お姉ちゃんのやりたいこと

 夕食。お母さんが買ってきたライ麦パンと、塩漬けの肉と野菜が煮込まれたスープを食べる。

 今日は珍しく肉が入ってて、食べ応えがあった。噛むと仄かな肉の野性味と塩味が口の中に滲み出る。

 お父さんが黙々と食べて、お母さんがゆっくりと咀嚼しながら飲み込み、お腹を優しい手つきでさする……と、普段と大して変わらない食事風景。

 ただ、この日はひとりだけおかしい人がいた。


「うっ、あっ……ひっ、ぐっ……」


 一口一口、ゆっくりと口にしながら、大粒の涙を流している。

 お父さんもお母さんもギョッとしていた。

 僕に視線が向けられるけど、ふるふると首を振る。どうしたんだ、本当に……。

 今日は明らかに情緒不安定だ。


「ど、どうしたの、モニカ? そんなに泣くほど不味かった?」

「いや、普通に美味いけどな。どうした?」


 お母さんとお父さんが心配そうにお姉ちゃんの顔を覗き込む。


「あ、あたし……こ、これよりもすっごく美味しい食べ物を食べてきたよ……。量もすっごくて、たぶんすっごく高くて、すっごく稀少な食べ物を……。きっと、みんなが見たこともないようなすっごいの……」


 僕もお父さんもお母さんも、首を傾げる。


「でも……やっぱり、お母さんの料理が……一番、美味しいよ。また食べられるなんて思わなかった……。ぐす……」


 感極まったように泣きながらスープを飲み込むお姉ちゃん。

 そうか。今のお姉ちゃんからすると、七年ぶりの家の料理ってことになるのか。

 お姉ちゃんの心情を僕に理解できるわけはないけど、今は好きにさせてあげた方がいい気がした。


「今日はよく泣くわねぇ……。本当にどうかしたの?」

「何? そうなのか。どうしたんだ、モニカ。何かあればお父さん、相談に乗るぞ?」

「ちょっとロモロ。何か知らないの?」

「……いや、僕にも何が何だか」


 何を言ってもボロが出そうなので黙っておこう。

 そんな僕の思いが伝わったわけじゃないだろうけど、お父さんもお母さんも泣きながら、ご飯を食べるお姉ちゃんを温かい目で見守っていた。


 その日の夜。

 いつもは寝室の大きめな木のベッドに四人、壁側からお父さん、お母さん、僕、お姉ちゃんの順に並ぶ。

 ただ、今日はお父さんとお母さんの間に、お姉ちゃんが入りたいと言いだした。


「別にいいけど。今日は甘えん坊だな」

「本当に今日はしおらしいわねぇ。これが続くといいんだけど」


 そんな感じでお姉ちゃんは満足そうな顔で床につく。

 今後どうするかは、明日考えようということになった。


     ◇     ◇     ◇


 次の日の朝、森に仕掛けた罠に動物がかかってないかを調べに行くことになった。

 お姉ちゃんも一緒だ。今日の朝はいつも通りのお姉ちゃんである。

 木の実や動物たちのありがたい恵みのある森の中、木漏れ日を浴びながら歩いて、ここから一番近い罠の設置場所へ向かった。パネトーネの部下たちはこの時間帯はほとんど彷徨かないため、危険もない。

