01

 全世界で注目されている競技がある。その名も『デュアリング・バトル』。広義ではエクストリームスポーツにも分類される全く新しいスポーツである。

 近年発見された人間の潜在能力『熾力フォトス』を駆使し、相手と戦闘能力を競い合う。そのため日本では『熾術戦技』とも呼ばれる。熾力が行使できるのは特殊な空間内に限られ、人体も熾力によって保護されるため元来の格闘技よりも激しいにも関わらず怪我人が絶対に発生しない。その様子に格闘アクションゲームを想起させる者もあり、Eスポーツに分類すべきではという声も存在する。

 そんなデュアリングは、アメリカを発信源として瞬く間に世界に広がり、近年では国際大会も開かれるようになった。

 世界の潮流にやや遅れる形で日本でもデュアリングは注目され始める。その目新しさから主に若年層での人気に火が付き、国内で大会が開かれるようになるのに差ほど時間は掛からなかった。

 そして国内でのプロリーグ発足を受け、遂にデュアリングの専門高校が開校した。プロ選手の育成にも携わる学校だが、デュアリング自体専用の設備が必要な競技で一般の学校では競技をすることすらできないので、応募人数は毎年定員を越える勢いで殺到している。

 福島県に拠点を置く『昴流こうりゅう高等学校』は日本に四校しかないデュアリング専門高校の一つである。

「ここの席、あいてるかい?」

 昼休み。学級食堂で昼食を食べていた逢坂琢磨に問いかける声があった。

「ま、聞くまでもないよね。君の周り、いっつも人いないんだもん」

「……相生」

 相生羽織あいおい はおりはおもむろにランチプレートをテーブルに置く。なにか言いたげな琢磨の視線は気にもとめず、彼女はポニーテールを揺らしながらそのまま着席した。

 それから琢磨の目の前にある丼を見て目を細める。

「おやおや。今日もうどんかい? 育ち盛りなんだからもっと栄養あるもの食べなきゃ駄目だぞ?」

「そう思うんなら、なにか奢ってくれたっていいんだぜ?」

「残念ながら僕も人に施しを与えらえるほどの余裕は無くてね。せめて自分よりひもじい思いをしている君を見て心を慰めているのだよ」

「最低じゃねーか!」

 思わず声を荒げる。

 すると周囲から一挙に視線が向けられた。その視線はどれも冷ややかなもので、その中には小声で恨み言を呟くものもいた。

 周りを窺いその態度に一度溜息を吐くと、琢磨は視線を戻す。

「いやはや。入学二ヵ月で随分と有名人になったものだねぇ」

「こんな形で有名にはなりたくなかったけどな……」

 有体に言えば琢磨は、生徒――とりわけ同学年から嫌厭されている。あからさまに嫌がらせを受けているわけでも暴力を振るわれているわけでもないのだが、ただ遠巻きに煙たがられているのである。中には無視したり嫌味を言う輩もいるが、少し心が痛むだけで深刻という程ではない。

「あんまり酷いようなら先生か誰かに言ってあげようか?」

「……いい。自分で招いたことだ」

 自分に言い聞かせるように琢磨は言った。

「この学園では実績が全てだからな」

「久しぶりに聞かせてくれるかい? ここまでの定期試合での君の戦績を」

 少し意地悪に笑って羽織は訊く。

「……三十二戦零勝三十二敗」

「さっすが。『黒星蒐集家ブラックリスト』の名は伊達じゃないね」

 定期試合というのは学園の主導で定期的に行われるデュアリングの試合のことである。全ての勝敗が記録され、生徒にとっては実力を見せる機会でもある。また、定期試合の他に、任意の生徒同士で行われる野良試合もあるが、それを含めたところで琢磨は入学以来ただの一勝も収めていない。

 そう、逢坂琢磨はデュアリングで勝てないがゆえに他の生徒たちから嫌悪の眼差しを受けているのである。

 弱者に対する軽蔑心がとりわけ強い――というわけではない。いくら彼らが競技に真剣だとしても、敗け続きの者を憐みこそすれ憎んだりはしない。

 もちろんそれには理由がある。

 デュアリングという競技は二人一組で行われる。二人組を意味する『デュオ』から派生した造語であることからも見てとれる。

 そんな競技において琢磨は連戦連敗。必然的に琢磨とペアを組んだパートナーは漏れなく敗北を喫しているのである。定期試合でのパートナーは毎回学園が選出しているが、パートナーが琢磨だと知った者は口をそろえてこう言った。

