第7話『アイツが愛想を振りまくのが許せないんだ』
仮にあの日の出来事を『修羅場のサタデー』と名付けるとして。
その修羅場のサタデーから四日が経った水曜日。俺は放課後一人で、学校の最寄り駅である
こんなリア充の
自転車を駐輪所に停め、建物の中に入ると仕事終わりの社会人や俺と同じ制服を着た学生もちらほらと見受けられ、それなりに混雑しているようだった。
この施設には三階にレストランが入っていたり、地下にはフードコートやスーパーなどもあるため、仕事終わりに立ち寄る人も多いのだろう。
周囲の店舗には目もくれず、本を買った帰りに最上階に設営されたシネマで映画でも観て帰ろうかと考えながら二階へ続くエスカレータに乗った――そのとき。
ふと、見覚えのある後ろ姿を目撃してしまった。
ワンピース型のトレンチコートを羽織り、赤茶色の長髪をサラサラと揺らす女性の後ろ姿。
な、なんでアイツがこんなところにいるんだ……⁉
俺の少し前に立っていたのは、実の姉である
後ろ姿だけですぐに姉だと気付いたのは数日前にもその姿を見たばかりだからだろう。
一瞬で気分を損ね、エスカレーターを逆走して帰ろうかと思った瞬間。ふいに人がはけて悠里の隣を歩く人影に目が留まる。
後ろからだからよく見えないけれど
男の方がおそるおそる悠里の手を握りしめると、そのままたどたどしい足取りでアパレルショップが軒を連ねる吹き抜けの廊下を歩いて行った。
俺は思わず足を止め、ポカンと口を開けたまま立ち呆けてしまう。
な、なんだあれ……。アイツに彼氏がいただと? いやまあ別に全然どうでもいいんだけど! どうにも信じがたい光景だった。つーか、あんなヤツに彼氏がいてたまるか! 俺には一向に春がやって来ないというのに……‼
ふいに後ろから歩行者にぶつかられて、俺はようやく正気を取り戻した。
――いやまあ、アイツが誰と付き合おうがホントにどうだっていいんだけど。
そう思いながら俺は書店に寄る気を失って駐輪所に戻る……足取りを曲げ、いつもは避けて通っているアパレルショップの立ち並ぶ廊下を突き進んだ。
「まったく、ショッピングモールでデートとか中学生かよ……」
俺はコートの
周りはカップルや若い女性が多く、できるだけ悪目立ちしないよう柱から柱へ、
そんなに異質か、俺の
――それにしてもアイツ、ああいうのがタイプだったのか……?
男の方を見れば、ぽっちゃりとした体型でメタルフレームの地味な眼鏡をかけている。顔もぱっとせず、髪もボサボサでお世辞にも二枚目な印象は受けない。
俺は雑貨店に入ったり、アパレルショップを見て回ったり、ゲーセンで遊ぶ二人を監視しながら男を品定めしていた。けど、特に気遣いが上手いとか、話しが面白いとかそういった特徴もないようだった。となると、金か? それともアイツ、騙されてたりしないよな……?
午後七時ごろになると、二人が地下のフードコートに移動した。
有名チェーン店のファーストフードを食べて談笑する二人を遠巻きのテーブルで身をかがめ、チュルチュルとシェイクを吸いながら監視する。
ここからだと、なにを話しているかまではわからなかった。
「くそッ……」と毒付いて、ふと自分が眉をひそめて貧乏ゆすりをしていることに気が付いた。なにを苛立っているんだ、俺は……。あまりに無意識で気が付かなかった。
一度落ち着こうと息を吐くが、楽しそうに微笑むアイツを見ているとなぜか胸の奥がモヤモヤとした感情に覆われていく。
別にアイツが誰と付き合おうがどうでもいいし、興味もない。でも、あんなに優しい顔をするアイツを見ているとグツグツと腹の底が煮え返るような気分だった。
この感情をどう処理していいものか困惑しているうちに、食事を終えた二人がテーブル席から立ち上がってフードコートを出ようとしていた。
俺は一定の距離を保って二人の後に続く。
二人について行くと、悠里がトイレに入っていったのが見えた。
男の方はトイレの入り口付近に設置されたソファーにどかっと座り、カーディガンの袖で汗を拭いながらニタニタと怪しい笑みを浮かべている。
なにやらブツブツと呟いているようだが、ここからでは上手く聞き取れなかった。
その様子が俺にはやけに挙動不審に見えて、胸がザワザワと騒ぎ立つ。
あの野郎、変なこと考えてんじゃねぇだろうな……。
俺は居ても立ってもいられず、通行人を装って耳をすませながら男の前を素通りした。
すると、ボソボソと早口で呟く男の声が聞こえてくる。
「フホッフホホ、ユリたんやっぱ可愛いなァ……。手繋いだら握り返してきたし、これもうゼッタイ脈アリでしょ、フホッフホホ。あァーでも、妹と付き合うとかどこぞのエロゲじゃあるまいしなァ。いや待てよ、義理の妹って設定なら問題ないよなァ……?」
ニチャア、と笑う男の独り言を耳にして胸がギュッと締め付けられるような感覚に
肉親に対して、下心を抱かれているという事実がどうも受け付けなかったんだと思う。
言語化しにくいけれど、家族の下ネタが受け付けない感覚のはるか上限にある感情というのだろうか。とはいえ、なぜそんなことを思うのか自分でもよくわからない。
あれ? というか、『ユリ』って例の妹代行サービスの
ということは、これって……。
俺が再び男から距離と取ると、ちょうど姉がトイレから出てきた。
「長かったね、どうしたのォ?」と、およそ俺でもわかる最低の出迎えをされても顔色ひとつ変えず、常に笑顔を保っている姉を見て思わず感心してしまう。
そんな無邪気な笑顔に男はデレデレと鼻の下を伸ばしていた。
だが、これが妹代行サービスの業務の一環なのだとすると、先ほどからの男の言動には目に余るものがある。『これもうゼッタイ脈アリでしょ』と勘違いしてしまうのは本当によくわかるが、例の三原則『聞かない・触らない・触らせない』というルールがある以上はそれを守るべきだ。客がルールを守ってこそ、こういう店は存続し続けられるのだから。
しかし彼の中で膨れ上がった期待は止まらない。
男は再び悠里の手に触れようと手を伸ばす。ところが悠里がひらりと体を反転させて気付かないふりをしたのを見て、思わず苦笑してしまった。
やはり勝手に手を握られるのは嫌だったようだ。
アイツ、妙に潔癖なところがあるからな……。
そのせいで散々嫌味を言われた過去をつい思い出してしまった。
男の手は
それにしても、あの傲慢で潔癖な姉がなぜここまでしてこの仕事を続けているのか理解できなかった。別に実家がお金に困っているという話はないし、遊ぶお金が欲しいにしてもこの仕事にこだわる必要はないはずだ。
ならどうして。なぜオタク文化を馬鹿にしていたアイツが『萌え』を演じ、苦手だった家事を克服してまでこの仕事を続けているのだろうか。
その原動力は一体どこにあると言うんだ。
胸の奥底になんとも形容しがたい突っかかりがあることにはとうに気が付いていた。
きっと俺はアイツが周囲に愛想を振りまくのが許せないんだ。
これは多分あれだ。家族に対する共感性羞恥に近いなにかしらの心理状態に違いない。学校で
「アレ、お前の姉ちゃんじゃね?」と言われてイジられたときとか、親が変な服装で授業参観に来たときと似たような感覚だろう。
俺は胸に
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