一章 追憶のオムライス

第1話『あれは人の皮を被った筋肉ボスゴリラです』

一章  追憶のオムライス




 妹代行サービスを頼んだら姉が来た。

 そんな奇想天外きそうてんがいとも言える出来事の経緯を説明するには前日まで遡ることになる。


 ――静かな教室に六限目の終業を告げるチャイムが鳴り響くと、教室は一気に弛緩しかんした空気に包まれた。

 今日が金曜日ということもあり、明日からの週末に想いを馳せるクラスメイトの喧騒けんそうがガヤガヤと教室中に伝播していく。


 担任教師である葉山はやま真市しんいちが教室に戻ってくると終礼が始まった。連絡事項を適当に聞き流しながら帰りの支度をしていると、ホームルームの最後に葉山先生がチラッとこちらに視線を向けてくる。


「小森君はあとで職員室まで来てくれるかな」


 そして先生が解散を告げるとクラスメイトがおもいおもいに動き出した。部活に行く人、帰りにカラオケでも寄らないかと話す人、まっすぐに昇降口へと降りていく人。そんな連中を横目に俺もスクールバッグを肩にひっさげて教室を後にした。


 廊下に出ると、冬の予兆を感じさせる冷気に全身を舐め回される。肌を刺すような本格的な寒さではないものの、すっかり夏が過ぎ去ったと思わせる肌寒さが廊下に張り詰めていた。


 俺は学生服の群れがごった返す廊下を縫うように進みながら旧校舎二階に位置する職員室を目指す。だが途中、すぐに職員室を訪ねても先生の準備ができていないだろうと思い、道すがら自販機にでも寄って時間を潰してから向かうことにした。


 しかしなんなんだ、廊下の真ん中に固まってじゃれ合ってる連中は……。ほんと邪魔だな、少しくらい周囲の迷惑を考えたらどうなんだ。周りが見えてないのか……?


 そういえばライオンは視野が狭く、シマウマは逆に広いと聞いたことがある。暗に自分がシマウマで、捕食対象だと突きつけられているような気がしてグサッと胸に突き刺さった。

 現に注意のひとつもできないわけだし……。


 代わりに心の中で負け惜しみを垂れながら、俺は一階の中庭付近に設置された自販機でエナジードリンクを買う。なんとなくグラウンドへ視線を向け、チビチビと口に含んだ。


 すでに運動部の連中が準備運動を始めているようだ。ランニングの掛け声に紛れて、校庭の端で発声練習をしている演劇部のハキハキとした声が聞こえてくる。うちの学校は進学校でありながら部活動も盛んで、放課後になると学校中が爽やかな喧騒に満たされるのだ。


 適当な段差に腰掛け、ぼうっとしていると不意に四人組の女子生徒が俺の前を横切って昇降口へと歩いて行った。ネクタイの色からして同級生の女子だ。

 一年の秋にもなると周囲の友人関係は完成されており、俺みたいな友達作りに出遅れたぼっちが入り込む余地などないほどに高校生特有の仲間意識を高めているように思えた。


 まるで自分たちが世界の中心にいるかのようなキラキラとした姿に目を細め、俺は空っぽになった缶を捨てて目的地へ向かう。

 階段を上がって職員室を訪れると、戸口付近で女子生徒の後ろ姿を視認した。


「失礼します、一年五組の桜庭さくらば朱夏しゅかです。風紀委員の森野先生はいらっしゃいますか?」

 肩甲骨の辺りまで届く黒髪のロングヘアにきっちりと校則通りに着こなされた紺色のブレザー、腕には風紀委員の腕章を巻き付けている。

 同じ一年五組のクラスメイトである、桜庭朱夏だ。


 桜庭は生真面目そうな落ち着いた声音で先生を呼び出していた。

 アニメや漫画だと風紀委員キャラというのは真面目な性格でツンツンした女の子というのが鉄板だが、桜庭の印象もまさにそんな感じ。学年試験の順位は常に上位で、どこか近寄りがたい雰囲気がある。まさに優等生という言葉がぴったりな孤高の美少女だった。


