第5話「Small Talk」

 敵の手に落ちたエリスは退屈していた。

 目が覚めてから数十分は立っただろうか。最初でこそ恐ろしいことが始まるのではないかと不安に思っていたが未だに何も起きていない。おまけに椅子に縛り付けられているため身動きも取れず窮屈だ。それならば夢の続きを見ようかとも思ったが先程まで熟睡していたせいか目が冴えてしまっている。

 先程からエリスは何か刺激を作り出そうと椅子を揺らしてみたり、部屋の外に向かって声を掛けてみたり、歌ってみたりと色々やってみるがどれも数秒で飽きた。

 そんなことをしていると部屋の外から誰かの声が聞こえた。

 誰か来た。エリスは近づいて来る声に耳をそばだてる。


「任せた私が愚かだった! 言われたことしか出来ない君達のような動くマネキン人形に!」

「申し訳ありません、ミス・ドルバコ。丁重に連れてくるようにと言われたので私はてっきり……」

「言い訳は聞きたくない! あと私のことはネイトと呼べと何度も言ってるだろう!」


 ドアの向こう側から女の怒鳴り声が男の情けない声が聞こえる。何やらエリスを連れてきた方法を咎められているようだ。


「ああ! 君達はどれだけ私をイラつかせれば……! もういい後は私がやる。警備でもしてろ」

「はい、ネイト様」


 そう言って声の主は部下を部屋の外へ出すと、こちらへ近づいて来た。

 長い金髪、中性的な顔、細身の体に黒のスーツ。男のようにも見えるが少し丸みを帯びた体つきから女だとわかる。

 彼女は顔が見える位置まで近づいて来るとエリスを見ながら息を呑んだ。


「美しい……。まるで神話のガニメデ、いやヴィーナスそのもの……」

「ああ、そういうのいいから。ここどこ? 今いつ? あとキミ誰?」


 ありきたりで意味不明な褒め言葉を一蹴して聞きたいことを一気に尋ねる。

 カイン以外から貰う褒め言葉などエリスにとっては何の価値も無い。ましてや誘拐された相手に芸術品でも見るかのように見とれられながら褒められても嬉しくない。あとエリスは神話を全く知らない。

 女はそのまま数秒間エリスを見つめると、ふと我に返り「失礼した」と胸に手を当てて頭を下げた。


「私は君が殺したアンソニー・ドルバコの娘。名前はネイト(Nate)だ。君はエリスだろう?」

「はいはい、よろしく。キミのことはナード(Nerd:間抜け、根暗)って呼ぶね」


 エリスはドルバゴの娘を名乗るネイトを睨みつけてそう言う。もちろん名前を呼ぶ気は微塵もない。自分が不利な状況でも相手を挑発するエリスなりの強がりだった。

 確かにネイトの強欲そうな顔は父親に似ている。エリスの挑発に乗ることも無く楽しそうに笑っている姿なんてベッドに誘った時のアンソニーにそっくりだ。


「ふふ、美しい花には棘があるとはよく言ったものだ。君もその愛らしい口に棘を持っている」

「は? え、 ちょ、ふぁわむな(さわんな)!」


 女はゆっくりと近づいて来ると、エリスの顎に手を当てて愛おしそうに親指で唇をなぞった。何故かはわからないが背景にバラも見える。

 仕返しにネイトの指に噛み付こうとすると、彼女の親指はするりとエリスの口元から離れていく。

 一体何を考えているのか。エリスはネイトの不可解な行動に頭のなかに無数のクエスチョンマークが浮かんだ。

 普通ならすぐに殺すか、いたぶりながら恨み節の1つや2つを吐き捨てるくらいはするはずだが、彼女は先程から親の仇であるエリスを小猫に接するように優しく接している。もはや意味不明だ。

