ふたりの秘密

「あたし、ロモロに言ったことを秘密にした方がいいと思うの」


 お母さんが晩ご飯の準備を始めてから、手持ち無沙汰になるとお姉ちゃんは小声でそんなことを言ってきた。


「なんかロモロの反応を見ると、お母さんにもお父さんにもまったく信じてもらえない気がするし」

「珍しく賢明な判断だと思うよ」

「……褒められてる?」

「一応褒めてるよ。今年一番の判断だから」


 魔法を見せれば信じてもらえるとは思う。それほど魔法の力というのは絶大だ。本来、貴族にしか使えない魔法を使えるというのは、信じるに足る理由になる。

 それでも、両親には隠すべきだと思った。

 娘が自分は勇者だと言いだしたら、微笑ましい表情を浮かべるとは思うけど、貴族の養子になるとか家族が殺されるとか、最後はお姉ちゃんも死ぬとか聞いたら心穏やかにはいられないだろう。


「お姉ちゃんさ……」

「ん?」


 ふと気になったことを尋ねようとした時、外から怒声が聞こえてきた。

 お姉ちゃんが立ち上がり、


「お父さんの声が聞こえた!!」

「え? お父さんの声?」


 怒声自体はお父さんのものではない。

 だが、怒声に何かを感じ取ったかのようにお姉ちゃんは家を出て行ってしまう。


「ちょっとお姉ちゃん!?」


 慌てて追いかけ、集合住宅の外に出る。外は太陽がほぼ落ちており、すでに薄暗い。

 すると、確かにお父さんはそこにいて、ガラの悪い男たちに囲まれていた。

 屈強な男たちは僕らと出会った連中とは違うが、間違いなく森の所有権を主張する厄介者――パネトーネの一味だろう。


「あそこにあんなもん建ってちゃ困るんだよ!」

「そうは言ってもな。あれはこの街の長の許可を得て建てているものだ。それを後から言われても困る。あの土地の所有権を領主に確かめてから主張するべきだと思わないか」

「喧しい! アレは昔からパネトーネ様のものだって言ってんだろうが!」


 お父さんは鍛冶職人であり、それは彼らが領有権を主張する土地の一画に立っている。

 現れて以来、ずっとケチをつけてきており、今回のようなことは一度や二度ではない。

 その度に、お父さんはのらりくらりと躱していたが、今日は様子が違って彼らの口調が普段より荒かった。


「ちょっと、待ちなさい!」


 そして、いつもと違う様子の中に、さらに場違いな人が紛れ込んだ。

 もちろん、お姉ちゃんである。

 お姉ちゃんは囲みの中に入ってお父さんを守るように前に立った。


「思い出した! 確かにあんたたちいたわね! いつもいつもいつもいつもいつもお父さんにケチつけてた偽貴族!」

「偽っ……! なっ、何を言いやがる、このクソガキ!」


 すでに光の粒は舞い始めていて、お姉ちゃんはもう魔法を発動させていたようだ。

 だが、どんなことを巻き起こすのか、魔法の知識は僕に存在していないため、何をするつもりかわからない。


「さっさと帰りなさいよっ!」


 お姉ちゃんが踏み込んで拳を撃ち抜き、囲んでいるひとりの男の腹を穿つ――ようなことにはならなかった。

 お父さんがお姉ちゃんの頭をがっしと掴んで、踏み込みを止めていたからだ。


「こーら、モニカ。大人しくしてなさい」


 ……あれ? 驚かない?

 僕の戸惑いをよそに、魔法自体は発動していたようで、空気を裂くような音と共にお姉ちゃんの拳が放たれるものの、狙いが外れる。

 ただ、その場に凄まじい風圧が発生しただけだ。

 ……その風圧は、凄まじい音を立てて、集合住宅の壁を一部破壊したが。


「ひっ!?」


 ただ、囲んでいた男たちには効果覿面だったようで、男たちが後ずさる。

 お父さんへの囲みは徐々に広がっていった。


「ちょ、ちょっとお父さん離してよ! こいつら、懲らしめないと!」

「恐喝に暴力で返すのは、下の下だぞ。モニカ」


 そう言ってお父さんはお姉ちゃんの頭を掴んだまま、囲んでいた男たちを睥睨する。


「ま、そんなわけなんで、子供もいるから今日のところは帰ってもらえねーか」

「くぅっ……お、覚えていろよ! アーロン!」


 男たちは一斉に背中を向けて逃げ出した。

 後にはお父さんとお姉ちゃん、少し離れて僕だけが残される。


「なんだ、今の音?」「おいおい、モニカちゃん。大丈夫かい?」「ロモロくんも怪我はないの?」「誰かさっきまで怒鳴ってた?」「酔っ払いかと思ってたんだが、もしかしてパネトーネの連中だったか」


