魔法の訓練
どうやら(お姉ちゃんの要望として)僕のやるべきことは定まったらしい。
・お姉ちゃんと一緒に貴族になるために、魔法を覚える。
・貴族になって、魔族の戦争や内戦、隣国との戦争を解決する。
簡単に言えば、貴族になって、偉くなって、発言力を得ることだ。しかも期限付き。困難にもほどがある。
ただ魔族との戦争はともかく、内戦や隣国との戦争に関しては貴族になれば原因もわかってくるだろうし、そこに介入すれば回避できるかもしれない。楽観過ぎる希望的観測でしかないけど。
お姉ちゃんの伝家の宝刀、『弟は姉に絶対服従』を出されたら、こちらとしてはできるできないではなく、やるかやらないか……いや、今やるか死ぬ気でやるかという選択肢になる。
……選択ってなんだっけ? 選び取るって意味だと思ってたんだけど。
「お、兎捕れてるね。よかったよかった」
僕とお姉ちゃんは森の中に点在する罠に近づいてしゃがみ込んだ。
お姉ちゃんは手際よく野兎の頭を太い木で叩いて気絶させてから解体し、血抜きをし、肉、皮、骨と分けていく。食べられない内臓部分は地面を掘ってそこに埋めた。お父さんの打ったダガーがあるとはいえ、その手捌きは姉ながら惚れ惚れする。
前々から上手かったけど、さらに洗練されてる気がした。
「お姉ちゃんからすれば野兎の解体とか五年ぶりになるんじゃないの? 腕が落ちてないね」
「ずっと戦場にいたからね。食事はずっと現地調達だったし。村や街から食料の強制徴収とか絶対させなかったし」
「あ、うん……」
何気なく聞いたけど過酷すぎる。実は心的外傷も多いのでは……。
ふたりで埋めた箇所に手を合わせて、自然の恵みに感謝する。
「他領だと野兎とか獣を平民が勝手に捕っただけで犯罪で死罪なんだよねー。それで困ったこともあったんだ」
「物騒だなぁ……。でも、お父さんにも聞いたことがあるよ、それ。お父さんにも獲りすぎるな、とは森に初めて入ったときに言われてるし」
「ロモロも日々の糧を気にすることなく獲れることに感謝しなきゃいけないよ?」
「感謝を忘れたことはないよ」
家に戻り、処理した肉を塩漬け用の大きな桶に入れておく。
頭や手や足の骨はひとまず、適当な棚に置いておいた。
皮は知り合いの皮職人の店に行って売り払う。小さいから小額にしかならないけど、これはこれで貴重なのだ。
「今日のお仕事は終わったね」
お姉ちゃんが腕を上に伸ばして、背中を解すように動かす。
これは夜に揉めと言ってくる気がする。弟は辛いな。弟とは姉の奴隷なのだ。
「さーて。帰ってパンとチーズもらお」
そんないつもの調子で昼ご飯を終える。
さて、本でも読もうかなと思ったら、逃れる間もなく僕はお姉ちゃんに外へと連れ出された。
借りてる読みかけの本があるのに……。
「というわけで魔法の訓練をします」
「本当にやるんだ。無駄だと思うけどなぁ……」
魔法が誰にでも使えるとか、本当なら王国がひっくり返るんじゃないかな。
いや、下手をすると大陸中が非常に困ったことになるんじゃ……。
「さっきも言ったけど、魔法は誰にでも使えるよ。ただ、マナの扱いを子供のうちにしっかりと習得しておかないとできないってだけで」
「そもそもマナって何なの? 僕はそこからしてわからないんだけど」
「いっぱい本読んでるでしょ。書いてないの?」
「みんなが知ってることは書いてるけど、実感としてよくわからないし」
マナを集めて、意思を乗せて、想像する。これが魔法の基本。
だが、マナの時点で躓いていた。サッパリ実感できない。
そんなものが本当にあるのかすら。
「見えないものを理解しろというのが、とても難しい話なんだから、そこの説明はしっかりしてほしいところだけど」
「マナは……うーん、すっごく小さな、目に見えない生き物って言えばいいのかなぁ」
「生き物? そんな喩えは本でも読んだことがないよ。初めて聞いた話だ……」
「あたしからすると、その説明が一番しっくりくるんだよね。マナによって好みもあるし、呼び掛けに応えてくれるし」
「そこに意思を乗せるとか、想像するとかやるわけ?」
「そうだけど、ロモロはまだそこまでやる必要ないからね。まずはマナと心を通わせることかな。子供のうちに色んなマナを身体に通しておかないと、まったく呼び掛けに応えなくなるから」
