第一話 魔女の下僕①
休憩室で昼食に買っておいた大盛りのミートパスタをレンジで温めている途中で、スクラブの胸ポケットに入れていたPHSが鳴る。
「はい、
医師の花満
電話は救急車の受け入れ要請だった。患者の状態を聞いてすぐに戻ることを伝えると、大盛りパスタを根性で三口で食べ切り、救急へ向かう道すがら必死で飲み下す。
幸成が救急の部屋に着くと、看護師たちが患者を受け入れるための準備を整えていた。医師の中で一番下っ端の幸成が医師の中で一番乗りだったのでホッと胸をなでおろす。
受け入れ準備の人手は足りているということなので、幸成は患者を搬入するドアから外に出て救急車を待った。
「先生ご飯ちゃんと食べられはった?」
先ほど休憩室に行くのを見送ってくれたベテラン看護師の
幸成が京都で働くことが決まった時、京都人は腹黒らしいと聞かされていたのだが、相原は口調こそは京都人だが、裏表がなく、性格がさっぱりしていて仕事がしやすかった。
「なんとか食べられました」
「良かった。先生体おっきいしこまめにエネルギー取らへんと動けなくなりそうやもんね」
「まったくもってその通りです……」
幸成は恥ずかしくなって首の後ろをかきながら自分の靴の先を見つめる。
いつまでたっても食欲が衰えないことが最近の幸成の悩みだった。
相原の言う通り、幸成は日本人男性の平均身長よりかなり背が高い。日本人女性の平均身長くらいの相原とは三〇センチほど差がある。幸い横には大きくならずひょろ長いが、背が高いせいか食事の量が人より多いのだ。
激務で知られる救急の医師になったが、生まれ持った能天気さと図太さのせいで精神的に病んだりすることもない。毎日ご飯が
救急車のサイレンの音が近づいてきて、その場にいた全員の空気がピンッと張り詰める。
滑るように救急車が入ってきて目の前に停まり、慌ただしく救急隊員が降りてその後ろを開けた瞬間、鮮やかな赤色が目を突いた。
ストレッチャーの上でスーツ姿の男性が横たわっているのだが、衣服は鮮血で真っ赤に染まっていた。
衣服などで吸いきれなかった血液がストレッチャーの端から滴り落ちている。患者は意識がなく、吐血が絶え間無く続いていた。
処置室へ運び入れながら、幸成は救急隊員から患者情報を聞く。
「四十代男性、三十分前突然路上で吐血し救急搬送されました。外傷はなし、血は吐血によるものです」
「花満先生はルート取ってね。出血点の確認するよ」
「はい」
看護師達が内視鏡を準備する中、幸成は先輩医師の
出血点が不明で止血ができていない今、時間が経てば経つほどルートは取りにくくなる。幸成は右手に針を持ち、焦りそうになる気持ちを精一杯抑え込んで左手の指先に全神経を集中させた。
血まみれ患者こと、
やれやれと安心したのも束の間、八城はその日の夜に再び吐血をした。もう一度検査して確認すると、次は胃潰瘍による出血が確認され、処置を施すも翌朝に三度目の吐血をした。最初と同じ十二指腸からの出血だったが、前日の検査時にはなかった潰瘍で、水瀬は首を傾げるばかりだ。
傷を
幸成と水瀬は相談した結果、物理的原因を探ることも続けつつ、
陰陽科は、陰陽道に関係する症例を扱う科のことを指し、医師は陰陽師の資格も持ち合わせている。
「俺陰陽科の先生って苦手なんですよね。なんか雰囲気独特っていうか……」
幸成と水瀬はナースステーションで陰陽科の医師がやって来るのを待っていた。
「まぁ、あっちは精神とか信仰とかの思想の話にもなるし、診る土俵が違うからか話があまり
陰陽師という職業が再び国家資格となり、医療の現場に進出し始めて約六十年。
高度経済成長期の土地開発で、人は禁足地にまで手を出してしまい、とある地に封じられていた
それに呼応する様に、日本全国に封じられていた怨霊や
普通の人間では太刀打ちできず、日に日に被害が広がる中、明治以降日陰の存在となっていた陰陽師が表舞台に再び姿を現し、異形の者達を鎮めて回った。