 背後には近所の人たちが集まり、もはやこれは言い訳不可能。

 お姉ちゃんは目をグルグルさせていた。混乱している。役に立ちそうもない。


 皆が心配そうに近づいてくる。その中にはお母さんもいた。

 どう弁解するか考えあぐねていると、


「あー、すまんな。ちょっと鍛冶で使う道具を落として蹴っちまったら、壁を壊しちまった。悪ぃ悪ぃ。暗くてどこに落ちたかわからなくてなぁ」


 お父さんが頬を掻きながら、しれっとそんなことを言う。

 もしかして、お姉ちゃんを上手いこと庇ってくれてる?


「いったいどんな道具を蹴っ飛ばしたんだよ、アーロンさん」

「いやー、ちょっとロモロの助言で作った道具だったんだけどな」


 そう言って僕の肩をぽんぽんと叩くお父さん。

 ちょっと!? と焦ったが、お父さんにも考えがあるのだろうし、


「お父さん、もしかしてせっかく作ったアレ壊したの?」

「すまんすまん。今度、お詫びに別のものを作るからな」


 ひとまず乗っておいた。


「なんだ、ロモロくんとアーロンさんの仕業かい」「ビックリしたわー」「元とはいえ、銀級ハンターってのはすごいわね」「ロモロくんも何作ったの。賢者の神子の知識?」


 それで疑いが晴れたのか、近所の人たちは家に帰っていく。

 ハンターが凄腕であることは広く知られているけど、こんな無茶な出来事の道理が通るんだ……。

 僕の助言というワードもそこはかとなく、説得力を出してしまっているような気がしなくもないけど……。


 賢者の神子などと呼ばれてしまっているのは、ひとえに僕の前世の記憶のせいである。

 前世でどんな人生を歩んだかは覚えていないのに、記憶だけはあるものだから、様々な知識が内包されていた。

 そのせいで子供なのに、妙にものを知っているようになり、賢者の神子――賢者の知識が入り込んでいると思われている。

 知識をひけらかさなければいい話ではあるが、起こっているトラブルを解決できそうだと、我慢できずに口を出してしまうのは僕の悪い癖かもしれない。


「まったく、あなた。何やってるのよ。モニカが呆然としてるじゃない」

「はは、すまんすまん。ちと壁を直さなきゃいけないからな。モニカとロモロには手伝ってもらわんと。お前はいつも通り、飯の準備を頼むよ」

「言われなくてもそうします。本当にビックリしたのよ。生まれるかと思っちゃったわ」

「はっはっは。それで生まれたら大物だ」


 呆れ気味にお母さんが帰っていく。

 ホッとしたのも束の間、お父さんの顔がこちらに向いた。


「さて、ふたりとも。この吹き飛んだ壁を直すぞ。ロモロも方便にして悪かったな。いやー、しかし、お前がちゃんと俺の意図をしっかり汲んでくれて助かったぜ」

「いや、僕は別にいいけど」

「あ、あの……父さん……」


 お姉ちゃんが恐る恐るお父さんに声をかける。


「話は後でな。お前も良かれと思ってやったんだろうし」


 まるで気にしていなさそうな顔だ。

 ……この辺りの鷹揚さというか、適当さ加減は、お姉ちゃんがしっかりと継いでる気がする。

 そして、お姉ちゃんが神妙な表情でお父さんの側に立つ。


「ただいま。父さん」

「は? あべこべだぞ、モニカ。俺が帰ってきたのに」

「あべこべでもいいの。だから、お帰りなさいって言って」

「なんかよくわからんが……お帰り、モニカ」


 そんな些細なやり取りに、お姉ちゃんは満面の笑みを浮かべていた。

 お父さんは首を傾げていたけど、まあいいかみたいな表情で流す。


「で、片付けながらでいいけど、モニカ。お前、何やったんだ?」


 そう言われて、お姉ちゃんは笑みから一転、ギクリと肩を震わせて、顔を青くしていった。


「え、えーと……」

「どういうわけか知らんが、もしかして魔法使ったか?」

「ひうっ。み、見間違いじゃないかなぁ……?」

「あのなあ、モニカ。魔法は平民にとっちゃ身近な存在じゃないけど、年に数回は目にすることがある。たまにだが、晴れの日が続いた時に畑に水を降らせたり、風のない日が続くと風車を回したりするために派遣されることもある。だからこそ、俺だって魔法の区別くらいはつく」

