03

 翌日。吉野水菰は、茨木率いる一年B組に初めて顔を出した。

 二ヵ月遅れの自己紹介に教室は少し戸惑っていた。最初のうちは興味本位で彼女に近づくクラスメイトも何人かいたが、その打ってもあまり響かない受け答えに、徐々に周囲を囲う人数が減って行った。そして水菰がお昼休みに琢磨を誘ったことで、彼女の立ち位置は確定したようだ。

 端的に言えば水菰は不愛想である。

 少なくとも琢磨はそう感じていた。表情が硬いのか、感情の起伏が乏しいのか、彼女は顔色から感情を察するのが難しい部類の人間だった。

 よく言えばポーカーフェイス。悪く言えば不愛想である。

 素材は良いのだからにこやかにしていれば自然と人は寄ってくるであろうに、と琢磨は思ったが口には出さなかった。

 結局、琢磨ともども水菰もクラスから浮いた存在になったということは敢えて言うまでもない。

「――で、若獅子戦に出ることになったの?」

 食堂。琢磨と水菰と同席する羽織はそう尋ねた。羽織は一方で琢磨と友人面をしながら他にも友人を多く持つ類稀なるコミュニケーション能力の持ち主である。その社交性の一端でも、水菰に分け与えることはできないかと琢磨は叶わぬ願いを思い浮かべた。

