第5章:誰のために15
「……」
シグマはウェイジ―地帯を東に進んでいた。ずっと進めば、いずれベアトリウスの拠点へとたどり着く。どのくらい人数がいるのか、この目で見ておきたかった。あと、ばれないように行動するという隠密の訓練も兼ねている。
「……誰だお前は?」
そんな時だった。まんま、ベアトリウスの拠点があるであろう方向から、一人で進軍してきた一人の男の青年とシグマは出会った。ベアトリウスから雇われた……ベアトリウス人……。これまたエドガーみたいに、シグマと年齢はさほど差がないように思える。
「僕はシグマ・アインセルク。ノーシュ国の騎士だ」
誰だと言われたので素直に自己紹介をする。よく言う事なのでもう慣れた。
「そうか……」
青年は、首を少し下に下げ、居心地が悪そうにシグマの自己紹介を聞いた。なにやら思う所があるようだ。
「見た所若いようだが、本当にノーシュの騎士なのか?」
こいつは自分と同じなんじゃないか。そう思ったのか、青年はシグマが騎士ではないのではないかと疑ってくる。
「そういうお前の方こそ、僕とそこまで変わらない年齢だと思うけど。僕はつい数か月前に成人したばかりだよ」
「……」
シグマはエドガーの件があったので、何か嫌な事を言われたらなるべくすぐに言い返せるように気持ちを切り替えている。昔はこういう事は出来なかった。エドガーとの戦いは、シグマを皮肉にも成長させた。
「——悪いが斬らせてもらう。通させてもらうぞ!」
相手はただの兵士(騎士)。戦う相手。それ以外に話す事はない。青年は、すぐに戦闘態勢に入り、問答無用に剣で斬りかかってこようとした。
「待て!1つ、聞きたい事がある」
それを、シグマは寸前の所で止めさせた。自己紹介の反応を見て、自分も質問したい事が出来たからだ。
「お前はベアトリウスの兵士か?それとも傭兵か?」
質問する事は、皆から教えられた、ベアトリウスの軍の補充方法。ノーシュみたいに希望者ではなく、契約関係。強制ではないが、貧困層にとっては強制的に映る、そんな、世の不条理にして真理のような、もやもやするやり方。もしこの人が傭兵だったら……と、シグマは心の中で薄々思っていた。
「……傭兵だ。それが何だってんだ!」
シグマから質問されて青年は、嫌な所を突かれたのか、怒る。なぜさっさと戦わないんだと言わんばかりに。
「……僕はベアトリウスの兵士なら戦うつもりだけど、傭兵なら戦わない。戦う理由が無いからね」
そしてシグマは、自分の騎士道を貫くため、戦闘態勢にいる青年の申し出を断ったのだった。
「なんだと!?あんたに無くたって、俺にはある!」
金のためである事は言わなくてもわかっている。だからこそシグマは、自分は何もない状態から皆に支えられた事を振り返っていた。自分の居場所はあそこしかないが、同時にそれが全てで幸せなのだ。金の事は、考える必要はなかったし、考えたくもなかった。本来自分はこうなるはずだった。一人暮らしをしていたら。それを、居場所がないからと、ほぼわがままを言う形で成人しても城にいさせてもらったのだ。騎士として働く事を条件に。
「……ゲルヴァから聞いたよ。貧困層や孤独な人が戦争に参加してるって」
「!」
唐突に語りだしたシグマの言葉に、青年はなぜ知ってる、と思っているような表情をした。相手は成人したばかりか、成人して数年の、まだ二十代である事は間違いないのに、なぜあまりベアトリウスに足を運んでないであろうこいつが……と……。
「……僕は一応、国の人間だ。一般のベアトリウス人と戦っていいという許可は出ていない。だからできれば戦いたくない。道を開けるのはそっちの方だ。まぁ、僕が戦わなければお前は片っ端からノーシュ兵と戦うんだろうから、僕が止めなきゃいけないんだけど」
そう、命令されたんだろう?ギウル帝王に。と、シグマは顔で説明した。なぜ自分は何もない状態で色んなものをもらったのに、何も不自由なく暮らしているように見える普通の人間が、金を得るために生きるか死ぬかの戦いをしなければならないんだ?シグマは、表情は優しかったが、心の中はベアトリウスに対する不満で煮えたぎっていた。
「なんで……そんな事まで……」
青年が戦闘態勢を解く。そんな気分じゃなくなったようだ。
「僕もつい最近知った。僕は見ての通りノーシュ人だ。戦争が終わった後でいいなら、多少お金をあげても構わない。君にプライドとかがないなら、だけど」
「……」
