第一話 魔女の下僕②

「先生、えらいややこしい顔してはるなぁ」

 言葉と一緒にピピピッと電子音が聞こえ、遠くに飛んでいた意識が一瞬で戻る。

「す、すみません」

 ペコペコと頭を下げながら幸成は患者のふじはるから体温計を受け取り、計測した体温を端末に打ち込んだ。

「責めてるわけやないんよ。ほんま絵に描いたような難しい顔やったからつい言うてしもた。かんにんえ」

 にこやかに笑う春子は真っ白な髪が上品で、笑いじわがとてもチャーミングな老婦人だ。はんなりとした身のこなしや言葉遣いをする人で、竹之内が彼女と同じことを言ったら嫌味にしか聞こえないだろうが、同じ京都弁でも彼女が言うとまったく嫌味に聞こえないから不思議である。

「お医者さんでもそんなに悩むことあるんやねぇ」

「そりゃありますよー。和食食べたいけど中華も食べたいとかでよく悩んでます」

「そら難しい問題やねぇ」

 くだらない冗談にも屈託なく笑ってくれるので、幸成をはじめ医師や看護師が彼女にいやされている。

 春子は呉服屋を経営しているらしく、入院初日は和服姿のご主人と息子さん夫婦が来ていた。

 京都で客商売とか大変そうだなぁ……と思った幸成は、そこであることに思い至る。

 自分なんかより、彼女の方が絶対に豊富な人脈があるのではないか、と。

「あの、藤田さん、ちょっとご相談があるんですが……」

 お見舞いに来た人用の丸椅子を引き寄せ、幸成は声を潜めながら話を切り出した。

 春子はきょとんとした表情を浮かべていたが、やがてニヤリと口の端を持ち上げてようえんに微笑む。

「お医者さんがウチに相談事やなんてただ事やないね」

 幸いにも春子がノリノリで、幸成はホッと息を吐き出す。

 個人情報は伏せて要点だけを話し、そっちの方面に詳しい人を知っていたら紹介してほしいと相談した。

 春子は幸成の話を静かに聞き、にっこりと笑みを浮かべる。

「一人だけ、心当たりがありますえ」

「マジですか!」

 ようやく見えた希望の道に幸成は思わず大声をあげそうになったが、なんとか声を抑えた。

「八瀬の山奥に、魔女がいはるんよ。昔、息子が五歳の時に熱が全然下がらへんかったことがあってな。原因が分からへん、ただの風邪やろて病院を何軒もたらい回しにされたんよ。そのことを店の常連さんに言うたら、魔女のことを教えてくれはった」

 魔女のおかげで息子の容態は快方に向かい、今日に至るそうだ。幸成は先日春子の見舞いに来ていた息子の姿を思い出す。

「魔女さんにうたのはもう五十年前で、その時二十歳くらいやったかなぁ。金色の髪に青色のひとみで、ほんまお人形さんみたいな外国の人やったけど、お着物れいに着こなしてはったねぇ」

 魔女なのに着物? と幸成の頭の上にハテナマークが飛び交う。

「地図ならなんとか描けると思うしちょっと待ってな」

 春子は幸成にボールペンを借り、手近にあったメモ用紙に魔女の所までの地図を描いてくれた。はい、と流麗な字で書かれたメモを渡される。

「あと魔女のことは他の人に言うたらアカンよ。不用意に魔女のこと言うたら呪いがかかるって言われたし。本当かどうかは分からへんけど」

 メモを受け取りながら言われた言葉に、え、と幸成の顔が引きつった。

「でも、藤田さん今俺に魔女のこと……」

「ええのええの。知ってるんよ、ウチ、余命そんなにないんどっしゃろ? 最後に先生のお役に立てるなら本望やわ」

 微笑む春子に、幸成はなんと言うべきか一瞬言葉に詰まった。

「いや、藤田さんは骨折で搬送されて、整形外科のベッドに空きがないので救急で待って頂いてるだけなので、めちゃくちゃ健康ですよ」

 幸成の言葉に春子はきょとんとした表情を浮かべ、自分の勘違いに声をあげて笑った。

「ええのええの。老い先短い身やし、せめて人様のお役に立ちたいんよ」

 こんなに気持ちのいい笑顔で人の為に、と言い切れる春子の強さに、幸成はれとした。




 春子が教えてくれた魔女に会いに、幸成は貴重な休みの日に京都市の外れにある八瀬の山中にやって来た。

 三月になり暖かい日も徐々に増えてきてはいるが、昨日から市内は強く冷え込んでいる。山深い八瀬のあたりは雪がうっすら積もっており、一応スタッドレスタイヤをつけているとはいえ、慣れない雪道の運転に幸成は内心ヒヤヒヤしていた。

