02
デュアリングを専門に学ぶことができる昴流高校であるが、それ以外は一般的な高校のカリキュラムに則っている。しかも偏差値は全国でも高い方で、デュアリングにかまけて勉学を疎かにしないという意志が見て取れる。
終業のホームルームの後にもう一時限追加でデュアリングの技術学習あるいは定期試合を行うのが普段の流れである。
「ほーいじゃあ今日はここまで。解散」
今日も担当教師のどこか気の抜けた号令を皮切りに、各々荷物を纏め出した。
「逢坂ー。ちょっとおいでー」
他のクラスメイトと同じように帰り支度をしていたところ、琢磨は担任の茨木教諭に呼び止められた。
はい、と返事して教卓へ向かう。
「なんですか?」
「また負けたんだって?」
「……はい」
苦い顔をしながら琢磨は頷いた。正直なところ、彼は茨木という教師が少し苦手だった。
まず年齢不詳である。見た目は二十代ほどの女性なのだが、妙な落ち着きがありフレッシュさは感じられない。入学当初は年齢を訊こうとした生徒もいたがいずれも煙にまかれている。
あまり教育熱心ではないのか授業やホームルームは緩く済ませており、居眠りする生徒がいても叱責することもない。その癖自分が疑問に思ったことはとことんまで追究しようとする癖があり、「なんで勝てないの?」という彼女の疑問に琢磨は小一時間付き合わされたこともある。その挙句にあれこれと駄目出しを受けたものだから、琢磨にとって小さなトラウマを抱くことになった。
今も、負けた逢坂に対して同情する様子はかけらも無く、それどころかどこか愉快そうに笑みを浮かべている。
「無謀な野良試合はほどほどにしなよ。
「う。はい……」
「晶核はもう直したの? 今日は定期試合あったっけ?」
「晶核の修復は済んでます。俺は今日定期試合は無くて、技術学習だけですね」
「そ。その後でいいから、そのまま私の研究室来てよ。大事な話があるからさ」
「え、大事な話?」
「うん、そうそう。それじゃまたね」
そう言い残して茨木は白衣を翻して教室を出て行った。
「大事な話?」
いつの間にか後ろで話を聞いていた羽織が訊いてきた。
「心当たりは?」
「さぁ……。もしかして食堂の?」
「あんなの、ここじゃ日常茶飯事でしょ。騒ぎの内にも入らないよ」
「だよなぁ……」
言って琢磨は頭を掻く。
定期試合全戦全敗という異端児ではあるものの、彼は素行不良なところはひとかけらも無い。それだけに、呼び出しを受けてまでする必要のある話に、全く思いつくことがなかった。
この時はまさかそれが退学の通告だとは思いもよらなかった。
「――納得できないです!」
茨木の研究室。
退学を告げられた琢磨は声を荒げた。
「この学園が実力主義なのは重々承知です。けれど、説明もなしに退学と言われても納得できません!」
「まあまあそう慌てなさんな。退学と言ったがそれは言葉のアヤで、実際には転校だ。君の経歴に傷はつかないから安心したまえ」
「転校……。そこにデュアリングの施設は……?」
「勿論無い」
ぴしゃりと茨木は言い切った。
「いやね。君が極々一般的な生徒なら、こんな結末は無かったと思う。けど君は色んな意味で普通じゃなかった」
茨木は机の上にあったマグカップを手に取り続ける。
「まず今の君って特待生扱いなんだよね。うちの学費って結構するんだよ。デュアリング施設の維持費とかバカにならないからさぁ。でも学費のハードルの所為で生徒が集まらないのも悩みものなんだよね。そこでやる気と体力と最低限の学力を持った子は特待生として招き入れるわけ。君もその一人なんだよね?」
「は、はい……」
「で、特待生は学費面で大きく免除されてるわけ。他の一般的な公立高校と同じくらいになるんじゃなかったかな。まあでも、特待生っていう肩書がある以上、それなりに学園側にも貢献して欲しいところなんだよね。ところで、君の定期試合の成績は……?」
「…………」
俯く琢磨に、茨木はコーヒーを一飲みしてから告げる。
「まさかの全戦全敗。向き不向きがあるとは言え、ここまで極端なのは私も初めてだよ。ま、君が頑張ってるのは知ってるよ? でもこの
いくら琢磨が真面目に取り組んでいたとしても、結果が伴わなければ証明のしようがない。仮に実際の試合を見てもらったところで「頑張ったふり」と判断されるのが関の山だろう。
