第一話 魔女の下僕⑨

 アリスは八城に掛かった呪いを解き、リサと契約して魔女になった。

 亡くなった黒猫を迎えに行き、遺体を弔うことで呪いを解き、猫の墓は花に囲まれたフローレス邸の庭に作られた。

 アリスは病院に搬送されてから二日後に退院し、八城はアリスが退院した日に意識を取り戻した。

 その翌日、リサは病院にやって来て八城親子に今回の経緯を説明したのだが、

「アリスさんのこと、八城さん達に言わなくてよかったんですか」

 八城の病室から帰ってくる道すがら、幸成はほうきを持って隣を歩くリサに問いかけた。

 説明はリサがすると言うので、幸成は同席しただけである。どう言う風に伝えるのかとリサの横で聞いていたのだが、アリスの存在は伏せて猫の呪いを受けてしまったのだと説明した。

 幸成はいつアリスの事を話すのかとそわそわしていたのだが、ついにアリスの話は出ることなく終わってしまった。

「あの人たちにアリスの存在を話せば、おそらく彼女から全てを奪おうとしますよ。あなたの為だからと悪意なく、ね」

 目を少し細めたリサがうっすらと笑い、幸成は背筋が凍る思いがした。

「アリスは彼らのことを知っているのですから、彼女の意思で会いに行く決断はできるでしょう。その時にはアリスも自分の身を守る力も知恵も持っている筈です。それに、私はわざわざ彼女の存在を八城さん達に言わなかっただけで、なに一つ責められる様なことはないと思うのですが?」

「おっしゃる通りです……」

 決して強い声音で言われている訳ではないのだが、母親の理詰めのおこごとの様に言われ、幸成は大きな体を小さく丸めてひたすら頭を下げた。

「あの、」

 背を丸めてとぼとぼ歩いていた幸成が、おずおずと手を挙げてリサに発言の許可を求める。リサは笑みを浮かべたまま手のひらを幸成に向け、言葉を促した。

「もう一つ、リサさんにお願いしたい仕事がありまして」

 仕事の内容の見当がつかないのか、リサは笑みを浮かべたままこてん、と首を傾げた。

「俺にリサさんを紹介してくれた人がいるんですけど、魔女の存在を他人に話すと、話した人が呪われるんですよね? その呪いを解いて欲しくて……あっ、もちろん依頼料は俺が払うんで!」

 依頼内容を聞いたリサは一瞬、きょとんとした表情を浮かべる。

「それは構いませんが、ご本人ではなく、花満先生が依頼料を支払われるんですか?」

「リサさんのことを教えてもらって、八城さんやアリスさんの事も助けて頂いたので、それくらいはしたくて」

「それなら八城さんかアリスに請求するのが筋でしょう」

 決して責めるような強い口調ではないが、子供の他愛ない悪戯いたずらをたしなめる様な響きがあった。

 幸成は首の後ろを手ででながら口を開く。

「結果は八城さんやアリスさんを助けたことになりましたが、彼女は俺が困っているのを見て、助けてくれました。俺も助けてもらったから、少しでもその気持ちにお返しがしたくて」

 幸成の言葉に、リサは目を丸くする。

 変なことを言ってしまっただろうかと幸成が首を傾げていると、やがてリサは苦笑を浮かべた。

「分かりました」

 リサがうなずいてくれて、幸成はホッと胸をなでおろす。

「藤田さん」

 リサを連れて春子の病室を訪れる。ベッドに座って本を読んでいた春子に声をかけると、顔を上げた春子はこれでもかと目を丸く見開いた。

「あら、あらあらあら……!」

 驚いた表情からみるみる笑顔になって行く春子。

「はじめまして、藤田春子様。この度は花満先生をご紹介頂き、誠にありがとうございました。祖母のシャロン・フローレスの名代をしております、リサ・シラハセ・フローレスと申します」

「はじめまして! お祖母ばあ様そっくりどすなぁ! タイムスリップしたかと思ったわ!」

「ありがとうございます」

 春子はリサの両手を握って、うれしそうにブンブン上下に振っている。

 一方幸成はぽかんと口を開けて二人のやりとりを見つめていた。

「えっ、おばあ、さま……?」

 はしゃいでいた二人が手をつないだまま幸成の方を向く。

「お祖母様は金髪やったけど、ほんまよう似てはるんよ」

しんせきには祖母が黒染めした、とよくからかわれます」

「もしそう言われても信じてしまいそうやわ」

 あはは、うふふと女性二人が楽しそうに笑っている中、幸成は自分の勘違いにようやく気付いて頭を抱えていた。

「先生、どないしはったん。頭痛いん?」

 幸成の様子に気付いた春子がベッドの上から心配そうに声を掛ける。

「いや、あの、今まで大きな勘違いをしていまして、その衝撃を受けている所でして……」

「勘違い? 何を勘違いしてたん?」

「その、藤田さんが五十年前お世話になったのがリサさん本人だと思い込んでて、まさかリサさんのお祖母様のことだとは……」

 適当に誤魔化せばいいものを、幸成は衝撃のあまりそのまま話してしまう。

 二人は最初幸成の言っている意味が分からないのか、ぽかんとした表情を浮かべていた。やがてその意味を理解した二人は声を上げて笑う。

「いや、どういう勘違いしたらお祖母様とお孫さんを間違えるん!?」

「お祖母様のお名前を聞いてなかったですし、魔女だからこう、不老不死的な感じでずっとお若いままなのかと……」

「不老不死の方法が分かるなら私の方が知りたいですねぇ」

「先生は天然さんなんやね」

 二人は笑いながらぽんぽんとリズムよくツッコミを入れて行く。

「髪も金髪とお聞きしたと思っていたんですが、黒髪だったんですごくれいに染められているなぁと思って……」

 幸成の追撃に女性陣はヒィー! と再び笑い声を上げた。春子は怪我人だというのにベッドの上で体を折ってバンバンと布団をたたき、リサはその場にうずくまって肩を震わせている。