 春子に描いてもらった地図を頼りに山の中を進めば、やがて山肌に沿うように建つ屋敷がうつそうとした緑と雪の中に姿を現した。屋敷は塀に囲われており、造りは和風のようだ。日本かぶれのなんちゃって和風ではなく、純和風のもの。魔女が着物を綺麗に着こなしていたという話からも、かなり力の入った親日家ということが分かる。

 路上に車を停めるわけにもいかないので、来る途中にあった小さなパーキングに引き返して車を停めて来る。今も粉雪がチラチラと舞っており、山中ということもあって寒さは肌を刺すように厳しい。

 結局電話番号などは分からず、アポなしの突撃訪問のため、幸成は少し緊張していた。

 手土産は相原に教えてもらった老舗しにせの和菓子店の豆大福だ。朝早くに行列に並んで買った勝負菓子である。

 紙袋の取っ手を握る手にジワリと緊張の汗がにじみ、小さく深呼吸をして門柱のインターフォンを押した。

『はい、どちら様ですか?』

 しばらくするとインターフォンから少し高めの男の子の声が聞こえる。幼そうな声音なのに、落ち着いた雰囲気なのがチグハグしているように感じた。

「あの、突然すみません。私、せいりん病院の医師で、花満幸成と申します。とある方にこちらに『魔女』がいらっしゃると聞きまして……ちょっとご相談させていただきたいことがあるのですが、お話だけでも聞いていただくことはできないでしょうか……?」

 少しかがんで、インターフォンに向かってできるだけこちらの状況を分かりやすく端的に伝える。

『分かりました。主人に聞いてまいりますので、そのままで少々お待ちください』

 いつたんインターフォンの音声が切れ、幸成は小さく息をついた。

 どうやら『魔女』の存在は確からしいので、そのことにまずホッとした。「は?」とか言われて頭のおかしい人がいると警察に通報されたらどうしようかとビクビクしていたのである。

 数分そのままでいると、もう一度インターフォンがつながる音がした。

『主人がお話を伺いますとのことです。今からそちらにお迎えにまいります』

「あ、ありがとうございます!」

 予想以上に話がトントン拍子に進み、うれしさのあまり幸成はインターフォンに向かって大きな声で礼を言いながら何度も頭を下げる。

 しばらく待っていると、重厚な木の扉がギィ、と音を立ててゆっくり開いた。

「寒い中お待たせしてしまって申し訳ありません」

 門を開いて現れたのは、褐色の肌に黒髪を持つ小学校低学年くらいの少年だった。フワフワのウェーブしている黒髪に粉雪が付いている。目の色は満月のような金色で、日本ではあまり見ないエキゾチックな容姿に幸成はポカンと少年を見つめた。