「そうなったら君を特待生として扱う理由はないよね。実は珍しくないよ。特待生から一般生徒に降格した事例って。でも君の場合はそう簡単に行かないんだよね」
琢磨は奥歯を噛みしめながら静かに話を聞いていた。
「失礼だけど君のご実家の経済能力じゃ、学費免除なしにウチに通い続けるのは難しいよ? 君もそれが分かってて特待生として入学する道を選んだんじゃないかい?」
琢磨は母子家庭である。父親は彼が四歳の時に病気で亡くなった。それから母は女手一つで琢磨を小中と育て上げた。
息子が昴流高校に行きたいと言ったときも彼女は「夢を追い求めることは良いことだ」とそれに賛同した。本当は、全寮制である昴流高校に息子が行けば親子が離れ離れになってしまうというのにだ。例え一般の公立高校だったとしても学費を払い続けるのは容易ではないにも関わらず。
そんな母の助力もあり、今琢磨は昴流高校にいる。
だが、突きつけられた現実は過酷なものだった。
「奨学金制度ってのも勿論あるよ。けど結局は少しマシな程度の借金だからね。この学園に居続けたとして大成できるとは限らない。君なんて最初の二ヵ月ですでに躓いているわけだからね。プロのデュアリングプレイヤーなんて狭き門だよ。その上で、それだけで食べていけるのはほんの一握りさ」
「…………」
「だからね。実際のところ、これは学園の温情でもあるんだ。学費の払えなくなった生徒を見捨てず転校先を斡旋してるんだから。いいじゃないか、デュアリングができなくたって。君は運動センスもいいし、他のスポーツでもきっと活躍できるはずさ」
琢磨は拳を強く握る。
「言っちゃあなんだがデュアリングなんて生まれ持った才能で勝敗が決まるクソゲーだぜ? その真新しさにみんな心が動かされているのかもしれないけど、高尚でも公正でもないただの一競技に過ぎないんだ」
「才能の必要ない競技なんてありませんよ」
「うん? まあ、そうかも、ね……」
「俺は昔デュアリングの試合を見て感動を受けました」
「…………」
茨木はコーヒーの少し入ったマグカップを見つめ清聴している。
「あの時はまだ日本じゃデュアリングは今ほどの人気は無かったです。そんな時に、国際大会で日本の代表選手がアメリカの優勝候補の選手に勝ったんです」
「
伝説的なプレイヤーの名を、彼女は呟く。
「はい。誰も予想しなかった大番狂わせでした。試合内容も、一方的な展開からの大逆転。結局そのペアはその次の試合で負けて、入賞することはできなかったんですが、それでも日本のデュアリング史に大いに貢献したことは間違いないんです!」
「……ああ」
「俺はあの時諦めないことの大切さを知りました。勝ち目は薄くとも、誰からも期待されなくても、諦めず勝利を目指す姿勢はきっと現実を動かす力を持ってるって!」
「…………」
「俺は諦めません。夢を叶える為に、ここで諦めるような人間にはなりたくありません……!」
「それは……」
茨木は一度視線を上げる。真っ直ぐな琢磨の眼差しが突き刺さる。その視線に耐えかねて、彼女は眼を逸らす。
「険しい道だ。諦めなかったからといって成功が保証されているわけではない。進んだ先でなにも手に入らないかもしれない。それでも君はあるかも分からない可能性に掛けると言うのかい?」
「はい!」
迷いない返事を聞いて、茨木は一度大きく溜め息を吐いた。
それから「うーん」と唸りながら頭を掻く。
「とは言っても実際問題。君を特待生から除外するのは半ば決定事項だからね。残された道なんて――」
「いえ、道はあります」
声は琢磨の背後から聞こえた。
二人は驚いて声がした方を向く。研究室の入り口に、一人の女子生徒が立っていた。
「あんたは……!」
琢磨は思わず声を漏らす。
なにを隠そう、その女子生徒は食堂での騒動の発端その人だったからだ。
「おや知ってるのかい?」
「はい。昼休みに、ちょっと……」
彼女は唖然とする琢磨に構わず悠然とした足取りで茨木の隣に立った。
「改めて、さっきはありがとう。私は
「彼女はワケあって入学が遅れたんだよ。ほら、うちのクラスの空いた席、あれこの子のなんだよ」
「ああ……」
琢磨は納得したように頷いた。入学当初から、空いた席には色んな噂が立っていた。入学早々不登校になったとか、入学直前で亡くなったとか。
「明日から普通に登校することになってね。今日は下見に来てたんだよ」
下見の日にとんでもないことをする子だ、と琢磨は内心で呆れる。
「どう? 見学は済んだ?」
