第一話 魔女の下僕⑤

 結局リサにやんわりと押し付けられ、幸成は八城隆司の元嫁、もりしたに話を聞く役になってしまった。

 幸成は由紀子から連絡先を教えてもらい、夕方、誰もいない病院の休憩室で森下紗英に電話を掛けた。

『もしもし……?』

 長いコール音の後に、怖々とした女性の声音が聞こえた。

「突然お電話してすみません。私、誠倫病院の医師で、花満幸成と申します。八城隆司さんのことでお伺いしたいことがありまして、お電話させていただきました。森下紗英さんの携帯電話ですよね?」

『あー……』

 明らかに困っているような声を出す。その気持ちはすごくわかる。元旦那絡みで病院から電話が掛かってくることなんていい話ではないだろう。お気持ちはお察ししたいところだが、そうも言っていられない。

「すみません、本当にお話をお伺いしたいだけなんです。森下さんのお気持ちはお察しします。いや、こんな電話を掛けている時点でどの口が言うかとは思われると思うんですが、あの、お話だけ聞かせていただけませんか。もちろん森下さんが話したくないことは話さなくて大丈夫です。途中で切ってもらってもいいです。なので、お願いします」

 電話を切られたくない一心で早口でまくし立て、電話口で見えもしないのにペコペコと頭を下げてしまう幸成。

『……分かりました』

 うんざりしている気持ちが電話越しにも鮮明に伝わってくる。幸成は心の底から申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 かいつまんで八城の現在の状況と、紗英に連絡をとるに至った経緯を話す。先ほどとは逆に『元夫とお義母さんがご迷惑をおかけしているようですみません……』と紗英に謝られてしまった。

『八城は普段は無口な人なんですが、お酒が入ると良くも悪くもなんでも口に出してしまう人でして。それでトラブルになったことは何度かありますし、私が離婚しようとした原因の一つでもあります』

 紗英から聞く話は、由紀子から聞いていた話とは真逆のものだった。

 由紀子が噓をついている訳ではない。立場や、人に向ける感情によって、見え方は異なる。

 しかし、噓はついていないが、由紀子の言っていたことは事実とは異なっている可能性が浮上してきた。

 幸成は紗英の話を聞き、そりゃあ呪われるだろ、と声を大にして言いたかった。そんな人間の為に走り回っていることがむなしくなって来る。

『離婚をしたいと思っていることをお義母さんに相談したら、あの子はお酒が入っているからあんなことを言ってしまうだけよ。勢いで言ってしまうだけだから許してあげて。こういう時流してあげるのが大人でしょうって。あんたの息子は大人じゃないのかってのどもとまで出かかりましたよ』

「全くおっしゃる通りです……」

 なぜか幸成の方が居たたまれない気持ちになり、次第に背中が丸くなってくる。

『お酒が入ると何を言ってもいいと思っている人なので、何人かはご迷惑をおかけした人はいます。あと……』

 紗英が少し言いよどむ。やがて細く息を吐く音が聞こえて、先ほどよりも少し低い声音で話し始めた。

『離婚が決まった時、お義母さんに、あなたに子供ができないと分かっていれば、あの時の外国人の子に子供をろせなんて言わなかったのにと言われました』

「は」

 幸成は頭の中で紗英が言った言葉、かつて由紀子が紗英に放った言葉の意味を理解できなかった。

 電話の向こうで幸成が困惑しているのを察した紗英が、苦笑をこぼす。

『私もあまり詳しくは知りませんが、昔知人から八城が外国の方とお付き合いしていたと聞いたことがあります。その方との間に子供ができたけれど、お義母さんに反対されて私と結婚したのでしょう。お義母さんは考えの古い方なので、八城と外国の方との結婚を許すはずがありません。あんなクソみたいな男でも、大人になるまで育てた母親が、子供を授かった女性にそんなことを言ったのかと思うと、気持ち悪くて仕方がありませんでした』

 紗英に言った言葉も、その女性に言った言葉も、由紀子自身にとっては正すべき事なのだろう。由紀子にとって、自分と息子の幸せこそが絶対の正義であり、自分達の幸せに沿わないことは「間違っている」ことで、自分が正さなければならないこと。