 ――ああ、今回は敗けだな、と。

 勝負である限り敗北は誰にでもある。琢磨の敗北も入学当初は目立ったものではなかったが、連敗数が二桁を超えたあたりから周りの見る目は変わった。悪評は瞬く間に広がり、いつしか逢坂琢磨の名は不名誉とともに知れ渡ることとなる。

 すなわち組んだ相手に黒星をつけさせる厄介者である。

 定期試合の成績はその後の学園生活に直結する。好成績者にはあらゆる面で学園から待遇を受ける。

 そのうちの一つが学食や購買など学園内のみで使用できる『LPレオポイント』と呼ばれる電子通貨である。一ポイントが一円と同価値として扱い、毎月定期試合の戦績に応じて全生徒に支給される。つまり定期試合に勝つほどに、学園内において贅沢ができるということになる。

 琢磨が安いうどんをすすっているのもそのような事情があるためである。

「ま、君の場合は無謀な野良試合を控えれば、もうちょっとマシな食事にありつけるとは思うけどな」

「箸を人に向けるな。行儀悪いぞ。……俺だって、負けたくて負けてるわけじゃない。けど、実戦が一番の近道だってのは間違いないんだ」

「それで黒星増やしてたんじゃ世話ないけどね。おっと――」

 なにかを見つけた羽織は琢磨に視線を向けるように促す。

 食堂の入り口の方でざわつきがあった。一人の生徒が注目浴びながら歩いているようだ。

「神様は残酷だよねぇ。君みたいなのがいれば、彼みたいなのもいる。今までの定期試合は全戦全勝という破格の強さ。その危なげない戦いぶりからつけられた渾名は『皇帝』――」

帝塚山慧人てづかやま けいと、か……」

 一年生の中でその名前を知らない者はいない。琢磨とは別の意味での有名人。周囲の生徒の羨望の眼差しを受けながらもそれを物ともしない威風堂々たる佇まいは、まさしく絶対的強者の風貌と言える。

「知ってる? 彼、この間二年生との試合にも勝ったんだって」

「聞いた。学年間のヒエラルキーを覆すんじゃないかって一年の希望の星みたいに思われてるんだろ?」

「あの俺様気質についていきたくなる気持ちも、まあ分からないでもないかなぁ」

「いやでもあいつ絶対友達少ないって。崇拝してくれる取り巻きはいても、心許せる友はいないっていうかさ」

「皇帝様も今の君に友達どうこう言われたくはないと思うよ……」

 現状琢磨と気軽に言葉を交わすのは、事情の知らぬ生徒を除けば羽織のような変わり者に限られる。羽織にしても、琢磨との付き合いは彼女の幅広い交友関係の一つに過ぎず、別段彼を特別扱いしているわけではない。

「ま、一年生の中じゃ彼に並び立つ者はいないって言うのは同感かな。なにせ無敗の王者だ。敵対しようものならむざむざ自分の黒星を増やすことに…………ん?」

 羽織が異変に気付いて首を傾げる。

 食堂の入り口の方がなにやら騒がしい。見ると件の皇帝が怒気を露わに声を荒げている。

 彼の目の前には俯いて固まっている一人の女子生徒。足元にはひっくり返った料理と食器。そして皇帝の制服の汚れを見るに、なにが起こったのか想像するに難くない。

「あちゃあ。よりによって皇帝にお昼ご飯ぶちまけるドジっ子がいるとはねぇ。あれなんだろ? ハンバーグ? ソースの汚れって落ちにくいんだよね」

 怒声はどんどんヒートアップしているようだ。それに合わせて周囲にいた生徒も女子生徒を責め立てる。この距離ではしっかりとは聞き取れないが、「馬鹿」だの「愚図」だの相手を罵るような言葉も飛び交っている。

 女子生徒の後ろ姿が小刻みに震えているのを琢磨は見逃さなかった。

「行くぞ、相生!」

「え、なんで?」

「放っておけるかよ!」

 琢磨は勢いよく立ち上がると駆けだした。呆気にとられながら羽織もそれに続く。いつの間にかちょっとした騒ぎになっており、何事かと野次馬が集まっている。

「待った待ったァ!」

 人垣を掻き分けながら渦中に躍り出た琢磨は叫ぶ。当然、周囲の視線が彼を向く。

「そんなに寄って集って責めることはないだろ。わざとじゃないんだ。な、そうだろ?」

 言って女子生徒に同意を求める。もしかしたら泣いているかもと琢磨は思ったが、意外にも彼女の顔に涙は見当たらなかった。ただ心ここにあらずといった様子で茫然と立ち竦んでいる。

