第一話 魔女の下僕⑥

「お待たせしました」

 コンビニの前で話していたら、頭上から声が降って来た。

 反射で見上げれば、ほうきに乗ったリサが暗闇に浮いていた。病院の屋上の時は幸成以外に人がいなかったが、今は周りにちらほらと人がいる。騒ぎになるかと幸成は一瞬ヒヤリとしたが、リサは軽い靴音を立ててすぐに地面に降りたので、周りの人は特に気づいていなかった。

 リサは夜に溶け込むようなミッドナイトネイビーの色無地の着物に白地に赤のラインが入った帯を締めている。長い髪は高い位置で一つにくくって背に垂らしており、まるで馬の尻尾のようだ。

「では、行きましょうか」

 幸成の顔を見てにっこり笑った後、リサはコンビニの自動ドアを見据える。幸成とイラを引き連れてコンビニへ足を踏み入れた。

 客の入店を知らせる吞気な電子音が響き、リサの足は一切迷うことなく進む。

「失礼」

 お菓子の棚の前にひざをついて商品の補充をしていた店員に、リサが話しかけた。空色の制服を着て、チョコレート色の髪を無造作に後ろで一つにくくった店員が振り向く。

 店員のこちらを見つめる目は鮮やかな緑色だった。胸ポケットの名札には『エバンス』と書かれている。

「アリス・エバンスさんですね? 八城隆司さんのことでお話ししたいことがあるのですが」

 店員はぼんやりとした表情で首を傾げてリサを見上げた。彼女はゆっくりと立ち上がり、リサに向き合う。年は高校生くらいに見えるが、ひどくせているせいで制服がダボダボで幼い印象を受けた。だが、緑のひとみが暗くよどんでいて、子供らしさを感じる事はできない。

「……アリス・エバンスは私ですが、そのヤシロさんとかいう人の事はよく知りません。人違いでは?」

「お母様から聞いていませんか。八城隆司さんはおそらくあなたの父親にあたる方だと思われるのですが」

 れいな笑みを浮かべながら、リサがしよぱなからとんでもない爆弾をいきなり投下し始める。慌てた幸成は止めに入ろうとしたが、リサににっこりと意味深な笑顔を向けられ、身動きができなかった。圧の掛け方が百戦錬磨の看護師長達にそっくりで、幸成は思わず身震いする。

 アリスはぼんやりとした表情でしばらくリサを見つめた後、小さくため息をついた。

「仕事が終わってからでもいいですか? もう少しで終わるので」

「分かりました。では上のお店でお待ちしておりますね」

 約束を取り付けるとリサはあっさりきびすを返してコンビニの出入り口へと向かった。イラもリサに付いていったので、取り残された幸成はどうするか迷ったが、アリスにじっと見つめられ言外に「邪魔」と言われているような気がして、そそくさとリサの後を追った。

「ちゃんと来ますかね、あの子」

 コンビニの上階にあるファミレスのソファー席で、幸成はリサと向き合ってコーヒーを飲む。本音を言えばガッツリ肉でも頼みたいところだが、アリスが来た時に微妙な空気になりそうなのでコーヒーで我慢した。

「多分来ると思いますよ。勤務場所に何度も訪ねて来られるのは嫌でしょうし」

 空腹に耐えている幸成とは違い、リサは涼しい顔で紅茶を口に運ぶ。

「そういえばイラ君は?」

 ファミレスに入る時、もうすでにイラの姿はなかった。

「アリスの使い魔の所へ向かわせています」

 リサの言葉に幸成はギョッとした。

「あの子魔女なんですか!?」

 幸成は魔女に会ったのはリサが初めてだ。二十八年間生きて来て先日初めて魔女に会ったと言うのに、間を置かずして人生二人目の魔女の登場である。魔女って意外と身近にいるものなのか? と身の回りの魔女っぽそうな人を思い浮かべた。