「茨木先生からの許可は出た。あとは推薦してくれれば参戦確定だな」

「ほう。それはつまり『想像した結果』が得られたということかな?」

「まぁな」

「へぇ。それは一体どんなものだい?」

「そりゃ――」

「逢坂くん」

 嬉しそうに話しだそうとする琢磨を、水菰が名前を呼んで制した。

 それから自分の口に指を立てて、

「しっ、だよ」

 と言った。

「なに? 秘密なの?」

「……ああ。茨木先生の作戦でな。俺たちの戦略は『相手が俺たちの能力を知らない』方が効果が増すんだと」

「それってつまり。初見殺しのハメ戦法ってこと? なんかズルくない?」

「どうとでも言え。俺たちは勝たなきゃいけないんだ」

 開き直って琢磨は言う。隣ではカラーライスを口に含みながら水菰がこくこくと頷く。

「そういう意味で言うなら、君らが二人一緒にいるのも茨木先生の言いつけ?」

「よく分かったな。パートナーとして意思疎通を怠るなっていう話だ」

「いや。それ以外に水菰ちゃんが君と接するメリットないでしょ」

「う……」

 痛いところを突かれて顔を背ける。

 既に半日で、水菰の立ち位置は確定しつつある。

「私は別に気にしてないけど」

「いや、要因の一端たる俺としては気にせざるを得ないというか……」

 自分の所為でクラスの輪に打ち解けられないというのは、気分としてあまり良いものでは無い。

「きっと、若獅子戦で優勝すればみんな逢坂くんを見直すと思うよ」

「誰が若獅子戦に優勝するって?」

 声は不意に横合いから放たれた。

 三人が視線を遣ると一人の男子生徒が立っていた。背の高い、よく日焼けした肌の男子生徒だった。

 彼は琢磨に向けて不敵な笑みを見せる。

「……誰?」

 琢磨が小声で羽織に問う。

「んーと。確か、C組の朽木煉くつき れんくん。定期試合では皇帝に次いで一年生男子の中で二位の成績を持つ期待の新星」

「解説どーも」

 言うと煉は力いっぱいに机に手を置いた。コップの中の水が跳ねる。

「で、だ。まさか若獅子戦に出るつもりじゃねぇだろうな、最弱?」

「……だったらなに?」

「若獅子戦ってのは一年の中で一番強い奴を決める大会だぞ。お前なんかが出た日にゃ大会の質が下がるってもんだ」

「お前も大会に出るのか?」

「ああ。相手が弱かったから勝てた、なんて思われたら俺も屈辱だからよ」

「そう思うなら茨木先生に言ってくれない? 決めるのはあの人だから」

 溜息を吐いて琢磨は言う。勿論、茨木がそんな提案を鵜呑みにするはずがないと分かったうえでの言葉である。

「それに」

 紙ナプキンで口元を拭いてから、水菰が煉に鋭い視線を向ける。

「私たちは、あなたなんかに負けるつもりは無い……!」

「てめっ……!」

「はいはい、そこまでー」

 今にも激昂する寸前だった煉を、横合いから放たれた声が制する。見ると白衣を着た女性教師が立っていた。茨木である。

「熱い闘志は大会当日まで取っておきなさいな。ここで決着つけるなんて勿体ないでしょ?」

「チッ……!」

 教師に仲裁されては分が悪いと踏んだのか、煉は舌打ちをして踵を返して行った。

「やれやれ。毎年一年生の成績優秀者ってのはどうも高慢になっちゃうのがなんともねぇ……」

 頭を振りながら茨木は羽織の隣に座る。

「あれかね。やっぱり実力主義だって言われてる世界で評価されちゃうと、気が大きくなっちゃうものなのかね?」

「まぁデュアリングっていう競技がそもそも、ああいうオラついた人間が性格的に有利っていう側面もあると思いますけどね」

 さっぱりとした調子で羽織は言った。

「ま、それも精々一年生前期までの話だけどね。各能力がどう開花するかは予想つかないし、デュアリングはペアが基本だ。組んだパートナー次第で成績が大きく変動することは少なくない」

 決して個人の力だけで勝敗が決まらないのがデュアリングである。しかし、琢磨は現状一人の力で連敗を喫している。

「あ、そうそう。推薦はもう済んだよ。大会運営の先生からは『正気か?』って顔されたけどね。反対まではされなかったから安心して」

「あ、ありがとうございます」

 いよいよ、大会への参加が現実味を帯びてしまっていた。

 若獅子戦は毎年、六月の第二土曜日に行われる。もう既に大会まで二週間を切っているということになる。

「大会出場者の特権で、大会前一週間は放課後競技場で自主練もできるから利用してね。それと、はいこれ」

 茨木は白衣のポケットから何かを取り出すとテーブルの上に置いた。

「ストップウォッチ?」

 置かれたものを見て羽織が疑問の声を上げる。羽織の言う通り、茨木が取り出したのは一般的な電子式ストップウォッチであった。

「なに? 基礎連で使うの?」

 デュアリングは熾力という特殊能力に注目が行きがちだが、当然ながら基礎的な運動能力や体力も重要な競技である。一流のプレイヤーは熾力の技術と同じように基礎連にも時間を惜しまない。

 それでも、高校生からストップウォッチまで用いて練習するのは珍しいと言える。

「それもあるけどな。ま、これも企業秘密ってことで」

 軽くいなして琢磨はストップウォッチを懐に仕舞った。

「そうだ先生、他のクラスの推薦ってどうなってるか分かります?」

「ええっと。今分かってる中で要注意人物は、やっぱりA組の帝塚山くんかなぁ。パートナーが由良川ちゃんだし、間違いなく優勝候補だねぇ」

「帝塚山……」

 琢磨は前日の苦い敗戦を思い出す。あの試合は全く歯が立たなかったと言ってもいい状態だった。

 しかも相手は途中まで殆ど一人で戦っていたようなものだ。舐められた上での惨敗である。

 だが優勝を目指すのであれば必ずどこかで戦わなくてはならない相手であることに間違いはない。弱気になってはいけないのだ。

「アレ? そう言えば由良川さんってA組だっけ?」

「いんや。彼女はC組だよ」

 羽織の疑問に茨木が答える。

 その答えに琢磨は意外に感じた。帝塚山慧人と由良川要は二人でいることが多いからだ。

「若獅子戦って同クラで組まなきゃいけないってわけじゃないんですか?」

「そんな縛りは無いよ。クラスなんてクジで決まっただけなんだから、そんなことで可能性狭めちゃダメでしょ。けどまぁ、入学三か月だと教師の方が生徒の性格とか相性とか把握してない場合が多いからさ、どうしても身近なところでペア作ろうとするんだよね。自分のところでペア作れれば少なくとも一年の間は見てあげられるしさ」