なんとか主だった異形の者は鎮めることができたが、
その治療に当たったのも陰陽師であり、事態を重く受け止めた日本政府は陰陽師を再び公的職業としたのである。
「花満先生は霊的なものに影響受けやすいタイプ?」
「あんまり……」
「だろうなぁ」
水瀬がからりと笑う。
幸成も異形の者が視えるには視えるが、霊感の強い人に指摘されなければ分からないことも多い。元々あまりそういう
「お疲れ様です」
スーツに白衣姿の男性医師が救急のナースステーションにやって来た。幸成と水瀬は立ち上がって
「
「いえいえ。お忙しい救急さんのお願いなら断れへんわ」
竹之内はニコニコ笑っているが、眼鏡の奥の目がまったく笑っていない。
見た目だけなら今年二十八歳の幸成と同じくらいに見えるが、精神は一回り以上上に感じる。
三人でぞろぞろとICUにいる八城の下へ向かった。
「ほな、診てみましょか」
患者の横に立った竹之内が、静かに目を閉じてパンッと
風が落ち着くと、竹之内が目を開けて幸成達の方を振り返る。
「うん、まぁ、原因は大体分かりました」
あのたった数秒で!? と幸成と水瀬は目を見開く。
「この人呪われたはります。でも、日本由来のものやない。この国以外の呪いやと思いますわ」
「はぁ」
「あとはこの人診れる術者探すだけです。ほな、頑張ってください」
「……ちょちょちょ、」
パンパンと手を払って
「竹之内先生が診てくれるんじゃないんですか?」
「僕が診られるのは陰陽道由来のものです。先生方やって陰陽科の案件はよう診られへんでしょ。それとおんなじ。頼まれただけの仕事はしましたし、専門医探しはそちらでお願いします」
にこりと竹之内に
「救急の先生方からしたら、うちの科は暇そうに見えるかもしれへんけど、どこの科も原因不明のモンは何でもかんでもうちに回してくれはるから、猫の手も借りたいくらい忙しいんですわ。それに、僕は自分でできることは自分でする主義やし、人の仕事にも手ェは出さん主義です」
幸成は口をポカンと開けて
口調はこの上なく優しいが、こちらに有無を言わせるつもりはさらさらないようだ。
颯爽と
水瀬とも話し合い、今後の治療方針はとりあえず八城を診てもらえそうな
「て言われてもなぁ……」
一体どんな人に診てもらえばいいのかまったく見当がつかなかった。そういった方面に詳しい知り合いも心当たりが少なく、顔見知り程度の陰陽科の医師に電話を掛けてみても「うちではちょっと……」と断られ、すぐに手持ちのカードは尽きてしまった。
国外の呪いかもしれないということで、魔女や魔法使いなど他国の術師に頼ることも考えたが、ネットで見つかるのは
普段の業務に加えて八城を診てくれそうな医師探しをはじめて早二日。とうとう自分で調べられるだけのものには全て連絡しきってしまった。このままでは八城はゆるやかに死へ向かっていくだけだ。
行き詰まった幸成は医局の自分のデスクに
『続いてのニュースです。京都市内で乳児の誘拐事件が発生しました。今年に入り京都市内では同様の事件が三件続いており、京都府警は一連の事件を同一犯の犯行と見て捜査を進めています』
幸成に子供はいないが、なんとも薄気味悪い事件だと思った。
生活圏内で起きている事件とはいえ自分に直接の関わりはなく、遠い世界の出来事の様だが、すぐそこに不気味なものが迫って来ている様にも感じる。
ニュースを聞く度に、日常と非日常が交わっている様な、落ち着かない気分にさせられる。
「なんで三件も同じ事件が続いとるのに、犯人捕まらへんのやろ」
「警察にも事情があるんとちゃいます? 知らんけど」
ソファーでテレビを見ていた休憩中の医師達が好き勝手に意見を述べる。早く解決してほしいけれど、組織である以上色々とあるよなぁ、と幸成はテレビの向こう側で奔走しているであろう顔も知らぬ警察官に同情した。
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