 いつも通りの光景に、もしかしたら僕の方が夢を見ていたのでは? と考えた矢先、


「昨日ロモロが言ってた、これからどうするかなんだけどさ」

「あ、うん。夢じゃなかったですね」

「何のこと?」

「世の中って自分の都合よくいかないなぁって思って」

「何かよくわからないけど……。あたしはまた勇者にならなきゃいけないと思うんだ」

「なんで」

「ロモロは反対?」

「反対って言うか、お姉ちゃんに勇者なんて似合わないし」

「ひ、ひどーい! あたし、これでもスゴかったんだからね!? みんなに褒め称えられてたし! 勇者モニカ万歳って連呼されてたんだよ!」

「ひどくないよ。話だけ聞くとろくな目に合ってないじゃない。吟遊詩人の詩ともかけ離れてるし。そんな勇者の苦難話、絶対流行らないよ。しかもバッドエンドとか」


 家族を殺されて、ずっと戦場で戦いの日々。

 平民が貴族になるというのは聞いたことがないわけではないけど、生活がまったく異なるため、その差異による精神的負荷で自殺した者もいるという。


「しかも、勇者なんて当然期待をされるものでしょ。英雄的な行動を、英雄らしき栄誉を、英雄としての責任を。どれだけ強くても、脳天気なお姉ちゃんには役割として合ってないと思うし」

「うぐぐぐぐぐ……」

「突撃と叫ぶだけの将軍とかなら、すごく似合ってそうだけど」

「でもでも! 魔族に勝つにはあたしの力が必要だし……」

「魔族ねぇ」

「あ、信じてない!?」

「いや、話だけは知ってるよ。この大陸の東――この領から程近い場所に魔族領と呼ばれる島があるってことくらいは。そこに住んでる人たちのことでしょ」

「そう! 人より遥かに強いんだからね! こっちは魔法が限られた人しか使えないのに、魔族は全員使ってくるし! 力は強いし動きは速いし空飛べるのもいるし、普通の兵士の人たちが五人でかかってようやく魔族ひとりとまともな勝負になるんだよ」


 そもそも魔族領という島は、その周囲を大渦で囲まれ、船すら近づけない。

 それは魔族も同じなようで、彼らは積極的にこちらにやってきたりはしなかった。


 ――二年前までは。


「それが、定期的に攻めてくるようになるんだからね!」

「繋がるからね。一年に一度……。異常気象だっけ」

「そうそう。秋になると海の潮が異常なほど引いちゃって、大渦ごとなくなるんだよね。それで何日か大陸と魔族領の島が繋がるようになって、橋頭堡を築かれちゃうんだから」

「去年、それで兵士の人たちが緊急動員されているのは知ってるよ。どうにか撃退できたけど、かなりの犠牲が出たって話も」


 その上、魔族側はまるで偵察でもしにきたようだったということだ。

 今年も大渦が消えて警戒されていたが、特に何もなかったのか平穏だった。

 今は冬になって潮は満ち、すでに大陸と島は分断されている。


「王様が言ってたけど、繋がってない方が異常だったらしいけどね」

「へ? そうなの? というか、王様って。勇者ともなれば、王様と謁見する機会も多いってこと?」

「まあね。節目節目に何度か会ったよ。それでその時に、大昔は毎年、一度は繋がってて、それが数十年前だったか数百年前だったかに繋がらなくなったらしいって聞いたよ」

「数十年前と数百年前には、とても大きい差があると思うんだけど」

「だ、だって、覚えてないんだもの! 仕方ないじゃないのー!」

「でも、その話が本当なら元に戻っただけってことか」

「そういうこと! あたしはそれを言いたかった!」


 ひとまず僕が理解したことに、満足そうにうんと頷く。


「とにかく! 魔族を倒すには、あたしの力が必要なんだよ。だから、あたしはまた勇者になる」


 グッと拳を握るお姉ちゃんだったが、非常に甘い考えのような気がするんだよなぁ。

 それに穴だらけでもある。何もビジョンが見えない。


「ねえ、お姉ちゃん」

「何? まだ反対?」

「いや、反対以前に……いや、基本反対なんだけど」

「むー。ロモロはみんながどうなってもいいっていうの? あたしが魔族を倒さないと、魔族はこっちに来て、きっとひどいことするよ?」

「ひどいことって……魔族は残忍なことで有名だし、吟遊詩人の詩でも、耳を覆いたくなるような場面があったりするから、それは知ってるけど」


 その上、言語を扱わず、人とコミュニケーションができないため、淡々と殺戮をするとか……。ぞっとしないね

 それはともかく、今はお姉ちゃんの話だ。


「そうじゃなくて、もっとそれ以前の話だよ」

「んー? どういうこと?」

「仮にお姉ちゃんが勇者になったとして、何も変わらないように思うんだけど」

「????」

「二年後、勇者選定でお姉ちゃんが勇者になって、貴族に引き取られて……。そこからは何も変わらないじゃない。たぶん僕も含めて家族は殺されるし、お姉ちゃんが戦い続けるのも変わらない。最後にお姉ちゃん自身が死ぬのも」


