04
昴流高校において大会はちょっとしたお祭りである。
校内に並ぶ露店は学園外からも多く入ってきており、普段では決して味わえない様相を見せている。生徒以外にも一般客の来場を認めているので、学園内は大いに賑わう。その変わりように、最初は戸惑う新入生も少なくはない。
「ご来場の皆々様ァ! ようこそ昴流学園へ! 本日は血気盛んな新人たちが、自分の実力を世に知らしめる初舞台! 学園で最も若いエネルギーに満ち溢れた大会、『若獅子戦』だァーーーッ!!」
学内随所に設置されたモニターはリアルタイムで試合を中継し、競技場に入れなくとも観戦することができる。モニターに付随したスピーカーからは大会の開始を告げる快活な声が響く。
その声に高揚した生徒、来場者からは「うおおお!」と歓声と拍手が沸き上がる。大会はお祭り。出場しようとしまいと騒いではしゃがなければ損というものである。
「実況は、春の
中庭で実況の声を聴いていた琢磨の周りからはどっと笑いが巻き起こった。身内ネタっぽい口上に、琢磨はややひきつった笑いを浮かべる。
「いやぁ、始まっちゃったねぇ」
隣では羽織がソフトクリームを片手に呑気に言った。
「相生」
「おや? がらにもなく緊張しているのかい?」
「ソフトクリームどこで売ってた? 俺も食べたいんだけど」
がっくりと肩を落としながらも羽織は「裏門の方だよ」と答えた。
モニタ越しには実況役の生徒の声が響く。
「続いて解説のご登場だ! 先月の『菖蒲祭』では三位入賞! 親しみやすい雰囲気で風紀委員の印象を塗り替えた風紀委員長、三年B組、聖護院暁彦ォ!」
「どもどもー」
紹介を受けた風紀委員長は緩い調子で手を振った。解説役も生徒なのか、と琢磨は思った。
「さてさて聖護院さん。若獅子戦はその名の通り一年生のみの大会となりますが、どういったところに注目すればいいでしょうかッ!」
「そうですねぇ。やはりみんな大会初参加ということになるんで、フレッシュなところを見てもらえたらいいと思いますよ」
「なるほどなるほど。それでは今大会の参加者の確認に参りましょう。ドォン!」
モニターの表示が切り替わる。トーナメント表と八組のペアの生徒名が表示されている。
「各ペア出揃いましたが、それぞれ期待を背負っている新鋭となります。聖護院さん、注目しているペアなどはありますか?」
「やはり帝塚山・由良川ペアは必見ですね。帝塚山くんは入学以来、野良試合も含めて無敗の記録を持つ猛者です」
「おおっ! その無敗記録が今大会でも更新されるのか見物ですね! 注目の帝塚山・由良川ペアの試合はこのあとすぐ、第一試合です!」
実況の声を受けて歓声が巻き上がる。おそらくはその殆どが一年生によるものだろう。彼の活躍を期待する一年生は多い。
「まるでスターだねぇ」
呆れたように肩を竦めて羽織が言う。
圧倒的な強さはそれだけで人の心を惹きつける。とりわけこの学園ではその特色も顕著に映る。勿論、判官贔屓気味の相生羽織のような人間もいないわけではないが、そういった声は大きな声に塗りつぶされがちである。
「では聖護院さん、優勝は帝塚山・由良川ペアが堅いとお考えですか?」
「可能性が高いって意味ではね。でもデュアリングっていう競技に絶対は無い。一瞬の油断や判断の間違いが勝敗を決することになる試合は多い。そういう意味では、俺はこの逢坂・吉野ペアに注目しているよ」
急に名前を呼ばれて逢坂はビクッと肩を震わせる。
「ええと、B組の逢坂くんと同じくB組の吉野さんペアですね。んん? 手元の資料によると逢坂くんは定期試合の勝利が無し……。吉野さんに至っては定期試合の経験無しとなっていますが……?」
「うん。データだけ見ればなんで大会に出てるのかも分からない二人だけど、そのペア、推薦者が茨木先生なんだよね。あの先生が全くの無策でその二人を送り出すはずがない。なにかあると俺は考えてるよ」
「なるほどなるほど。予想を覆すダークホースとなるか、注目の逢坂・吉野ペアの試合は第四試合です!」