まだいまいち要領を得ないが、生き物と聞いて少しわかったような気はした。
「で、僕にそのマナは見えないし、どうすればいいのかわからないけど」
「マナはあたしの目にも見えないから。これから感覚で分からせるよ。お姉ちゃんを通して、ロモロの身体に送り込むから」
反論する間もなく、お姉ちゃんに後ろから抱き留められる。
ギュッと強く。逃がさないためなのか。
お姉ちゃんの温もりが伝わってくる。
「それじゃ行くよ」
昨日と同じように、姉の周囲が細かな光に満ちていく。
やっぱり幻想的な光景だ。これだけでも魔法は凄いなと思う。
そんな光がお姉ちゃんの中に吸い込まれていき――。
「なんかくすぐったい……」
「喋らない! 集中!」
「はい……」
「それっ」
そんな気の抜ける掛け声とともに、僕の中に光が入り込んでいく。
身体の中を少しだけくすぐられる感覚が走った。
あと、少し温かくなっている気がする。
胸の辺りから手へ、足へ、頭の方へ広がっていった。
「弟のロモロだよ。よろしくね」
まるで何かに言い聞かせるように呟くお姉ちゃん。
身体の中を駆け巡る何かは、止まることなく蠢動していた。
気味が悪いなと思いながらも、少しずつ興味が湧いてくる。
「腕を広げると、もっとわかりやすくなるよ」
言う通りに腕を広げた。
すると、身体中にマナと思われる何かが広がっていく。
「掴んで引き寄せてみて。実際に手を握ってやってみるとわかりやすいよ」
言われた通りに手を握ってみる。
引き寄せるというのがわからないけど、とりあえず両手首を外に返してみた。
何となく何かを引っ張ったというのがわかる。これがマナってことかな?
身体の中にあるというよりも、身体に薄らと纏わり付いているという方が正しいのかもしれない。
水に浸かっている感覚に近かった。水のような抵抗はないし、ほんの微かな感触しかないから、強く意識してなきゃ気付けない。
「深呼吸して。少し興奮しすぎ。マナに伝わっちゃってる」
今までにない未知が、精神をなかなか落ち着かせてくれない。
呼吸を大きく吸い、吐いて、吸って、吐いて、繰り返しをして、身体と心に余裕を持たせていく。
「はい、おしまい」
その一言を皮切りに、今まで中にいたものは、するするするっと身体の中から抜けていった。
ちょっと倦怠感が残っている。
「今のを自由に呼び寄せられるようにできたら、魔法を使うまですぐだよ」
「何かいるっていうのはわかったよ。まだ、完全には要領を掴めてないけど」
「これから何度もやってれば身につくよ。マナの濃度とかもわかるようになるから」
「なんでこんなこと知ってるの。貴族になってから教わったわけ?」
「こういうやり方自体は、貴族になった時、家族やその従者の人たちに教えてもらったよ。でも、明確になっただけで、あたし子供の頃から感覚では理解できてたから」
「は?」
また驚きの情報だ。もう驚かないけど。
「なんかいるなっていうのはわかってたんだよ。なんとなく呼び寄せたら来てくれたから。それを繰り返してたら、どんなマナも呼び掛けに応えてくれるようになったというか……」
「世の中の貴族が聞いたら憤慨しかねないんじゃ……」
魔法ってのは貴族の特権だし。魔法あっての貴族とも言える。
その特権を脅かされることにならないのかな……。
「勇者になってから、魔法を覚えたんじゃないの?」
「魔法自体を覚えたのは十三歳からだよ。でも魔法の素養自体はなんでかは知らないけど、十三歳までに決まるらしいから。それ以降はマナをどれだけ使えるかじゃなくて、どう扱うかってことにシフトするとかなんとか」
吟遊詩人による勇者の詩は、何の変哲もない人間が選定で選ばれることが多い。
それから少しずつ力を付けていき、仲間を得て、英雄に相応しくなっていくのだ。
だから僕はお姉ちゃんは勇者になってから力をつけたと思っていた。
だけど、お姉ちゃんは勇者選定の前に魔法の素養となる潜在能力を高めていたってことだよね。
「……お姉ちゃん。そう言えば、聞くのを忘れてたんだけど」
「ん? 何かあった?」
「なんで勇者選定でお姉ちゃんが見つけられたの? わざわざ、狙い澄まして国の人がこの街に来たの?」
詩でも発見される理由は物語によってアレンジされる。鏡の反射した光が勇者の居場所を指し示すとか、村の中で最も強いとか、たまたま王に見初められたとか。