 息も絶え絶えになるほど笑って満足したらしいリサが、ゆっくりと立ち上がって幸成を見上げる。笑いすぎたせいでうっすらじりに涙が浮かんでおり、それを自然な仕草でぬぐうのを幸成はなんとも言えない気持ちで見つめた。

「ええと、自分から年齢を言うのはなんですが、今年で二十八になります。先生と同じ年頃かと思いますが」

「はい……俺も今年で二十八になります……」

「いや、同級生やん」

 春子の言葉に幸成は更にいたたまれない気持ちに拍車がかかった。

 同い年の女性の年齢をかなり上に勘違いしていたこともだが、能力の差を見せられ、まぁ、年上だしな……で片付けていたことが全くの無意味と化した。自分との能力差をまざまざと見せつけられて、落ち込むしかなかった。

 だがしかし、女性の年齢を大幅に上に見積もって爆笑で済まされたのだから、良しとすべきであろう、と幸成は無理やり思い込むこととした。

「さて、前置きはこのくらいにしておきましょうか」

 リサは息を整えて春子に向き直る。

「今日は花満先生からの依頼を受けて、こちらにお邪魔しました」

 春子はきょとんとした表情を浮かべ、リサを見上げた。

「私の祖母が藤田さんに掛けた呪いを解きに」

 魔女のことを他者に話したら呪いが掛かる。春子は構わないと笑っていたが、幸成はそのことが気がかりで仕方なかった。だから、リサに依頼をすることに決めたのだ。

「呪い、と言いましたが、厳密に言うとあなたに呪いはかかっておりません」

 矛盾するリサの言葉に、幸成と春子は一緒に首を傾げる。

「祖母は魔力ではなく言葉であなたに呪いをかけたのです。現にあなたは魔女の存在を不用意に人に話すことはなかった。半端な気持ちで変な依頼をしてくる人もいます。それをできるだけ避ける為に祖母が取った策なんです。ですが、あなたのような人を苦しめることは本意ではありません」

 リサは着物のたもとに手を入れた。取り出したのは真っ白な一輪のカーネーションだった。

 日の光の加減なのか、花がほのかに光っている様に見える。

 手品の様に出てきたカーネーションに春子の目はくぎけだ。

「すごいなぁ……! いやっ! しかもこれ本物のお花や先生! 偽物のやつやなくて!」

 カーネーションを受け取った春子は、しげしげと花を眺めて検分する。チラチラとリサの着物の袂もさりげなく見て、どうやってそこから花を取り出したのか知りたくてうずうずしている様だ。

「この花は私の魔力を注いで育てたものです。そして、持ち主を災いから守る様魔術をかけました。この花は私が死ぬまで枯れることなく、あなたの守りとなります」

 リサの説明に春子は目を丸くさせて、カーネーションとリサの顔を交互に見る。

「そんなすごいもん、うちがもろてもかまへんの?」

「あなただから受け取って欲しいのです」

 リサがにっこりと笑って頷いた。

「ほなありがたくいただきます。ほんま、おおきに」

 春子はカーネーションを胸に抱き、ベッドに座ったまま深く頭を下げた。




 春子の病室を後にし、幸成はリサを見送る為屋上にやってきた。

 もう冬の名残は薄く、肌をでる風は春の陽気をはらんでいる。先を歩くリサの着物の袖がちようちようの羽の様にひらひらと揺れているのを、幸成はぼんやりと見つめていた。

 その蝶々の羽が、くるりと翻ってリサが幸成と向き合う。

「あの、お時間がある時でいいんですけど」

「はい」

 一体何を吹っ掛けられるのか、幸成は無意識に身構えた。

 リサは幸成を見上げてゆっくりと口を開く。

「先生に私の仕事を手伝っていただきたいんです」

 予想外の提案に、幸成は目を丸くさせた。

「別に構いませんが……なんで俺なんですか? アリスさんもいるし、俺よりも魔女や魔法に詳しい人はいるでしょう」

 どう答えるのが正解なのか分からない幸成は、困ったように首を傾げる。

 するとリサはふわりと花がほころぶように笑った。

「花満先生より魔女や魔法に詳しい人はたくさんいますが、花満先生よりい人はいませんもの」

 リサにそんな風に言ってもらえる心当たりが全くなく、幸成は最近の自分の言動を思い出そうとしてみたが残念ながらあまり思い当たるものはなかった。

 だが、どこかくすぐったくてうれしい気持ちになる。

「それにお手伝いしていただく分、依頼料の分割返済は無利子で大丈夫ですので」

 どこか夢見心地だった気分は無利子という言葉で現実に戻された。

 利子付きだったのか……と幸成は自分の甘さを思い知る。

 しかし、無利子なのはありがたいよな、とのんに思った幸成であった。

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京の森の魔女は迷わない 朝比奈夕菜/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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