 すると、お姉ちゃんは不敵に笑った。

 ……この笑みは少し知能が低そうだ。


「ふっふっふ。甘いなぁ、ロモロってば」

「どうにかする手段があるの?」

「母さんや父さんたちが死んじゃうってのは、知ってるから防げばいいでしょ?」

「まあ、そこはいいよ。知ってるから防げるってのは納得ができるし」


 未来予知のようなものだ。どんな目に合うのだとしても、それを事前に知っていれば回避可能だ。ただの火事であればその日、家にいないだけでも生命は保証される。


「ただ最後、お姉ちゃんが死ぬっていうのはどうにかなるの?」

「そもそも、あたしが死んじゃったのには理由があるんだよ。最後、魔族に負けたのも、あたしの実力が足りなかったからだし、魔法とか剣技とか色々と未完だったからね。修行も途中だったし。必殺技だって、あと少しでできたんだよ」

「必殺技って……。まあでも、原因が明確なら、それもまたやり直しでどうにかなるね。そこをひとつずつ潰していけば、解決できるかもしれない。それで?」

「その時の戦いって充分な支援を受けられなかったんだよ。この国も隣の国との戦争とか、内戦とかでゴタゴタしてたし。あたしを引き取ってくれた人たちの領地もいっぱい取られちゃって、食べ物も武器もなくなっていって。姉様に泣いて謝られちゃったよ」