 だからこそ、悪意がない。正しいことをしていると思い込んでいるから。そうでなければそんなことを言えない。

 悪意があるからと言って人を傷つけていいわけではないが、悪意がないからと言っても人を傷つけていい筈がない。

 人の価値観はそれぞれ違うものだが、価値観の違う中でお互いを思いやりながら生きていくのが人という生き物だ。八城親子にはそれが決定的に欠けている。

 幸成が今までの人生で触れて来たことのない悪意のない悪意。世の中にはこんな醜悪なものがあるのかと、気が遠くなった。




『なかなかくせものな親子ですね』

 その日の夜にリサに連絡を入れると、何が面白いのか電話越しにクスクスと笑われた。

「笑い事じゃないですよ。俺そのあと八城さんに電話して確かめたんですからね」

 その時のことを思い出して幸成は生気をごっそりと削られた。休憩室の椅子にだらしなくもたれかかり、深々とため息をつく。

 由紀子の発言について追及し始めると泥沼になるのは目に見えていたので、息子が付き合っていた外国人の女性がいたかどうか、と言う事実確認だけをした。

 由紀子は「子供ができたから結婚したいって言われましたけど、外国の人との結婚なんてとんでもないって言って止めました」と何事もなかったかのように肯定した。

「八城さんとその女性が結婚のあいさつに来たのが十六年前で、二人が出会ったのは八城さんが通っていた英会話教室だそうです」

『なるほど。ちなみにこちらも進展がありましたよ』

「えっ、本当ですか!?」

 意外と早かった朗報にごっそり削られた生気が幾分か戻り、幸成はおきあがりこぼしのように勢いをつけて上体を起こす。

『魔力の跡を追ってみたら、思ったよりも早く術者らしき人物に辿たどり着きました。花満先生のお陰で早々に裏が取れて助かりました。明日あした事情を伺いに行こうと思います。先生も一緒に行かれますか?』

「行きます!!」

『では明日の夜の六時に地下鉄きたやま駅近くのコンビニでお待ちしていますね』

「分かりました」

 ようやくこの案件の出口が見えて来て、幸成は電話を切った後にやれやれと息を吐いた。




 退勤間際の急患もなく、幸成は余裕を持ってリサに指定されたコンビニに到着した。その軒先に入ってリサを待つ。

 幸成にとっては見慣れたチェーン店のコンビニだが、リサがこのコンビニにやってくると思うと不思議な感覚がした。出会って間もないせいもあるのだろうが、リサにはあまり生活感を覚えない。物語の中から抜け出して現代社会にやって来た魔女と言われた方がまだ納得できるな、と幸成は思った。

「花満先生」

 耳元で声がした。魚姿のイラが幸成の顔の近くに浮いている。

「おっ、こんばんは、イラ君」

「こんばんは。もうそろそろリサも来ると思いますので少々お待ちくださいね」

 ヒラヒラと白く長い尻尾しつぽが闇夜の中に漂っている。

「もうご飯食べた?」

「それがまだなんですよ」

 はぁ、とイラがため息をついた。魚ってため息つけるんだ、と幸成はのんに思った。

「俺、なんか買って来ようか? 流石にお腹減っただろ」

 彼はにじへびなので実際の年齢は分からないが、知っている外見が子供のものなのでどうしても世話を焼きたくなってしまう。

「お気遣いありがとうございます。人間の食事も食べられるんですが、使い魔の主食は魔女が育てた草花なんです」

「草と花? それだけじゃお腹かないの?」

 ドラゴンと言うと幸成は肉食のイメージしかなかった。少なくとも幸成ならサラダだけではやっていけない。

「リサが育てる草花には魔力が宿るので、厳密には草花に宿ったリサの魔力を食べてるんです。魔女や魔法使いは自分の魔力を使い魔に与えることで契約を結ぶんですよ」

「へぇー。絵面はめっちゃオシャレだなぁ。写真映えしそう。俺SNSやってないけど」

「僕もSNSはしていないので良く分からないですねぇ」

 幸成の内容の薄いコメントにもイラは律儀に言葉を返す。

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