金を多少あげるだけでわざわざ死ぬリスクを負わなくていいのなら、喜んでやる。こういう時のために一般よりは給料が高めの金額をもらっているんじゃないか。とシグマは思っていた。
「さっき戦いたくないと言ったけど、そっちが襲い掛かって来るなら向かい撃つしかない。……来るならどうぞ」
向こうが戦闘態勢を解いたのに、自分は仕事中だから、常に戦闘態勢。とでもいうような感じに、シグマは青年に自分の状態を両手を広げ剣を地面に突き刺しアピールした。
「~~っ!さっきから偉そうな物言いだな!」
君に心の余裕がないだけだ、とはシグマは言わなかった。この怒り方で、余計につけあがるだけだと十分わかったから。
「ああ、そうさ、傭兵さ!こっちにも事情ってものがある!金が欲しい理由がある!邪魔をするなら容赦はしないぞ!」
その事情が、貧困だからだろう?という事も言わなかった。いや、言う必要がなかった。青年は、貧困層育ち特有の、世間を知らず、目の前の明日の事だけを考えて生きてきたような、近視眼的な様子だったからだ。
シグマとベアトリウス人の青年傭兵との戦いは、体力的には互角、もしくは戦っている分シグマが多少不利だが、心の余裕の違いがあまりにも大きく、終始シグマがリードしていた。自分はたまにしか攻撃を食らわないが、相手は殆ど食らっている。簡単なフェイントにも引っかかる。勝敗は最初から目に見えていた。
「はぁ……はぁ……。くそっ!」
自分と年齢がほぼ同じであろう存在から攻撃を食らい続けているのが悔しいのか、青年は片膝ついて地面を拳で殴る。
「……なぜそんなに必死に戦う?なぜそんなにお金を求めるんだ?」
シグマは理解できなかった。自分が両親を失って一時孤独になった事を除けば、王族という特権階級として生きてきた事は理解しているが、それでも相手の様子が一生懸命だったからだ。自分でさえ、シャラの事は想いつつも、休憩しながら鍛錬をしていたのに……。
「あんたにはわからないだろうさ!城(騎士の訓練場だと思っている)でぬくぬく(休みながら)育ってきたお前には!」
「俺の名前はラムウェル・ベレナード!このウェイジー地帯の東にある、小さな村、ラズニル村出身の19歳だ!」
青年傭兵は言った。自分がこのウェイジ―地帯の近くにある村の出身である事を。名前がラムウェルで年齢が19歳である事も。
「ラズニル村……?」
シグマはラムウェルから聞いた事がないベアトリウスの地名を言われて、すごく遠い所にある小さな田舎なのか?と思っていた。実際田舎なのだろうが、地名にきちんと乗っているだろうか?そのレベルなのだ。残念ながら。きちんとベアトリウスの地理は勉強したはずなのに、ぴんときていない。
「……今はもうない。15年前に起きた、突然の山火事で!村丸ごと消滅した!」
「なんだって!?」
「(僕と似たような経験をした人が……ベアトリウスにも……)」
シグマは驚いた。場所は違うが、火事で人が死んだという共通点を持つ人間と戦場で出会うとは思わなかったからだ。
「じゃ、じゃあ、お前は今までどうやって生きてきたんだ?」
言われてシグマも恐る恐るラムウェルに質問をする。お互い敵同士のはずなのに、戦闘どころじゃなくなっていた。なぜか聞かないといけない気がする、そんな衝動に駆られて……。
「はんっ、そんなの、なんとかしてさ!盗みなんて何回もした、牢屋にも入った!結局、成人する前に国に俺の事情がバレて、今までの悪事をちゃらにするかわりに戦争に参加する事になった!」
「そんな……!?」
エドガーと同じ……。ベアトリウスでは人はまともに育たないのか?国自体に余裕がないのか?シグマはラムウェルから、ベリアルのような存在がいないとこうなるというベアトリウスの現実を言葉で表してはいないが教えられていた。
「……この世界を恨んでいるよ。家族はいない、毎日が生きていくのに精いっぱいで、金が欲しいなら命がけで戦ってこい、だなんてな。神はいないのか?」
「……」
両親が死んでも、地域の皆が死んでも、言われる事は自国のためにただ働け、のみ。なにも精神的にサポートはしてくれないのだ。シグマと違って。
「だから腹が立ってるんだよ。合法的に人を殺せるんだ、戦争でなら好きに暴れても構わないんだろう?俺のような奴がそういう事をしても、多少は許されるよなぁ!?」
ラムウェルは、体をわなわなと震えさせながら、泣きそうになるのをぐっとこらえて、シグマを指さした。いまにも何かが壊れそうだった。
「特にお前!お前みたいな人に救われたような奴が、俺に歯向かってくるのを見ると虫唾が走る!偉そうに説教すんなって言いたくなる!」
