家に帰ってもお姉ちゃんは変わらない

 帰宅して、持って帰ってきた木の枝をいつもの場所に重ねておく。

 うちの家は木造の三階建て集合住宅、その一階の一室だ。

 お父さんは仕事でまだ帰ってこないだろう。お母さんも今は外出しているようだ。きっと夕飯のパンか何かを買いに行っているのだろう。


「あー、この家も久しぶりだなー。懐かしい。古いなー」

「今のはなんだかわざとらしい……」

「ひっどーい! 本当に久しぶりなんだからね!?」


 ようやく元のお姉ちゃんに戻った気がする。

 ただ、さっきのお姉ちゃんを夢で片付けるのは、さすがに通らない。

 床に座って対面しながら、話の続きを聞こう。


「それで七年後から戻ってきた……だっけ?」

「そうそう! 信じてくれた!?」

「正直、理解が追いつかなくて、まだ実感湧かないけど……」

「魔法まで使ったのにー」

「それが一番理解できないんだけどな……」


 お姉ちゃんは難しそうな顔をする。

 どう説得をしようか悩んでいるようだった。


「さっき有耶無耶になったけど、貴族の作法とやらは?」


 そう僕が尋ねると、お姉ちゃんは気まずそうに目を逸らした。

 道中で普通に歩けるようになったので、もう普通にできるだろうと思ったのだけど、反応は芳しくない。

 完全に目を逸らして、できれば回避したいという思惑が見え見えだ。


「実を言うと、色々とサボってたから……」

「言い訳としては苦しいと思うんだけど」

「だって貴族ってダルいんだよー。着替えひとつ自分ひとりでできないし、必ず侍女とか護衛の誰かが傍にいるし、普通に喋れないし。言葉遣いがややこしくて、褒められたと思ったら皮肉だったりさ。お茶会とか疲れるだけだったな。お菓子は甘くて美味しかったけど」


 七年後の話は置いておいても、お姉ちゃんが伝説に等しい勇者というのは、いくらなんでも戯言だとは思ってた――んだけど……今までにない知識を持っているのは事実だ。

 勇者選定について知っていたのもそうだし、貴族についてもそうだ。


 本来であれば、僕だって知らない情報だったかもしれない。

 理由はわからないが、僕には前世の記憶による引き出しがある。『賢者の神子』と呼ばれてしまっているのも、この知識によるところが大きいんだけど。


「そもそも、ここ三年間ぐらいはほとんど戦場に出てたから、平時の礼儀なんてすっかり忘れちゃったよ。あ、でも……」


 お姉ちゃんが立ち上がり、胸に手を当てて、深く僕に向かって頭を下げる。


「イヴレーア元帥。お会いできて光栄でございます――ってのは、陣中でやったかな」


 一連の流麗な仕草と喋り方は明らかに姉のものとは違う、まったくの別の何かだった。

 背筋からゾクゾクと悪寒のようなものが上がってくる。

 ここまで来ると空恐ろしくなってきた。何度もやったことがあることがわかるぐらいに堂に入っている。


「あ、イヴレーア元帥は王領の師団をひとつ統括する偉いお爺さんね。今が七年ぐらい前だと、まだおじさんぐらいかも? なかなか愉快なお爺さんだったなぁ。顔を合わせる度に、あたしのお尻を撫でようとしてくるのはどうかと思うけど」


 僕のお姉ちゃんがやっていい仕草じゃない。

 七年後とか勇者とかそういうの抜きに、少し別の違和感を抱いてしまった。


「……本当にモニカお姉ちゃんなの?」

「ちょっと! お姉ちゃんのこと、忘れちゃったの!?」

「どうやっても忘れられないけど、立て続けにこうもらしからぬ行動や知識を見せられると、未来から戻ってきたとかじゃなくて、ただの別人じゃ? って思いたくもなるよ」


 昨日の脳天気だったお姉ちゃんと今のお姉ちゃんを比較したら、ご近所の百人が見ても百人がおかしいと言うだろう。お姉ちゃんの友だちにも意見を聞いてみたいものだ。


「嘘なんかじゃないからね!」

「わかってるよ。現状のところ、矛盾というか綻びが見つからないし。壮大な嘘にしては設定が微細過ぎるし、設定も大がかりすぎる。お姉ちゃんにそんな真似できるとは思えないし。僕を騙そうとするなら、途中で我慢できなくなって笑ってバレるでしょ」

