第4話「Eric」
少年は男として生きることを許されなかった。
サーカス団の団長と踊り子との間に生まれた少年はエリックと名付けられた。
母親に似て美しい顔を持って生まれた彼は物心ついた時から父親に女らしい振舞いやダンス、空中ブランコや綱渡りといった技を叩き込まれた。
失敗すれば怒鳴られ、背中を鞭で叩かれた。時には食事も寝床も与えられず、動物の檻に閉じ込められたこともあった。
全ては死んだ母に変わりステージに立つために。
それは悪夢のような日々だったが、悪夢は彼の精神を蝕むだけでなく魔法と言う贈り物をくれた。
やがて大きくなるとダンスやサーカスの技も完璧になり、父親も言う事さえ聞いていれば鞭で叩かなくなった。
それどころか魔法を活かした演目で彼はサーカスのスターとなった。
ステージでの名前は死んだ母と同じエリス。観客の前で躍れば全員が息を呑み、鳥達を操りながら空中ブランコで宙を舞えば称賛の拍手がテント中に響き渡った。
だが、それでも彼の悪夢は終わってはいなかった。
金儲けに貪欲だった父親は彼の美貌に目をつけ、次第に金持ち達の相手をさせるようになった。
毎晩のように汚い大人に体を弄ばれる。少年がやってきたのは、そんな精神が崩壊しそうな日々を送っている時だった。
エリスがベッドで休んでいると父親が傍らにエリスと同じ年くらいの少年を連れてテントの中へ入って来た。
父は相変わらずの成金趣味で、高級な赤い燕尾服を纏い、指や腕には売れば家が建ちそうなほど高価なアクセサリーを身に付けて偉そうに布をくぐる。そして、昨日の相手からエリスの12歳の誕生日プレゼントにチップマンを貰ったと得意げに話し始める。
チップマンは1コインで雇える合法的な奴隷のことで、父は話を終えると持っていた杖でチップマンの少年を叩いて跪かせエリスに挨拶するよう言った。
少年は打たれた部分を抑えながら傅くと言われた通り挨拶をする。
「はじめまして、ご主人様。今日から身の回りの世話をさせていただくチップマンです」
「う、うん、よろしく。ボクはエリッ……」
「おい、エリスそうじゃないだろ?」
エリックと名乗ろうとすると父親がドスの効いた父の声でエリックに注意する。本名は金持ちに受けが悪いという理由でエリックと名乗ることを禁止されていた。
エリスは恐怖で肩を震わせると、父に教えられた挨拶と同じように言いなおす。
「わたしエリスって言うの。よろしくね」
「それでいい。では、私はショーに出る。後は2人で仲良くやるんだぞ。ああ、そうだチップマン君。うちの娘に手を出したら本当に君の首が飛ぶから気をつけてくれたまえ」
「いってらっしゃいませ。旦那様」
父親は高らかに笑いながらテントを後にする。そんな父を少年は見送っていた。
恐怖の対象である父が居なくなり、エリスはホッと胸を撫で下ろす。そして、ベッドから降りて少年の元へと駆け寄ると父の振舞いを謝罪した。
すると少年は虚ろな目でエリスの方を向くと、無表情で「気にしないでください」と言う。
同じことを経験しているエリスにはわかる。少年は暴力を振るわれることに慣れてしまった目だ。おそらく皮膚が裂けるくらい鞭を振るわれても表情すら変えず甘んじて受け入れるだろう。
親近感を感じたエリスは微笑みながら少年に握手を求めるも、手を出したと同時に少年は1歩後ろに下がった。
初対面で緊張しているんだろう。エリスは何か仲良くなれる方法はないかと少年を少し観察してみた。
すぐに折れてしまいそうなほど細い手足には無数の傷痕がある。鞭で打たれていただけのエリスとは違って打撲だけでなく切り傷や火傷の痕も痛々しく残っており、酷い飼い主に買われてきたことが想像できる。
傷痕を見たエリスは自分も傷を見せることを思いつき、服を脱いでボロ雑巾のようになった背中を少年に見せた。
「怖がらないでボクもキミと同じだから」
「…………」
少年は何も言わなかったがボロ雑巾のようなエリスの背中を見つめていた。そして、エリスの手からシャツを取ると、そっと背中からかけてくれた。
「ありがとう、優しいんだね。えっと……」
エリスは笑顔で答えるが少年の名前を呼ぼうとして、まだ名前を聞いていないことに気が付いた。