 彼女ははたと琢磨の方に気が付くと、思い出したように頭を下げた。

「す、すみませんでした。私の不注意で……」

「ほら、謝ってる。俺に免じてここは――」

「さっきからなんだ貴様は?」

 冷徹な声。皇帝、帝塚山慧人は虫でも見るかのような視線を琢磨に向ける。

「罪を犯した奴が糾弾されるのは当然のことだろう? もう二度と罪を犯さないためにも、罪人には罰が必要だとは思わないか?」

「寄って集って責め立てられることが罰だって言うのかよ……?」

「勿論そんなつもりはない。その程度で済むものか。不注意で俺にぶつかって来たことは……まあ許してやろう。しかし汚した制服については看過できんな」

 慧人は左肩から袖口までソースで汚れた制服を見せつける。

「クリーニング代は必須として、そうだな……。土下座すれば許してやらないこともないぞ?」

「どっ……!」

 件の女子よりも大きく反応したのは琢磨だった。

「待て待て。謝罪はした。服の弁償なら分かる。けど、それ以上を要求する必要は無いだろ? なんだって人の自尊心を踏みにじるようなことをするんだ?」

「分からんか? それこそが罰だ。罪を認め俺に平伏し、その姿を衆目に晒す。そうしてやっと贖いとなるのだ」

「分かりました、それで済むなら――」

「おいおい、ちょっと待て!」

 恐らく土下座をしようと身を屈める女子生徒の襟首を掴んで琢磨は言う。「むぎゅ」と小さく鳴いて彼女は大人しくなった。

「おかしいと思わないか、あんた。服を汚した程度でなんで土下座までしなくちゃならないんだ。部外者なのは承知で言わせてもらうぜ。もっと自分を大切にしなくちゃ駄目だ。あんたにとっては大したことじゃないのかもしれないけど、ここから先あんたはあの皇帝とやらに二度と口答えできなくなるかもしれないんだぞ。ああやって不必要に相手の自尊心を傷つけて優越感に浸るようなやり方は間違っているんだよ!」

「ほう、俺が間違っていると?」

 にやり、と慧人は邪悪な笑みを浮かべる。

「この学園で正誤を決するのはなにより実力だ。ならば、実力を以て己の正しさを証明するがいい!」

 人差し指を琢磨に向けながら、皇帝はそう宣言する。

「デュアリングで俺と勝負しろ、逢坂琢磨」

「な、俺の名前……!?」

「ああ、知っていたとも。貴様がこの学園に入って未だに全戦全敗の黒星蒐集家だということもな。最弱の分際で俺に楯突いたその威勢だけは褒めてやる。だが上下関係ははっきりさせねばならん。それとも、潔く自分の間違いを認めるか?」

「見え見えの挑発だー。乗るんじゃないぞー」

 背後から羽織が小声で声援を送る。

 しかしすでに琢磨の胸には火が点いてしまっていた。

「そこまで言うなら俺も引き下がれねぇ。その勝負、受けて立つ!」

「言ったな、最弱。その蛮勇に免じて、もし貴様が俺に勝つようなことがあればそこの女は無罪放免にしてやる」

「その言葉、後悔させてやる……!」

 最強と最弱が静かに睨み合う。琢磨の背後では羽織が頭を抱えている。

「聞いたな。来い、要!」

「はい」

 慧人の呼びかけに応じて由良川要ゆらがわ かなめが前に出る。要は付き人のように常に慧人と行動を共にしている女子生徒である。クールな表情とスレンダーな体系が特徴で、専ら野良試合では慧人のパートナーを務めることが多い。

「よし、こっちも行くぞ相生!」

「え? 僕? 当事者はその子なんじゃないかなぁ!?」

「役者は出揃ったな。おい、近くに風紀委員はいないか?」

「ここにいるぞー」

 人垣の先頭に立っていた男子生徒が手を挙げる。

「喜べ一年生。この俺、風紀委員長聖護院暁彦しょうごいん あきひこが直々に審判を買って出てやる」

 校内で度々行われる野良試合には公平を期すために審判役を設ける。その役を担っているのが風紀委員である。彼らは学園から一部の権限を預かっており、試合の取決めや采配を執行できる。

