っていたゾーエお婆さんの不在や、危険な出産で、生まれてきた赤子にも悪影響が出たってこのことか?

 もし、このタイミングでゾーエお婆さんひとりだったら、まだ往復は終わってないだろう。

 それに、どこにいるのかもわからなかったかもしれない。

 僕がゾーエお婆さんについていたのは、お姉ちゃんのいい判断だったかもしれないな。


「まったく血気盛んなガキどもが多いと大変だよ」

「それってお姉ちゃんも含まれてますよね……?」

「わかってるなら、貰い手がなくなる前にそろそろ落ち着かせてやりな。ま、それはさておき、手伝ってくれたんだ。飯ぐらい食っていきな。色々と試しながらやってる燻製があるよ。味は保証しないがね」

「それじゃ、遠慮なくご馳走になります」


 ゾーエお婆さんのご飯、美味しいんだよね。これは役得。

 燻製されたサーモンの切り身をライ麦パンに挟んだものを渡された。

 一口食べてみると、癖があるけど非常に美味しい。


「ゾーエお婆さんも錬金術師だったんですか?」

「なんだい、藪から棒に」

「いや、こういう燻製も錬金術っぽいなって」

「ひゃっひゃっひゃ。料理を錬金術か。なるほど、言い得て妙だね。ま、似たようなことはやってたが、あのジジイのようなもんじゃないさ」


 ゾーエお婆さんも、謎の多い人だよなぁ。

 お父さんも一目置いてるみたいだし、どういう人だったんだろ。


 そして、ゆっくりと味わっていた昼ご飯が終わる。

 来るならそろそろかな、と思っていると――。

 開け放たれた窓の向こうから、突如、僕に向けて『矢』が飛んできた。

 目を瞑る間もなく、それは僕の頭に突き刺さる。


『ロモロ! きた! お母さんが! 早くゾーエ婆さんを!』


 どうやら魔法を行使した伝達だったらしい。遠くだとちょっと違う……とは言っていたが、物騒すぎる。なんで武器なんだ。正直、死んだと思った。

 だが、そんな文句は後回しだ。


「ゾーエお婆さん。お母さんが産気づいた……かもしれません」

「アンタ、今……いや、いい。お前さんが言うなら、さっそく行くとしよう」


 さすがに何かおかしなことに気付かれてしまったようだが、弁解はあとでいい。

 ゾーエお婆さんは予め準備しておいたのであろう革袋を持ってきた。そして、僕に消毒液の入った壺をひとつ持たせる。

 さっきの往復よりも些か早い足取りで僕の家へと向かった。


「お前たち! マーラが産気づいた! 一旦仕事をやめて準備してきな!」


 その途中途中で近所に住むおばさんたちに声をかけていく。

 事情を知っている皆が準備を整えてから、走ってきて合流した。

 四人ほど集まって、僕たちの部屋に到着する。

 部屋の中に入ると、お母さんが四つん這いになって苦しんでいた。その横ではお姉ちゃんが、背中を擦って不安そうな顔をしている。


「マーラを椅子に座らせな! その前に全員、消毒を忘れるなよ!」


 持ってきていた柄杓を使って中の液体を掬って、全員が手を洗う。


「モニカ! 家の桶を持ってこい!」

「あ、はいっ! もう、あるよ!」


 湯気の立ったお湯が桶の中に張られていた。

 それを見て、ゾーエお婆さんはちらりとかまどを一瞥したが、すぐに視線を戻す。


「産湯も用意してたのかい。偉いね、と言いたいところだが、惜しかったね。さすがにこれは熱すぎる」

「ええっ! お湯でいいと思ってたんだけど……」

「まあ、お湯なら薄めりゃいいこった。人肌と同じぐらいの温度にしておけばいいと覚えておけ」

「は、はい」

「もっと言うとお湯はまだいらないよ。生まれた後さ」

「え、えええ~~~!?」

「ま、何も言われてないのに、積極的に動いたのは褒めておこうかね」


 怒濤のようにテキパキと出産の準備が始まっていく。

 手持ち無沙汰にしていると、ゾーエお婆さんに睨まれた。