「なるほど。じゃあ皇帝が特別なんだ。ま、あっちは散々野良試合で実績出してるわけだしね」

「そうそう思い出した。A組とC組の担任がどっちから推薦出すかで揉めちゃってね。結局A組の担任が勝ち取ったんだっけな。まあどっちかと言うと帝塚山くんがメインだから妥当な結果なのかな」

 教師の間で慧人が取り合いになる様を想像して、琢磨は辟易した。なにからなにまで自分との大きな差を感じて嫌になる。

「とは言ってもクラス跨いでペア組むのはやっぱり少ないよ。今回の大会も多分帝塚山くんのところだけになるんじゃないかなぁ?」

「それって、やっぱりあの二人って『そういうイミ』でもパートナーっていうことなんですかねぇ?」

「……?」

 一瞬羽織の質問の意味が分からず琢磨は小首を傾げる。その後すぐそれが『二人は恋仲なのか』という疑問だということに気づいて少し赤面する。

「さ、さぁ……? 教師としてはそういうところまで関与はしないし。けど、実際二・三年生の中じゃそういうペアも珍しくないよ」

「じゃあやっぱり?」

「それは本人たちに訊いてくれたまえ。ああ、事実として言うなら確か彼らは出身校が同じだったね。少なくとも入学前から面識があったんだろう」

 昴流高校はデュアリングをしたいがために全国から生徒が集まっている。その為同校出身者というのは少なく、築かれる人間関係も入学後のものが殆どだ。琢磨にしても同じ中学だった人間は一人もいない。いたとして、現状とは違う結果になっていたかと言えば別の話ではあるが。

「ま、チームワークが重要なのは確かだからねぇ。『そういうイミ』でなくとも二人には仲良くなってもらわないと困るよ」

「えっ!? あ、はい……!」

「なに赤くなってんの?」

 琢磨としては水菰に対してそんな風に意識したことは無かった。しかし、話の流れから否応なしに意識せざるを得なかった。

 ちらりと隣に座る水菰を見る。視線に気づいた彼女はデザートのプリンを食べる手を止めて不思議そうに首を傾げた。どうやらプリンに夢中で途中から話を聞いていなかったようだ。

 琢磨は安堵したようなガッカリしたような複雑な表情で溜息を吐いた。

「デュアリングに関しては吉野ちゃんの方が先輩だからね。逢坂をリードしてあげてね」

「えっ!?」

 羽織が疑問の声を上げた。

 それもそのはず、彼女は登校が二ヵ月遅れて本日やっと合流したのである。先輩と呼ぶのならば琢磨たちの方が相応しい。

「あれ? 言ってなかったっけ? この子、中学の時からのデュアリング経験者だって」

「聞いてない聞いてない!」

「ちなみに俺は昨日聞いた」

 その時琢磨は、そこでやっと彼女が持つ妙に達観した雰囲気にも納得が行った。第一、登校してすぐでデュアリング未受講の人間が『勝てる』だなんて自信満々に言う方がおかしいのだ。

「まあ。吉野ちゃんはお喋りな方じゃないからねぇ。とは言え、クラスメイトとのコミュニケーション不足は考えものだよ。自分のこと全然話してないんじゃない?」

「今朝、教室で……」

「それは自己紹介の時でしょ。っていうかそれにしたって名前と『よろしくお願いします』的なことしか言ってないよね?」

 琢磨は朝のホームルームを思い出して苦笑いを浮かべた。茨木の言う通り、必要最低限の言葉を小さな声で言うだけに終わった自己紹介だった。しかも無表情である。思えばあの時既にクラスでの印象は決まりかけていたのではないだろうか。