 勿論、試合するに値しないと風紀委員が判断すれば試合は行われない。しかし『揉め事は試合で決する』という学園の慣例や風潮が蔓延しており、加えて野良試合の観戦は生徒の中で一種の娯楽となっている。従って、今回の件も決して珍しいことではなく、こと昴流高校に至っては日常茶飯事であるとも言える。

「さぁ、巻き添え喰らいたくない奴は飯持ってさっさと退散しろ! 結界キューブ展開!」

 言って審判役が床に直方体の装置のようなものを置く。

 新たに発見された力――熾力は限られた領域の中でしか発現しない。その領域及びそれを作り出す装置のことを一般に結界キューブと呼ぶ。

 起動した装置は青白い光を放ち琢磨たちを包み込む。十メートル四方の床から天井までの領域に青白い境界面が敷かれる。この内側が結界を示す。

 野次馬の生徒たちは続々と距離をとり、中に残っているのは琢磨と羽織、慧人と要、そして審判役の風紀委員の五人だけである。

「さて、始めるか――『交心リンク』!」

 熾力の発現にはもう一つの条件がある。即ち、二人の人間の協力が必要となる。

 その方法が交心である。個人が持つ能力を相手に伝えるためだと考えらえれており、結界内で二人の人間が手などを触れることによって自動で発生する。

 結界内で交心する。これで熾力の発現に必要な準備は整ったということになる。

 瞬間、慧人の手にはどこからともなく出現した『槍』が握られていた。

 熾力には二つの要素がある。

 ひとつは『形態スタイル』。熾力がどのような形で発現するかを指す。慧人を例にすれば『スピア』が彼の熾力の形態ということになる。持ち得る形態は多岐に存在し、槍の他にも剣、斧、弓、更には銃と個人によって様々である。

 そしてもう一つの要素が『属性タイプ』。発現する熾力がどのような性質を持っているかを指す。

 慧人が手に持つ槍の周囲には時折プラズマのように電気が迸っている。これは彼の熾力に『ライトニング』の属性が付与されているからである。形態同様に多くの種類が存在し、分かりやすいもので言えば炎、氷、風などがある。こちらも個人によって異なるが、持ち得る属性は組んだパートナーに依存する。つまり、今慧人は要と交心しているので『ライトニング』の属性を得ているが、別の人間と交心リンクすれば別の属性が付与されるということである。

「うし、俺達もやるか」

「ほいほい、交心っと」

 ハイタッチの要領で琢磨と羽織も交心を行う。

 琢磨の熾力の形態は『フィスト』。黒い指ぬきグローブのような形状をしている。

 羽織の手には『ガン』が握られている。ただしその形状は小さな拡声器のようなポップさで、武器というよりおもちゃのようであった。

「用意できたな。それじゃ、試合開始――!」

 審判役の宣言で試合が開始された。

 最初に動いたのは琢磨だった。

「うおおお――!」

 雄叫びをあげながら皇帝に真っ直ぐ飛び掛かる。硬く握りしめられた拳からは、炎がめらめらと立ち昇る。羽織が持つ『ファイア』の属性によるものである。

 だが。

「甘い」

 水平に薙いだ一撃。躱しきれず直撃を受ける。同時に電流が弾ける。

「ぐっ……」

 琢磨は辛うじて受け身を取り立ち上がる。

 本来ならば、槍の一撃も電流も、受けていればその程度では済まない。彼が無事なのは彼自身を熾力フォトスが守っているからである。この力がある限り、彼らは結界内において怪我を負うことはない。それ故に、デュアリングは過激でありながら危険の無い競技として知られている。

 しかし守りの力も無限ではない。受けた衝撃はそれぞれが腕に装着している晶核コアに蓄積される。そのキャパシティーが上限を迎えると、警告音とともに赤く発光する。

 それこそがプレイヤーのリタイアを示し、デュアリングの決着を意味する。なお、デュアリングは基本二対二で行われるが、一人でもリタイアした方のペアが敗北となる。

「ああもう、馬鹿正直に突っ込む奴があるかい!」

 呆れるように言って、羽織は援護射撃を放つ。おもちゃのような銃からはピンポン玉ほどのエネルギーの球体が飛び出した。

「!!」

 その弾丸を目の当たりにして一同驚愕する。

 なぜなら。

「お、遅ーー!」

 放たれた弾丸は人が歩くより少し速いくらいの速度で飛んでいく。飛び道具としては致命的な遅さである。

 そしてこれこそが琢磨が連敗を喫している要因でもある。類稀なる『属性タイプ』であり、仮につけられた名称は『遅滞スロウ』。飛び道具であれば弾丸の進むスピードを遅らせ、剣などの武器なら持ち主の動きを鈍らせる。