「ロモロ、何、突っ立ってるんだい。男は出ていくんだよ。子供でも同じことだ。アンタはアーロンでも呼びに行きな!」

「あ、は、はいっ!」

「モニカは後学のために残っておくといい。出産のイロハを教えておく。見ておくだけでも勉強になるもんだ。マーラの手を握ってやりな」


 僕は部屋から飛び出して、お父さんの仕事場に走る。

 街外れにぽつんと立っている飾りっ気のない建物がお父さんの仕事場だ。

 扉を開けると丁度休憩中だったのか、椅子に座って道具の手入れをしている。

 炉に火が入ってなくてよかった。


「お父さん!」

「ロモロ、どうし――来たのか!?」


 すぐに察したらしい。僕は頷いた。

 お父さんは道具をすべて放り投げて、そのまま出て行ってしまった。


「ちょっとお父さん!? 片付けは!?」

「そんなもんはあとでいい!」

「あとでいいわけないでしょ……」


 ひとまず僕の方でできる限りの片付けをしておいて、お父さんを追いかける。

 すでにお父さんの後ろ姿は見えない。

 お姉ちゃんが、使い物にならなくなると言ってたけど大丈夫かな。

 行っても、絶対中に入れてくれないと思うけど。


 家の方まで戻ると、お父さんが意気消沈した様子で肩を落としていた。


「ゾーエ婆さんに邪魔だっておんだされた……」

「はっはっはー。あの婆さんにかかればアーロンも形無しだな」「どっちにしろ、男にやることはねぇよ」「生まれるまでどしっと構えときゃいいんだ」「期待しろよー。うちの家内が持ってくる飯は美味いからな」「っていうか、酒の手配してあるのか?」


 近所のおじさんたちが集まっては、お父さんを慰めている。

 この街だと子供が産まれる時はいつもこんな感じで近所の人が集まっていた。

 あとは無事に妹が誕生してくれるのを待つだけだ。


 特にやることもないので、持ち出してきた本を読みながら待っていると、騒ぎに乗じたように近所の子供たちもやってきた。


「よう、ロモロ。姉ちゃんいるか?」

「っていうか、また君は本を読んでるんですか」

「こんな時まで、ある意味すごいよ」

「本当に飽きないねぇ。ロモロってばさ」

「も、もう。ロモロくんが好きなんだから、それでいいと思うんだけど……」


 お姉ちゃんの子供としての仕事仲間というか、遊び仲間というか、端的に言えば友人たちがぞろぞろとやってきた。

 お姉ちゃんには負けるけど力自慢のトーニオに、すばしっこくて器用なフェルモ、大らかで身体が一回り大きいアダーモ。

 そして、黒髪でお姉ちゃんと一番馬が合う勝ち気なフランカ、気弱で声も細いけど植物には詳しいジーナ。

 ゾーエお婆さんが言うところの『血気盛んなガキども』筆頭たちである。


「こんにちは。お姉ちゃんなら、中でゾーエお婆さんのお手伝いしてますよ」

「はー。あいつが出産の手伝いねぇ。赤ん坊が潰されたりしねぇだろうな」


 トーニオが笑いながら言う。その頭をフランカがバシッとはたいた。


「縁起でもないこと言うんじゃないっての。モニカは粗忽だけど、そこまでひどくない」

「婆さんならそんなことさせないでしょ。でも、モニカもフランカに粗忽って言われたくはないんじゃないかな」

「あんですって!?」


 ここにいる面々は全員、ゾーエお婆さんに取り上げられてるからな。頭が上がらないのだ。ちなみに僕もそう。


「ま、いねぇなら邪魔になるだけだろうし帰るわ」

「モニカさんが暇そうだったら、発散させようと思ってたんですけどね」

「気力が有り余ってると、余計なことしそうだしね。このところ、ずっと生まれてくる子供のこと言ってたし」


 男子たちのその言葉に僕は深く同意した。


「無事産まれたら、また来るからよろしく。一応、来たことだけ伝えといて」

「そ、それじゃ失礼しますね。邪魔してごめんなさい」


 不揃いな五人は揃って、その場を離れていった。

 ……あの五人にも魔法を教えれば、お姉ちゃんの助けになるんじゃないだろうか?