 エリスは吐き気を抑えながらネイトに尋ねた。


「この変態女! 殺すなら早くしなよ!」

「殺すだって? とんでもない。そんなの美に対する冒涜だよ」


 問いかけを聞いたネイトは慌てて否定する。何を考えているか分からないが殺(・)す(・)つ(・)も(・)り(・)は無いようだ。


「何か勘違いをしているようだから。言っておくが私は父を殺したことを怒ってるわけじゃない。むしろ感謝しているくらいさ。これで何の障害も無く美しい物を集められる」


 そうネイトは嬉しそうに言った。父を殺されたにも拘わらず自然に笑顔が出るところを見るに本気で喜んでいるようだ。

 聞けばネイトは美しい物が好きで美術品であろうと人であろうと美しい物であれば全て手元に置いておきたいらしく、エリスも美しい物と認定されて連れてこられたらしい。また、部下には丁重に連れてくるよう命令したが手違いで手荒な招待になってしまったそうだ。

 イカレた奴。あまりのくだらなさにエリスは溜息をついて落胆した。

 要するに殺した相手の娘に一目惚れされて誘拐されたという有難迷惑な話だ。おまけに手元に置いておきたいということから良くて監禁、悪くて何かしらの方法で体を保存されて一生晒し者にされるのだろう。これなら恨みで殺された方が、まだマシだ。

 自分も捕まっているならカインもどこかに捕まっているはずだ。エリスは目を閉じてマインドハックを使いカインの魔法力を探す。


(……あれ? どこだ)


 カインが居ない。出来る限り範囲を広げて探ってみるがどこにもカインの魔法力を感じない。


「カインはどこ!?」

「え、誰?」

「ボクの相棒はどこだって聞いてるんだ!」


 先程とは違いエリスは本気で怒りを露わにした。流石にカインのことになるとエリスも強がってはいられなくなる。

 対するネイトは誰の事を言っているのか分かっていないようでカインの名前を聞いても首をかしげるだけ。

 しかし、ネイトは思い出したようにポンと手を叩いた。


「ああ、君を運んでいた野良犬みたいな男か。彼なら死んだよ」

「そんな嘘はいい! 早くカインを止めないと!」


 エリスは知っている。カインが少々のことでは死なないことも、怒らせてはいけないことも。だからこそネイトの言葉を即座に語気を強めて否定し、敵に塩を送るような真似までした。

 カインは嫌いな相手には容赦しない。特にエリスに手を出すような奴は躊躇なく殺す。それを邪魔する奴も含めてだ。

 だからこそ止めなければならない。このままではあの日、エリスが見るはずだった夢の続きと同じ惨劇が繰り返されることになる。

 警備員、執事、メイド、戦う力もない者も含めて屋敷に居る全員が一夜にして死亡した日を二度と繰り返してはいけない。ましてや、この世で自分のことを分かってくれる唯一の相棒を再び殺戮者にしたくはない。

 しかし、その思いはネイトに伝わらない。


「エリス、私の愛しい人。どうか落ち着いて。大丈夫、たとえ奴が生きていたとしても私が殺す。君が私を見てくれるなら安いものさ」

「出来るもんなら、やってみなよ。キミはカインの怖さを分かってない」


 エリスが本心からそう言うと、ネイトは笑いながら言葉を返す。


「ははは、心配性だな。野良犬一匹で何ができるって言うんだい」

「ここの全員。何もできない人を含めて全員殺せる」

「望むところさ。ところで、お腹は空いてないかい? 部下に何か……」


 何か持ってこさせよう。そうネイトが言い切る前に扉が開き彼女の部下が大きな白箱を持って部屋へと入り、エリスとネイトの間にある机の上に置いた。

 箱は高さ20センチ程の大きな正方形で中には大量のパストラミサンドと「Bon Appetit(ボナペティート:召し上がれ)」と書かれたカードが入っている。

 これをネイトは品のないプレゼントだと言い嘲笑った。マフィアの子供とはいえ裕福な家庭で育った彼女の目にジャンクフードは下品に映るようだ。

 エリスはそんな彼女を見てクスクスと嘲るように笑った。

 きっと来ると思っていた。何故なら幼い頃に約束したから。彼が約束を破るような男ではないと知っているから。

 期待と喜びを感じながらエリスは再び目を閉じ心の中で彼を呼ぶ。


――カイン、ボクはここだよ。


 その呼びかけに答えるように屋敷の中が騒がしくなる。

 騒ぎを聞いたネイトは「忌々しい」と苦虫を噛みつぶしたような顔で呟き、後で自分も行くと伝えて部下を下がらせる。

 そんなネイトの神経を逆なでるようにエリスは言い放った。


「あーあー、来ちゃった」

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