「あうう……」

「それで、誰に教わった? ヴァリオ経由でヴェネランダ辺りか?」

「え、と……」

「つっても、モニカは魔法関連の話には興味を示してなかったよな……。ロモロが使うならまだギリギリわかるんだが」


 難しい話のできないお姉ちゃんが、難しいの極致とも言える魔法を使うのは当然おかしいよね。

 僕も本に載ってる程度のことは聞いたことがあるけど、いまいち理解できなかったし。マナとか、意思とか、想像とか。


「なんか適当にやったら出たの!」

「言うに事欠いて、その言い訳はひどくない!?」

「ははは! さすがマーラと俺の娘だ! 天才過ぎる……」


 思わず突っ込んだけど、お父さんもひどかった。じーんと涙を流さんばかりに感動している。

 いいのか、それで……。確かにさっき、ほとんど驚いていなかったけどさ。


「お、お父さん。それでいいの? お姉ちゃん、魔法使ったんだよ? 魔法」

「昔、パーティ組んでたヴェネランダ曰く、魔法はある日突然、感覚として理解できるらしいからな。天才はその感覚を即座に掴んで、使えるらしいぜ。うむ。モニカは天才なんだな」

「本気で言ってるの? それとも理解を諦めたの?」


 平民ですよ、僕ら。貴族の血、混ざってないよ。

 ……実はお父さんか、お母さんが元貴族とか言わないよね?


「ま、危ないから使う時は気をつけろよ。もし、さっきみたいなものを使って誰か傷付けた時は……」

「時は……?」

「魔法師を牢獄にぶち込む時に使うような、魔法封じの道具をヴァリオから取り寄せなきゃならんからな」


 それだけでいいの? 大丈夫?

 お姉ちゃんが魔法使ってるのって、一大事なのでは?

 実はそうでもないの?


