10

 一週間降り続いた雨はようやく止み、空にはところどころに晴れ間が見えていた。

 昼休み。色とりどりの紫陽花の植栽を望めるテラスの一画に相生羽織の姿があった。

「いやぁ、やっと雨止んでくれたねぇ。僕ってくせっ毛だから湿気で髪がうねって大変なんだよねぇ」

「私は雨、好きだよ」

「へえ、そう?」

「台風の日とかわくわくする」

「へ、へえ。変わってるね、水菰ちゃん」

 羽織の目の前には水菰の姿があった。大会前に比べると、少し表情が柔らかくなったようにも見える。若獅子戦優勝という一つの目標をクリアすることができたからだろうか。

「もう一週間経つんだね。大会から」

 懐かしむように羽織が告げる。

 若獅子戦の反響はなかなかに大きかった。無敗の皇帝ペアを下した未勝利ペアという話題性から、二人の名前は学年を越え瞬く間に知れ渡るようになっていた。

 優勝ペアを一目みようと、二人が在籍する一年B組に生徒が押し掛けたなんてこともあったが、一週間も経つとそのブームも少しずつ成りを潜めていった。

「あいつは今頃、なにしてるんだろうな……」

 不意に羽織が遠くを見つめて呟いた。

「きっと元気でやってるさ」

 隣で茨木が言った。

「誰の為でもない。自分の信念の為に戦ったあいつのことだ。どこにいたってあいつらしくいられるはずだ」

「うん、そうだね……」

 水菰は胸に手を当てて感傷に浸るように目を閉じる。

「忘れないよ、私――」

「ってオイ! それじゃ俺が遠くに旅立ったみたいになってるだろ!」

 慌てふためくツッコミの声とともに、どんぶりをプレートに乗せた琢磨が姿を現した。

 結論から言えば、琢磨は特待生の待遇を維持することができた。大会後、その旨を報せる通達が茨木のもとに届いたらしい。

 由良川要による妨害措置もあるのではと琢磨は不安に思ったりもしたが、どうやらその様子は無いようだ。最初は訝しく思っていたが、謎は数日前にあっさり解けた。 偶然琢磨が廊下で要と鉢合わせた時、すれ違いざまに

「――勝ち逃げは許しませんので」

 と彼女に耳打ちされたのだ。

 転校の憂き目からは解放されたが、別の危険を生み出してしまったのではないかという不安を琢磨は覚えた。

「っていうか冗談キツ過ぎない? 下手すりゃ本当に俺旅立ってたかもしれないんだぜ?」

 がっくしと項垂れながら琢磨は水菰の隣に腰かけた。

「吉野まで悪ノリするし」

「えへへ、つい……」

 裏切られたような気分になる琢磨。しかし、あれこれとあった大会の後では彼女に対する印象も変わり始めていた。

 彼女はただのマイペースな天然ではない。いや、マイペースで天然であることは間違いないだろうが、その実打算的かつ図太くて抜け目ない。少なくとも善良な一般人とは言い難かった。

「おいーっす逢坂、ここにいたか」

 テーブルに近づく人影があった。目を遣ると、千里愛永と西脇高志が並んで立っていた。

「今日は放課後フリーだろ? 練習付き合ってくれよ」

「おう、わかった」

 琢磨はサムズアップして応える。じゃまた、と軽く手を振って二人は去って行った。

 大会を終えて、琢磨を取り巻く環境も少しずつ変化があった。試合を通してお互いの実力を認め合った相手はともかくとして、ずっと琢磨を見下していた同級生たちの目線も変わりつつあった。

 それまで無敗だった皇帝ペアに勝つという偉業は生半可なものではない。それは偏に琢磨の実力を示すものであり、今まで負け続けてきたのは彼が要因ではないのかもしれないということに多くの者が気付き始めた。

 組めば必ず負けるという風評は消えつつあった。

 そして先日、琢磨は初めて定期試合で勝利を収めることができた。組んだ相手が最初から諦めることなく試合に取り組んでくれたのである。

 もう二度と琢磨が『黒星蒐集家ブラックリスト』など呼ばれることも無いだろう。

「さてさて、晴れて若獅子戦に優勝することができたけども、まだ課題は残ってるよ、吉野ちゃん?」

 挑発するように茨木が問いかける。

 こくり、と水菰は頷く。

「九月に行われる代表選考会。私たちはまだ、その参加資格を満たしていません」

「その通り。一大会に優勝したところで、二人はまだ実績が足りてないんだよ。じゃあ逢坂、どうしたらいいと思う?」

「また大会に出て優勝する!」

 威勢のいい返事に茨木は満足そうに頷いた。

「よろしい。これからの戦いも優しいものじゃないよ。今回以上に厳しい戦いが待ってるんだから」

「大丈夫です。だって――」

 言いかけて水菰は隣に座る琢磨に視線を送る。

 デュアリングは決して一人ではできない競技だ。一人ではできないが、二人ならばなんだってできるし、どこまでだって行ける。

 それが信頼できるパートナーならば尚更だ。

 少年は一度夢を諦めかけた。

 そして少女もまた、夢を諦める宣告を受けた。

 しかし、二人が力を合わせることで最悪の結末を回避することができた。

 夢は終わらない。

「……ああ」

 視線を受けて、琢磨は頷く。

 強がりでも自棄クソでもない。二人ならできるという確信を持って彼は頷いた。

 琢磨は水菰の助力によって、学園に残ることができた。

 ならば今度は、自分が彼女の願いを叶える番である。

「やってやろうじゃねぇか。四校大会優勝!」

 それは決して夢物語などではない。

 一歩ずつ目標を果たす先に繋がっている確かな道なのだ。

 そしてその先には、少年がかつて憧れた人が抱いた夢が続いている。

「できるよ。二人なら……!」

 少女が笑顔で応える。

 二人の夢は、まだ始まったばかりである。


(了)

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デュアリング! 汐谷九太郎 @izuco409

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