第一話 魔女の下僕⑧

「面白い話をしていますね」

 部屋の重苦しい空気を切り裂く様に、ガラッと病室の扉を開ける音がした。ノックもなかったので、幸成は驚いて後ろを振り返る。

 魚姿のイラを伴ったリサが、病室の入り口で笑みを浮かべて立っていた。アリスが処置を受けている間に、幸成がリサに連絡を入れて病院に来てもらったのだが、登場が突然すぎて呼んだ当人が一番驚いている。

 突然のリサの登場にはさすがのアリスも驚いたようで、ほんのすこし目を丸くさせている。

 リサがアリスの枕元に向かって歩いてくるので、幸成は立ち上がって場所を譲った。

 アリスの枕元に立ったリサは、にっこりと笑ってアリスを見つめる。

「花満先生のおっしゃる通り、過去と違って未来は変えられるわ。他の誰でもない、あなたの手によって。たとえどれだけ可能性が低くても、未来を変えられない証明をすることの方がよっぽど難しい」

 幸成はまさか先ほどのやり取りを聞かれていたとは夢にも思わず、ぎょっとした。そんな幸成の反応はれいにスルーして、リサはそのまま話す。

「さて、まずあなたに確認したいことがあるの」

 父親について聞かれると思ったのか、アリスがまゆひそめたが、リサはそれを気にする事なく話を進める。

「あなた、勤め先のコンビニの近くで猫に餌をあげていたでしょう」

 それまであまり動きのなかったアリスの表情が、初めて大きく動いた。

「なんでそれを……」

 アリスは幸成の方を見るが、幸成はぶんぶんと首を横に振る。病院に搬送されたことは伝えたが、猫の件は伝えていなかった。

 戸惑う二人の空気を察したリサが、にっこりと笑って種明かしをする。

「うちの使い魔にあなたのじゆりよく辿たどらせたのよ。魔女は使い魔と契約をして魔法を使うから……残念だけど、猫は住宅街の隅で息を引き取っていたわ」

 父親の話を聞いた時も、母親の話をしていた時も、あまり揺らがなかったアリスの表情が大きく揺らいだ。

「あなたから餌をもらっていたから、仮とはいえ主従関係が成立してしまった。でも、あなたは魔法をきちんと扱えない。猫はあるじに恩義を返したい一心で、八城隆司に呪いをかけた。自分の命と引き換えに。あの猫は、あなたの幸せを心から願っていたのよ」

 アリスの瞳からぼろりと大粒の涙がこぼれた。涙は止まる事なく、次から次へあふれ、頰を伝ってシーツに染みていく。

 リサは胸元からハンカチを取り出して、優しい手つきでアリスの涙をいた。

「私からあなたの未来に二つの提案があるの」

 リサが左手の人差し指と中指を立てる。

「一つめは、このまま父親を呪ったまま死ぬ」

 幸成は自分の口元が引きつるのが分かった。

 リサの思考が全く理解できなかったが、何を言おうとしたところで無言の笑顔でけんせいされると思い、幸成は一生懸命口をつぐむ。

「あなたの憎しみや悲しみを本当の意味で理解できる人間はこの世にいない。たとえ他人に愚かだと言われようとも、自分の感情をどうやって始末するかは他の誰でもないあなた自身が決める事よ」

 どうすればアリスの心が救われて八城を救えるのか、幸成には全く見当がつかなかった。答えを出せなかった結果がこれなのだろうかと絶望が幸成の心を覆いそうになる。

 だが、この人になら、と思ってリサに託したのは他の誰でもない幸成だ。口を出したくなるのをぐっとこらえて、状況を見守る。

「二つめは、父親への呪いを解いて私の弟子になり、魔女になる」

 リサの二つめの提案を聞き、幸成は一生懸命つぐんでいた口をぱかっと開けた。そんな選択肢、全く想像していなかった。アリスも目を見開いてリサを見つめている。

「そうね、まずは三年間、英国にある私の母校で基礎を身につけてもらう。学費や滞在費はもちろん私が払うから安心なさい」

 子供を育てるには金が掛かる。しかも海外で、となればけたが違ってくるだろう。確かにリサは金銭的に余裕がありそうだが、出会って間もないアリスに大金を掛けるとは、一体なにを考えているのだと幸成は思った。

「は……? なにそれ、恵まれない子供に手を差し伸べる自分優しいってやつ?」

 やはりアリスも怪しいと思っているらしく、けんにシワを寄せてリサを見上げている。

「あら、私ってそんなに優しい女に見えるのかしら?」

 リサにニコニコと笑いながら質問を返され、アリスは目に見えて答えに詰まった。

「残念ながら私は優しい女じゃないわ。才能はお金で買うことはできない。育てるしかないのよ。将来有望な魔女を育てることで、私は困ったときにあなたを頼れるし、あなたはそれでお金を得ることができる。つまりは未来への投資ね。あなたにとっても悪い話ではないと思うのだけれど」

 本当の金持ちは貯めるだけでなく、金を動かして更なる利を得ると聞く。人を、時流を見極めて、使うべき時に金を使うことができる人間の所へと、金は集まる。

 リサの目には、アリスの未来が見通せているのかもしれない。

「それにね、見ていられないの。人を呪うなら賢く呪いなさい。自分の命を懸けるなんてバカバカしい。あの男だけ地獄に落ちればよろしい」

 うっすらと笑みを浮かべたまま、リサがスッパリと言い切る。幸成は先ほどとは違う意味で口元が引きつるのが分かった。

 リサの本命は後者だろう。だが、大丈夫かと幸成はヒヤヒヤしてしまう。表面上は何もないよう、全てお見通しだと言わんばかりの顔をしているが、先が全く読めなくて内心冷や汗を大量に流しながらこの状況を見守っている。

「どちらにしても苦しみは伴うでしょう。どちらの道を、苦しみ方を選ぶかは、あなた自身が決めなさい」

 そう言って、リサはにっこりと笑ってきびすを返した。

 幸成とアリスはぽかんとリサの後ろ姿を見送る。

「……先生」

 リサが去って数分、このなんとも言えない空気をどうするかと幸成が考えていると、アリスが口を開いた。

「私、魔女になります」

「えっ」

 もっと悩んだり、困惑したりするかと思っていたが、アリスがあっさりと答えを出したので幸成は驚きで声を上げた。

「だって、このまま死んでも、魔女にならなくても、結末は一緒でしょう? それなら、一度でいいからけてみたい」

 いや、呪いを解いて普通に暮らす選択肢もあるはずだが……と幸成は思ったが、このままでは今の生活を続けるだけになる。それなら、魔女になって知識を身につけた方がアリスは今よりマシな生活ができるだろう。魔女の世界で生きることも楽な道ではないと思われるが、知識と技術を身につけたアリスなら、生きていける。

 それになにより、はじめて目の前に開かれた道に、アリスの目が輝いていた。

「じゃあ早く元気になって、いい魔女にならなくちゃな」

 予想外の着地だったが、収まるべきところに収まったように感じ、幸成は久しぶりにほっとした。

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