まばらな歓声と拍手が起こる。事情を知らないのか冷やかしなのか「頑張れよー」なんて言葉が飛ぶ。
少し肩身の狭い思いをした琢磨は自然と身体を屈める。
「あらあら無意味に盛り上げてくれちゃって。これでボロ負けなんてした日にゃ卒業まで笑いものだね!」
あはは、と羽織は高笑いをする。
心配しなくとも、負けたら負けたでおそらくもう学園にはいられないのだが、琢磨は口にはせず苦笑いを浮かべる。
「いやぁ、幸か不幸か分からないけど、皇帝様へのリベンジは決勝までお預けになったね」
両ペアはきれいにトーナメント表の端と端に位置づけられている。必然、お互いが決勝まで行かなければ勝負をすることはできない。それまでにどちらかが敗退する可能性も充分あるが。
「別に皇帝だけが敵じゃない。その他のペアも一年の中じゃ精鋭だらけだ」
「おお。堅実な返答をありがとう。どれどれ、一回戦の相手は……」
羽織がトーナメント表の映されたモニタを注視する。
「朽木・宍粟ペアか。朽木って言えばこの間、食堂で絡んできた子だよね?」
「あ、やっぱりアイツか。聞いたことある名前だと思った」
「パートナーは同じC組の
「相変わらず凄い情報通だな。誰が何位とか普通憶える?」
「ま、趣味みたいなもんだからね。それでも、精々五位くらいまでのもんだよ。流石の私も二桁になるとさっぱりさ」
ところで、と羽織は琢磨の顔を覗き込む。
「あれから一週間とちょい。パートナーとの親睦は深められたのかい?」
意地悪な笑みを浮かべる羽織。その裏には吉野水菰とのコミュニケーションが容易ではないということを理解していることが伺える。
対する琢磨は「うーん」と唸りながら腕を組んだ。
「デュアリングの連携面で言えば、我ながら様になってきてると思う。けどパートナーとしての信頼っていう話になると、どうだかなぁ……」
「曖昧だねぇ。なに、上手くいってないの?」
「会話はするしお互い不満に思ってることはない、と思う。けど初対面の頃から距離が縮まったっていう気がしないんだよなぁ」
「はぁ。ま、ビジネスライクな付き合いの方がやりやすいってタイプもいるよ。公私を完全に割り切っちゃうタイプ。水菰ちゃんはそうなのかもしれないね」
言われてみれば、彼女とのやり取りは業務連絡というか事務的なものが多かったように感じた。それでも意思疎通に弊害があったわけでも無いし、競技をする上では何も問題は無かった。それが彼女との適切な距離感だと言うのならば、それはそれでいいのではと琢磨も思い始めていた。
「で、その肝心のパートナーは今どこに?」
先程から水菰の姿がどこにもないことを訝しみ羽織が訊いた。
「あー。なんか焼きプリン買いに行列に並んでた」
「え! それって『パスパルトゥ』の焼きプリンじゃない!? 限定販売だって言ってたからもう無理だろうなって諦めてたけど水菰ちゃん並んでるの? 今から言ったらひとつ追加で買ってきてくれないかなぁ!?」
「ああいうのって一人何個って決まってるもんじゃないのか?」
「ああそうか。けど一人二個くらいなら買えるかも。最悪一口くれたりしないかなぁ……?」
そこまでして食べたいものなのだろうかと琢磨は首を傾げる。
「それにしても余裕だね水菰ちゃん。目先の試合よりもプリンに飛びつくなんてさ」
「ま、俺らの出番は第四試合だし、計算のうちだとは思うけど」
「どうする? 試合時間になっても行列に並んでたら」
「流石にそれは無い、と思う……」
口では否定するが、彼女の行動が読めないというのもまた事実である。琢磨にとっては大事な大会であるが、彼女にとってはそうではない。うっかりなんてことも無いとは言い切れない。
最悪の事態を想像して琢磨は冷や汗を掻いた。
その時、周囲でわぁっと歓声が湧いた。何事かとモニターに目を遣ると、今にも第一試合が始まろうとしていた。皇帝、帝塚山慧人の試合である。
彼らの試合が盛り上がることは間違いない。これが本当に純然たるくじ引きの結果なのだとすれば、彼は本当になにか持っているのだろう。