 大なり小なり身体を使う競技において、動きが遅くなるというデメリットはとても看過できるものではない。それも普段に比べて格段に落ちるとなれば尚更だ。いつもできていることができないという状況は心身に大きなストレスを発生させる。

 そう、琢磨が組んだパートナーは否応なくハンディキャップを背負ったような状態になってしまうのだ。

 勿論、『遅滞スロウ』の効果はデメリットだけではない。実は、威力や破壊力そのものは上昇している。しかし、動きが遅れる所為でそもそも攻撃が当たらないので、その効力を誰も実感できないでいる。

「フン」

 羽織の放った射撃を苦も無く躱した慧人は槍を回し琢磨を攻め立てる。

 琢磨の形態が『フィスト』であることも勝利を遠ざけている一因である。有効範囲が手首から先というのは、数ある形態の中でもワーストクラスに位置する射程の短さを意味する。

 それ故戦闘には最前線に立つことを余儀なくされ、当然ながら集中攻撃を受けるリスクが増す。通常ならばそうならないようにパートナーが立ち回るのだが、前述のように『遅滞スロウ』の効果を付与されたことにより思うように行動できない。

 その内に二対一の状態を作られ前線の琢磨が耐え切れなくなるというのが、今までの敗けパターンである。

 しかし今は慧人一人が戦い、パートナーの要は後方に控えているだけである。期を窺っているのか舐めてかかっているのかは分からないが、琢磨にとっては好機であることに違いはなかった。

 ――にも関わらず。

「くっ……!」

 戦況は常に琢磨の不利であった。

 拳に対して槍。射程の違いも戦況を左右する一因ではあるがそれだけではない。

「あんな槍捌きの高一って反則だよなぁ、もー!」

 羽織が苦笑いを浮かべる。

 普通の高校生はそれまで武器を振るった経験などない。自分がどんな能力を得られるか分からないデュアリングにおいて、最初の数か月というのは誰しもが初心者なのだ。『拳で殴る』という最もシンプルな戦闘形態である琢磨にしても、ボクシングの経験も無ければストーリートファイトの熟練者でもない。そもそも、安全が確保されているとは言え『相手を攻撃する』行為というのはある程度覚悟の必要なことである。

 しかしそういったビギナー状態を、新入生の中で慧人はおそらく最も早く脱した。もともと武術の心得があったのか、彼は槍の形態にすぐさま順応した。

 デュアリングという競技に最も早く適応した彼が無敗の強さを誇るのは必定と言ってもいい。

 そんな皇帝を目の前に、琢磨も気持ちだけは必死に食らいついていく。何度も攻撃を受けたが、寸でのところでクリーンヒットは免れている。

 ――今だ!

 槍の突きを交わし、一瞬の隙をつくと敵の右側に回り込み全霊を掛けた一撃を放つ。

 しかし。

「痛ぇ!?」

 拳が相手に届く前に、背後から衝撃が襲った。

「ば、馬鹿ー! 射線に入ってくる奴があるかー!」

 憤慨する羽織。

 どうやら味方のフレンドリーファイアが炸裂したらしい。遅い弾丸は射手も着弾のタイミングを見誤り、こういった事故が多発する。

 否、原因はそれだけではない。

 慧人は琢磨との打ち合いの中で、琢磨が射線に入るように誘導したのである。おそらくは生じた隙も琢磨を誘い出すための演技である。一秒一瞬の油断も許さぬ状況での視野の広さ、判断力、戦闘センス。

