妹代行サービスを頼んだら姉が来た。

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妹代行サービスを頼んだら姉が来た。

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プロローグ

プロローグ  妹代行サービスを頼んだら姉が来た。




 ――妹代行サービス、という一風変わった文字列が俺のスマホに煌々こうこうと映し出されていた。


 カラフルな背景にフリー素材が乱用され、雑多な印象を抱かせる会員制のホームページ。『妹代行サービスってなぁ~に?』という見出しの下には『アナタの理想の妹が身の回りのお世話をしてくれるサービスですぅ~』と、いらすとやから拝借はいしゃくしたのだろう女子学生の吹き出しに、なんとも魅力的なうた文句もんくが記載されていた。


 画面を下にスクロールすると、料金表に目が留まる。

 その金額を見て、俺は思わず嘆きにも似た声を漏らしてしまった。


「うげぇー、一万五千円……」

 部屋の掃除や洗濯、一食分の食事を用意してくれるというもっともお手頃なレギュラープランでさえ一万五千円。プレミアムプランに至っては三万円という可愛げの欠片もないプライスだ。とても学生の身分で気軽に手を出せる金額じゃない。


 さすがに高すぎるよなぁ……。


 二次元の女の子で覆われたワンルーム。部屋の隅に設置した窮屈きゅうくつなベッドに沈み込み、しばらくホームページとにらめっこしていると、ふいにブブブッと手中のスマホが振動し始めた。

 同時にポップな曲調のアニメソングが耳朶じだを打つ。庇護欲ひごよくを刺激されるような甘美かんびな歌唱を乗せたその楽曲はアニメ『俺の妹がオマセさんな件について』のオープニングテーマである。


 ふと、スマホの上部から顔を出したポップアップに『母』と表示されていることに気が付くと、俺はしぶしぶスマホを耳にあてがった。


「……も、もしもし」

『もしもし、湊斗?』


 電話口の向こうで涼やかな声音が俺の名前を口にする。だが、心なしかそこにおごそかな雰囲気があるように感じるのは俺にその心当たりがあるからだろうか。


 案の定、母さんは俺が今一番聞きたくなかった言葉を淡々と口にした。


『先日、中間試験があったらしいけれど。まだ報告を聞いていなかったわね?』

「ぐっ……。えーっと、それは……」

『まさか、全然ダメだったなんてことはないでしょ? しっかり試験勉強をした上で臨んでいるでしょうし。……例の条件、忘れたとは言わせないわよ』


 電話越しにも圧力がビンビンと伝わってきた。


 母さんの言う『例の条件』というのは、別に取引の隠語でもなんでもなく、単に俺が一人暮らしをさせてもらうにあたっての条件のことを言っているのだろう。


 その条件とは、しっかり勉学に励むことだった。


 だから俺は死ぬほど受験勉強を頑張って県内でも指折りと言われる進学校の学費免除を勝ち取り、さらに一人暮らしをすることで遊びほうけないかと心配していた母さんに「平均以上の成績を維持する」という条件のもと、なんとか手を打ってもらったのだ。


 極度の心配性である母さんの反対を押し切ってまで一人暮らしをさせてもらっている以上、そこに文句をつけるつもりはないし、もちろん条件を忘れていたというわけでもない。

 しかし事実として、中間試験の結果が散々だったというのは図星と言わざるを得なかった。


「……母さん、まずはごめんッ! ただこれには非常に深いワケが――」

『言い訳を聞くつもりはありません! 大体、いさぎよく謝れば許してもらえるだろうという考えが気に食わないわね。一回だったらまだしも、アナタ前回の試験でも同じようなことを言っていたじゃない。次は頑張ります、って言ったのは一体どの口だったかしら?』

「こ、この口です……」


 電話の向こうで母さんが今どんな顔をしているのか容易に想像がついて、俺は冷や汗をダラダラ流しながらベッドの上で正座していた。


 たしかに言い訳になるかもしれないけれど……、実際に一人暮らしを始めるまではまさか生活するのがこんなにも大変だなんて思ってもいなかったんだ。

 母子家庭の実家に仕送りなど期待できるはずもなく、生活費はすべて自分でどうにかしなければならないからアルバイトで生活を切り盛りしないといけないわけで。

 さらに趣味や娯楽に使う資金を調達しようとなったら当然ながらバイトに支配される時間は増えていく。正直なところ、学業をおろそかにしてしまっていることは紛れもない事実だった。