「(エドガーと同じ事を……。っ、だけど!)」
エドガーは今は軍人である。昔は辛かったけど今は生きる事に問題はない。ベリアルがいるし。だけどラムウェルは……昔から今まで、一直線で繋がっている。だから言わなければならない。エドガーと同列で扱わないために。
「僕は、お前の言うような奴じゃないよ。少なくとも、城でぬくぬくとは育たなかった」
「なんだと!?……はっ、そんな事言って同情できる事なんかあるはずが——」
こいつが俺と同じであるはずがない。俺は持たざる者で、こいつは持っている者……そうラムウェルは思っていた。……思っていたかった。
「確かに、お前のような奴からすれば、すごい良い環境で育ったよ。国から保護されたのは事実だから」
「(ほらみろ)」
やっぱりな。ラムウェルはこれで安心して戦える(殺せる)、そう思っていた。が——
「でも保護されたのは、12年前に大火事事件が起きたからだ!犯人はゲルヴァ・ハーニアム!同じノーシュ人の男さ!」
「大火事事件だと!?」
シグマの大声の発言で即座に否定される。自分は恵まれてなんかいないと、きちんと本人の言葉で言われた。
「(名前だけは聞いた事がある。俺はまだ幼くて、後から知ったけど、俺が経験したような村じゃなくて首都で起きたと……。明らかに人が起こしたと言われてる……)」
田舎出身のラムウェルでさえ、ノーシュ(隣国)の大火事事件の事は知っている。あの事件はそれだけ唐突で、意味不明で不幸な事件だったのだ。今ようやく終わったが……。
「……僕はお前と会う前、そのゲルヴァと会い戦った。この戦争は元々、ベアトリウスがゲルヴァを隠していたのを表沙汰にしたくないからだ!戦争でごまかそうとしていたんだ!」
「!?」
予想外の人間から、予想外の事を言われ続けている。ラムウェルは動揺し、つい否定したくなった。
「そ、そんなの、信じられるか!あんたも俺と似たような経験をしたのはわかったよ。でも俺は独り!孤独のまま大人になったんだ!お前には仲間や友人がいるだろ!一緒にするなよ!」
しかしこんな事、状況もあって嘘をつくメリットがない。まさか……。ラムウェルはこいつ(シグマ)はきちんと成長した人間なのか!?と思い始めた。本人の説明のおかげで。
「一緒になんてしてないよ。ただ、僕も国に救われなければ、君のようになっていたのかなって思っているだけさ……」
「っ!」
「(そうか……君が、そうだったんだね……)」
シグマは悟った。亡きシャラがなぜ自分に託したのかを。なぜ立派な騎士になってほしいのかを。もちろんこの気持ちはラムウェルは気づいてない。
「——なら、なおさらだ。僕は君を殺さないし倒さない。戦意喪失するまでここにいるよ」
長期戦だろう構わない。それは、相手(ラムウェル)に確固たる姿勢を見せるために必要な事だった。自分は本気なのだ。
「ふ、ふざけるな!情けをかけたつもりか!?」
「……」
「同情しているというのか……この俺に!あんたから金をもらえるんだとしても、あんたは戦わないんだとしても、俺が生きないと意味がない!ノーシュ兵士と戦えばそれだけで金がもらえるんだ、だから!」
「あんたからの助けは必要ない!さっさと倒れてろ、ぼっ立ち人間が!」
「(そう、来るよね……)」
シグマは両手を広げていたのをやめ、地面に突き刺していた剣を取り戦闘態勢に入る。
「うぉおおおおおおおおおおおおおお!」
ラムウェルは、自分にはこれしかないんだとばかりに、シグマに突っ込んできた。恐らく負けると思いながら……。
シグマはゲルヴァと戦った傷が癒えていないが、それでも少し訓練しただけのラムウェル一人と戦うだけの力は残っていた。真正面から迎えうち、剣と剣が交わる。
キィン!という金属音がした後、シグマはバックステップをし、突進斬りをラムウェルに食らわす。もろにくらったはずだ。ラムウェルはよろけながら次の攻撃に入るも、傷んでいるのでよれよれの攻撃になる。シグマはそれをすっとかわす。そしてこれ以上戦わないために、わざと重い一撃をラムウェルに食らわした。
「ぐはぁっ!」
ラムウェルがうつぶせで倒れる。剣が少し遠くへすっ飛んでしまった。
「なぜだ!なぜ勝てない!このまま負けたら……何を言われるか……」
四つん這いになり、這い上がった後、ぼろぼろになって傷む左腕を抑えながらラムウェルが言う。ここまでくると哀れでしかなかったが、可哀そうという気持ちの方が強かった。