「花満様、どうぞこちらへ」

 ぼんやりとしている幸成に気づいた少年が振り返って促す。現実に戻って来た幸成は慌てて少年の後を追いかけた。

 門の向こう側はよく手入れの行き届いた日本庭園だった。山の高低差を利用して木々の間をり水が通っており、広大な庭はしんと静まり返っている。

 石段や坂を何度か登ると、緑の中に日本家屋が現れた。地形に合わせて建てられているせいで造りが入り組んでおり、屋敷のぜんぼうはよく分からないがかなり広そうだ。

 幸成はてっきりその家に通されるのかと思ってワクワクしていたのだが、少年は屋敷の玄関に続くであろう道を素通りして、さらに奥へと続く道を進んで行く。

 このまま山奥に連れて行かれて殺されそうだな……と思いながらも、幸成は少年の後を付いていった。

 やがて背の高い木がなくなり、少し開けた場所に出た。大きな鳥かごのような温室が姿を現し、ぬるい太陽の光を反射してガラスがキラキラと輝いている。

 少年は扉を静かに開けて、幸成を温室の中に促す。幸成が恐る恐る足を踏み入れると、ふわりとあたたかい風が頰をで、肌を刺すような寒さがゆるまって肩の力が抜けた。

 温室の中は幸成が見たことのあるものからないものまで、色とりどりのいろんな種類の草花が行儀よく植えられている。

 しばらく歩いていくと緑の海の向こう側で、黒髪の着物姿の女性が椅子に腰掛けて本を読んでいるのが見えた。

 空色の地に白鳩が舞う着物を着付け、南天の帯を締めており、シャンと姿勢を正してカップで紅茶を飲んでいる。

「リサ、お客様をお連れしましたよ」

 少年に名前を呼ばれた女性は読んでいた本から顔を上げ、彼女の晴れた夏空のような真っ青な瞳と幸成の日本人然とした黒い瞳が交わった。その瞬間、にこりと微笑まれて幸成はどきりとした。何もかもを見透かされそうな瞳に、恐怖を感じる。

「ありがとう、イラ」

「どういたしまして」

 イラが横にけて幸成に前へ行くよう促す。

「よくお越しくださいました、花満様。リサ・シラハセ・フローレスです」

「あっ、いえっ! こちらこそ急に押しかけてしまってすみません! 花満幸成と言います!」

 彼女が立ち上がり、たおやかにお辞儀をした。慌てて幸成もペコペコと頭を下げる。一応自分の名刺も渡した。

 リサは日本語がたんのうで黒髪というのもあり、振る舞いは着物に慣れた日本人だ。パーツや顔立ちで、どことなく異国の雰囲気を感じさせられる。

 しかし、リサの外見はどう見ても幸成と同じ年か、下手をすれば年下に見えた。春子の話を聞く限り、七十歳くらいのおばあちゃんが出てくると想定していたので幸成は混乱したが、これがちまたで噂の美魔女と言うやつか……と一人で納得する。

 そちらにどうぞ、とリサの向かい側の椅子を勧められ、幸成はおずおずと腰掛けた。手土産の豆大福を渡すと、リサはここの大福大好きなんですとにっこり笑う。

 紅茶を飲んでいたので洋菓子にすれば良かったかな、と思ったが、イラは日本茶をれて豆大福と一緒に出してくれた。黒文字が添えてあるが、果たしてこれを使ってれいに食べられるだろうか……という不安が幸成の胸中をよぎる。リサは想像通り美しい所作で大福を切り分けて口に運んでいるので、ハードルは上がる一方だった。

「ご依頼をお受けできるかどうかは分かりませんが、とりあえずお話を伺っても?」

「は、はい!」

 目の前の大福の攻略に夢中になりかけていた幸成は、リサの声で現実に戻り、自分の患者について相談した。

 あらかたの話を聞き終えたリサは一度目を伏せて、数秒考え込んだ後再び視線を上げて幸成と目を合わす。

「実際患者様を診てみないことにはなんとも言えません。魔術にも医療と同じで専門分野がありますし、術師の腕前にもよります」

「はい」

 ここでリサに見捨てられたらまた振り出しに戻ってしまう。どうか、やっと見えた希望の糸を切らないで欲しいと、幸成は神妙にうなずきながら心の底から願った。

「一度、患者様を診せていただいてもよろしいですか? 私の手に余るようなら知り合いを紹介するくらいは致しましょう」

「マジですか!」

 想定以上の良い返事に幸成は思わず素の反応をしてしまった。すぐに我に返って口を手で覆う。

「マジですよ」

 リサは気分を害した様子もなく、ニコニコと笑って頷いた。

明日あしたは予定が空いていると思うので、病院の方に伺わせていただきますね。都合のいいお時間はありますか?」

 事は一刻を争う。家族の方には後で自分がきちんと説明して、納得してもらう様に持っていくしかない。

「昼の十二時頃でお願いできれば……急患が入ったらお待たせしてしまうかもしれないのですが……」

「構いませんよ。では十二時に病院の屋上で待ち合わせましょうか」

「分かりました。よろしくお願いします」

 とりあえず見えてきた小さな希望がついえることがなくてホッとした幸成であったが、魔女の家を後にしてから、なぜ待ち合わせが屋上なのかと首を傾げた。

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