「はい。あとはデュアリング施設を見せて頂けたら」
華奢に見えるが、彼女もデュアリングをするためにこの学園に入学したのだ。デュアリングは
「ところで吉野ちゃん。さっきの話、聞いてたの……?」
こく、と水菰は頷く。
「ノックしても返事が無かったので勝手に入ってしまいました。それで……」
「うん、まあいいよ。逢坂も怒ってないから。ね?」
「え? ええ、まぁ、はい」
怒るほどではないが、聞かれて嬉しい話でもない。結局のところ問題の原因は実家の経済能力と自分の戦績の悪さなのだから。少し情けない気分になるだけだ。
「成績不振のため特待生の権限を外される、というお話でしたが……」
「そうなんだよね。ここまで連戦連敗っていうのは、本人にその気がなくとも手を抜いてるって判断されても仕方ないよ」
「では、結果を出せばよいのではないでしょうか?」
「……詳しく」
「はい。六月に開かれる『
「若獅子戦……」
昴流高校では一年を通して幾つかのデュアリング大会が開催される。公式大会の少ないデュアリングでは校内の大会によってモチベーションを維持するためである。
その中でも若獅子戦は一年生が初めて参加でき、かつ一年生のみで開かれる大会である。
何故若獅子なのかと言えば、昴流高校のシンボルが
「吉野ちゃん」
茨木は水菰の提案を受け真剣な眼差しで返す。
「それができりゃ苦労ないよって話なんだけど」
琢磨が現況に陥った原因、それはなによりどんなに頑張っても勝てないからである。その解決法として大会で勝てばいいというのは本末転倒もいいところだ。
「ましてや若獅子戦は、一年生の担任と副担任教師八人から推薦を受けた計八組のトーナメント戦なんだよ? 一年生の中でも精鋭揃いの中を勝っていかなきゃいけないんだよ?」
今まで野良試合ですら連戦連敗の琢磨にとって、それは不可能と言っても過言ではない所業だった。
しかし水菰は顔色一つ変えずこう言い放ったのだ。
「いえ、勝てます。私と、組んでもらえれば――」
「!」
その言葉を聞いて琢磨は震えあがった。
今まで――入学してからの数戦を除いて――組んだ相手はどれも試合前から敗けを覚悟していた。パートナーが勝てないと思い込んでいては、勝てる勝負も勝てるはずがない。
しかし目の前の少女は、自分と組んで勝ちの目があると言ったのだ。パートナーが勝利を目指す。それは今の琢磨にとってあり得ない出来事だった。
「そうか、君の能力――」
茨木はなにか思いついたように息を呑み、水菰と琢磨の顔を交互に見比べた。
「可能性は、あるかもしれない……」
「本当ですか!?」
琢磨は身を乗り出す。
「若獅子戦で優勝したら、特待生でいられるんですか!?」
「待って待って! 決めるのは私じゃないから!」
ものすごい勢いで迫って来る琢磨を、茨木は両手で制する。
「勿論確約はできないよ。でも、うん……。多分『無気力』だっていう評価は訂正されるんじゃないかな。だったら、その後の君の頑張り次第では特待生取消の決定も覆るかもしれない。そうなれば、君が転校する必要もなくなるね」
「それじゃあ――!」
「ちょ、ちょっと待って!」
茨木は言って、自分の額に手を当てる。
「忘れてない? 若獅子戦のエントリーには担当教師からの推薦が必要なんだよ?」
「え、茨木先生が推薦してくれるんじゃないんですか……?」
「そりゃ私もしてあげたいのはやまやまだけど。若獅子戦の結果は推薦した教師の査定にも響くんだよねぇ。もし君らがお粗末な試合をして、私まで不真面目なんて判断された日にゃ、私の教師人生にヒビがつくって言うものでしょ」
それでなくとも普段からそれほど真面目ではないのでは、という疑問を琢磨は胸の内でぐっと堪えた。
「ということは、もし私たちが勝てば先生の評価も上がるということですよね?」
水菰が静かに言う。
「うん、ま、まあ……そうなるよね」
「若獅子戦で優勝するような実力ある生徒を、転校の憂き目から救い出したとなればこれも先生の評価となるのでは?」
「むむむ……」
腕を組み、茨木は考えている。ハイリスクハイリターンの提案で、心が揺れているようである。
琢磨たちが勝てば自分の評価に繋がり、負ければ自分の評価を失うことになる。
「よし、じゃあこうしよう」
ぽん、と手を打ち茨木が言う。
「これから練習場に行って、君たちの力を確認する。もし『私が想像した結果』が得られるなら君たちを若獅子戦に推薦しようじゃないか」
