第25話『それじゃあね。送ってくれてありがと』
「ねぇ、なんの騒ぎ?」
更衣室から出てきたのは見覚えのある顔だった。
その顔を見た瞬間、安心してわりと本気で
「ゆ、悠里……」
コイツがこんなにも頼もしく見えたのはいつぶりだろう。
俺は
「あれ、湊斗もう来てたんだ? って、どうしたのよ。その顔……?」
「な、なんでもねぇ……」
俺がぐちゃぐちゃの顔を
さっと姉の背中に隠れるが、マリーさんが不満げな様子で覗き込んでくる。
「なァ~んで逃げるのよぉ~ん?」
「オーナー。あんまり弟をいじめないでもらえますか?」
「可愛がってるだけじゃなァ~い。あとマリーお姉さまとお呼び!」
「それより、なにか用件があって湊斗を呼び出したんですよね?」
「あらァ~、そうだったわァ~ん!」
マリーさんが思い出したかのようにポンと手を打った。
そのまま姉と一緒に入口付近の応接室に案内される。そこには、すでに大量の資料が準備されており、奥のソファーに腰かけたマリーさんが長い足を組む。
俺と悠里はその向かいに座り、資料に視線を落とした。
「これは?」
「店の
マリーさんは
「いちお~、過去にあったトラブルやクレームの報告を集めて犯人と思しき候補を絞ってみたのぉ~ん。二人は前に犯人を見たって言ってたわよねぇ~ん? この中に怪しい人物はいないか確認がしたかったのよぉ~ん」
「えっと。一瞬だったんで、はっきり見たわけじゃないですけど」
「雰囲気でもいいわァ~。少しでもヒントが欲しいのよぉ~ん」
「は、はい。わかりました」
しばらくテーブルに広げられた資料を見ていると、ふと見覚えのある人物が目に留まった。
「あ、コイツ」
「
隣に座る悠里が苦笑いを浮かべる。
けんじとユリちゃんがツーショットで映った写真を覗き込んできたマリーさんが、煙草の煙を吐きながらブラックリストを指差した。
「この前、出禁にしたやんちゃ
あの人、結局出禁になったのか。
悠里が自分でなんとかすると言っていたが、一体どのような経緯があったんだろう?
「前々からユリちゅわァんに大量に手紙を送りつけてくるし、規約違反が目立ったから出禁にしたのよぉ~ん。湊斗きゅんの知り合いだった?」
「いえ。知り合いじゃないですけど、以前姉と一緒にいるときに遊園地で絡まれて」
「絡まれた? いつのことかしらァ~ん?」
はて、と首を傾げるマリーさんの様子が気になって、隣の姉に視線を向けるとバツの悪そうな顔をしていた。その様子から察する。
「お前、報告してないのかよ」
「だ、だって……」
しゅんとする悠里にマリーさんが煙草を灰皿に押し付けながら言う。
「ユリちゅわァん。アナタがお兄ちゃんたちのことを大切に思っているのは知ってるけど、なにか問題があったらちゃんと報告してっていつも言ってるでしょぉ~ん?」
「す、すいません……」
「なにかあってからじゃ遅いのよぉ~ん」
マリーさんの言うとおりだ。この見た目に反して、思ったよりもちゃんとした人で安心した。
どうやら悪い人ではなさそうだ。
説教されている悠里をよそに、写真を見ているとまたしても知っている顔を見つける。
「これって……」
「あっ、しん君。たしか葉山さん? すごくいい人だったわ。湊斗の知り合い?」
「ま、まあ。なんていうか、担任の先生……」
あの人、自分のことを「しん君」って呼ばせてるのか……。
知り合いのそういうところってあんまり知りたくはないな。
それにしても、先生の妹を担当したのがまさか悠里だったなんて。
別にだからどうと言うわけでもないけど。元々先生がオタクなのは知ってるし、妹代行サービスを紹介してくれたのは元はと言えば先生だったからな。
だが、悠里は俺と先生の間柄を知る由もないため、気まずそうな顔をしていた。たしかに、なにも知らなければ少なからずショックだったかもしれない。
先生の名誉のためにも、先生がオタク仲間であることを黙っていることにした。
一通り写真を見終えると、俺は肺に溜まった空気を吐き出す。