「ねぇ、ひょっとして、君は死にたいんじゃない?」
「!」
「……やっぱりか」
自分は精神的に追い込まれた事がない。……壊れた事ならあるが。だからこそ、ラムウェルのこの様子が理解できていなかった。自分は義理だが、確かに王族として生きてきたのだ。セレナ王女のおかげで……。
「……死にたくて何が悪い!何度も泣いた!こんな世の中は狂ってるって!天涯孤独になった奴を国の指示で戦争に行かせるのが、正しいとでもいうのか!」
ラムウェルが涙目になった。言いたい事はすごくよくわかる。
「いや、君と同じだよ。そういう国はおかしいよね」
「ならなぜ好きに死なせてくれないんだ!お前さえいなければ、俺は今頃少しの憂さ晴らしをして、楽に死んでいたんだぞ!」
誰も何も悲しまない。色んな事を自分なりに考えて、こういう結末でもそれはそれでいいかと思っていた。なのに目の前にいるこいつ(シグマ)は、死なせてくれないのだ。怒りも沸く。
「そうだね。僕と君は他人。ましてやノーシュ人とベアトリウス人だ。相いれないよね」
「そうだ、だからなぜ——」
「僕には僕に生きてほしいと言ってくれた大切な人がいたんだ。だからだよ」
「な、に……?」
シグマはラムウェルが言葉を紡ぐ前に次の台詞を言った。自分が今ここにいる真の理由を。決して去るわけにはいかない事を。
「ラムウェル、と言ったっけ。僕は彼女……シャラに救われて、こうして今を生きている。生きる事が出来ている。僕は、彼女に命をもらったんだ。生きる理由もね。皆を守れる、素敵な騎士になってほしいって……」
何もないのは自分も同じなのだ。今の自分は、色んな人から与えられた、色んな善人の良い所が詰まった人格に過ぎない。理想という名の人間に過ぎないのだ。
「だから、そうなれるような事をした。そうなれるよう、僕なりに努力した。それが、こうして君と僕を出会わせたんだよ。ラムウェル。僕は生きたい。生きてシャラの約束を果たせるようになりたい。ただそれだけのために生きてる。他の理由は……まだできてない」
言って、シグマは剣を構えた。一番言いたい事を目の前のこのラムウェルに言うために。
「お前にもそんな人がいたはずだ!本当に死にたいのか!?僕には悲しんでいるように見えるぞ!」
「!」
「こんな場所で命を粗末にするな!自分の命は大切にしろ!自分の事を無価値だというのなら、僕が思い出させてやる!人は生きているだけで素晴らしいという事を!皆から祝福されて生まれたという事を!お前だってそのはずだ、ラムウェル!君にはもう戦わせない。悪いけど気絶してもらうよ!」
キュイイイィ~ン!
シグマは剣を上に掲げ、その剣が光輝き大きなオーラをまとう。人を説得させるために、闇堕ちしないために放つ、シグマの技、
「うぉおおおおおおおおおお!」
「な、なんてまぶしい光なんだ……!」
シグマが剣を振り下ろす。振り下ろした所から光が斬撃と共にラムウェルに襲い掛かる。
「ぐはあっ!」
ラムウェルはシグマの煌霊剣をもろに食らい、とどめを刺された。
15年前。
「火事だー!逃げろー!」
「くそっ、こんな時に!」
ラムウェルの故郷、ラズニル村は、突如原因不明の山火事で火事になっていた。木造建築の村は、耐久力はあるが燃えやすい。すぐにあっという間に広がってしまう。
「おい、国は!?国は何してる!?こういう時に来てくれないと、いったいなんのための政治なんだ!」
「……無理だよ。一応呼んではいるけど……このスピード……。おそらく来る頃には全焼してる……」
「くそがっ!だから山火事対策をしてくれってあれほど言ったのに!」
「結局、俺らは国から捨てられたって事よな。あれだけ戦争を起こしていながら、こういう時には静かなんだ」
「……」
幼いラムウェルは、この光景を恐れながら見ているしかなかった。大人達は必死で生存者を確認していた。
「今まで作った作物は自由に持って行っていい。このまま腐るよりはましだからな。といっても、逃げ遅れないように持っていけるのは数個程度だろうが……」
「いや、助かる。町に着くのに何日かかるかわからないからな」
「俺はこのまま他国に移住するわ。金もねぇし、ベアトリウスよりは、な」
「わしも」
「あたしも」
村人達が、故郷を捨て、首都や他の町に行く準備を整える。しかし……。
「えほっ、こほっ。ラムウェル……」
「お母さん……」
ラムウェルの母親だけは違った。
「こんな母親で、ごめんね……」
ドンッ。
「お母さん!?なんで逃げないの!?」