「お? ロモロも興味出てきた?」
「特に気にしていなかったけど、こうなると俄然興味が湧いてくるね。もしかして、兵士の人たちが街とか村を、勇者捜して適当に回ってたとか?」
そう尋ねると、「そういうんじゃなくって……」と、お姉ちゃんは首を振った。
そして、嫌なことを思い出したように険しい顔になる。
「よくよく考えるとアレがあったんだった」
「アレって何」
「モンスターの襲撃」
「……一応聞くけど、どこに?」
「ここ」
「一大事じゃないか」
「一大事だよ。モンスターって、みんな話に聞くだけであんまり見たことないからか、人によっては害獣の凄いやつ程度にしか思ってないけど、一匹街に紛れ込んできただけで街が壊滅することすらあるんだから」
「一般市民じゃどうにもできないやつなんでしょ。だから発見次第、ハンターギルドに報告するわけで……」
「災害みたいなものだからね。勇者選定の少し前だから、だいたい今から二年後ってことになるかな」
「街は凄い騒ぎになったんじゃないの?」
「そうだよ。みんな、どうにかしようとクワ持って追い払おうとして、そのモンスターの爪を食らってどんどん倒れていって……死んだ人も出たんだよ」
「………」
「その時ロモロは近くにいなかったけど……トスカが一緒にいてね。トスカがやられそうになって……気付いたら、目の前のモンスターは倒れてたの」
「魔法で倒したってこと?」
「あたし自身にまだ自覚はなかったけど、街の人が言うにはそうだったって。魔法っていうには未熟な……マナの力をそのまま叩きつけただけみたいだけど」
街にここまでモンスターが侵入したということは、街の外壁でも兵士たちでも止めることができなかったということだ。
兵士たちが止めることすらできなかったモンスターを魔法で倒したのなら、当然領内では噂に上るだろう。
「それがきっかけで、勇者選定をやることになったってこと?」
「たぶんね。選定の時、鏡が光った瞬間、すっごくざわめいてたなぁ。何にせよ、このモンスターにも手を打たないとね。あたし、絶対に誰も死なせないよ」
グッと拳を握るお姉ちゃんは非常に凛々しい。
正義感は強いんだよな。というよりも、強すぎる。
僕が虐められた時も、すぐさま助けに来てくれるし。
ただ……それは勇者の資質としてどうなんだろう。
今言った『誰も死なせない』は、まだ近所の人までだろう。広げても街の人たちまで。
勇者ともなれば、『誰も死なせない』は世界全体ということにならないだろうか。
「気負わない方がいいんじゃないの?」
「そんな! 人が死んじゃうんだよ! ロモロはちゃんとわかってるの!?」
「二年後なんでしょ? 今から気張ってたら、いざという時に疲れちゃうし」
「……そう言われると、確かに」
「お姉ちゃんが僕に伝えるべきことは、二年後にモンスターが襲ってくる日がいつかってこと。できれば詳細が知りたい。どこから入ってきたかとか」
そう問うと、お姉ちゃんは面食らった顔をした。
「ロモロ、ちゃんと協力してくれるの?」
「あのね……。お姉ちゃんが協力させるって言ったんじゃん!」
「そうだけど……積極的に協力してくれるって思ってなくて」
「どうせ面倒な思いするなら、できる限り面倒は避けたいだけだよ」
凄く面倒なことを避けるためなら、敢えて軽い面倒には目を瞑るべきなのだ。
まあ、それにこれだけじゃない。
「お姉ちゃんが覚えてることを全部話してもらうからね。二年後のモンスターのことだけじゃなくて、他の重要な出来事も含めてさ」
「うん。お願いね、ロモロ。お姉ちゃん、忘れちゃいそうだから。それにあたしも未来に向けて、今のうちに色々とやることもあるしね」
致命的なことだけは早めに教えてもらわないと、取り返しのつかないことになりそうだからね……。こっちは家族の命だってかかってるわけだし。
「さて、充分休んだでしょ? マナを通すの、続けよ」
そう言って僕の後ろからまた抱き付いてきた。
「まだ身体が怠いんだけど……」
「マナは体調とか気分とかで集まってくれるタイプがまた変わるから。色んな体調でやっておいた方がいいんだよ」
否応なしにマナが通されていく。
気分の悪い時に力を貸してくれるマナって、趣味悪くない?
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