「厳密に言うとあの子は魔女ではありません。ですが、素養はあります。自覚がなくとも使い魔と契約できてしまうほどには。まぁ、普通ならそんな事態は異常ですが、あの子は生い立ちが複雑ですし、強い感情に揺り動かされて魔術が使えてしまったのだと思います」

 紗英と由紀子から聞いた話から想像するに、八城に捨てられたアリスの母親は一人で子供を産んで育てた。

 異国の地で愛した男に裏切られて、たった一人で子供を産んで育てることがどれだけ大変なことなのか、幸成には想像することしかできない。

「って、保護者の方に連絡しなくて大丈夫ですか俺たち!? 見ず知らずの子供に声かけてファミレスに入るとか不審者そのものじゃ……!?」

 幸成は泡を食った。今の日本では怪しまれても仕方ない行動だ。明日あしたの朝のニュースにすっぱ抜かれるところまで想像した幸成は全身から血の気が引くのを感じた。

「きちんと説明できる道理があるので大丈夫ですよ。何よりお医者様の花満先生がいらっしゃいますし」

 リサはにっこりと鉄壁の笑みを浮かべた。

 いくら同性のリサがいるとはいえ、見ず知らずの大人二人が子供から話を聞くという構図は怪しすぎる。

 患者に関する話を聞きに来ただけなので、何もやましいことはないというのは全くもってその通りだ。だが、リサの言葉からは幸成の「医者」という肩書きをいざという時の盾にすると言われているような気がして不安がよぎる。

 明日の朝のニュースに報道されるような事態にだけはなりませんように……と幸成が祈っていると、入店を知らせる電子音が響いた。入り口に目を向けると、私服に着替えて髪を下ろしたアリスが店内を見回している。リサと幸成の姿を見つけると、だるそうにテーブルに向かって歩き出した。グレーのパーカーにジーンズ、そしてグリーンのモッズコートを羽織っている。

 幸成が慌ててリサの方へ移動して席を空けると、アリスはぺこりと頭を下げてソファーに座った。店員が水を持ってオーダーを聞きに来たが、メニューも手に取らずオーダーをするそぶりもなかったので、幸成がアリスの分のホットケーキとココアを注文する。

「申し遅れました。私は魔女のリサ・シラハセ・フローレスです。こちらは誠倫病院の医師で八城さんの主治医の花満先生」

「はぁ……」

 アリスはどうでも良さそうに力無くあいづちを打つ。

 態度が悪いという感じではなく、元気がない印象を幸成は受けた。

「お母様から父親のことについては何か聞かされていますか?」

「聞かされてはいませんが、なんとなく察しくらいはつきますよ」

 アリスは目の前に置かれた水の入ったグラスをぼんやりと眺めながら、抑揚のない声で答える。

「母は父親に捨てられ、私を一人で産む羽目になった。事情がどうであれ、自分の子供にすら責任が持てないクソ野郎としか私は父親に対して思っていません」

 アリスの言葉には何の感情も見えない。言葉自体は父親を憎悪しているのに、感情の全てが抜け落ちている。

「去年の秋に母は病気で亡くなりました。手術するお金を用意できず、私は母が死に行くのをずっと黙って見ていました」

 幸成は胃に氷を詰め込まれたように感じた。腹の底が冷たく、重い。

 幸成の両親はまだ健在で、元気に暮らしている。

 だが、自分よりも年若い彼女が、実の母親の死を看取った。

 たった一人の家族を、たった一人で見送ったのだ。

 もう何と声を掛けていいのか、幸成には分からない。

「母は自分の家族とも疎遠だったので、一人で子供を育て、体も精神もすり減らして、故郷を遠く離れた異国の地で死にました。父親は母の苦労を何も知らず、今ものうのうと生きている。これって不公平じゃないですか?」

