第1話「Run Away」
「これやばい……死ぬ……」
勢いよく外へ飛び出したエリスは落下しながら考えなしに外へ飛び出したことを後悔した。
寒い。何メートルか分からないが上空はバスタオル1枚では凍えそうなほど寒い。おまけにエリスはシャワーを浴びたばかりだ。
よく考えればホテルの外が寒いことくらい誰にでもわかるだろう、と落ちながらエリスは思った。どうやら落ちたら死ぬと考える方が普通であることには気づいていないようだ。
しかし、くだらないことを考えながらもエリスは落下の準備をしていた。
体を開いて宙に浮き、それから目を閉じて意識を集中させる。魔法力の高まりを感じたら近くに感じる魔法力の中から最も安心する魔法力を探し出す。
魔法力は光の玉のように感じられ、放つ色も光の強さも違う。地上を行き交う魔力の中での目当ては赤く強く光る自分の魔法力とは対照的に青く淡い光を放つ魔法力、ホテルに停まったシルバーのオープンカーに乗っている男のものだ。
目的の魔法力を見つけたエリスはカッと目を開き心の中で語り掛ける。
――――カイン!
その呼びかけに答えるように車がバックする。すると、ちょうど彼が落ちる地点に後部座席が来た。
これがエリスの魔法、「マインド・ハック」。威力が弱すぎて人間に対しては思いを伝える程度しか出来ないが相棒にメッセージを送るには十分だった。
エリスは受け身の体勢を取りながら落下する。これは幼い頃にサーカスで習った技だ。
そして、そのまま後部座席の上に落ちてシートの反発で跳ね上がると車の床に落下した。
「いったぁ……」
「おい、大丈夫か? エリス」
腕を抑えながら起き上がるエリスを心配して声を掛ける黒スーツの男、カイン。
黒髪と同じ色をした目で心配そうに傷ついた相棒を見つめる姿は端正な顔と相まって男らしく思わず見とれてしまう。
彼は相棒でありエリスにとって最も心の許せる存在。あまり表情が変わらず一見すると不愛想にも見えるが本当は誰よりも心優しく、いつもエリスのことを助けてくれる。仕事の腕も一流。おまけに料理もでき、エリスはカインの作る料理が大好きだった。
カイン。カッコよくて自分のことを気にかけてくれる。こうして見つめられるだけでもエリスの心臓は止まりそうに……
「――エリス、大丈夫か?」
「え、あ、ううん大丈夫! なんでもない!」
「そうか。なら、これを着て掴まれ」
現実へと連れ戻されたエリスはカインから渡された上着を羽織る。
それを確認したカインは車を急発進させた。後ろからドルバコの部下達がボスの仇を取ろうと黒塗りの車で追ってきたのだ。
ネオンに彩られた夜の街をエリス達の車が右へ左へと猛スピードで駆け抜け、その後ろをドルバコの部下達が銃を乱射しながら追って来る。その執念たるや街灯との衝突で車がボロボロになっても諦めずに追って来くるほどだ。
ボスを殺されたとなれば裏社会での立場も危うくなる。せめて仇を取って力を示さなければ他の組織から簡単につぶされてしまうだろう。ドルバコの部下達も必死なのだ。
とは言え、捕まって殺されてやるほどエリス達は優しくはない。
カインは華麗なハンドルさばきで追手を翻弄し、エリスもグローブボックスから拳銃を取り出して応戦する。
その途中、思い出したようきカインがエリスに尋ねて来た。
「そういえば何で裸なんだ?」
「それ後じゃダメ? 今追手が来てるから」
そう言うとカインは静かに「伏せろ」とだけ言って懐から銃を抜き、エリスが伏せるのと同時に後ろへ向けて引き金を引いた。その時も目線は正面を向いており左手はハンドルにかかっている。
1発、2発、それから間をおいて1発。弾が発射されるたびに車がスリップする音と爆発音が聞こえる。まさかと思いエリスが少し頭を上げると、さっきまで居たはずの追手の姿な無くなっていた。
そして、離れ業をやってのけたカインは喜ぶことも無くエリスに尋ねてくる。
「終わったぞ。さあ、答えてもらおうか」
「カイン。……もしかして怒ってる?」
エリスが尋ねるとカインは「別に」とだけ言いハンドルを切る。念のために顔を覗き込んでみたが元々表情が乏しいために怒っているかどうかわからない。
後でちゃんと説明しよう。車に揺られながらエリスはそう思った。
* * *
追手を撒いた後、2人は部屋を借りているモーテルへと戻った。
看板のネオンは光が切れ、壁や屋根には傷が入ったボロいモーテルだ。宿泊客も少ないようで亀裂の入った駐車場に止まっている車の数も疎ら。唯一の良さは宿泊料金が安いことくらいだろう。