試合は大半が想像した通り一方的なものだった。慧人と要のコンビネーションは一年生とは思えないほど洗練され、相手ペアの反撃を一切許さなかった。
そしてお決まりの連携。要が糸で相手の前衛を捕縛し、慧人の槍が貫く。
どれだけその戦法が周知されようと、容易に覆せないのがこのペアの強みである。
「あーらら。あっさり終わっちゃったねぇ」
嘲るように羽織が言う。試合時間は十分にも満たなかった。
「相手の二人も一年の中じゃそれなりの実力者のはずなんだけどねぇ。『皇帝は雑魚狩りのスペシャリスト』なんて吹聴してる奴らもこれで少しは大人しくなるかな」
「それ、ひと月前にお前が言ってことじゃなかったか?」
「そだっけ?」
彼女は悪びれる様子もなくとぼけて返す。
琢磨が呆れていると、二人に近づく小さな人影があった。彼のパートナー、吉野水菰その人である。
彼女は茶色の紙袋を大事そうに抱えている。件の洋菓子店のもので間違いないだろう。少なくとも試合時間まで行列に並んでいるという最悪の事態は回避された。
「ただいま」
「おかえり。無事に買えたみたいだな」
こくりと頷いて彼女は紙袋から小綺麗な容器に入れられたプリンを取り出し琢磨に差し出した。
「え、くれるの? これ限定販売のやつじゃないの?」
受け取りながらも琢磨は驚いて尋ねる。水菰は平然とした様子で
「みっつ、買えたから」
と答えた。
その言葉に食いついたのは羽織だった。
「みっつ!? すごい水菰ちゃん! まさか僕がいることも予測してたの!?」
声に気が付いて水菰は羽織に視線を向ける。
一瞬驚いたような表情をした後、彼女の顔がみるみる青ざめていく。普段はポーカーフェイスの彼女が、今はあからさまに動揺していた。
そしてぎこちない動きで羽織の顔と紙袋の中身を交互に見た。
その時、琢磨と羽織の二人は同時に察した。
――こいつ、一人で二つ食べるつもりだったな。
勿論、羽織がここにいることは水菰にとっては知る由も無かったであろうし、いくつプリンを食べようと自分のお金で買ったものを他人にとやかく言われる筋合いは無い。
しかし彼女は迷っている。
ここで羽織にもプリンを差し出さなければ自分は薄情者と思われるかもしれないという不安と、プリンを食べたいという欲望の狭間で揺らいでいる。
「あーもう分かったから! 俺にくれた分を相生にやるから、あんたは二つ食べな。な?」
見かねた琢磨が言う。
「逢坂くん、優しい……」
「プリンひとつに半泣きで喜んでんじゃありませんよ……」
いつも無感情に思えるほど冷静だと言うのに、スイーツが絡むと表情豊かになる。琢磨にとっても彼女の新たな一面だった。
「あ、ありがとね。水菰ちゃん。あ、お金出すね」
「いい。もともとあげるつもりだったから」
鞄から財布を出そうとする羽織を彼女は制する。
「そぉ? ならお言葉に甘えるけど……。あ、じゃあお礼に今度なにか奢るね!」
「うん、ありがとう」
水菰は頷く。それから視線をモニターの方へ移す。
「第一試合、終わってる」
「ああ。皇帝様の圧勝だったよ」
「吉野、帝塚山の試合って見たことあるか?」
「うん。二人と戦ってるとこ」
そういえばそうだった、と琢磨は質問したことを後悔した。
彼が皇帝と戦う要因をつくったのがそもそも彼女だった。彼女は当事者として一番間近でその試合を見ていたのだ。
「じゃあ参考までに訊くけど、帝塚山はやっぱり強いのか?」
水菰は入学以前からデュアリング経験者である。自分たちとはまた違った知見を持っているのではないかと期待した。
「強いは結果。技術は始めて二ヵ月とは思えない」
「なるほど」
やはり皇帝の実力は本物だ。経験者のお墨付きなのだから疑いようもないだろう。
「けど」
「けど?」
「彼は決して、脅威じゃない」
「脅威じゃない……?」
言葉の真意が分からず琢磨首を傾げる。それ以上説明する気はないのか、水菰はいそいそと紙袋からプリンを取り出した。
「今から食うのか? 一応試合前なんだけど……」
端末で写真を撮り始める水菰に琢磨は心配して声を掛ける。
「大丈夫。ひとつならすぐ食べられる」