 現状において琢磨が皇帝を越える要素は皆無に等しかった。

「潮時だな。決めるぞ、要」

「はい」

 呼びかけに応じて、それまで沈黙を保っていた要が両手を広げる。空中を走る光の線が僅かに煌めいた。

 要が両手を握った、その瞬間。

「なぁっ!?」

 琢磨の身体が見えないなにかに拘束された。

 『ワイヤー』。いつの間にか結界の中は極細の糸が縦横無尽に張り巡らされていた。糸は琢磨の身体に巻き付き、その動きの殆どを制限してしまっている。

「捕縛完了」

「でかしたぞ、要」

 無機質な要の報告を受けながら、慧人は槍を構える。それは陸上の槍投げ競技の姿勢に似ていた。槍の先端ではバチバチと音を立てながら電光が迸っている。

 要が捕らえ、慧人が穿つ。

 これこそが慧人・要ペアの必勝パターン。野良試合においてこの戦局を覆した者はいない。

「く、そ……!」

 琢磨はなんとか身をよじって脱しようと試みるが、複雑に絡みついた糸は容易に解けそうになかった。

「終わりだ」

 その間にも槍が投擲される。羽織は援護射撃を撃つがもう間に合わない。

 閃光、そして衝撃。

 正確に胸を貫く雷槍。

 必殺とも言える一撃を受けきれることも無く、琢磨の晶核コアは警戒音を鳴らし赤く明滅した。

「そこまで! 試合終了――!!」

 ワァっという歓声とともに結界キューブが徐々に端から消滅していく。それに合わせて、熾力で形成された槍や糸も同じように跡形もなく消え去った。

 あとに残されたのは両膝をつきくずおれる琢磨の姿。

 デュアリングは負傷こそしないものの、熾力の使用は体力を消耗し、晶核が限界になるほどの衝撃は、心身に大きな疲労感を与える。

「結果は最初から分かっていたが、それなりに楽しめたぞ最弱」

 慧人は琢磨を見下ろす。

「俺の連勝記録を伸ばしてくれた礼だ。特別にさっきの女の不始末は不問としてやる」

 そう言って踵を返す。羨望の眼差しを一身に浴びながら、取り巻きを引き連れ去っていく。敗者の琢磨は侮蔑の言葉とともに取り残された。

「あの様子だと最初から君をカモにする気だったんだろうさ。皇帝様もみみっちいことをしてくれる」

 思えば土下座の要求などあからさまな挑発は、琢磨が仲裁に入ってからである。目の前にいるのが最弱であることに気が付くと、これ幸いと琢磨を利用することを思いついたのだろう。

「……いいさ。勝てなかった俺が悪いんだ」

 言いながら琢磨は立ち上がる。

「悪いな相生、巻き込んじまって」

「ま、別にいいよ。僕は野良試合の戦績までは気にしてないから。それより君の方こそ、また晶核の修復費が掛かっちゃうんじゃないの?」

「あー、しまった……」

 キャパシティをオーバーした晶核コアは然るべき機関で修復をしなくてはならない。定期試合の場合、費用は全額学園が負担するが、野良試合で損傷した晶核コアについては生徒が自分で費用を支払わなくてはならない。ちなみに一回の修復でだいたい一週間分の昼食代が消え去るくらいである。

 加えて、晶核コアは損傷した状態で放置してはならず、そのままにしておけば定期試合を受けられなくなるおそれもある。

「仕方ない。しばらくうどん生活か……」

「あの」

 しょんぼりする琢磨に、控え目な声が呼び掛けた。

 顔を上げると、皇帝に料理をぶちまけた張本人の女子生徒が申し訳なさそうに立っていた。

「ありがとう、ございます。庇ってくれて……」

「ああ、いや」

 結局のところ予想外の大騒ぎに発展したものの、女生徒に対する非難は解消した。勝利に満足した皇帝からはお咎めも無くなったので、琢磨の行動もまるで無駄というわけではなかった。

 照れくさそうに頭を掻く琢磨の顔を女生徒はじっと見つめる。

「えっと、なにかな……?」

 視線に耐え切れなくなった琢磨が問う。

「見つけた」

「え?」

 彼女は短く言うと、琢磨が訊き返す間もなく背を向け小走りで去ってしまった。

「新しいタイプの告白だねぇ」

「違うだろ」

「あの子、一年生だよね? 見たことないなぁ……」

「俺も。ただ……」

「ただ?」

「すげーキレイな眼してた」

「おーい、帰ってこーい」

 羽織が琢磨の顔の前でぶんぶんと手を振る。

 そうこうしているうちに、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。

 少し慌ただしいが、これも昴流高校のよくある日常風景である。

 そして今日もまた、逢坂琢磨の連敗記録が更新された。

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