「本当ですか!? ……って、想像した結果?」
「そう。結局この提案は、君たちの勝機がそれなりにあることが大事だからね。それが確かめられれば私も決心がつく。というわけで、練習場へレッツゴーだ!」
勢いよく腕を振りながら、茨木は自身の研究室を飛び出す。こういう思い立ったら即行動という一面は、教師よりも研究者らしいと琢磨は常日頃から思っていた。慌てて二人もそれに続く。
「私は使用許可取ってくるから、二人は先に向かっておいて。逢坂、吉野ちゃんを案内してあげて」
「あ、はい」
それじゃ、と言って茨木は足早に去って行った。廊下には琢磨と水菰の二人が取り残された形となる。
「えっと……」
琢磨は頬を掻く。
「とりあえず行こうか、吉野……さん」
「呼び捨てでいいよ」
並んで廊下を歩く。廊下は静かで、二人の足音が虚しく響くだけである。
「あのさ」
沈黙に耐えかねて琢磨が打ち出した。おそらく、水菰という少女は沈黙が苦にならないタイプで、このままでは道すがら一言も発する気は無かっただろう。
「さっきは勢いで若獅子戦に出るなんて言ったけど、俺今まで勝ったことないんだ。だからもしかすると、君にも恥をかかせちゃうかもしれない。本気で、俺と組んで大会に出るつもりなの?」
「うん」
「……なんで?」
思わず琢磨は訊いていた。
「俺が学園に居続けられるかどうかなんて、言っちまえば君には関係ないことじゃん。今日初めて会った奴を、なんでリスク冒してまで助けようと思えるんだ?」
「じゃあ――」
急に水菰は足を止めた。慌てて琢磨は振り返る。
「今日食堂で、どうして私を助けてくれたの?」
「え……」
「初めて会った私を、名前すら知らないのに、関係もないのに、あなたは庇ってくれた。それで結局あなたは損することになってしまった」
「それは……。見ていられなかったから。俺はあんたを助けようと思ったわけじゃなくて、あんな状況を見過ごす自分を許せなかっただけだ」
――同じじゃない。
琢磨は自分にそう言い聞かせた。揉め事の仲裁をすることと、退学宣告を受けた人間の為に一緒に戦うことは、覚悟の重みに大きな差異がある。
場合によっては琢磨と組んだことによって、その後の学園生活に大きな悪影響を及ぼす可能性さえある。琢磨は現段階において味方と呼べる存在は非常に少ないのだ。その上最悪の結果になれば、その琢磨ですら学園を離れなくてはいけなくなる。そうなれば、誰が彼女の傍にいられると言うのだろうか。
「私も、私のためだよ」
「え?」
「若獅子戦は、一年生が出られる最初の大会だから。優勝できれば私も評価が貰える」
「それは――」
勝てればの話だ。琢磨にとって勝利とは、とてつもなく遠いものだ。イメージすることさえ容易ではない。それ故に、勝ってからのことなど皮算用に他ならない。
しかし。
「勝てるよ」
不安な表情を浮かべる琢磨に、水菰はそう断言した。
「勝てるよ。私と、あなたなら」
本当は心の隅では諦めかけていた。
どんなに虚勢を張ろうと、自身を鼓舞しようと、もう自分は勝てないのだろうとそう思いかけていた。
それでも、がむしゃらに突き進むことを諦めないことだと思って、不要な試合を繰り返してきた。それで得られたのは黒星のみ。
いつしか誰からも勝利を期待されなくなっていた。
――くそ、逢坂がペアかよ。
――どうせ負けだな。
――次に期待しよう。
耳にするのは諦めと恨みの言葉のみ。
だが今、目の前の彼女は琢磨が勝てると言った。当たり前のように釈然と、そう言ってのけた。
その言葉は永らく闇夜を歩いていた琢磨にとって一筋の光明だった。
「……そうか」
言葉が漏れる。
「勝って、いいんだ」
負けることが当たり前になって忘れてしまっていた。
勝利は、それを渇望にする者にしか訪れないと。
その時琢磨は、勝利が手の届くところにあるのだと、久しぶりに実感することができた。
「改めてよろしく。逢坂くん」
水菰が握手を求めるように手を差し出した。
「こちらこそ、よろしく」
琢磨は迷いなくその手を取った。
出会って一日。お互いの性格も素性もよく知らない二人だったが、勝利という確かな目標は共有していた。
琢磨にとって、初めてパートナーと呼べる相手との出会いだった。
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