第2話「Short Break」

 時々エリスは今が現実じゃないのではないかと不安に思うことがある。仕事を終えた翌日の朝は特にだ。

 男のくせに女装して男のベッドに潜り込んだり、人をナイフで刺し殺したりするなんて馬鹿げている。ましてやギャングとのカーチェイスなんて、まるで映画や漫画だ。

 本当はベッドの上で夢を見続けているんじゃないか、目を開ければ見慣れた天井が見えるんじゃないか。そんな考えが目覚めたばかりのボーとした頭に浮かぶ。

 だが、相棒の声でエリスは夢のような現実に引き戻された。


「エリス。起きろ、もう朝だぞ」

「……ん……あぁ……うん」


 耳元で聞こえる低くて安心する声。紛れもなく一緒に旅をしている相棒の声だ。

 エリスは重い体を起し、大きく伸びをする。そして、寝ぼけたまま相棒の方へ向き直ると、顔を両手で引き寄せ頬に軽く口づけをした。


「おはよぉ……カイン……」

「ああ、おはよう。朝飯できてるぞ。早く目を覚ませ眠り姫」


 えへへと笑うエリスにカインは仕方ないなと言ったような調子でそう言うと、キスのお返しにエリスの頭をポンポンと叩く。おまけに今朝はエリスが寝ぼけているのを良いことに普段は言わないようなセリフまでついてきた。

 朝から何をイチャついているんだと思うかもしれないが、どうか我慢してもらいたい。これは2人の朝の決まったやりとりだ。


 さて、そんな甘ったるいやりとりを終え朝食を済ませた2人は身支度とチェックアウトを済ませ、荷物をまとめてモーテルを出た。

 助手席に座っているエリスは長い髪を頭の左右で纏め、服はタンクトップとジーンズの短パンを身に付けている。彼自身は仕事の時よりも男らしいと思っているようだが、その姿は相変わらず女性にしか見えない。

 カインはというと白いTシャツの上から水色の半袖シャツを羽織り、下はカーキ色のスラックスに白と紺のスニーカーという爽やかな格好で車を運転している。昨日のスーツも細身の彼には似合っていたが今日のラフな服装も十分に似合っていた。

 向かう先はガイドブックに書かれている観光名所『芸術の広場』。途中で見かけたモーテルでシャワーを借りた際、2人で話し合って報酬を受け取るまでの間この街を観光することに決めたのだった。

 しかし、現地に着いた途端2人は後悔することになった。

 路肩に車を止めて芸術の広場に入れば、そこは中央に銅像が1つあるだけの海沿い広場と言った有様で人すらおらず閑散としていた。強いて居るものを挙げるとすれば海鳥くらいなものだろう。