名前を聞くと少年は名前が無いと答える。チップマンに名前が無いのは当たり前だが、エリスは名前が無いと不便だと思い、腰に手を当てて再び少年を見つめながら名前を考えた。
無造作に伸びた黒髪、傷だらけの細い手足にボロボロの服、少年はまさに野良犬という言葉が相応しい風貌をしている。後はエリスよりも年上なのエリスが見上げなければならないくらい背が高い。
容姿を踏まえてエリスが考えを巡らせていると、少し前に読んだ本に大きな犬が出て来たことを思い出した。
その犬は野良犬で人間達からいじめられていたが、主人公の少女を守るために狼と戦った心優しく勇敢な犬で、痛めつけられても命令に従う目の前の少年にそっくりだ。
確か名前は……
「カイン・ビドッグ……うん、君のことはカインって呼ぶことにしよう。いいかな?」
「かしこまりました」
カインと名付けられた少年はエリスに向かって傅き頭を下げた。まるで物語の犬が少女に頭を下げた時のように。
それから月日は流れて、2人は主人と従者という関係ではあるが徐々に距離が縮まっていった。
エリスは文字の読めないカインに読み書きを教えた。
カインはエリスのために料理を覚え、毎日のように振舞ってくれた。
いつか2人で世界中を見て回ろうという子供らしい約束もした。
だが、2人で支え合うように日々を送っていてもエリスの精神は限界だった。
毎晩のように金持ちの相手をして眠れない夜を過ごした。そうしていると何もない日もベッドに潜ると急に声がかかるのではないかと不安で眠れなくなった。次第に食事も出来なくなり、日に日にやつれていった。
今日も金持ちの相手を終えて朝日と共にテントへと戻るとカインがエリスの帰りを待っている。
食事の手伝いを終えた後なのだろう、テーブルの上にはエリスの分のパストラミサンドが置かれており、その隣に立ってカインは頭を下げていた。
「お帰りなさいませ、エリス様。食事の用意が出来ています」
「ごめん後で食べる……」
そう言ってエリスは今日も何も食べずにベッドへ向かう。。
一晩中変な女に体を求められたせいで今朝は普段より精神的にも肉体的にも追い詰められている。特に昨夜の遊びは激しく、未だに縄で縛られた手足や首が痛い。正直言って今立っているのでさえギリギリだ。
それを察したのかカインはエリスの体を支えベッドへと寝かせてくれた。
「ありがとう」とエリスが掠れた声で言うと、カインは淡白に「仕事ですから」と返す。それから、そっとエリスにシーツをかけた。
そんなカインにエリスは冗談を投げかける。
「ありがとう。これで母さんに会いに行ける」
「……医者を呼んできましょうか?」
少し考えた後カインは真顔でエリスにそう尋ねる。どうやら冗談が伝わっていなかったらしく、冗談であることを伝えると首をかしげながら、エリスの元を離れる。
すると、エリスはいつもの声がかかる不安に襲われた。
まるで冬の川に落ちた時のように体が小刻みに震え、息も苦しくなってくる。頭の中は誰かが自分を買うのではないかという意味不明の思考が渦のように駆け巡り、恐怖と不快感が波のようにお押し寄せてきている。
エリスは咄嗟にカインを呼び止め、不安を誤魔化すように再び冗談を言った。
「ねぇ、もしボクが居なくなったら迎えに来てくれる?」
「わかりました。きっと……いえ、絶対に迎えに行きます。では、おやすみなさい」
そう言ってカインはテントを出る。冗談は伝わっては居ないようだったが、今エリスが言ってほしい言葉をカインは言ってくれた。
おかげで不安も少し和らぎエリスは深い眠りへと落ちていった。
****
「えへへ、おやすみぃ……って、痛ったぁ!」
頭に衝撃を受けエリスは目を覚ました。
ボーッと辺りを見回すと薄暗いエリスは地下室のような部屋の中央で椅子に座っており、ランプが置かれた背の低いテーブルがある。さっきはこのランプに頭をぶつけたようだ。
もういい所だったのにとエリスは懐かしい夢の邪魔をされたランプに向かって顔をしかめる。
そして、ランプを蹴飛ばそうとして手足が手錠で椅子に繋がれていることに気づき嫌気がさした。
「もう、こんなのばっかり!」
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