◇過去◇



その子どもは明け方の砂漠を一人で歩いて来た。


空気は冷えうっすらと青くなる空の下を三歳か四歳か、

そのような子どもがとぼとぼと歩いているのを見れば誰でも近寄るだろう。


近くにいた兵士は子どもに駆け寄るとすぐに抱き上げた。

だが、服の下の何かに気が付き動きを止めたが何も起こらなかった。


彼は恐る恐る子どもを降ろして服を脱がせた。

体には爆発物が巻き付けてあったが、

幸いなことに故障していたのか爆発はしなかった。


その間子どもは指を吸いながらぼんやりと立っているだけだったらしい。


何の感情も表さないその子どもはのちに保護施設に送られて

恐ろしい戦場から逃れる事が出来た。


黒髪の碧い目の子ども。

どこの生まれなのか分からない不思議な容貌。


彼は十五歳になるまで何もしゃべる事が出来なかった。




「で、いつから記憶があるの?」


ペリがソファーの樹にごろりと横になって聞いた。

そこはすっかり彼の定位置となっていた。


「その十五歳頃だな。気が付くと山にいたよ。

空木うつぎがいたお山とは違うところだ。

穂積師ほずみしとあのつきみやがいたよ。」

「それまでの記憶は無いのですか?」


空木が聞いた。

空木とヒナトリはテーブルをはさんでソファーの向かいに座っている。

休日の午後だ。


しばらくヒナトリは考えたのち、


「ないなあ。急に殻から出た感じだったなあ。」


感慨深げに彼は言った。


「私は中学まではお山のおばさんの家にいましたから

十五歳で父とお山の庵に入ったので入れ違いですね。」

「と言う事になるな。二十歳で築ノ宮と街に戻ったから。」

「でもどうやってヒナトリはこの国に来られたの?」

「お前、それは不思議な力で分からんのか?精霊だろ?」

「精霊でも分からないものは分からないヨ。

それにヒナトリに助けてもらったのはその後だから。」

「まあそうだな、でも俺にも全く覚えがなくて聞いた限りは、

外国から来たどこかの政府の職員に連れられて出国して、

そのあと穂積師の知り合いが俺を見て何かしら感じたらしい。」

「その頃から癒しの力があったのでしょうか。」

「分からん。

でも今の俺たちの状況を考えると穂積師が引き寄せたのかもしれんな。

築ノ宮家がかかわっていたなら国籍など簡単に作れるし。

ところで空木、お前は穂積師と中学校を出てから修業を始めたんだろ。」

「ええ、その時まで穂積師が父って知らなかったんです。

時々家に来る怖いおじさんだと思っていました。」

「怖いねえ。」


ヒナトリが苦笑いをする。


「学校も私たった一人で先生と一対一で授業を受けていたんです。

テレビもなくて山の中でずっと遊んでいました。」

「山猿だな。」


空木はヒナトリを少し睨む。


「今思えばなるべく悪意や情念みたいなものから

離しておきたかったんでしょうね。

自然の中で成長させたかったんでしょうけど、

何度か黙ってお山から降りた事があるんですよ。」


空木が悪戯っぽく笑う。


「へえー、空木チャンらしくないネ。それで大丈夫だった?」

「そのまま逃げれば良かったのにな。」

「でも不思議な事に里につく前にいつも捕まってしまいました。

行く先に父が仁王立ちしていました。」

「……怖いな。」

「ヒナトリがひるむほどのお師匠様ってどんなだろう?