「……戦争? 内戦?」


 冷や汗が滲み出る。

 今現在、この国は一応平和だ。水面下では色々あるんだろうけど、大きな戦争は起こっていない。

 もちろん、目下のところ、一年に一度繋がる魔族領に目を光らせる必要はある。

 ただ、国として一丸――いや、大陸で一丸となって魔族と戦うべき時に、隣国と戦争とか、内戦とか。


「未来の僕らの国がボロボロじゃない? むしろ、そっちの方がマズいんじゃ……」

「大丈夫! ちゃんと支援を受けられるようにすれば、まだまだあたしたちは負けなかったんだよ。だから、そこさえどうにかなればいけるはず!」

「どうにかなればって……どうにかなるの? 隣国との戦争や内戦を、個人でどうこうできるとは思えないけど。戦争の原因なんて単純なようで複雑だよ?」


 必要に駆られていることもあれば、周囲に押されて仕方なく実行されることもある。感情的に攻め込むこともあるだろうし、恨み辛みによるもので起きることもある。

 それを防ぐ方法なんて、簡単に生まれるものじゃない。


「お姉ちゃんが触れ回って、戦争を収めるつもりなの?」

「あたしだけじゃ、どうにもならないよ」

「そこは自覚あるんだ……」

「でも、どうにかしてくれる人にアテはあるんだ。魔族との戦争も、内戦も、隣国との戦争も、きっと解決できるから」

「……おお。お姉ちゃんらしからぬ、すごく良い案だ」


 なるほど。できないことはできる人に任せる。正しい。まったくもって正しい。

 人にはできることとできないことがある。だから、僕が重い荷物を運べないのは仕方ないことであって、男なのにと責められる謂われはない。


「やれる人に任せるのが一番効率がいい。適材適所って言葉もあるし。誰かは知らないけど、お姉ちゃんにここまで信用されるなんて、さぞ優秀な人なんだろうね」

「………」


 お姉ちゃんが、僕のことをじーっと見ている。

 僕から目を逸らさない。

 ……猛烈に嫌な予感が胃の方からじわじわと迫り上がってくるのを感じた。


「きっとロモロなら、どうにかしてくれると思うんだよね!」

「は?」

「そういう面倒なことは、きっとロモロがどうにかしてくれるはず。賢者の神子なんだから!」

「寝耳に水だ! アテって僕かよ! っていうか、しれっと面倒なことって言ったね!?」

「よろしくね! ロモロはお姉ちゃんと一緒に世界を救うんだよ!」

「ヤダよ! そんな形でお姉ちゃんの面倒を見るなんて冗談じゃないよ!」

「断れないよ」

「な、なんで?」


「弟は姉に絶対服従だから」


 ゴーンと教会の鐘が鳴り響いた瞬間、終わった気がした。

 この言葉を出したお姉ちゃんから逃れる術はない。

 僕がどう抵抗しようと、意味を成さないだろう。

 生まれてから、ずっとそうだ。前世の記憶はこんな時、何の役にも立ってくれない。


「む、無理だって。僕に貴族の生活とか無理だって」


 とはいえ、抵抗を試みる。

 無駄だとわかっていても、流されるまま流されてはいけないのだ。

 兵法書でもそう言ってる。


「どっちにしろ、このままじゃあたしも含めて、ロモロも死ぬんだよ? お母さんもお父さんも、トスカも」

「お父さんたちはともかく、まだ生まれてない妹を引き合いに出されてもなぁ……」

「ロモロはこのまま成長すれば、絶対、重要な地位につけるぐらい頭もよくなると思うんだ! というか、なるの! 貴族の中でも、さらに偉い人に!」

「無茶言わないで! 僕より頭のいい人なんて、貴族にいくらでもいるでしょ!」

「いなかったから言ってるの! あたしの同世代でもロモロより頭がいいって思えた人、いなかったし! 馬鹿ばっかりだったんだからね!」

「お姉ちゃんに馬鹿ばっかりって言われるなんて、この国が人材不足にもほどがある! それはない!」

「それに! あたしが勇者になる一年ぐらい前にも街に大群の獣が襲ってきたけど、ロモロの指示と指揮でどうにかなったし! ロモロは街の危機を救ったんだよ!」

「未来の僕は何をやってんの? いくらなんでも眉唾すぎる!」

「あとあと! あたしが勇者として引き取られる時、ロモロは泣いてたんだよ! 『お姉ちゃん行っちゃヤダよ』って言ってたし! 一緒に行けるんだよ! 嬉しいでしょ!?」

「僕の未来を勝手に言わないで! 何それ、恥ずかしすぎる!」


 まさか僕の話まで出てくるとは……。

 お姉ちゃんの口から出る僕の話はあまりにも現実感が伴わなくて信じられない。

 僕が貴族たちよりも頭がよくて、街の危機を救って、お姉ちゃんと離れるのを泣いて嫌がったって……。

 ……最後の話は、お姉ちゃんが勇者って話よりも信じられない。


「そもそも貴族になると簡単に言うけど、どうにかする算段はついてるの? お姉ちゃんは魔法を使えるから勇者云々なしに、貴族になれてもおかしくないだろうけど、僕はただの平民だよ。魔法なんて使えないし」

「何言ってるの。魔法は誰でも使えるよ?」

「それこそ、何言ってるの、だよ!」

「もちろん才能はあるらしいけど、魔法の基本であるマナの収集は誰でもできるよ。みんなやり方を知らないだけで。貴族の人たちもやり方を公開してないからね」

「信じられない……」


 疑わしい目付きを返すと、お姉ちゃんはニッコリと笑った。


「幾つか面倒な条件はあるけど、今のロモロなら大丈夫。というわけで、罠を調べ終わったら、魔法の訓練をしよっか。よーし、決まり! ロモロも貴族として連れて行くために魔法は必須だからね。世界を救うための第一歩だよ」


 世界とかいうバカでかい代物を救う片棒を担がされるとか、齢八歳にして棺桶に片足突っ込んだ気がしてならない。

 第一歩踏み込んだ先が棺桶とか欠片も笑えないよ。

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