ラムウェルの母親は、体が強い方ではなかった。そして、一酸化炭素中毒に、なりかけていた。なにより、一人ラムウェルを連れて逃げる体力がなかった。いや、仮に逃げる事に成功したとしても、大人になるまでに自分が死ぬ。そう悟ったのだ。
だから悲しく悔しいけど、自分の息子であるラムウェルを外に出し、自分は家の中に閉じこもった。
「おい、まだ残っている奴がいるぞ!」
「……!」
村人がラムウェルを発見し、片腕で全身を抱き、外に連れていく。
「離して!お母さんが!」
「お前の母親は、元々体が弱くて、農業で腰を痛めて数日間寝たきりだった!……後は言わなくてもわかるだろ!俺にこんな事言わせないでくれ!」
これが悲しい事だという事は誰もが理解している。村人も、ラムウェルの母親も。もちろんラムウェル自身も。
「いいか、ラムウェル!お前の母さんはお前に託したんだ!どうか生きて幸せになってほしいって!この村をどうか忘れないでほしいって!それを忘れるな!お前と違って母さんは大人なんだ!逃げられるなら逃げてる!ただ足手まといになるしどうせ魔物に食われるならって、ここで死ぬ事を選んだんだ!」
「そんな、嫌だ!」
世界は子供を待ってくれない。無慈悲に自分の母親を見捨てるしかなかった。
「お母さん!っ、お母さああああああああああああああああん!」
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「——っ!」
「オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"ォ"!」
「母さんっ!母さんっ!」
ラムウェルはシグマにやられて倒れた後、ずっと泣きながらすぐ近くにある廃墟となったラズニル村と母親の事を思い出していた。あの時、何もできずにただ眺めていた。幼すぎて、自分が母親を連れて行くという発想にはならなかった。悔しいけどどこに感情をぶつけていいのかわからない。ずっと、なにもできなかったという事実が、ラムウェルを無力感にさせていた。
「……」
シグマはそれを見て、ようやく自分が正しい事をしたのだと理解した。正直、間違わなくてほっとした。こうなったとて、戦争である以上は自分が襲い掛からなくなる理由にはならないのだから。
「(泣いた……。本当に戦意喪失して良かった……。このまま戦い続けたらさすがに危なかった……)」
このまま戦っていたらどうしようかと思っていた。逃げようが相手は襲ってくる。自分をターゲットにしなくなっても、誰かにやられる可能性がある。この場で戦意喪失する事が望ましかったのだ。自分で質問してこうさせた以上は。
「(ラムウェル……君の事は忘れないよ。どうか生きてくれ。次会う時は、敵同士ではなく、一人の人間として会おう……)」
「(そうだ……俺は……色んな事があって、忘れかけていたけど……。こんな事をするために生きて来たんじゃない!)」
シグマがラムウェルの後を去る。まだこれぐらいじゃないだろう、と思いながら。
「……」
そんなシグマの後ろ姿を、ラムウェルは両ひざをついた状態で見ていた。
「(だけど、世の中への憎しみと恨みは消えない。あまりにも強すぎる)」
自分の世界の復讐は阻止された。自殺を含む、なにかをしたくても体力がない。しばらくここで体力を回復する必要がある。
「(シグマ・アインセルク……か。復讐しようと思えばいつでもできるんだ。自分の命を大切にして……もう少し世の中を知ってからでも、復讐は遅くないな……。俺には生きる理由がない。だからそれを探す旅をするしかない。見つかればいいけど、見つかなければその時は……)」
ラムウェルがずりずりと近くの木まで何とか移動する。そして上半身を木に預け、休みやすい態勢をとる。
「(その時こそ、復讐だ。俺はシグマに負けた。それが全てだ。だから奴の言う通りに生きる。負けたせいで戦う事もできなくなったしな、クソっ……)」
「(覚えてろ。シグマ・アインセルク。今度会った時は借りを返すぞ……)」
シグマはラムウェルという、自殺懇願者を止める事に成功した。これは間違いなく善行である。しかしラムウェルのどす黒い闇は、少し晴れた程度だった。シグマはもちろんこれぐらいでラムウェルが自殺をやめるとは思ってないが、再び会ったら長い付き合いになるだろうなと、歩きながら思っていた。
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