「せめて逢坂には、ある程度自分のこと知っといてもらった方が良いんじゃないの?」

 茨木に言われて、少しの間空中を見つめて考える。

 それから今度は琢磨に視線を向ける。

「私は吉野水菰です」

「……知ってる」

「十五歳。二月十三日生まれの水瓶座。血液型はB型。身長は152センチ、体重は――」

「言わなくていいから!」

 淡々とプロフィールを述べる水菰を琢磨が途中で遮る。訊かれてもいない体重を女子が言おうとして男子が制するという状況に、羽織が必死に笑いをこらえている。

「そういうのじゃなくて、趣味とか特技とか……。あ、ちなみに俺は趣味がサイクリングと料理で、特技は指相撲!」

「お見合いかな?」

「特技が指相撲ってどうなの?」

「うるさいな外野!」

 琢磨に怒られながら、見守る二人がけらけらと笑う。一方の水菰は少し考えるような素振りを見せてから、意を決したように前を向く。

「……趣味は、読書とお菓子屋さん巡り。特技は、自分と相手とのだいたいの距離を目算できること」

「そ、そうそう。そういうことが自己紹介で言えたら、クラスの奴らももっと親近感持ったろうなって話」

 特技の方が少し異質な気がしながらも琢磨は頷く。

 それを見て茨木は温かな笑みを浮かべる。

「あはは。そんな感じそんな感じ。もう少し付き合ってあげたいけど私はそろそろ行かなきゃ。次の授業の準備あるからね」

 言って立ち上がる。

「大会までにはもう少しお互いのことを知っておきなよ、お二人さん」

 そう言い残して、茨木は三人のもとを離れた。少し気恥しい気分になった琢磨は頬を掻く。

「驚いたなぁ。水菰ちゃんデュアリング経験者だったんだ?」

「う、うん。中学からだけど」

「それでも凄いじゃん。デュアリング施設のある中学校ってまだ無いよね? クラブチームみたいなのがあるのかな……?」

「そんな感じ」

 それは初耳だった。デュアリングは暴力など過激な部分もあるため中等教育には相応しくないという話も琢磨は聞いたことがあったので、中学生がデュアリングをする機会があるということ自体が意外だった。

「いやぁ水菰ちゃんの経歴って謎だよね。あ、もしかして登校が二ヵ月遅れたのもなにか関係あるの?」

「…………」

 雰囲気が変わった、と琢磨は感じた。それまでどこかポンヤリとして無防備な印象のあった彼女だったが、今は一転して緊張した様子で身構えている。動きを完全に静止させて一点を見つめている。

 まるでそれ以上踏み込ませまいとする意志の表れのようである。

「は、話したくないことは無理して話す必要はないよな!? 俺達、どうしても知りたいって程じゃないし、な!?」

「う、うん……! ちょっとした興味本位っていうか好奇心っていうか。ごめんね、話したくないなら良いんだよ!」

 二人が慌てて取り繕う。

「ううん。こっちこそ、ごめん」

 水菰は申し訳なさそうに首を振った。それきり緊張した雰囲気は緩和し、いつもの彼女に戻ったようなので琢磨は安堵する。

 なんでもない質問だったのだが危うく地雷を踏んでしまいそうだったことで、彼女に対するコミュニケーションの難しさが余計に露呈したような気がしていた。

 それにしても彼女はどうして空白の二ヵ月間について触れられたくなかったのだろう。

 詮索するつもりは毛頭無いが、どこで彼女の気分を害するのか分からないというのはこれからペアを組む者としては結構な不安材料になる。

 茨木はなにか知っているのではないだろうか。今度探りを入れてみようかと琢磨は思った。それで話していいと彼女が判断すれば良いし、話すべきでないと判断すれば琢磨も納得するつもりでいた。

 事情は人それぞれだ。琢磨自身も自分が母子家庭であることを誰にも打ち明けていない。隠しているわけではないが、その事実によって自分がなにか変わるわけでも無いし、相手に変な気を使わせるかもしれないと考えたからだ。

 吉野水菰も、悪意があってなにかを隠蔽しようとしているわけではないのだろうと琢磨は判断した。

 大事なのは、彼女とペアとしてデュアリングに打ち込めるかどうかである。その為に、彼女が踏み込ませまいとする内情に踏み込むべきではない。少なくとも、今ではない。

 だが、同時に不安も感じていた。

 あの時は、彼女の確信めいた言葉に乗っかってしまったが、結局のところ自分たちはまだ出会って一日の急造コンビである。茨木の言うように、お互いのことに対して余りにも知らないままでいる。

 それで果たして、皇帝ペアのような相手に太刀打ちすることができるのだろうか。

 琢磨は相方の様子を窺う。水菰は、空になったプリンの容器を物悲しそうに眺めている。

 大会までの時間は、もうあまり残されていない。

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