一度会ってみたいナ。」


呑気にペリが言うと二人が無表情で彼を見た。


「それで中学を卒業するとあのお山に入って修行です。

修行と言っても薬草を採ったり薬酒を作ったりとか、

普通に山で生活していました。

大した修業はしてないですね。」

「まあ、それがお前の修行だったんだろう。

穂積師が意味なく過ごさせる事は無い。」

「そう言えばモンペをくれたおばちゃんは亡くなったんだよネ。」

「そうです。中学を卒業する少し前に急に。」


空木が無言になる。


「お墓参りに行ったノ?」

「……いえ、散骨希望だったのでお山に遺灰を撒きました。」

「そうか。」


ヒナトリがお茶を飲み干した。


「また機会があればお山に行こう。

いおりには入れないかもしれないが、

白川しろかわがそろそろ木の実が薬草がとか言い出すからな。」

「そうですね、ありがとうございます。」

「あ、ボクお茶を入れて来るよ。」


ペリが姿を消す。


「ペリさんはどうやってここに来たのですか?」

「あいつは宝石の中に閉じ込められていたんだよ。」


ヒナトリが手を出す。


「これに乗るぐらいのでっかい宝石でな、

どうやら精霊か魔を捕まえるためにどこかの術師が作った罠だ。

それを万年青おもとが送って来て助けろと。」

「その宝石はどこにあるんですか?」

「術をほどいた途端砕けた。いまでもあの宝石がなんだったのか分からない。

でも綺麗な石だったよ。」

「そう、すごく綺麗だったヨ。」


ペリがふわりと姿を現す。


「ボクは入った時はあまり覚えていないけど、

中から見た限りは物凄く綺麗だったナ。

人間時間だと三百年ぐらいいたのかな。」


彼は香りの良いコーヒーを入れる。


「あの術を解くのに半年ぐらいかかった。

どこのどいつだろうな、あんなものを作り上げるのは。」

「万年青サンなら知っているかもネ。

多分他にもそう言う石があると思うよ。」


ヒナトリがうんざりした顔をする。


「あんなしんどい思いはもう嫌だね、

全く万年青は何でもかんでも送り付けるからな。いい加減にして欲しいよ。」


空木がコーヒーに砂糖を三杯とミルクを入れた。


「空木ちゃん、砂糖入れすぎだヨ。」

「だって、苦いから。」

「山の子猿はコーヒーは苦手らしいぞ。」

「止めてください、子猿と言う歳じゃありません。」

「何言ってるんだ、この前子ども向けのアニメ映画を見て泣いていただろ。」

「だってその、可哀想な話だったじゃないですか。」

「安心しなよ、空木チャン、最初見た時はヒナトリも泣いていたから。」

「おい、ペリ。」


ペリがくすくす笑う。


「ところでペリさん、三百年も石の中で何をしていたんです?」

「何もしてないヨ、ほとんど覚えていなくて気が付いたら目の前にヒナトリがいた。」

「こいつ出て来た時、羽が生えていたんだぜ。」


ヒナトリが手をパタパタと動かす。


「小さな人型で背中に羽根があった。

えらく可愛いものが出て来たなと思ったら、翌日にはこの姿になったよ。

あのままだったらどこかのテーマパークに売ったのにな。」

「だって目の前にいたのがヒナトリだもん、

サイズを合わせないといけないなと思ってサ。」

「別に今から変えても良いんだぜ。

可愛い女の子でも良いし。」

「そんなに簡単に姿を変えられるんですか?」


空木が聞く。

すると瞬間にペリが妙齢の女性に姿を変える。


「あら綺麗ですね。」

「え~~~、普通は驚く所なンじゃないの?」


再びペリは元の姿に戻った。


「そうですけどなんだかペリさんが姿を変えられるのは

普通な感じがして。」

「そうだよな、当たり前だよな。」

「君たち不思議に慣れ過ぎだヨ。奇跡の存在だよ!」


ペリがふんぞり返ったが二人は笑うだけだった。


「ところで白川しろかわさんはクラブのママさんなんですよね。」

「ああ、ちょっと高級な所のな。」

「どうして街に来たのですか?」

「俺も良くは知らん。何しろかなりの古蛇だからな。

相当前からここにいたと思うぞ。」

「でも良い方ですよね。私の服も選んでくれたし、

色々な行儀も教えてくれます。」

「まあ、お前は気に入られているからな。

でも本性を知ったら恐ろしくて近寄れないぞ。」

「良いのかナ?そんな事言って。白川サンに言いつけちゃおうかな。」

「ああ、構わんぞ、俺を喰っちまったら抱っこできなくなるからな。

絶対にあいつは俺を喰わない。」

「ホント自信たっぷりだネ。」

「何だかいやらしいですね。」

「お前らなあ……。」


ペリと空木が笑う。


「ところで万年青おもとさんはここにいつ来られるのでしょうか。

一度お会いしたいんですけど。」


ヒナトリが難しい顔をする。


「うーん、こればかりは俺も分からん。」

「最近はいつ来られたんですか?」


ヒナトリが首をかしげた。


「うーん、いつだったかな、何年前だったかな、

いやちょっと前だったかな。」

「前も同じようなことをおっしゃってましたね。」


彼が顎に手を当てる。


「そうなんだよ。

万年青の事は知っているんだけど思い出そうとするとぼやけてしまうみたいな。

女なんだけど男みたいな感じもするし、

歳をとっていたような気がするが子どもみたいだった感じもするし。」

「ボクも万年青の印象はあやふやだナ。

悪い人じゃないんだけど。」

「人間なんですか?」


男二人は目を合わす。


「多分違うと思う」

「多分違うと思ウ」


その声は同時だった。   




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