 俺が熱心に彼女のことを見ていたせいか、桜庭はいぶかるような視線を向けてくる。

 思わずギョッとして視線をそらすと、先生を待っていた桜庭がこちらに近づいてきた。


「ちょっと、そこの男子生徒」

「え、俺……?」

 グイッと。戸惑う俺の間近まで近づいてきた桜庭にいきなり胸ぐらを掴まれる。

「はっ。え、なに……?」

「ネクタイ、曲がっていますよ」

 言いながら、丁寧にネクタイを締め直してくれた。


 ほのかな柑橘系の香りが鼻腔びこうをくすぐる。

 ここまで接近されると、長いまつ毛、ガラス細工のような大きな瞳。そして華奢な肩幅に異性を実感し、心臓の鼓動が加速した。


「あ、ああ。ごめん……」

「しっかり、ウチの生徒である自覚を持ってください」

「……はい。すいませんでした」

「次からは気を付けてくださいね」

 桜庭が職員室の方に戻っていく。

 あぁー、緊張した……。


 ほっと胸を撫でおろしていると、ほんわかとした空気をまとった葉山先生が出てくる。

「やぁ待ってたよ。面談室に移動しようか」

 先生はノートpcを小脇に挟み、なにやら大きめの紙袋を携えて面談室に案内してくれた。


 ――今日は月に一度の面談日である。

 葉山先生は俺が一人暮らしをしていることや家族(特に姉)との関係が良好でないことを知ってか、月に一度のペースで面談を組んでくれている。

 俺から相談に乗ってほしいと頼んだわけではないのだが、先生のご厚意を無駄にすまいと何度も面談を重ねていくうちにすっかり月末の恒例となってしまったのだ。


 面談室の中に入ると、いきなりすりガラスの仕切りが設置されていて、俺はスリッパに履き替え仕切りの反対側に入っていく。そこにはローテーブルを挟んで向かい合うように黒のソファーが置かれており、先生が奥のソファーに腰掛けるのを見て俺も手前のソファーに座った。


 先生はノートpcを開いて、クイッと眼鏡に触れる。

「そういえば、テストの出来はどうだった?」

「先生、その話はやめましょうよ……」

「そ、その様子だとかんばしくなかったみたいだね」

「ええ、まあ……」

 先日行われた中間試験のことを思い出すと胃がキュルキュルと音を立てた。


 のっけから意気消沈した俺を見かねてか、先生が別の話題を切り出してくる。

「それじゃあ学校生活のことから聞かせてもらおうかな。どう、困ったこととかない?」

「はい、特にないです。可もなく不可もなくって感じですかね」


 先生はカタカタとパソコンに俺の返答を打ち込みながら質問を続けた。


「あれから親しい人はできたかい?」

「んー、まあたまに話すくらいの人なら」

「おおー、どんなこと話すの? 差し支えなければ聞かせてもらっていいかな?」

「プリント渡されたときに礼を言ったり、日直のときにどっちが号令するかとか」

「業務連絡ッ⁉ えーっと、それは会話には含まれない気がするんだけど……」

 面談内容を記録する先生の手がかすかに震えていた。


「ちなみに彼女ができたり、とかは?」

「……嫌味ですか? そんなの出来るわけないですよ。都市伝説でしょあんなもん」

 俺は苦笑を浮かべる先生に湿っぽい視線を送る。


 大体、友達すらまともにいない人間にどうやったら彼女ができるって言うんだ。お世話好きの幼馴染でもいたらいいのか、それとも空から女の子が降ってくるとか? もういっそのこと自分好みの女の子を錬成できないものかね。

 いや、そもそも葉山先生みたいにイケメンじゃないし、なにもしなくても女の子が寄ってくるラブコメ主人公体質も持ち合わせていないため、自分好みに女の子をキャラメイクしたとして振り向いてもらえるとはかぎらないのが悲しい……。

 小学生の頃、トモダチコレクションで理想の女の子を作り、その子が親父に寝取られてから自分以外の男をみんな退居させたのをなぜか思い出した。


 まあそんなことはどうでもいいとして、俺はジトリと先生を睨み付けながら改めて葉山真市という男は容姿に恵まれているよなぁ、と感想を抱いてしまう。

 一八〇センチを超える長身にそこらの若手俳優ばりに整った顔立ち。黒ブチの眼鏡越しにも綺麗な二重瞼をした目元が存在感を宿していた。髪は軽くパーマのかかったダークブラウン。しかしチャラチャラとした雰囲気はなく、むしろ清潔感を醸し出している。