 気心の知れた友人が傍にいた方がいいし。

 でも、なんとなく巻き込みたくないという理由で、許可されない気がする。

 そんなことを考えながら、僕は再び本に目を落とした。



 日が落ちて晩課の鐘が鳴っても、まだ終わらない。

 元々、出産は時間がかかるものだと言われて理解はしているけど、やはり気が急いてしまう。

 ここに来て、僕も落ち着かなくなってきた。


「あああ~~~~~~……まだかまだか? もう一週間は経っただろ!!」


 お父さんよりはマシだと思うけど……。

 すでに空は暗く、外では篝火が焚かれている。

 晩ご飯を食べる時間だけど、とても食べる気にはなれない。

 ……そもそも、お姉ちゃんの話では上手くいかなかった出産なのだ。

 上手くいくよう手を尽くしたとはいえ、どうにもならないというケースかもしれない。


「ふぅ……」


 小さく溜息を吐く。

 そして、夜半。教会では修道士や修道女が睡眠前の祈りを捧げる時間だ。

 普段なら、うちでも蝋がもったいないと寝ている。

 これはもしかして夜を徹するのだろうか……という不安が頭をもたげていると――赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。


「マーラッ!」


 と、家の中に突撃しようとするお父さんを周りのおじさんたちが総出で押さえる。

 ゾーエお婆さんが出てくるまで入ってはいけない決まりだ。お父さんはそんなことすら忘却してしまっているらしい。

 お父さん、身体も大きいし、力強いから押さえる方も必死な形相になっている。


 赤ん坊の泣き続ける声が続く中、しばらく時間が経つとゾーエお婆さんが壺を持って出てくる。


「無事に生まれたよ。元気な女の子さね」


 ゾーエお婆さんが何でもないことのように言う。だけど、その額には汗がびっしりと浮かび、疲労も顔に出ていた。

 それだけ出産とはとても困難なことなのだろう。産む方もそれを取り上げる方も。

 一番頑張ったのはお母さんだと思うけど。


「アーロン、ロモロ。お前たちはこいつで手を洗ったら、中に入っていいぞ。……手を洗ったらって言っただろう!」


 お父さんが話も半ばに入ろうとしていたところに、ゾーエお婆さんはどこから取り出したのかダガーを取り出した。……早業過ぎる。

 前々から思ってたけど、普通の薬師じゃないのでは?


「まったく。赤子を死なせたいのかい。変な毒が入らないように、ちゃんと洗うんだよ」

「お、おう」

「はい」


 僕とお父さんが消毒液を大きな匙で掬い取ってから手に浸して擦っていくと、驚いたことにそれは即座に乾いていく。

 やっぱり、普通の水じゃないんだな。浸した部分がひんやりする。

 それからゾーエお婆さんに監視されるように中へと入ると、お母さんがぐったりとしながらも、泣いている赤ん坊を優しく抱いていた。

 その横でお姉ちゃんが笑みを浮かべて赤ん坊を眺めている。

 そして、入ってきたお父さんと僕に気付いて、顔をこちらに向けた。

 お手伝いできた人たちは、ゾーエお婆さんが指示をすることもなく出ていく。気を遣ってくれたのだろう。


「アーロン。抱いてあげて」

「お、おお……」


 お父さんはおっかなびっくりといった様子で布に包まれた赤ん坊を抱く。

 お姉ちゃんと僕に続いて、三回目のはずなのに手つきが危なっかしい。見てるだけで冷や冷やする。

 僕はこっそりとした足取りでお姉ちゃんに近づいた。


「前に比べて問題なさそう?」

「うん。前の時はもっと悲しそうだったし。赤ちゃんも泣いてなかったから。ああ、本当に……よかった。ちゃんと……生まれた」


 お姉ちゃんの指示は間違っていなかったってことになる。

 今の僕は完全にお姉ちゃんの言葉をすべて信じ切っていた。

 間違いなく、今のお姉ちゃんは人生をやり直してるのだと。


「よし。お前の名前は――『ネルケ』だ!」


 だから、お父さんから出てきた名前に、驚きを隠すことができなかった。

『トスカ』じゃなかったっけ? 名前違わない?

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