「で、でも赤点はギリギリ免れたし……」

『ギリギリ? 成績を落とさないという条件はアナタ自身が決めたことでしょう? それすら守れないのだったら家に帰ってきてもらうほかないわね』


 厳しい言葉だが、母さんが俺のことを思って言ってくれているのは理解している。

 たしかに少し早起きをすれば実家からでも通えないというわけではないし、実家に戻れば無理にバイトを入れる必要もなくなるだろう。成績だって無難に保てるはずだ。


 だけど、実家に帰るのだけは絶対に受け入れられなかった。


「そ、それだけはぁ~、どうかご慈悲を……」

 俺が情けない声で訴えると、母さんが深くため息を吐いたのが聞こえてくる。

「大体、アナタは昔っから無計画なところがあるのよ――」

 それからしばし、ガミガミとお説教をたまわった。




 俺――小森こもり湊斗みなとは高校進学を機にさして学校から近いわけでもないボロアパートで一人暮らしを始めた。とくべつ交通の便がいいというわけでもなく、通学には毎朝自転車で約三〇分ほどの道のりを爆走しなければならない。


 本来、学生で一人暮らしをする理由というのは大体が学校に通うため、学校までのアクセスを考えてという『学校』ありきでの動機になるのだろうが、俺の場合はその逆だ。


 俺が今の学校を選んだのは一人暮らしをするため――いや、正しく言えば実家を出るため、だ。そのためにわざわざ学費免除のある学校を選び、受験期には血反吐を吐きながら必死に勉強した。反対する母さんとも何度も交渉を繰り返し、今では生活のためにファミレスと引っ越しのアルバイト二つを掛け持ちしている。


 ここまでして俺が一人暮らしにこだわる理由は、ヤツの存在だ――。


『少しはを見習いなさい。あの子、勉学という点においては周囲よりも優れているでしょうし、大学でも真面目に取り組んでいるそうよ』


 母さんの口から「悠里」という名前が出た瞬間、全身がこわばったのを自覚した。

 思わず、語気を荒げた言葉が口をついて出てしまう。


「……あんなヤツのどこを見習えってんだよ」

『あんなヤツとはなんですか。実の姉に対してそんな口の利き方をして……』

「ふんっ、とにかく家に帰るつもりはないから。それじゃ」

『あっ、ちょっと待ちなさ――』


 プツ、と通話を切った後、俺はスマホを『ポンコツシスター☆マインちゃん』のクッションに投げ付けた。だが、そんな些細ささいな発散を試みたところでなにも変わりやしない。


 母さんに思い出したくもないヤツの話を聞かされ、脳裏に忌々いまいましい記憶がよみがえる。


 ――あたしに口答えする気? 弟の分際で生意気ね。

 ――ちょっと近づかないでよ、キモータ。

 ――アンタの姉だって知られたらもう外を出歩けないわ。


 実家にいたときのことを思い出すと、フツフツと腹の底から理性では抑えきれない感情が湧き上がってくるのを感じた。息を吐いて落ち着こうとするものの、そう簡単には収まらない。

 この際だ、はっきり言っておこう。


 俺は実の姉である小森こもり悠里ゆうりのことが大嫌いなのだ。


 顔を思い出しただけでも虫唾が走るほど疎ましいと思っている。

 しかし、残念なことにヤツは実の姉だった。これが例えばクラスメイトやバイト先の同僚というようなコミュニティーであるならば関わらない、ないしは排除するなどの手段が取れただろう。繰り返すようだが、小森悠里は俺の実の姉である。家族であり、同じ屋根の下に暮らす以上はどうしても関わらなければならないし、ましてや排除するなどできやしないのだ。


 むしろ事あるごとに姉であることを主張し、チャンネル権の独占や録画容量の占領など極悪非道のかぎりを尽くしてきた姉である。排除してやろうと考えようものなら逆にこっちが――というか、自分から実家を離れたとはいえ結果的には排除されて一人暮らしをしているとも言えなくはない……。


 そう考えると実に忌々しいが、一人暮らしをすることに関してはこちらとしても望むところなのでまあいいとしよう。


 俺が気に食わないのは傲慢で、意地っ張りなあの性格である。およそ俺の知るかぎり、あれほどまでに性格の歪んだ人間はそうそういないだろう。

「まったく、腹立たしい……」

 一度ぶり返した怒りはなかなか鎮まろうとはしてくれなかった。


 胸の浅いところにわだかまった感情を持て余し、俺は部屋中を覆いつくす妹系キャラのポスターやタペストリー、フィギュアなどを眺めて心を落ち着かせる。

 肺いっぱいに空気を吸い込み、一気に吐き出してから俺は天を仰いだ。


 ――嗚呼ああ、やはり妹は素晴らしい。まるですさんだ心が浄化されるみたいだ……。


 実体のない妹でこれだけのセラピー効果が得られるのだ。もし俺に本物の妹がいたら、たとえどんな不治の病からでも立ち直ることができるだろう。妹こそ万能薬である。


 そうだ、大学に行ったら妹セラピーの論文を書こう。それか健気けなげ献身的けんしんてきな妹をメインヒロインにしたイチャラブ小説を書くんだ!