「お姉ちゃんの魔法を使用禁止とかにしないでいいの? お父さん」

「俺が止められるようなもんでもねーし。特に届出が必要になるわけでもないしな。平民が魔法を使うこと自体、前例は少ないが、稀によくあるんだよ」

「稀によくあるって、言葉が矛盾してるじゃん」

「細かいことはいいんだって。それにモニカはこういった言いつけならちゃんと守れるだろ。な? モニカ」

「う、うん。もちろん。あたし、もう子供じゃないし」

「うむ。いい答えだ。あと、やたらと見せびらかさないようにしておけよ。面倒事を引き寄せることにもなるからな」


 満足そうに頷き、お姉ちゃんの頭を撫でるお父さん。まあ、お父さんがそう言うならいいのか。うん。僕も考えないようにしよう。お父さんの思考が特殊なんだ。


「さーて。一日中、クソ熱い中で槌叩いてたから疲れちまった。飯だ飯ー」


 そう言ってお父さんはバラバラになった木をひとまとめに置いて、肩をグルグル回しながら家に戻る。

 僕たちもそれに続いた。


「……お父さんは、お姉ちゃんが勇者って話を信じそう」

「うーん、父さん、あたしのさっきの話、本当に信じてるのかな」

「魔法は信用したっぽいし。それよりもお姉ちゃん」

「何?」

「お姉ちゃんの話が全部本当だとして、今後、お姉ちゃんはどうする気なの?」


 話からすれば、お姉ちゃんは今、人生をやり直している。その上で、


『これからどうするのか?』


 僕が先ほど聞き損ねてしまった質問だ。


        ◆


「それで? お前らは目的も果たせずノコノコと帰ってきた、と」

「へ、へい。し、しかし、あのアーロンに付け込もうにも――」


 蝋燭の明かりだけが部屋の中を照らす仄暗い部屋に、蛇のように纏わり付く声が響く。

 立派な机に、立派な椅子。そこに座るのは目付きも鋭く、ゴテゴテと高級そうな宝石を散りばめた服を着たふくよかな男だった。

 名前をパネトーネ。この一味のリーダーである。


 部屋の中には十数人の男がいるが、誰もが浮かない顔をしていた。

 その中でもパネトーネの前に立っている男――先ほどまでアーロンを囲んでいた男のひとりが立っている。

 その表情は威勢のよかった時とは打って変わって恐怖に染まっていた。


 パネトーネが机の上に置かれたナイフを取り、無造作に投げる。

 ナイフは男の足下に刺さり、男はヒッと小さな悲鳴をあげた。


「俺はいつ言い訳をしろと言った?」

「も、申し訳ありません!」

「お前の謝罪が金にでもなるのか? それともそれで目的が達成できるのか?」

「………ッ!」

「謝る暇があるなら、方法を考えろ! ガキの使いじゃねぇんだぞ!」

「ヘ、ヘイッ! てめぇら、行くぞ!」


 そう言って男は出ていく。

 数人がその男について部屋から出て行った。


「で、そっちのお前はなんで森の巡回に行くだけで怪我をしてんだ? あ?」

「た、大変申し訳ございません……。そ、その……住人たちが森に仕掛けた動物用の罠にハマっちまいまして……」


 次に水を向けられたのは、昼頃に森を巡回し、モニカに手酷くやられた男たちだった。

 だが、彼らは嘘を吐く。事実を話すことなどできない。

 十歳の少女に全員やられたなど大の大人が口が裂けても言えるわけがなかった。信じてもらえる自信もないのだ。

 少女が魔法を使ったなどと話しても、それこそあり得ないと一蹴され、パネトーネの機嫌を悪くするだけだろう。パネトーネを怒らせたら、最悪、死へと繋がる。

 そのため動物用の罠で怪我をしたと、全員と口裏を合わせていた。多少苦しい言い訳だが、それ以外に取り繕える言い訳がない。


「まだ、あの森に罠を仕掛けてるようなやつがいるってのか」

「へ、へい。もう少し連中を痛めつけないと駄目かもしれませんぜ」


 領有権があるから出ていけと主張したものの、それを律儀に守っているのは極少数だ。

 パネトーネはこの森が街の住民にとってどれだけ重要なものであるかを知らない。

 だが、パネトーネにとってはそんな感情は心底どうでもよかった。


「こっちもまだまだ人数が足らねぇんだよ。お前らだけで追い払え。実効支配しちまえばどうにでもなる。この街の行政官に鼻薬効かせてる間に森を開拓すりゃ、おいそれと手出しはできねぇだろうよ。その間にもっとオレたちも規模を大きくしてみせる」


 パネトーネがそう言うと、男たちは「へい」と言って部屋から立ち去った。

 部屋にパネトーネひとりになり、静寂に包まれる。

 ひとつ、溜息を吐こうとした――。


「大変ですねぇ」


 否。ひとり残っていた。いや、新しく突然部屋の中に入ってきたのだ。

 黒いローブを着込んだ男が。

 夜の月明かりに照らされても、なお暗い。


 今度はパネトーネが顔を恐怖に歪ませる番だった。


「あ、アルベルテュス様。た、大変申し訳ありません。アーロンに関してはまだ……」

「言い訳をしろとは言ってないんですけどねぇ」


 先ほど言った言葉が返ってきて、背筋が冷える。

 パネトーネの身体はガクガクと震えていた。


「こちらとしては別に急いではいないのですがね。成果を急いでいるのはあなたの都合ですし」

「は、はい……」

「没落した貴族というのは大変ですねぇ。どうにかして成果を出さないと、このまま爵位も取り上げられるんでしたっけ」

「……っ!」

「ですが、安心してください。私はあなたの味方です。便宜さえ図ってくれれば悪いようにはしませんよ」

「あ、ありがとうございます……! 感謝致します!」


 先ほどまでの強気はどこへやら、パネトーネはとことん謙る。

 部下には絶対に見せられない姿だった。


「も、目的さえ果たせば、ちゃんと領地をいただけるんですよね?」

「ええ。この街の一部をしっかりとねじ込みますよ。あの偽物の権利書ではなく、本物の権利書で。この国に橋頭堡を作っておくのは損ではないですからね」


 そう言ってローブの男はクックックと笑う。

 それは瀕死の病人が必死に生きるのを嘲笑うかのような薄笑いだった。

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