 放たれる言葉が、重い雪のように幸成の心の中に積もっていく。おそらく彼女はこれ以上の重荷を背負って今この瞬間まで生きて来たのだろう。

「私を妊娠した母が悪いんですか? 違うでしょう? 親としての責任を全て母に押し付けて逃げた父親が悪い以外の何物でもない」

 父親を断罪する言葉には相変わらず何の感情の色もない。淡々と話しているのは、話すことによって何かを変えようという気持ちがないからだ。

 彼女は、この世の全てに期待などしていない。

「アリス」

 それまで一切口を挟まず、アリスの言葉をじっと聞いていたリサが、ようやく口を開いた。

「あなたは自分に魔女としての素質があることは知っているかしら?」

 リサの問いかけにアリスはけんにシワを寄せて首を横に振る。少しだけ見えた人間らしい表情に、幸成は思わずホッとしてしまった。

「あなたには魔女の素質がある。生まれ持った強すぎる力のせいで、あなたは知らず知らずのうちに父親を呪ってしまった。父親はあなたがかけた呪いのせいで、今生死の境を彷徨さまよっている」

 アリスは特に拒否反応を示すこともなく、リサの話をじっと聞いている。

「呪いはかけた術者にも等しく返ってくる。このままではあなたも無事ではいられない。呪いを解く一番の近道は呪いをかけた本人が解くことなのだけれど、あなたはどうしたい?」

 穏やかに笑ったリサと、無表情のアリスがしばらく無言で見つめ合う。

「……どうでもいい。でも、どうせ死ぬなら、死んだほうがマシと思うくらい苦しい思いをして死んで欲しい」

 そう言い捨ててアリスは立ち上がった。

 ちょうど店員がホットケーキとココアを持って来たところで、店員は出口に向かうアリスと幸成たちを交互に見て首を傾げている。

 戸惑う店員に幸成が声を掛けてホットケーキとココアを受け取り、向かい側のソファーに移動して最初の時と同じようにリサと向かい合って座った。

「これからどうするつもりですか?」

 ほおづえをつきながら、幸成はメープルシロップをホットケーキに回しかける。リサは穏やかに笑みを浮かべたまま紅茶のカップを傾けた。

「とりあえずはイラの報告待ちですね」

 ということはまだ他の手も持っているのだろう。

「あの、魔女の呪いって法律的にはどうなってるんですか……?」

 少し切れ味の鈍いナイフでギコギコとホットケーキを切り分けながら、幸成は先ほどから気になっていたことを恐る恐る問いかける。

「もちろん意図的にしたものは罪に問われます。まぁ、立証できればの話ですが」

「というと?」

「腕が良い魔女や魔法使いほど、術のこんせきをうまく消すものです。検察側が被告人と同等、あるいはそれ以上の腕を持つ魔女や魔法使いを引き入れられるかが勝負でしょうね。アリスは、不完全とはいえこのままの状態では逮捕されるのも時間の問題です。今回は完全に不可抗力なので情状酌量になるとは思いますけど」

 子供が罪に問われるというのはる瀬無い。

 八城をこのままにしておくこともできないが、アリスの気持ちを考えると無理やり協力を頼むことは酷だ。しかし、アリスの為にもやはりこのままにしてはおけない。

「あと、さっき呪いがアリスさんにも返ってくるっておつしやってましたけど、あれってどういうことなんですか?」

「ああ、他者を呪い殺すことができるくらい強力な呪いですから、おそらく反動が返って来たらあの子は死にますよ」

 表情を変えずに淡々と説明するリサに、幸成はぎょっとした。

 その表情に気付いたリサは、カップをソーサーに戻してもう一度ゆっくりと口を開く。

「人を呪わば穴二つ、と言うでしょう。何をするにも、対価というのは必要ですもの。それに見合う、対価が」

 食べ物と温かい飲み物をとっているのに、胃の底が冷たい。

 絶句してリサの顔をぼんやりと見つめる。

「時間はあまり残されていませんよ、花満先生」

 医者に余命を宣告される時の患者の気持ちとは、こういうものなのだろうかと幸成は思った。

 何を選択することが誰にとっての正解となるのか。今の幸成はすぐに答えを出せそうになかった。

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