彼らはここを仮のアジトにしていた。
カインは駐車場に車を止め、半裸のエリスはカインから上着を借り、2人は受付の中年女性から変な視線を向けられながら自分達の部屋へ移動する。
キイと音を立てながら部屋に入ればベッドと机があるだけの部屋が2人を迎えた。
ただし仕事に行く前とは違い、床に散乱していた漫画やお菓子の袋が片付けられ、シーツがぐちゃぐちゃだったベッドや埃をかぶった机も綺麗に整頓されている。
「あれ、なんか奇麗になった?」
「誰かさんが散らかしたからな。帰ってくるまでに掃除しておいた」
部屋に入りながら淡々と説明するカインにエリスは「ごめん」と小さく謝った。それから上着をカインに返して自分のキャリーバッグを開き適当な服を探して着替える。
カインはというとベッドに上着を置いてキャリーバッグからカセットコンロとポット、それからミネラルウォーターを取り出し、机の上でお湯を沸かし始めている。
「少し時間をくれ。温めるものを作る」
「温めるもの?」
カインの言葉に首を傾げる。それと同時にお湯を沸かしているポットが目に入り、背筋に冷たいものが走った。
「まさか熱湯ぶっかけるなんて言わないよね?」
「そんなことはしない。それとも、火傷したいのか?」
カインの言葉にエリスはホッと胸をなでおろした。部屋を散らかしたことに加え、さっき質問に答えなかったことで灸を据えられるのかと思ったが、その心配はないようだ。口調が乱暴なあたり、まだ怒っている可能性はあるが。
危機感を感じたエリスはベッドに座り、カインにホテルであったことを話した。
どうやらエリスの事を心配していたようでドルバコと何もなかったことを知ると「よかった」と口にし、安心したのか大きな溜息をついた。
それから彼らは報酬のことや明日の予定について話をした。
報酬は明日の午後に街にあるカフェで受け取る予定になっている。それまでは自由に過ごそうとエリスが提案すればカインが静かに頷き、報酬を受け取ったら買い物をして街を出ようとカインが提案すればエリスは笑顔で「わかった」と頷いた。
そんなやり取りをしているとポットがキューという音を立て、お湯が沸いたことを知らせた。
カインはボウルをテーブルに置いて熱湯を注ぎ、そこに丸めたタオルを軽くつけてからお湯を絞り、それをエリスの元へと持ってくる。
どうやら、この熱湯につけたタオルが温かくなるものらしい。
「よし、エリス脱げ」
「え、脱げって何を?」
「その服だ。あとズボンと下着も」
「全部じゃん……」
まっすぐな目で脱衣を要求してくるカインに負けて折角着た服を脱ぎ始める。と言うより、既にカインの手が服の裾をつかんでおり、脱がなければ脱がされる勢いだった。カインになら強引に脱がされるのは嫌ではないがエリスはムードを大切にしたかった。
服を脱ぎ終わるとカインはタオルを広げてエリスの体を拭き始める。
右腕から肩へ、肩から腰へ、骨ばった指がエリスの体を這う。2つ年上というだけなのにエリスの手よりも大きい。その手で触れられた所が熱くなっているが、これは暖めたタオルのせいではないような気もする。
夜の楽しみには慣れているエリスだが、何かされるのは慣れていなかった。
カインの気持ちを考え、上半身を拭き終わるまでは何とか恥ずかしさを堪える。途中、背中を拭くために抱きしめられるような体勢になり、爆発しそうなほど顔が熱くなったが何とか堪えた。
しかし、上半身を拭き終えても続けようとするカインに対して流石のエリスも待ったをかけた。
「あのさ、カイン。自分で出来るから」
「遠慮するな。今日は疲れただろ」
「ホントに大丈夫だから。というか、これ以上は危ないからぁ!」
下半身に移動しようとするカインの手をエリスは全力で止めた。どことは言わないが腰より下の1部分を触れられるのはいくら相棒でも恥ずかしい。おそらく少しの間カインの顔を見れなくなるだろう。
そのことはカインには伝わっていないようで、不思議そうな顔をして首を傾げ、何故止めるのか聞いて来る有様だ。
それから十分ほど攻防を繰り返した後、カインが折れる形で事態は収束した。
逃げ切れたエリスはふぅと溜息をつくと、服を着なおしてベッドに潜りこんだ。今の内に寝てしまい、今の出来事をなかったことにしようという作戦だ。
そうして潜り込んだベッドがダブルベッドであることに気づいたのはカインが潜り込んで来た時だった。
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