第一話 魔女の下僕③

 幸成は病院に戻り、スクラブに着替えて八城の家族に連絡を入れる為ナースステーションに顔を出した。

「あら、先生今日休みやったんやないの?」

 ちょうど書類仕事をしていた相原に声を掛けられる。

「藤田さんに教えてもらった魔女に明日八城さんを診てもらえることになったので、ご家族に連絡を入れたくて」

「八城さんのご家族ならさっきお見舞いに来てはったよ。まだいはるんとちゃうかな」

 タイミングの良さに幸成はいても立ってもいられず駆け出そうとしたら、首根っこをつかまれて軽く首が絞まった。

 慌てて後ろを振り返ると、相原がけんにシワを寄せて幸成の服の襟を摑んでいた。

「花満先生やから大丈夫やと思うけど、そういう話は特に慎重にしいひんとあかんで、先生。ただでさえご家族が意識不明でピリピリしてはるんやから。特に今回は状況が特殊やし、いつも以上に丁寧に説明するんよ?」

「わ、分かりました」

 いつも患者や患者の家族に病状や治療計画の説明をする時は緊張するものだが、相原の言葉により一層身の引き締まる思いがした。

 幸成は八城の病室に向かい、ドアをノックする。返事が聞こえて来たので失礼します、と言って病室に入ると、ベッドの上で眠っている八城のそばで、八城の母親が荷物の整理をしていた。今まで父親の姿を見たことはない。

「先生、いつもお世話になっております……」

 八城の母親が幸成に向かって深々と頭を下げるので、幸成も頭を下げる。腰が痛いのか、体を起こす動作が少しぎこちなかった。

「八城さん、息子さんの病状について説明があるのですが、今お時間よろしいですか?」

 幸成の言葉に八城の母親の表情がこわった。どれだけ穏やかな口調で言っても、医師から説明があると聞かされて緊張しない人はあまりいない。

「様々な検査を行いましたが、大きな異常は見つかりませんでした。そこで、当院のおんみようの医師に協力を依頼しました。陰陽科の医師の見立てでは日本由来でないじゆをかけられている可能性があるとのことです」

 八城の母親から表情がごっそり抜けおちた。唇が細かく震え、怖いくらい目を見開いて幸成を見据える。

 はくはくと何度か息を吐き出して、ようやく声を絞り出した。

「……先生は、あの子が、誰かに呪われるような人間だと、思われているんですか」

「いえ、そういうことではなくてですね」

 搬送されてから意識が戻っていない患者がどんな人間なのかを知ることはできない。ただ、幸成は事実のみを伝えていたつもりなのだが、八城の母親にとって幸成の言葉は息子を「人に呪われても仕方ない人間だ」と言われたものととらえられてしまったようだ。

 今はそういう話をしたいわけではないのに、感情がたかぶると、どんな話もマイナスな感情に引きずられてしまうのだろう。

 どうやって言葉を尽くすか、幸成は必死に頭の中の辞書をめくった。そして、負の感情に引きずられないよう、腹の底でゆっくりと呼吸をし、口を開く。

「八城さん、私はこれからの話をしたいと思っています。息子さんを助ける為の話です。今重要なのは病気の特定と、治療方法の決定です。我々はそれ以外に関与しません。というかできません。私たちにできるのは、患者さんを助けることに全力を出すことだけです」

 患者がどういう人間なのか、医師や看護師には関係ない。たとえ自殺をしようとした人間だろうと、人を殺した人間だろうと、病院に運び込まれた時点で助ける為の道を必死で探す。

 命を助けることが幸成たちの仕事であり、それ以外のことはまた別のプロがいるのだから、医療の現場で患者の人間性を問うことはしない。

 八城の母親はまだ少し納得していないようだったが、口を開こうとはしなかったので、幸成はそのまま説明を続ける。

「日本由来のものでなければ陰陽科の先生も対処できないとのことだったので、息子さんを診てもらえる人を探し、一人だけ見つけることができました。リサ・シラハセ・フローレスという魔女の方です。明日、息子さんを病院に診に来て下さることになりました。治療できるかどうかはそこでの判断となるそうですが、もし、フローレスさんに治療を頼む場合は自費診療となってしまいます」

 命の話をしている時に金が絡む話はなんとも居心地が悪い。だが、人間の生活とは切っても切れないものが金だ。

 医療には人の気持ちももちろん必要だが、薬や包帯、メスの刃から縫合する糸に至るまで、十分な医療を行う為には医療品も必要となってくる。そしてそれらは決してタダではない。