「そういうことじゃないんだよなぁ……」
いまいち噛み合わない二人のやり取りを見て羽織は声を殺して笑った。
そうこうしているうちに第二試合が始まろうとしている。
第二試合は第一試合と打って変わって大接戦だった。辛うじて勝利を手にしたペアも疲弊した顔を見せている。あの様子では二回戦の皇帝との試合はままならないだろう。
琢磨は慧人の決勝進出は硬いだろうと推測した。
「終わったね」
宣言通りプリンを食べ切った水菰は平然とした様子で言った。
「そろそろ呼び出しあるかも。行こうか」
大会出場者は自分の試合の前の試合が始まる頃には控室で待機していなければならない。二試合目が終わったこのタイミングなら、第四試合出場者の呼び出しをするアナウンスが入ることだろう。
「頑張ってねー。応援してるよー」
冗談っぽく言って羽織は手を振る。大方、琢磨たちの勝利をそれほど期待していたりはしないのだろう。
おう、と短く答えて琢磨は競技場に向かう。水菰もそれに続く。
学園内は相変わらずせわしなく、お祭りムードが周囲を満たしていた。
時折、琢磨たちの姿を見つけては「頑張れー」などと声援を送る人もいる。大会の出場者は競技用の運動着を着ているのすぐ分かる。
声を掛けるほとんどは琢磨の戦績を知らない学外の来場客や上級生である。琢磨は少し気恥しい思いをしながらぎこちない笑顔で返す。一方水菰はそれらの声援に対しなんのアクションも示さなかった。
これが塩対応か、と隣にいる琢磨は感心した。
競技場に着くと出場者用の出入口に向かう。運営スッタフの腕章をつけた生徒に自分たちの名前を告げる。端末で顔写真を確認されたあと、二人は控室に通された。
ロッカーとベンチがあるだけの簡素な部屋。コンクリート打ちっぱなしの壁で妙な閉塞感を覚える。
モニターやスピーカーは無いが、扉の向こうから会場の歓声が聞こえてくる。どうやら第三試合は既に始まっているようだ。
「もしかして緊張してる?」
水菰が琢磨の顔を覗き込んで訊く。
「人並みに、な。吉野はあんまり緊張してなさそうだな」
「顔に出にくいタイプなので」
冗談か本音か分かりにくい返しをする。
「やれるだけのことはやったよ。後は自分の実力を信じるだけ」
「信じるっても俺今まで全戦全敗だぜ? なにを根拠に信じればいいって言うんだ?」
「あなたが自分を信じられなくてどうするの? 今まで勝てなかったのは、パートナーがあなたの力を信じられなかったからじゃないの?」
「そう、だな……」
俯く琢磨の手を、水菰はそっと握る。
「私は信じてるよ。あなたとなら勝てるって」
「――――ッ」
嬉しくて飛び上がりそうになるのを琢磨はぐっと堪えた。顔が赤くなっているのを感じながらも、彼はふぅと一息入れる。
「あ、ありがとう。少し落ち着いた」
「どういたしまして」
手を離す。
「あんた、真顔で恥ずかしいこと言うよな」
「?」
自覚が無いのか少女は不思議そうに首を傾げた。
それからは会話もなく静かに時を待った。試合に向けて集中力を高める。
琢磨も完全に迷いが断ち切れたとは言いがたいが、やれるだけのことはやろうという気分になっていた。
少なくとも一人、自分の力を信頼してくれている人間がいるのだ。
ここで力を発揮できなくては、夢はいつまで経っても夢のままである。
外から漏れ聞こえる歓声が一際大きくなった。
第三試合が決着したのだろう。
――いよいよか。
しばらくすると、扉をノックする音が響いた。スタッフがひょっこり顔を覗かせる。
「逢坂さん、吉野さん、準備をお願いします」
決心して琢磨は立ち上がる。
通路は薄暗く、対して競技場は眩しいくらいの光を放っていた。あの先には多くの観客と歓声が待っている。
引き返すわけにはいかない。
引き返した先に、もう道は残されていないのだ。
停滞も後退も許されない険しい道のりが始まろうとしている。
今、琢磨はその最初の一歩を踏み出した。
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