「…………あァー、俺にも妹が居たらなぁ」


 ふと現実に戻り、力のない独り言を漏らしてしまう。

 空虚くうきょな目で、額縁に入れて壁に飾った妹キャラのポスターを眺めながら思った。


 も『姉』じゃなくて『妹』だったら少しは可愛げがあったのかもしれないな、と。


 そんな無意味なことを考えていたと同時、あることを思い出した。

 俺は慌ててスマホを手繰たぐせ、さっきまで開いていたホームページに視線を落とす。


 ――妹代行サービス。


 理想の妹が身の回りの世話をしてくれるという意趣いしゅ卓逸たくいつたる素晴らしいサービスである。こんな最強のコンテンツを生み出した人にこそ紫綬褒章しじゅほうしょうやらノーベル平和賞やらを授与すべきなんじゃないだろうか。妹は世界を平和にするのだ。


 嫌なヤツを思い出したせいか、理性が決壊しギリギリのところで留めていた欲望が爆発して濁流だくりゅうを生み出していた。もう誰にも俺を止めることはできないぜ!

「ヘッ、夢が叶うなら一万五千円なんて安いもんだぜ……!」


 俺はささっと妹代行サービスの会員登録を済ませ、スマホのキーパッドに電話番号を入力する。一秒にも満たない呼び出し音ののち、ガチャッと電話がつながる音がした。


「もしもし、妹代行サービスをお願いしたいんですけど」


 あんなヤツに感謝するのは非常にしゃくだが、ヤツのおかげで決心が付いたのもまた事実である。


「あー、はい。それじゃあナンバーワンシスターのユリちゃんで」


 幸運なことに人気ナンバーワンの妹を指名することができた。

 これも妹ノ神イモウトノカミさまのお導きか。


 今日、俺はお兄ちゃんになるのだ――。




 しばらく正座のまま待っていると、玄関からピンポーンと電子音が鳴り響いた。

 次いで、「おにぃちゃーん、来てあげたよぉー」という全身を駆け巡るような猫撫ねこなでボイスが扉越しに聞こえてくる。これは、間違いない……。本物の妹にしか存在しえない共鳴腔きょうめいくうを感じるぞ!


 俺はドキドキ胸を弾ませながらもひとつまみの緊張感を噛みしめ、玄関を開け放った。


「お兄ちゃん、可愛い妹がわざわざ来てあげたぞっ!」

 ツンとつつましやかな胸を張りながらそこに立っていたのは赤みがかった明るい茶髪をツインテールに結わえ、赤リボンのオーソドックスなセーラ―服に身を包んだ女の子だった。

 膝上まで巻いたスカートが活発な印象を与え、しかし手に携えたエコバッグが家庭的なようにも思わせる。そのどこかちぐはぐな感じこそがまさにギャップというものだろう。


 俺は理想の妹が家を訪ねてきたという状況に呆気に取られていたが、すぐに気を取り直し。せっかくだからお兄ちゃんロールプレイに本腰を入れようと軽く咳払いをしたときだった。


「……ん?」と、顔をしかめて俺はユリちゃんのご尊顔をまじまじと凝視する。


 ユリちゃんは庇護欲を掻き立てられるような愛らしいスマイルを浮かべていたが、徐々にその表情が崩れていくのがわかった。

 その要因のひとつは俺がひどくこわばった顔をしていたからだろう。


「…………」しばしの沈黙の後、「え、お前なにしてんの……?」

 俺が声を振り絞るように掠れた音で言葉を紡ぐと、ユリちゃんは綺麗な二重幅をした目を剥いて口をアワアワと動かしていた。


「な、なな、なんで……。なんでアンタが……」

 そこにいたのは紛れもなく俺の実姉――小森悠里(二〇歳)、その人だったのである。


 ――妹代行サービスを頼んだら姉が来た。そんな、神の悪戯いたずらとでも言うような奇天烈きてれつな展開に至った経緯を説明するには少々時間をさかのぼる必要があるだろう。

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