◇お山の庵◇  (4)



いおりに近づくにつれて空木うつぎは妙な気がして来た。

以前のような爽やかで清涼な感じがしない。

うっそうと立ち込めた緑の濃い霧のようなものを感じた。


「何だか恐竜がいた太古の場所みたいね。気持ちがおかしくなりそう。」


白川しろかわが眉をしかめながら運転を続けていた。

回りの植物が道路を覆うように伸びている。

ほんの二週間でこんなに変わるだろうか。

何かしらを早く覆い隠すような慌てぶりだ。


「この先に庵があります。」


空木が言う。

車がバキバキと枝を踏む。

大きな木々がドームのようになりこんもりとした緑の山があった。


「なんてこと……。」


空木が絶句する。

ついこの前まで空木が暮らしていた庵はすっかり緑に覆われていた。


穂積師ほずみしが何かしら仕掛けておいたのかもしれんな。

気配はすごいが悪い感じはしない。とりあえず中には入れそうだ。」


入り口の引き戸も枝に覆われていたがヒナトリが触るとあっさりと開いた。


「空木ちゃん、何か必要なものがあれば

早く持ち出した方が良いんじゃないの。」


部屋の中は思ったより植物の進出は無く、

ところどころに小さな葉が出ている程度だった。


「私は自分の部屋を見てきます。台所に果実酒や薬草酒があるので

それを持ち出してください。薬部屋はその隣です。」


時間がないと空木は悟った。

この庵は緑の波に打ち付けられながら自分が戻るのを待っていたのだ。


空木は慣れ親しんだ自分の部屋に行った。

飾りもなくほとんど物のない部屋だ。

あらためて自分が何も持っていないことに空木は気が付いた。


子どもの頃から毎日山で暮らし、話し相手はおばちゃんと父の穂積だけだ。

と言ってもほとんどしゃべらない穂積との生活は特段の変化もない。

中学生になっても同級生はおらず先生だけだ。


あまりにも寂しい境遇だ。

それを空木はヒナトリの元でしばらくだが暮らしてみて少し理解した。

そしてその時代を過ごしたこの庵が今崩れようとしている。


空木は自分の荷物を袋に詰めた。

ほんの二つほどに収まるぐらいだ。


空木は窓辺に立つ。


ここから夕陽が見えた。

春の日のオレンジ色をした太陽が沈むのを見るのが空木は好きだった。

だが今はほとんど葉に隠れて外は見えない。


「……ありがとう、さよならだね。」


空木が呟く。


微かにみしりと庵がうずく。


多分次にここに来ようとしても道は分からないだろう。

来られたとしてもこの庵は跡形もないはずだ。

ここは大地に還るのだ。


「空木、そちらが終わったらこちらも手伝え。」


ヒナトリの声がする。

空木は荷物を持ち部屋を立ち去った。




庵の荷物を持ち出すと4WDの中は一杯になった。


「狭すぎる。俺は今度は前だ。お前は後ろ。」


後ろ座席の半分以上は荷物でふさがっている。

やっと空木が乗れる程度だ。

ヒナトリがどっかりと助手席に乗った。


「じゃあ空木ちゃん、忘れ物は無いわね。」

「はい。」


白川が車を出す。

昼前にここについたがすでに黄昏が近づいている。


「さすがにここで一晩正気で過ごす自信は無いわ。

すごいわね、植物の生気が。」


ヒナトリがちらりと白川を見る。

彼女も何かを悟ったのか口をつぐんだ。


走り去る車から空木はこっそりと後ろを振り返った。

積んだ荷物の間から小さな緑の山がぼやけて見えた。

それは涙なのだろうか。


彼女はふと思った。

父はどうしているのだろうと。


元々自分は肉親との縁が薄いのだ。

多分父は自分の事は気にしていないと感じていた。

それでもこの崩れかけた庵を目の当たりにして

彼女は父の行方が気になった。






高速道路のPAについた時、空木は眠っていた。

ヒナトリが上着をかけてやり二人は車をそっと降りた。


「さすがに疲れたのね。無理もないわ。」

「そうだな、俺も疲れた。」

「あたしは全然疲れてないわよ、あなたからどんどん気が吸えるもの。」

「そこそこにしてくれよ。」

「運転手をしてるんだからそれぐらい払ってね。」

「しかしなあ、」


ヒナトリが空の闇を見て言った。


「穂積師も容赦ないな。」

「自分の痕跡を跡形もなく消すつもりかしら。」

「だろうな、自分が戻らなかったら全て消す穂積師の仕掛けだろうな。」

「そうなると自動的に空木ちゃんのものも消えるって事よね。

それぐらい冷徹でないと一流の術師にはなれないとは思うけど、ねぇ。」


だが、庵はぎりぎりの所で保っていた。

すぐに消し去る事は出来たはずだ。

どうして残していたのだろう。


それが穂積の情なのだろうか。

最初からヒナトリは空木が親に捨てられた感を持っているのは分かっていた。

父である穂積が温かく子を育てたのではないのは想像出来る。

だが彼女も大人だ。

それは口にはしていない。


しかし、穂積にも空木に対しての感情はあるのではないかと彼は感じた。

ヒナトリにとって穂積は極めて冷静で合理的な感情の無い男のイメージだったが、

今日の出来事は彼にも別の面があるのではと思わせた。


だが、空木の眠っている白い顔を思い出すと少し胸が痛んだ。

自分が慣れ親しんだ故郷が無くなるのは悲しい事だ。

彼女のように残るものがほとんど何もない時は尚更だ。


「でもやっぱりヒナトリは優しいわね。癒しのたちだ。」

「なんだよ、いきなり。」


白川がにやにやとヒナトリを見た。


「後部座席で泣いてたわね、空木ちゃん。一人にしてやったんでしょ?」

「……俺が座れないからだよ。」


白川がヒナトリの首に腕を回して飛びついた。


「ほんとヒナトリのこう言うとこ大好きよ、食べてしまいたいわ。」

「止めてくれよ、ウワバミに一飲みなんて寝覚が悪い。」

「ウワバミなんて言わないでよ、白蛇様とお言い!」

「へえへえ、申し訳ございませんでした。しろへびさま。」






ヒナトリ達が帰って来たのは明け方に近かった。


「お帰り~。」


呑気な様子でペリが出迎えた。


「全部ここに置いて行くわ。

時々飲みに来るから空木ちゃんによろしく言っておいてね。」


白川は元気満々で帰っていく。


「疲れたのは俺だけかあ……。」


ぐっすり眠っている空木をベッドに寝かせてヒナトリが大きく伸びをした。


「お疲れ様、で、どうだっタ?」

「植物だらけだ。建物地面全て植物が覆って隠してたよ。

一週間もしないうちに全部朽ちて土に還ると思う。」

「へえ……。」


窓の外が少しだけ青みが増した。


「じゃあ空木チャンは帰る家が無くなったんだネ。」

「そうだなあ……。」


ヒナトリがぼんやりと外を見た。


そろそろ人々が動き出す。

その前の薄いガラスのような静けさが彼は好きだった。







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