「うーん。怪しいと思うのは、この樺沢健二って人くらいですかね。でも、あの時のストーカーとは微妙に体格が違うような気もするんだよなぁ……」
とは言っても、身を屈めて体格を誤魔化しているようだったし。この人じゃないとも言い切れない。遊園地の一件や出禁の決め手になったという大量に手紙を送り付けてきたという行為から考えれば、樺沢健二が犯人だとつじつまが合うというのもまた事実だ。
俺が腕を組んで考えていると、マリーさんが口を開く。
「念のため、犯人ちゃんの特徴をもう一度教えてくれないかしらァ~? 情報が
「わかりました。一応、写真があるので」
前に支柱の反射越しに撮影した写真を見せたが、マリーさんは見づらそうに眉間にしわを寄せた。そして、申し訳なさそうに首をかしげる。
「これじゃあ、ちょっとわかりづらいわねぇ~ん」
「あ、じゃあ。紙とペンあります?」
「ええ。はい、どぉ~ぞ」
マリーさんから紙とペンを受け取ると、俺は数日前に直接見た犯人を思い浮かべ、その姿を紙に書き写した。向かいでこっちを覗き込んでいたマリーさんが
「あらァ~。上手に絵を描くのねぇ~ん!」
「えっと、よく推しのファンアートとか描くんで……」
「湊斗、昔からお絵描きするの好きだったもんね。壁に落書きしてよく怒られてたし」
「何年前の話だよ……」
たしかによく母さんに怒られたけど。
実際、イラストは俺の一〇一の特技のうちのひとつだ。言葉で犯人の特徴を伝えるよりも絵で見せた方がわかりやすいと思ったのだ。
えーっと、たしか猫背で黒いキャップを目深に被っていた。上は黒のブルゾンを着ていて、下はデニムパンツだったはずだ。ぱっと見ではわかりづらかったけど、身長と体格はこのくらいで。唯一はっきりと見えた目元は、あまりに一瞬だったためちゃんとは覚えていないけど、少し切れ長でぱっちりとした印象だ。
こんなところかな……?
完成した手配書を見せると、マリーさんは大げさな身振りで褒めてきた。
「湊斗きゅんったら、すっごいわァ~‼ 早速、コピーしてみんなに配っておくわねぇ~ん!」
「は、はい。役に立てたならよかったです」
まさか俺の特技がこんなところで役に立つとは思わなかった。
まあ、なにはともあれ。早く犯人が捕まればそれでいい。
◆
「ここで大丈夫よ」
事務所でのマリーさんとの話し合いが終わった後。姉を実家まで送り届けるため、二人で電車に揺られていると、
ウチのアパートまではこの電車に乗って二駅先だが、実家は芋野古から乗り換えしなければならない。ストーカーに遭うようになってからは犯人に家を特定されないために数駅前で降車し、そこから徒歩で帰るので一人で帰らせるのはどうかと思った。
「――や、でも……」
「いつも、わざわざ遠回りして事務所まで来てくれてるんでしょ?」
「は? だから事務所の近くでバイトしてるって」
「嘘よね、それ。そのくらいわかるから」
「なんでわざわざそんな嘘吐くんだよ」
「吐くよ、アンタなら」
そう言われて思わず押し黙ってしまう。
コイツは今さら俺に遠慮しているのだろうか。なら、そんな遠慮は必要ない。と、言ってやれば良かったのだが、自分の中にある変なプライドが邪魔をしてなかなか言い出せなかった。
苦虫を嚙みつぶす俺に悠里は胸の前でグッと拳を握り、極めて明るい様子で言う。
「そんな心配しないで大丈夫よ、今日は誰も来てないみたいだし。それにいざというとき、アンタがいたら逆に足手まといになるしね」
「……そうかよ」
たしかに、もし襲われでもしたらコイツ一人の方が身を守りやすいのかもしれない。
「それじゃあね。送ってくれてありがと」
「ああ。……気を付けて」
心配だけど自分の非力さを自覚している分、無理やり付いて行こうという気にはなれなかった。俺がいたって足手まといになるだけ……アイツの言うことは正しい。
まあ伊達に格闘技をやっていたわけじゃないし、アイツなら大丈夫だろう。
――それから数日後。まさかあんな事態になるとは、このときの俺は思いもしなかった。
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