 仕方なく唯一ある像に近づいて見てみると、杖とペンがXの字に重なった像の下に「ヨーロッパ平和記念像」というタイトルと説明文が書かれていた。


「えーと、『この像は科学文明と魔法文明の共存の祈りを込めて建設された像です。未来の子供達に平和と希望を残しましょう』だって」

「そうか」


 文章を読んだ後、エリスが隣を向くと興味なさそうに話を聞くカインが居る。これにはエリスも賛同せずにはいられなかった。

 魔法文明と科学文明が合わさり魔法科学文明の時代になる前、両文明が世界中で戦争をしていたことは一般常識として知っているが、そんな歴史にはエリスも興味が無かった。

 ただ、1つだけ思ったことがあり、エリスは銅像に見せつけるようにカインに抱き付いた。


「どうせ一緒になるんだったら、最初から仲良くしとけばいいのに。ボクとカインみたいに!」

「ああ、そうだな。エリスの言う通りだ」


 そう言ってカインはエリスの方に手を回し強く引き寄せた。

 エリスより2つ年上であるカインの腕は逞しくエリスの体は吸い寄せられるように軽々と胸元まで引き寄せられた。

 そして、少しの間2人は何も言うことなく互いの気持ちを確かめ合うように見つめ合う。

 断っておくが彼らの関係は恋人でなく相棒だ。ただ、互いに特殊な環境で育った為、こうして見つめ合うか体に触れる以外に相手へ最高級の好意を示す方法を知らないのだ。

 そうしているとカインが像の向こうにある海の方を向いて言った。


「エリス見てみろ。海だぞ」

「ホントだ。見に行こう!」


 カインの腕から抜け出してエリスは海に向かって走り出し、そうして海際まで来ると息をのんだ。

 海の街コルネリオと言われているだけあって、この街の海は青く透き通り、遠目でも鮮やかな色の魚達が泳いでいるのがはっきりと見える。その景色は幻想的ですらあった。

 エリスは早くカインにも見せたいと振り返って興奮気味に彼を呼んだ。


「ねぇ、早く来て。とっても綺麗だよ」

「そうだな。綺麗だ。すごく綺麗だ」


 そう言って歩み寄って来るカインを見てエリスの頭にクエスチョンマークが浮かんだ。

 視線がずれている。綺麗とは言うものの視線の先に海は無く、明らかに別のものを見て言っている。

 その視線を辿れば、視線の先に居るのは紛れもないエリス自身。念のため確認してみるが何度やっても視線はエリスに向いている。どうやらカインの悪い癖が出てしまっているようだ。

 カインはエリス以外には興味を持つことが出来ないという子供のような一面がある。本人曰く、元々人にも物にも興味が持てないのだという。

 今は最初の頃よりは改善されてエリス以外に多少興味を示すようになったが、時折こうして悪い癖が出ることがあった。ちなみに、これも本人談だがエリスは一緒に居て安心するから興味を持てるらしい。

 悪癖に気づいたエリスはカインに軽く注意する。


「カイン海を見てくれる? そんなに見られるとボクも恥ずかしいよ」

「ああ、すまない。……えっと、海だったな」


 カインは眉尻を下げながらもエリスの隣で海を見始める。感想は「青い」、「広い」、「魚がいる」だが、これでも頑張って感想を述べた方である。大抵の返事は「わからない」なのだから。

 よしよしとエリスは子供を相手にするようにカインの頑張りを褒めつつ背伸びをしながら頭を撫でる。まるで親子のようなやりとりだがエリスは18歳、カインは20歳の青年である。


「すまない。次はないように気を付ける」

「もう、そんな顔しないで。お互い様でしょ」


 落ち込んでいるカインの手を握りながらエリスは優しく宥める。

 カインが完璧でないようにエリスも完璧な人間ではない。だから互いに支え合って旅をしている。2人だからこそ仕事が出来る。エリスは普段からそう考えていた。

 この暗い雰囲気を破るためエリスはパンパンと手を叩く。


「はい、暗いのはここまで。最初からやり直そう!」

「ああ、すまな……。いや、そうしよう」


 すまないと言いかけたカインは首を横に振って発言を取り消してからエリスの意見に賛成する。それから思い出したようにエリスに言った。


「エリス。今日は金が入る日だろ? だから今夜はお前の好きなパストラミサンドを作ろうと思う」

「えー! ボクの好きなもの覚えていてくれたの!?ありがとう、カイン大好き!」


 エリスは嬉しさのあまりカインの胸元に再び額を押し付けた。

 パストラミサンドとはスパイスをまぶして燻製にした牛肉のサンドウィッチのことでエリスの大好物だが、調理に使う塊の肉は値段が高く資金に余裕がある時しか食べられない料理だった。

 有頂天になったエリスは今朝と同じようにカインの頬にキスをする。


「やっぱりカインは最高の相棒だよ!」

「エリスも俺にとって最高の相棒だ。……予定変更だな。今晩の買い物に付き合ってくれるか?」


 カインに尋ねられエリスは元気よく「もちろん」と言い首を縦に振る。

 まさに雨降って地固まるといった具合だろうか。どちらかと言えば小雨くらいしか降っていない気もするが、何にせよ2人は仲が強くなったように感じた。

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