 先生は理知的な印象を抱かせる容姿と誠実な人柄から、生徒のみならず保護者からも絶大な人気と信頼を集めているらしい。


 まるで俺とは真逆の人種。

 一方こっちとら育ちざかりとはいえ、日本人の平均身長にも届かないつつましい背丈に幼く見られる童顔。目にかかる長い前髪は清潔感からは程遠いだろう。

 以前、顔立ちは幼いのに目が腐ってるから陰湿なイジメをするクソガキみたいだね、と名前も知らないクラスメイトに言われてすっかり容姿に対する自信を失ってしまった。


 クラスでもカースト底辺――いや、そもそもクラスカーストにすら属せないしがないオタクである条件はばっちり揃っているはずだ。多分、スタバに入場規制されてるまである。


「ごめんね、嫌みのつもりはないんだ。ただキミはなんでも一人で我慢しようとするから、仲のいい人が一人でもいたらキミの中でまた違った価値観が生まれるんじゃないかなと思ったんだ。もちろんキミの生き方を否定するつもりはないよ。傷付けたならごめん……」

「……謝られるとより惨めでしょうよ」


 こんなときに素直になれない卑屈な自分が心底嫌いだ。

 俺とこの人との絶対的な差は容姿でもなんでもなく、もっと深いところに根付いた性質的なものなのだと思い知らされてしまうから。


 先生は空気を変えるようにペチッとエンターキーを叩いて、次の質問に移った。

「じゃあ学校内でのことはこの辺にしておいて、次は学外でのことで進展があったら聞かせてもらえないかな?」


 葉山先生は俺が一人暮らしをしていることや家族関係が良好でないことを知っている唯一の他人である。なにかと心配してくれているみたいだし、この人には思わず愚痴をこぼしてしまいたくなるような包容力があった。


「ところで、ちゃんと食べてるかい?」

「はい、一応食べてはいますよ」

「ちなみにスナック菓子はちゃんとした食事には含まれないからね」

「なんで我が家の主食がスナック菓子になりつつあることがわかったんですか……」

「僕もキミとよく似たタチだから、かな」


 そう微笑む先生に俺もおのずと得心がいく。

 たしかに、そりゃそうだ。今まで幾度となく積み重ねてきた面談の中でその片鱗へんりんを何度も見てきた。むしろ俺の方がこの人に影響されている部分がおおいにあるだろう。


「親御さんとの関係はどうかな?」

「別に悪くないですよ。ちょっと口うるさいところもありますけど」

「ははっ、それは小森君を心配しているからこそだね」

「……どうですかね」


 もちろん、父さんが蒸発してから女手ひとつで育ててくれた母さんには感謝しているさ。一人暮らしがしたいというお願いもなんだかんだ聞き入れてくれているわけだし。

 ただもう少し、もう少しだけ甘やかしてくれてもいいと思うんだ。たとえテストの点が悪くても、「勉強がすべてじゃないさ」って言いながら強く抱きしめてくれるような甲斐性を見せてもらいたい……!


 そろそろ中間試験の結果を母さんに報告しなければならないというストレスに押し潰されそうになっていると、ふいに先生が手を止めて躊躇ためらいがちに視線を向けてきた。

「最後に、お姉さんとはどう? ちょっとでも話せたりした?」

「ないです」

 きっぱりと言い切る。先生は苦笑いを浮かべながらpcに記録していた。


「あるわけないですよ。いいですか、先生? あれは人の皮を被った筋肉ボスゴリラです。話が通じる相手とはとてもじゃないですが思えません。たとえ天地がひっくり返ったとしてもあんなのと仲良くすることなんてありえませんよ」


 つい頭に血がのぼり、無意識に貧乏ゆすりをしていたことに気付いて俺は体の力を抜いた。

 少々ピリついた雰囲気を察してか、先生はパタリとノートpcを閉じると、クイッと眼鏡を上げる。米花べいかちょうの小さな名探偵のように眼鏡のレンズが怪しげに光っていた。


「さて、面談はここまでにして……」

「おー、待ってましたッ!」

 瞬間、葉山先生の雰囲気がガラッと変わる。


「ここからはオタクの時間でやんすよぉ――ッ!」

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