 医療は人を選ばず平等に施されるべきだが、それと同時に金銭負担も平等に降りかかる。日本では最低限の医療は国民皆保険制度で保証されているだけ恵まれているのかもしれないが。

 母親はうつむいて唇を一文字に引き結んでいる。

「とりあえず、明日フローレスさんに来ていただいて、息子さんが治療可能かどうかの判断をしていただきます。契約するかどうかはその後決めて頂ければ大丈夫です……正直申しますが、息子さんの容態を見る限り、あまり時間をかけることはできません。判断は早めにされた方がいいかと思います」

 医療の分野から八城を診れば、今この瞬間にも急変して死んでしまってもおかしくない。

 金と時間と命をてんびんにかけ、患者本人、患者の家族に選択を強いるこの行為に、幸成は全く慣れることができず、胃の底が重くなる心地がしていた。




 翌日の十二時五分前、幸成は勤務先の病院の屋上でリサを待っていた。

 昨日、一昨日おとといの寒さが噓のような陽気で、朝は少し冷え込んだが昼間の今ははんそでのスクラブだけでも十分快適にすごせる。

「でもなんで屋上なんだ……?」

 普通待ち合わせるなら一階の総合受付だろう。不思議な待ち合わせ場所の指定に、幸成は首を傾げながら一人つぶやいた。

 さくにもたれて京都の町並みをぼんやりと眺めていると、ふと、影がかかる。最初は雲か飛行機が通り過ぎたのかと思ったが、

「花満先生」

 頭上から声が降ってきた。何も考えず反射で振り仰ぐと、ほうきに横乗りしたリサが宙に浮いていた。

「お待たせして申し訳ありません」

「い、いえいえ! 時間ぴったりです! はい! ていうか箒!?」

 リサの手には物語でよく見る魔女が持っていそうな箒が握られていた。ただ、そこら辺のホームセンターで売られているようなものではなく、毛先はシュッと整えられて柄の部分もよく磨かれているのか、ツヤツヤと輝いている。

「花満先生はあまり見たことありませんか」

 音もなく箒から降り、首を傾げるリサ。

「箒に乗っている人を間近で見たのは初めてですね……」

 陰陽師や魔女は架空の存在とされていたが、近年では公に存在を確認されて陰陽師に至っては国家資格となっている。それは幸成とて分かっているが、今まで周りにはいない人種だったので、いちいち驚いてしまう。遠目で空を飛んでいるところを見たことはあるが、テレビの向こう側のことのように感じていた。

 今日のリサは黒のブラウスに白地に梅柄の着物を着て、黒の帯とブーツを合わせている。初めて見るコーディネートに幸成は面食らった。

 幸成の中の着物のイメージは、姉や妹の成人式の振袖か母親が入学式や卒業式に着ていた着物くらいだ。

 着物というと伝統的でかっちりとしたイメージしかなかったが、こんな風に型を破っていいものなのだと思い知らされる。ただ、異なる素材を合わせてもれつにならないのは、リサのバランス感覚が優れているからなのだろうと幸成は思った。

 彼女の周りには白い魚のような細長い生き物がフヨフヨと漂っている。幸成は目を凝らしてそれの正体を確かめようとしていたが、突然魚が光を放ったので、まぶしくて目を閉じてしまった。目を開けた次の瞬間、白い魚が泳いでいたそこにはイラがニコニコと笑って立っていた。

「えっ、えっ!? イラ君どこから出て来たの!?」

「ずっとリサの隣にいましたよ?」

「いやいやいや! 今パッて出て来たじゃん!?」

 み合わない二人のやりとりをリサがクスクスと笑って見つめている。

「さっきの白い魚がイラの仮の姿なんですよ」

 このままでは話が平行線になると思ったのかリサが種明かしをする。

「僕はリサの使い魔のにじへび、分かりやすく言いますとドラゴンです」

 理解が追いつかず、幸成はパクパクと口を開け閉めしてしまう。

 神も仏も悪魔も鬼も、この世に存在していることは幸成とて理解している。

 だが、今まで身近にいたことがなく、生まれたら神社に行き、クリスマスはキリストの誕生を喜び、死んだ時は寺に行く日本人らしい宗教観の持ち主の幸成にとって、そういうものは自分の世界に存在していなかった。

 勉強は吐くほどして来たつもりだったが、世界とやらはまだまだ広く、未知のものが存在していることを痛感した幸成であった。

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