「うぐっ、言い得て妙なことを……」

「ところで、さっき戦場にずっといたって言ってたけど、僕らに会えないぐらい忙しかったの? 貴族になったんだとしたら、平民には気軽に会えないのかもしれないけど」


 そう尋ねると、お姉ちゃんは妙に泣きそうな顔になった。


「……だって、みんな殺されちゃったんだもん」

「は? 穏やかじゃない話だね……」

「えーと……。貴族の養子になって二年経ったぐらいだったかな……。『トスカ』の花恩式がそろそろだなって思ってたし」

「花恩式って街の中で四歳になる子供たちを教会に集めてやる、アレ?」

「他に花恩式なんてないでしょ」


 みんなで四歳になったことを盛大に祝い、おめかしして教会に行き、司祭によって成聖された聖水を飲む。あとは洗礼をしてもらったり、お菓子をもらったりする。

 以前、お姉ちゃんの儀式をやった時は、お姉ちゃんが周囲の子供たちに賭けを持ちかけて、お菓子を独り占めしていたらしい。


「というか、ちょっと待って。『トスカ』って誰?」

「あたしたちの妹。今がロモロの言う通りの頃なら、そろそろ生まれてくるはずだよ。可愛い妹……なんだけどね」

「いきなり、さらっとすごい情報が出てきたなぁ……」


 確かにお母さんのお腹の中には子供がいる。お父さんとお母さん、待望の第三子。

 でも、まだ生まれてもいないのに、女の子だってまるで当然のように言ってるのは七年後の知識があるからかな。でも妙に歯切れが悪いのはなんでだ。


「突然、知らせが来てね。みんなが死んだって……。あたし、この街に一回だけ戻ってきたんだよ。そしたらこの建物が完全に焼かれてて……。他の部屋の人は全員逃げ出せたのに、お父さんも、お母さんも、ロモロも、トスカも……」

「死んだ……ってこと?」

「殺されたんだよ!」


 火の不始末ではなく、明確な殺意を持って殺されたってことか。

 人が死ぬほどの火事なんてそうそう起こらないしね。しかも、家の中で焼かれたってことは、家の外に出られなかったってことだ。……出られないようにされた、とか?


「犯人もわからずじまいで……。特にロモロとトスカは何も残ってなかったって言われて……。だから、埋葬もできなくて……」


 歯噛みしながら、お姉ちゃんは僕に近づいてきて、頭を抱いた。

 胸を押しつけられる。


「ちょっと、何!?」


 服越しの微かな温もりと、とくんとくんと心臓の音が伝わってくる。

 その身体は小さく震えている。


「だから、本当に生きててよかった」

「そもそも死んでないし……っていうか、苦しいんだけど……」

「我慢するの」

「見られたら恥ずかしいんだけど……」

「誰も見てないからいいの」


 しばらくすると、気が済んだのか離してくれた。


「生きててよかったって言うけど、お姉ちゃんの話が事実だとすれば、僕らはこれからまた死ぬってことだよね」

「今度はそんなこと絶対にさせない。なんでかわからないけど、もう一度、やり直させてくれるなら、もう失敗しないから」


 こちらを見つめてくる眼は、強い決意に満ちているようだった。

 それは今までに見たことがないほど大人っぽい。

 生まれて初めてお姉ちゃんを美人だなと思ってしまった。

 街の人には黙ってれば美少女って呼ばれてるのにね。


「あら。ふたりとも帰ってたの? モニカはまた随分と膝が汚れてるわねぇ……」


 古い建て付けの悪い扉を、鈍い音と共に開けて入ってきたのはお母さんだった。

 名前はマーラ。年季の入った服もそうだが、中年に差し掛かって皺も増えている。

 だが、何よりも目立つのは大きなお腹だ。

 お姉ちゃんの言う通り、近いうちに出産を控えている。


「お帰り、お母さん――」


 僕がそう言った瞬間、お姉ちゃんが飛び出すように動き、お母さんに抱き付いた。


「母さん!」

「も、モニカ?」


 そして、僕にしたように強く抱き付き、またワンワン泣き始める。

 さすがにお母さんもビックリしたようで、目を瞬かせていた。

 何事か理由を求めるように、僕に目を向けてくる。

 姉が勇者云々という話を伝える気にはなれなかったので、肩だけ竦めておいた。

 実際のところ、僕も話を信じることが出来ても、お姉ちゃんにはまだ共感できていないし。


 ただ、お姉ちゃんの話が本当なのであれば。

 そのままお姉ちゃんの好きなようにさせるのが正しいかな、と思った。


「甘えん坊ね。珍しい。いつもこのぐらいしおらしければ、嫁の貰い手を心配する必要もないんだけど」

「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああん!! あ゛い゛た゛か゛った゛よ゛お゛お゛ぉ゛ぉ゛!」

「……なんて言ってるのかわからないんだけど、あなたにもこんな一面あったのねぇ」


 お母さんが仕方なさそうに笑って、小さく息を吐く。

 泣きじゃくるお姉ちゃんを落ち着かせるように優しく頭を撫でた。

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